破滅の始まり
あたしはすぐに、蒼さんに相談しようとした。
冬馬に危険が迫っていると。それは明日にも起こるかもしれないと。
でも間の悪いことに、蒼さんはその日から出張に出かけしまっていた。それも六花さんまで伴って、遠い海の先の外国へと。
手のかからない、あたしたちの普段の振る舞いが仇となった。緊急の連絡先は教えられていたが、通話は繋がらなかった。おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または――。
そうなれば、あとはもう本人に思い止まらせる他なかった。
「あんただって、もう気づいてるんでしょ? あの子たちは危うい。普通じゃない。その思いが通らなければ、どんな行動に出るかわかったものじゃないわ」
それこそ、自分以外の冬馬に近づく存在を排除しかねない。実力でもって。それができるだけの力を、彼女たちは有していた。
「心配すんなって、なんとかするから。確かにちょいと嫉妬深いところはあるけどな」
「違うの。アレは嫉妬とか独占欲とか、そんな感情ではないの。彼女たちの中では、それは既に決まっていることなの。あんたの思いを受けるただひとりは自分だと、盲目的に信じきっている。
だからもう、言葉は通じないわ。他ならぬあんたの思いだって届かない。自分の望んだ結末しか、彼女たちは認めようとはしないわ」
「……だとしてもだ」
急に真剣な顔つきになって、冬馬がそう呟く。ここに至って、やはり冬馬も理解していた。彼女たちは異常であると。事態はもう、止められないところまで進んでしまっているのだと。
その上で、冬馬は彼女たちに向き合おうとしている。でも。
「今さら、あいつらを突き放すことなんてできない。大丈夫、ちゃんとうまくやるさ。俺は全部受け入れる。全員の思いを受け止めて、誰もが幸せになれる未来を掴んでみせる」
それは最早、愛でも恋でも、情欲ですらなくて。
ただの義務感であることに、冬馬は最後まで気づいていなかった。
それ以上、あたしにできることは何もなかった。冬馬は一度決めたことは絶対に覆さない。その不屈の精神で、今まで何人もの少女を救ってきた。
だがそれも、今回ばかりは届かない。彼女たちは救いを求めなる側でありながら、力を有していた。思いを押し通す、願いの結実たる力を。
遅かったのだ。例え不可能だとわかっていても、冬馬が彼女たちを切り捨てることは有り得ない。そんなことはとっくの昔にわかっていた。
そうなる前に、あたしが冬馬と彼女たちを切り離すべきだった。それができる唯一の位置に、あたしはいたというのに。
そうして、その日がやってくる。
全ての始まりとなる、破滅の日が。
昼休み前の、最後の授業の最中だった。
教室の外が俄に騒がしくなっているのに、あたしは気づいた。
嫌な予感がした。心臓を直接撫でられるような、不穏な感覚。
突如、爆発音が響いた。次いで大量のガラスが一斉に割れるような破砕音。遅れて響く女子生徒の甲高い悲鳴。
騒然となるクラスメイトたちを尻目に、廊下に飛び出すと。
そこには、暴風が通り過ぎたかの如き風景が広がっていた。
悉く割られた窓ガラス。
廊下に倒れている複数の生徒。血を流している者もいる。
その中心に佇むのは、青い髪の少女。例の三人の内のひとり。背を向けているので、その表情は窺い知れなかったが。
纏う剣呑な雰囲気に、彼女がそれを為したであろうことは明白であった。
とうとう、その時が来たのだ。彼女の感情が臨界を超え、暴走を招いた。
その見据える先に、冬馬と赤宮さんがいた。慄いた表情で、青い髪の少女を見つめている。
冬馬が何かを叫んだ。静止か懇願か説得か。でもそれはもう、彼女には届かない。言葉が意味を成す段階は、とうに通り過ぎている。
返答は大気を震わせる風の衝撃で行われた。圧縮された空気の塊が冬馬たちに放たれ――直前で、両手を構えた赤宮さんによって霧散させられる。余波がまた廊下を切り裂き、幾人かの生徒が巻き添えを喰って裂傷を負った。
途端に周囲がパニックになる。怒号と悲鳴が重なる中、呆然とする冬馬の腕を引っ張り、赤宮さんが逃走を促す。
破壊を撒き散らしながら、その背を少女がゆっくりと追っていった。
およそ最悪の形で、悪夢は現実となってしまった。破壊される校舎と多数の負傷者。今なおそれは増え続けている。
我先にと逃げ惑う生徒たち。統制の取れない教師。阿鼻叫喚の地獄絵図。
手近な教師を捕まえて、警察と祝対への緊急通報を促す。そう、これは最早事件であった。無辜の一般人を巻き込んだ、無差別なテロとなんら変わりない。
そしてその一般人のひとりでしかないあたしに、できることは何もない。関係も資格も力もない。ただ隣りに寄り添うことすらできない。
それでも、このまま見過ごすことなどできなかった。何もできないのはわかっているけど。
教師の制止を無視して、あたしは冬馬たちの後を追っていった。
損壊の跡を目印に、冬馬たちを追いかける。生徒たちの避難は済んだようで、ある一点からは誰ともすれ違うことはなくなっていた。
二階に上がった先の廊下に、ひとりの少女が倒れていた。長い紫色の髪。最後の三人目の少女だった。ボロボロの傷だらけで意識を失っていたが、辛うじて息はしていた。
一際激しく破壊の爪痕が残る周囲を見るに、ここで風を操る彼女と交戦したのだろう。そして敗北を喫した。
壁や床に飛び散る血痕が、その激しさを物語っていた。果たしてそれは、彼女たちだけのものなのか。
冬馬の無事が危ぶまれた。赤宮さんは冬馬を守ってくれているのか。もろともやられてはいまいか。そも、彼女を信用してもいいのか。彼女とて、狂いの間際にいたはずで――。
もうひとつ階段を上った最上階。
そこに彼女がいた。青い髪の彼女が、二階の少女と同じように倒れ伏している。
少しの安堵を覚える。脅威の大元は沈静化された。赤宮さんが対処したのだろうか。外傷はないようだが――、と。
「……ん、んん……」
ゆらりと身じろぎをして、少女が目を覚ます。
危機感を感じて身を隠そうとするが、少女が起き上がる方が早い。まずい――と思ったのだが。
「……あれ? なに? どうして私、こんなところに……」
前後不覚な様相の彼女に、戸惑いを覚える。……覚えていない? あんなに、散々暴れておいて?
