失われる退屈
それからちょくちょくと、冬馬はあたしに話しかけてくるようになった。どんなに無下に突き放しても、次に会う時にはあっけらかんと普通に接してくるのだ。そしてついでとばかりにスカートを捲られ、お尻を触られた。
もちろんその度に、人体の急所となる部位に制裁を加えてやったけど。おかげであたしは、人を殴り蹴る動作に習熟してしまった。
冬馬は本当にあほぅだった。思考の九割がお尻のことで占められており、小学生にあるまじき性欲とバイタリティでそれを求め続けていた。お尻のこととなると、冬馬は呆れるほどの行動力を発揮した。どうしてその情熱を他のことに向けられないのかと、あたしは何度も深いため息を吐いた。
でもなんだかんだいって、あたしは冬馬といつも一緒にいるようになった。
「だからさ、やっぱり今は大人のおねーさんの方が狙い目なんだよ。中でも包容力とか母性が強いタイプ。おもむろに揉んでも「ご、ごめんなさい。ぼ、僕、なんかお母さんが戻ってきてくれたのかと思っちゃって……」とか涙目で言えばイチコロなわけよ」
「あんた普通にお母さんいるじゃないのよ」
「別に死んだとは言ってねーし。向こうが勝手に勘違いしてるだけだしー」
「……後で六花さんに報告しておくわ」
「おい、待て。やめろ。今度バレたら俺の秘蔵写真集が焚書されちまう」
「今日も暑いわね。アイスが美味しい季節になったと思わない?」
「くっそ、後で覚えてろよ……」
そんな実りのない会話を交わした。中身のない、くだらない会話を。
ただ、退屈は感じなかった。あたしの話し相手としてこいつは適任だった。冬馬は確かにあほぅだったけど、その精神はある意味成熟していた。あたしと同じように、同年代の子供たちとは比べものにならないほどに。下手したら大人たちよりも。
その方向性は、あまりに性的に過ぎていたのだけど。
「あ、そういや今度のお前の誕生日会、ウチでやるらしいぞ」
「何それ。聞いてないんだけど」
「そりゃ初めて言ったからな。お前の母ちゃん、「まさかあの子にお友達ができて、お誕生日を祝ってもらえるなんて……」とか泣きながら喜んでたぞ。どんだけ友達いなかったんだよ」
「ハァ……あの母は、まったく……。別に、友達なんか必要なかっただけよ」
「お前ひねくれてるもんなー」
「変態には言われたくないわね。どこの世界にお尻フェチの小学生がいるっていうのよ」
「ここにだよ。つまりは世界一というわけだな」
「なんで誇らしげなのよ。貶してんのよ気づきなさいよ」
「しょうがないだろ、尻は全てにおいて優先される尊いものだ。昔の中国の人も言ったろ? まず尻より始めよ、と」
「言ってないわよ。郭隗を変態にするんじゃないわよ」
「はじめに神は天と地と尻を創造された」
「してないわよ。さらっと付け加えるんじゃないわよ。あんたみたいなのが生まれたのが神への冒涜よ」
本当に、無意味で、低俗で。でも無駄に知識があって、流暢に言葉を紡ぐ冬馬。
それはこいつが、この歳にして目的を見定めていたからなのだろう。それがお尻だというのが不純すぎるけど、そのために――綺麗なお尻を持つ女性に近づくために、冬馬は努力をしてきたのだ。そして自己を確立した。
だからこそ、あたしは冬馬に興味を持った。冬馬と話したいと思った。冬馬の近くにいたかった。
少なくとも、退屈凌ぎにはなるからと。まだわからない感情に、とりあえずそう名前を付けて。
そうやって、あたしと冬馬は、腐れ縁の幼馴染みになっていった。
冬馬の両親も、息子に負けず劣らず変な人たちだった。
蒼さんと六花さん。まず、呼称をそのように強要された。
曰く、
「俺はまだおじさんではない。ほら、見えるだろう? この溢れ出る若いリビドーが。何を隠そう、冬馬は俺が育てた」
「当たり前でしょうが。そして幼女にセクハラしないの。まぁでも私も、そのおばなんとかという言葉には当てはまらないわね。このあいだ高校のころのセーラー服着てみたけど、特に違和感なかったし」
「マジか。じゃあ俺も着るか。アレだな、今夜あたりそれでもうひとり作っとくか?」
「だから子供の前でそういう発言はやめなさい。お小遣い減らすわよ?」
「勘弁してくれよ、資料集が買えなくなっちまう」
「ああ、そういえば書斎と冬馬の部屋は昨日掃除しといたわよ。いやらしい雑誌を見つけたから焼き芋の燃料にしといたわ」
