あるあほぅとの出会い
正直、死ぬかと思った。
ようやくにして〈デッドハーレム〉を潜り抜けたばかりだというのに、何故にこんなところで命の危機を感じなければならないのか。危うく紫月の代わりにベッドに転がるところであった。
何しろ、それは連撃だった。初撃の踵落としから連なる、不断のきりきり舞。
「死ねっ! このっ! このっ! あほぅがっ! あほぅがあっ!」
真っ赤な顔で俺を殴り蹴る紫月は、完全にキャラが崩壊していた。
一撃ごとに〈短距離転移〉で絶妙な位置取りを繰り返し、放たれる連続攻撃。その上的確に急所を狙ってくるので、如何な紫月の低い腕力といえど、充分にダメージを受ける攻撃であった。
途中からは俺も本気で回避しようとしたのだが、全然避けられない。妙にタイミングが良すぎて受けに回る他なかった。
諦めて倒れようとしたところ、なんとそれすらできない。打撃がうまい具合に俺の体を持ち直させ、次の攻撃に繋がるのだ。というか煉○だった。こいつはいつの間に進○塾の秘奥を会得したのだろうか。
もっと言うとアレだ。瞬間移動を絡めてラッシュを決めてくるどこぞの野菜民族。俺の戦闘力はライフルを持ったおっさん以下のゴミなので、怒りの野菜パワーを溢れさせる紫月には敵うはずもなかった。
もしかしてこいつ、朱里と本気でやり合っても渡り合えるんじゃなかろうか……。
そうして、紫月の気の済むまで俺は嬲られ続けた。こいつの体力が続けば、本当に死んでいたかもしれない。
全身が滅茶苦茶痛かった。蓮さんに滅多刺しにされた時の次ぐらいには。
「はぁ、はぁ、はぁっ…………。ハァ……まったく、なんでわかったのよ?」
とりあえず落ち着いたのか、呼吸を整えてから紫月が疑問を口にする。まだ赤い顔で、俺を訝しげに睨めつけて。
わからないのも無理はない。目を覚ました紫月の瞳に、確かに意思はなかった。それは演技や装いではなかった。彼女は完全に、失われていた――その瞳からは。
「詳しいことはわからんが」
痛む体をさすりながら、なんとか言葉を紡ぐ。
でもわかることがあった。それは正に、俺だけにわかること。俺が絶対の自信を持って言えること。
その判別についてなら、俺は世界で最も優れた能力を有している。
「お前の尻は、既に目覚めていた」
「ちょっと何言ってるのかわからないわ」
呆れを隠そうともせずに、紫月がげんなりとした視線を寄越してくる。まぁ、俺以外にその感覚が掴める奴もいないだろうから、致し方ないが。
「目覚めたお前からは、確かに自我は感じられなかった。正確には蓋をして隠されていたってところか。でもな、尻は閉じられてはいなかったんだ。なんとなくだが、俺にはそれがわかった。そして揉んでみて確信した。やっぱり、まだお前はそこにいるんだと」
「……そんなことで見破られたの……」
がっくりと肩を落として、大きなため息を吐く紫月。そんなことじゃないぞ。大切なことだ。
「まぁ、諦めろ。経緯はどうあれ、暴かれたお前の負けだ。それで、説明はしてくれるんだろうな?」
「…………」
自我の有無はわかったが、それ以外は今ひとつはっきりとしていない。紫月の口から語ってもらう他なかった。
ある程度は確信している。たぶん、事態のいちばん奥にいたのがこいつだ。朱里と親父と祝福省、それぞれの思惑を読み取って、掌の上で転がすように操っていた。事態の黒幕――食卓の支配者は、そのまま舞台をも支配していた。
きっかけを作ったのは朱里だ。それまではまったく気づかなかった。漂う膜のようなものが、真実を覆い隠していた。
でも、朱里がそれを壊した。紫月にとっては、それが最大の誤算だったのだろう。そうして、違和感は実体を伴って明白となった。世界が反転するように。
今となっては、明らかにおかしいのがわかる。三年前の最初のハーレムは別として、その次。二回目のハーレムからだ。