そんなわけはない。でも、少女の瞳に狂気は宿っていない。――ならば、あと考えられるのは。
気づきが戦慄となってあたしを貫く。赤宮さんのギフトを思い出す。発動型〈忘却〉。
一見攻撃的には思えないそのギフトは、然して絶大な強制力を孕んでいる。
忘れさせられたのだ。この少女は。おそらく、冬馬に関する記憶を。もしかしたらそれ以上のことを。
焦がれたその思いを、なかったことにされた。例えそれが、狂いの領域に至っていたとしても。
そんなことは、許されていいのだろうか?
あたしにはわからなかった。元より、舞台に上がっていないあたしにそれを非難する資格はない。それは選択し、決断した彼女たちだけに許されていた。
ともあれ、これで危機は去った。結果的に冬馬を巡る争いは赤宮さんに軍配が上がった。あとしまつは大変だろうし、冬馬がそれを良しとするかはわからないが、いちおうは事態に決着が着いた。なのに。
あたしの中から、焦燥感が消えない。
「――まだだ」
気づく。
争いは終わった。この子の記憶が失われた時点で、それは終幕を迎えた。なら、どうして。
冬馬と赤宮さんは、ここにいないのか。
「あ――――う、あああああああああああっっ!!」
空気を切り裂くような叫びが聞こえた。あいつだ。変声期を迎えた冬馬の声。
廊下を走り、角の教室を曲がった、その先には。
あいつがいた。怯えと驚愕と失意をない混ぜにしたような表情の、冬馬と。
その前に倒れる、意識のない赤宮さん。
同じだった。
彼女からも、また――何かが失われているのがわかった。
「違う……違う、俺は……俺は……」
うわ言のように。
冬馬がそう繰り返す。
「俺は、こんな……こんなこと……あ、あ、あ……」
意味を成さぬ呟き。
絶望の表象。
後悔を撒き散らして。
「俺は……俺は……」
そうして。
冬馬は、壊れてしまった。
深い爪痕が残された。
現実にも、冬馬の心にも。
あれから冬馬は、自室に籠もって出てこなくなった。誰もそこに近づくことはできなかった。
特に女性の存在を認識すると、冬馬は怯えるように狂乱した。あたしや冬華でさえ、冬馬は頑なに拒絶した。
深夜、トイレか食事にそっと部屋から出てきた冬馬と鉢合わせたことがあった。
「ひっ――」
「……冬馬」
「く、来るなっ、来るなぁっ!」
あたしの顔を見た冬馬は悲鳴を上げ、腰を抜かしながらもがくように後退った。酷く歪んだ瞳で、恐ろしい悪魔でも見たかの如く。
いつでも自信に満ち溢れていた、大人びた態度は完全に失われてしまっていた。年相応のそれよりも、もっと幼い、怯えきった子供がそこにはいた。
あたしはゆっくりと踵を返した。こんなあいつを見ていたくなかった。
無力感があたしを苛んだ。あたしには何もできない。胸を貸すことも、抱き締めることも。ただ隣りに寄り添うことも。
冬馬はあたしを救ってくれたのに。
だから今度は、あたしの番なのに。
あたしは冬馬に、触れることすらできなかった。
六花さんは、急いで戻ってきてくれた。
どうしても外せない仕事だったらしいが、蒼さんひとりに無理くり任せて、文字どおり飛んで帰ってきたとのことだ。
「六花さん……」
「報告はもらってるわ。大変だったわね」
強行軍で疲れているだろうに、そんな素振りも見せずに、六花さんはあたしを抱き締めて頭を撫でてくれた。
すうっと、心のつかえが晴れていくのを感じた。あんな冬馬に、あたしはどう接すればいいのかわからなかった。六花さんなら、なんとかしてくれると無条件に思えた。
「まったく、女の子にこんなに心配かけて。しょうがない子ね」
「六花さん、冬馬は……」
「大丈夫。あとは私に任せておきなさい」
頼もしい笑顔だった。これで大丈夫だと、あたしはようやくにして安堵した。
途端に腰が抜けた。あの日からずっと気を張り続けていたのだと、あたしは今さらながらに気づいた。
暴れる冬馬を、六花さんはうまく宥めた。女性への恐怖症のようなものを患ってしまった冬馬だったが、六花さんの献身により、それは少しずつ癒やされていった。
それはあたしには成し得ぬことだった。いくら大人びていようとも、やはりあたしたちはまだ子供だったのだと思い知らされた。
「昔から手のかからない子だったけど……まさかこんなところで母の出番が来るとはね」
そう言いながらも、六花さんはどこか嬉しそうでもあった。
「冬馬も冬華も、すぐに親離れしちゃったものだから。こう、母性本能を持て余していたのよね」
それは嘘偽りない、本当の感情だったのだろう。少なくとも、まだその時は。
あたしは安心しきっていた。だから気づけなかった。
六花さんの瞳が、少しずつ澱みを宿していったことに。
この後に起こる、本当の悲劇に。