「なっ、お、お前、なんてことを……!」
「見つかる方が悪いのよ」
……なんというか、なるべくして冬馬はああなったのだと思わせるような二人だった。
でもなんだか、この二人には言い知れない妙な魅力があった。それぞれが好きに自分を曝け出して、時には反発しているのに、互いを深く理解していて、心の奥底ではしっかりと繋がっている印象。
それには、二人が共にギフテッドであることが関係しているのかもしれない。余人には預かり知れぬ物語の存在が、そこには感じられた。
そしてうちの両親も、すぐに彼らに惹かれた。家が隣同士なこともあって、あたしたちの家は頻繁に互いと交流を持った。
父も母も凡庸な一般人だったので、積極的で破天荒な四条家の面々と過ごすのは刺激的で楽しかったのだろう。
なお、あたしは別に父と母が嫌いなわけではない。面白味のない人たちではあったけど、こんな生意気な娘に対しても愛情のようなものを注いでくれているのは、確かに感じられた。あたしがこんな性分でなければ、きっと平和で平凡な家庭を築けていたに違いない。
「どうして僕たちのところに、君みたいな優秀な子が生まれちゃったんだろうねぇ?」
「ほんとにねぇ。いったい何処にこんな遺伝子が眠っていたのかしら」
「正直僕は、母さんの浮気を疑ってしまったことがあるよ」
「あら。私はてっきり、寝ている間に赤ちゃんを取り替えられたのだと思っていたわ」
「はは、それも有り得るね」
穏やかな顔で、二人はそんなことを宣っていた。実の娘の前で言うのはどうかと思うけど、あたしが意に介さないのをわかった上での発言なので、実際には自虐の冗談の類だ。
まぁ、無理もないとは思う。それほどにあたしと両親には類似点がなく、実は養子や拾い子なのだと言われれば、あたしはすとんと納得してしまったのだろうから。
退屈だけど愛情をくれる両親と。
変人だけど退屈を紛らわせてくれる隣人がいて。
だからそのころのあたしは、自分の環境に概ね満足していた。この生活が続くのならば、それも悪くはないと思えていた。
でも、そう思ったものほど。
失いたくないと、願ったものほど。
この世界では、その手からするりと零れ落ちていく。
その日も、あたしはいつもどおりに冬馬と過ごして、いつもどおりに家に帰った。変革の予兆は何もなかった。
月を見ていた。
薄雲に隠れた、朧げな満月。
あたしの名前にもなっているので、何かしら名付けの由来があるのかと聞いたことがある。
「ああ、ちょうどね、君が産まれた夜に、光の加減か何かで月がそんなふうに見えたんだよ。薄い紫色にね。響きもけっこういいだろう? それでさ」
返ってきたのは、やはりそんな単純な答えだった。まぁ、それも父らしいと思えた。
ひとしきり眺めて、さて、そろそろ就寝しようかと思ったところで。
宵闇の空から、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。空気を震わせる異質な音響。遠目に映る赤い灯火。異常の報せ。
得体の知れない悪寒に、あたしはぶるりと体を震わせた。
リビングに下りると、父と母がテレビの前にいた。不快な警告音と共に、その画面の上部に緊急速報のテロップが流れる。
――町付近にて、暴走ギフテッドが発生。極めて危険かつ攻撃的な能力を保持しています。近隣住民の方は、戸締まりをしっかりとして――
「あらやだ、怖いわねぇ」
「まぁ、そうそう大事には至らないだろうがね。念のため、戸締まりを確認しておこうか」
暴走ギフテッド。
それは今や、火事や地震と並ぶ「災害」として認識されている事象であった。地震ほど頻繁に起こるわけではないが、稀にあたしたちの生活と命を脅かす、それは百%の人災。
人がギフテッドとして目覚める経緯は様々だが、その結果は往々にして二つに大別される。即ち、暴走するか否かだ。膨大な感情を発露し、力を得た彼女たちが、その思いのままに暴れて被害を出すことは決して少なくはない。
そうして被害が明るみになった時点で、このように警告が発される。同時に警察及び対応機関たる祝対が出動し、その鎮圧、捕縛に乗り出す。
概念としては、通り魔やテロに近い。一般市民に対応する術はなく、事態の解決までこうして安全な場所に閉じこもる他ない。
尤も。