少女たちを囚える俺の〈デッドハーレム〉。囚われた彼女たちは、いずれ俺に近づく他の少女たちに害意や嫉妬を抱くようになる。それが破滅へと続く。
なのにどうして、俺のいちばん近くにいた紫月が、その驚異に晒されていないのか。渦巻く嫉妬に巻き込まれていないのか。そしてそのことを、俺を含めて誰も不思議に思わなかったのか。
その事実が、紫月の本質――その真なるギフトが異なるものであることを浮き彫りにする。〈短距離転移〉とは、その表層にある効果のひとつに過ぎない。真実は装飾され、隠蔽されている。
「なぁ、紫月。教えてくれ。お前は本当は――いったい、何を願ったんだ?」
そこが出発点だ。あの日、絶望に打ちひしがれ、閉じ籠もっていた俺を。世界との繋がりを拒否していた俺を連れ出すために、紫月はギフトを発現したのだと思っていた。そこに、最初の思い違いがあった。
「…………はぁ……まったく」
もう一度、深く長い息が吐き出される。そこに緩やかな諦めが混じっているのに、俺は気づいた。
ウサギのように真っ赤な瞳。真実を見通してきたその一対が、俺を真正面から捉えて映す。
そして。
「しょうがないわね。教えてあげるわよ」
彼女の物語が、語られる。
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可愛くない子ねぇ、と。
親族の集まった席で、叔母さんのひとりがそう言った。瞬間、その場の空気がしん、と静まり返った。
少し間を置いてから、どうやらあたしの――穂村紫月のことを言っているのだと気づいた。あまりに退屈だったので思考に没頭していたあたしは、しばらくそのことに気づかなかった。
あたし自身は、別段そんなつもりはないのだけど。
どうもあたしは、世間一般的には情動の薄い子供だと見做されているようで。
それを叔母さんが、まざまざと言葉にしてしまったのであった。
何をしていたのだったか……ああ、確か親族たちと実りのない会話をしていて、退屈を覚えた私はいつもの自動対話モード――「ええ」とか「そうですね」とか適当な相槌を打つ状態を表層に上げて、全然違うことを考えていたのだった。その態度が気に障ったのだろう。
まぁ、可愛げはなかったとは思う。でも小学生になったばかりの女の子にそんな言葉を投げつけるのは、大人として如何なものなのか。
くだらない。まったくもってくだらない。頭の足りない発言をする叔母さんがくだらない。凍りついた空気の中、どうしようかとオロオロしている他の大人がくだらない。何もわからず、キョトンと周りを見回している従兄弟たちがくだらない。またか、と頭を抱えて困った顔をする父と母がくだらない。
ああ、つまらない。つまらない。
あたしはいつまで、こんな牢獄のような場所にいなければいけないのか。つまらない奴らに囲まれていなければならないのか。
そう。あたしはただ単純に、退屈していた。
あたしの情動が薄いんじゃない。
あたしの感情を動かすだけのものが、ここには何もなかった。ただ、それだけのことなのだ。
「ちょっと、散歩でもしてくるわ」
取り繕うのも面倒になって、あたしはそう告げて場を逃れた。角が立たないように、聞こえなかったふりというやつだ。
だがそれを無視されたと受け取ったのか、叔母さんがまた何かを言ってきた。またくだらないことを。愚かしいほどに馬鹿な人だった。
もうどうでもよくなって、あたしはそそくさと家を後にした。だいたい、どうしてまだ子供のあたしが、こんな気遣いをしなければならないのか。まったくもって嘆かわしい限りだ。
賢しい子供だという自覚はあった。我ながらあたしの精神年齢は周囲より遥かに抜きん出ていた。何か特別なエピソードがあったり、特異な環境にあったわけでもなく、言うなればそれはあたしの生まれ持った性質だった。
おかげで同年代の子供たちとは会話がまったく噛み合わず、それがまた退屈の一因となっていた。
さて、家を出たはいいが、どこで時間を潰そうか。玄関から覗く風景は、まだろくに見知らぬ土地だ。公園か図書館の場所でも調べてくればよかったか。
集まりの発端となったのは、我が家のこの土地への引っ越しだ。都心にほど近いベッドタウン。転勤族だった父が念願叶って手に入れた、一軒家のマイホーム。元々父と母の生まれはこちらの方であり、それぞれの親族も多くはこの周辺に残っていた。それで今回は、引っ越し祝いという体で皆が一堂に会したのであった。
「よう、お隣りさん」
と、思案するあたしに誰かが声をかけてきた。見れば隣りの家から、ちょうど同年代の男の子が出てきたところだった。
先日、両親共々挨拶をした際に顔合わせはしている。名前はなんだったか……やはり馬鹿そうな顔をしているので忘れてしまった。
「どっか出かけるのか?」
「……別に。どこでもいいでしょ」
「なんだよ、つれない奴だな」
隣家なので多少は愛想良くしておいた方が良かったのかもしれないが、あいにく今の私は気が立っていた。そのまま背を向け、無視しようとして――
「…………なに、してるの?」
「別に。なんでもいいだろ」
「よくないわよ!」
あろうことかそいつは、あたしの背後にしゃがんでぴらりとスカートを捲っていた。堂々と、何も憚ることなく。
ぴしゃりとその手をはたき落として睨めつけると、そいつは歳と場にそぐわない真剣な表情を向けてきた。
「その歳で白レースとか、ずいぶん大人びてるな。他の子たちはほとんどバックプリントだってのに」
「……あんたね、犯罪って言葉は知ってる?」
「そう、そこなんだよ」
糾弾するあたしに、そいつは天恵を得たとばかりに深い首肯を返してきた。
「俺は気づいたんだ。今ならまだ許されるってことにな。むしろ今がチャンスだ。あと二、三年ぐらいなら、スカートを捲ろうが尻を撫で回そうが罪には問われない。馬鹿そうに笑っていればイタズラで済まされるんだ。いつ揉むのか? 今だよ」
「本物の馬鹿ね……」
なんだこいつは。子供のくせに底が見えない――いや違うか。底は浅くて低俗なのに、幅が広すぎて端が見えない。ある意味突き抜けている。
同年代の男の子なので、またあたしに変なちょっかいをかけてきたのかと思ったのだけど。
あたしは見てくれもそこそこに整っている。自分で言うものでもないけど、客観的に見ても美人で可憐だ。どうしてもクラスの視線を集めてしまう。
でもこの年頃の男の子は、自分の好意を素直に表現するということができない。故にいたずらや嫌がらせで、それを間接的に表してくるのが常であった。
ただこいつからは、そういった淡い恋心の片鱗らしきものは見られなかった。あるのはただ純粋に、ある一部分への――お尻への焦げつきそうな視線と感情だけだった。
「紫月だっけか? お前、才能あるよ。きっと将来、いい尻に育つ」
「何も嬉しくないわ……」
「ちょっと揉んでいいか?」
「いいわけないでしょ!」
馬鹿だ。あたしが今まで出会ったどんな人よりも酷い、真性の馬鹿――いや、あほぅだ。超弩級のあほぅ。
でも。
ふと、気づく。
こんなに感情を露にしたのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。もしかしたら、初めてかもしれない。
あたしの感情を動かすだけの存在。
それが、こんなところにいた。
そうしてあたしは、こいつと――冬馬と出会った。
はっきり言って、第一印象は最悪で、色々と酷いので認めたくはないのだけど。
いつの間にか。
あたしの中にあった行き場のない憤りと退屈は、不思議と消え失せていたのだった。