超常の力を振るうギフテッドに対しては、時に「安全な場所」などどこにも存在せず。
そのことを、あたしは身を持って知ることとなる。
がしゃんと響く破砕音は、庭に続くガラス戸から。カーテンごとボロボロに引き裂いて、現れたのは高校生ぐらいの青い髪を束ねた少女。
あたしは瞬時に理解した。異質な色彩も然ることながら、その――瞳。冷たく深い、それは何かを決断した者の証。
彼女が、件の暴走ギフテッドだと。なんの偶然か、その驚異がここに現れてしまった。
「悪いけど、ちょっと大人しくしてくれる?」
凍るような視線があたしたちを貫く。怯えた挙動をあえて装いながら、あたしは急いで思考をまとめる。
砕け散ったガラス。引き裂かれたカーテン。よく見れば、ガラスの残骸にも爪痕のような形跡が残されている。
引き裂いた。それが彼女のギフトの効能で間違いない。シンプルな攻撃能力で、その威力は人体などやすやすと貫いてしまうことだろう。
何故民家に押し入ったのか。追われているであろう彼女。追跡を逃れるためには、ひとところに留まるのは得策ではない。可能な限り遠方に逃げ出すべきだし、潜むとしてももっと隠密に事を運ぶのが普通だ。錯乱して、そこまで考えが至っていない? ――いや。
できないのだ。既に彼女は、追い詰められている。包囲され、逃げられないと悟って、違う手段に出た。すなわち。
あちしたちを、人質に取る気だ。
逆らうべきではない。破砕音はかなり大きく響いた。異変はすぐに察知される。そう時間をかけずに、祝対の追手が到着するはずだ。
ならば彼女の言うとおり、まずは大人しく従っておく。抗うのは悪手だ。何しろこちらは三人もいる。見せしめにひとり二人が殺される可能性すらある。
祝対とて無能ではない。対する彼女は、ギフテッドとはいえただひとりだけだ。籠城戦になったとしても、いずれ疲労が蓄積し、やがて睡眠が必要となる。それを無限に続けられるわけではない。そして。
最悪、彼女が安全な逃走を要求し、それが通ったとしても。
三人もの人質を連れるのは難しい。現実的ではない。効率を考えれば。
それは、あたしになる。いちばん体が小さく、抵抗力のないあたしに。その先のことはわからないが、少なくとも父と母の安全は約束されたようなものだ。だから無駄に抵抗せず、恭順の意思を示そうと結論づけて。
でも父と母には、そこまでの冷静な思考力が備わってはいなかった。
「――っ!」
おもむろに駆け出し、部屋の端の電話に飛びつく父。あまりに短絡的で、愚かしい行動。それを彼女が見逃すはずもない。
「やめ――!」
静止の声は届かない。背中を向ける父に、少女は手掌を構え。
あっさりと、その牙が振るわれる。三条の不可視の爪が父の体を深く引き裂き、流れ出た赤色にその身を沈める。その様を見て。
母が、少女に体当たりをする。もんどり打って倒れる二人。
馬鹿なことを。どうしていつものんびりしているのに、こんな時だけ行動力を発揮するのか。
「逃げなさい! 早く!」
必死の形相で、母が叫ぶ。
その、顔が。
「こ――のっ!」
無惨にも、引き裂かれる。返り血が飛び散り、少女の顔を赤色に染める。
途端に力を失い、倒れ込む母。確認するまでもない。即死だ。
起き上がり、少女が苛立たしげな表情を作る。
「ああ、もう! どうして大人しくしないのよ! このっ! このっ!」
悪態を吐きながら、少女が二度、三度と爪を振るう。父と母の遺体を冒涜する。
千切られ、裂かれ、それらが元の形を判別できないほどの肉塊と化してから。
ようやく少女は攻撃を止め、荒い息を整えながらあたしに視線を向けた。
渦巻いた、狂気の瞳を。
「――あなたは、ちゃんと大人しくしてくれるよね?」
どうして、こんなことになってしまったのか。
変わらない明日が来るのだと思っていた。平凡だけど、少しだけ刺激のある日常が続くのだと疑わなかった。
なんで?
どうして?
――良かったじゃない。
声が聞こえた。
少女の声かと思って、でもそれはあたしの内側から響いてきた。
――退屈していたんでしょう? これで、とても刺激的になったわ。
あた――し?
あたしが、これを望んだっていうの?
そんな。
そんなわけが――
――おめでとう。神様が、あなたの願いを叶えてくれたわよ?
ない、と。
言い切れないからこそ。
あたしの中から、こんな声が聞こえてくるのだ。




