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デッドハーレム  作者: fumo
第1章 願いと狂いと迷いと呪い
72/118

それで終幕でも

 そうして、事態は終わりを迎えた。迎えてしまった。

 今回も俺は、辛うじて生き延びることができた。九回目のデッドハーレム。

 かつてない規模の学園で、かつてない驚異に晒された。なんとか五体満足で終えることができたのは、ほとんど奇跡に近い。


 終わってみれば、それはたった三ヶ月の間のできごとだった。もっとずっと長い時間、俺は彼女たちと過ごしていた気がする。

 それだけ彼女たちと深く接していたのだろう。思えば今回は、初めてのことばかりであった。


 ランチタイムに物量攻めに遭って。

 ひとりひとりとデートを重ねて。

 彼女たちのことを、きちんと知ろうとして。

 心の隙間を、埋めてもらって。

 そして。

 失って。失って。失って。

 今日、この日を迎えた。

 

 ひとつの季節が終わる間に、ずいぶんと遠くまで来てしまったように思う。こんなところに辿り着くなんて、三ヶ月前の俺は思いもしなかった。

 もし、過去にメールを送ることができたとしても、きっと過去の俺はこんな未来が来ることを信じないだろう。それほどに濃密で荒唐無稽な時間の中に、俺たちはいた。


 カーテンと窓を開け放ち、柔らかな風を室内に呼び込む。真っ白な部屋の窓から覗く景色は、前回までと同じようでいて、まったく違うものに感じられた。


 そう。俺はまた、この白い部屋に戻ってきてしまった。

 真っ白な病院の、真っ白な病室。五一八号室。三年間足繁く通い、そしてもう来るはずのなかった場所。


 全てが白かった。そこに眠る少女すらも。

 白い髪に、白い肌。その瞳はあれからずっと閉じられたままだ。だから錯覚する。瞳の色だけが違う、いなくなってしまった彼女と。


 先日までの千影と同じように、紫月はそこに眠っていた。


「冬馬」


 あの夜。全てが終わり、茫然自失としていた俺に、誰かが声をかけてきた。

 親父だった。今思えば、不自然に人通りのなかった周囲の状況は、やはり祝福省によって整えられていたのだろう。親父が何をどこまで知っていたのかはわからなかったが、とにかく監視役らしき者から連絡が行って、あの場所に現れたのだ。

 でも、その時の俺は、何も考えることができなかった。横たわる二人の少女を前に、ただただ虚無感に支配されていた。


「まずは休め。後のことは寝てから考えろ」


 そう言われたのを最後に、俺は意識を失った。自ら闇に沈んだのか、親父の〈停滞〉で意識を止められたのかはわからないが。どちらにせよ大した違いはない。


 それから丸一日以上、俺は眠った。夢は見なかった。整理すべき情報は山ほどあったが、それ以上に心が疲弊していたのであろう。正しく正体のない妖怪のように、俺は闇の中を漂った。


 目覚めた俺が階下のリビングに降りると、テーブルの上には出来合いの惣菜やパンとともに、伝言ウサギが置かれていた。

 そこに書かれた二つの数字。五一七と五一八。それだけで俺は全てを理解した。

 食欲はなかったが、エネルギーは取らねばなるまいと用意されていた物で適当に食事をする。可もなく不可もない味。味覚は正常に機能していたが。

 紫月の作った卵焼きが、俺は無性に食べたかった。


 そうして訪れたこの病室。紫月が目を覚ます気配はない。

 隣りの五一七号室には、朱里がいた。同じように、意識を深く沈ませて。

 眠る二人の少女。朱里が何をどこまで壊したのかはわからない。自意識か。それとも人格か。まったく動かないのか。千影のように、生理的な行動は取るのか。馴染みの看護師さんの話では、まだ一度も起き上がってはいないようだが。


 白い髪にそっと触れて、手櫛でさらりと梳き流す。ふわりと柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。紫月の匂いだ。俺にとっての日常の香り。

 反応はない。よもや狸寝入りでもしているのではないかと。紫月なら有り得そうだと思えたのだが。

 何も起きず。彼女の時間は止まったままだった。


――俺は、間違えたのだろうか。

 朱里を止めることはできた。でも結局、彼女を救うことはできなかった。

 紫月までもこんなことになってしまって。ぽっかりと空いた心の穴は、最早大きすぎてそちらの方が本体のような気さえした。


 誰を恨めばいいのか。

 事態の中心にいたのは、間違いなく朱里だ。でも俺は、彼女を受け入れることができた。その罪を認めて、共に背負おうと思えたのは確かだ。

 詳細はわからないが、紫月も今回の件に、なんらかの形で関わっていた。それもおそらく、根幹に近い部分で。しかし今となっては、それを問い質すこともできない。

 親父はある程度把握していたのだろうが、それでも全てを知っていたわけではないと思う。ああ見えて親父は、身内には非常に甘い。俺や紫月にこれほどの驚異が迫っていたことを知り得ていたなら、流石に介入してきたはずだ。

 故に疑うべくは、親父よりもっと上に位置する存在だ。祝福省の上層部。それが、俺に何かをさせようとしていた。


 情報が足りない。朱里。紫月。親父。祝福省。たぶんそれぞれに思惑があって、それらが複雑に絡み合った結果、今回の事態は起こった。もしかしたら、誰も全容は掴めていないのかもしれない。そして紫月と朱里が沈黙している今、その解明は為されない可能性すらあった。


 だから結局は、行き場のない思いだけが残る。誰かを恨めれば少しは楽になれたのかもしれないが、俺にはそれすら許されない。暗鬱としたこの感情と、俺は死ぬまで付き合わなければならないのだろうか。


 眠る紫月をずっと眺めていると、吸い込まれそうになる。見ているだけなら、こいつは本当に美人だ。月と女神の片割れ。

 気後れすら感じさせるその美しさ故に、紫月に告白しようとする奴はそれほど多くはない。それでも年に数人ぐらいはそういった勇者が現れ、「悪いけど興味ないわ」と一言のもとにばっさりと切り捨てられるのが常であった。


 それが真実の言葉なのかはわからない。俺の転校に付き合っていなければ、その内の誰かの申し出を受けていたのだろうか。なんとなく違う気がする。紫月は興味の持てない対象には本当に一切、意識を向けない。

 俺にとってはどうなのか。あまりにその存在が当たり前すぎて、そんなことは考えたことがなかった。もちろん、大切な存在には違いない。こんなことになるなら、俺の事情に巻き込むべきではなかったと思うぐらいには。


「紫月」

 

 名前を呼ぶが、やはり反応はない。いつ目覚めるのか。もう目覚めないのか。

 これからの日々を思う。また俺はこの病室を訪れる生活を続けるのか。ネズミやカメの代わりに、無駄耳ウサギのぬいぐるみを溢れさせるのか。


 嫌だった。

 紫月の卵焼きが食べたかった。

 蔑んだ眼差しで、あほぅと罵ってほしかった。

 なぁ、紫月。

 頼むよ。

 俺にできることなら、なんでもしてやるから。

 毎月ちゃんとウサギも取ってやる。

 アイスでもタルトでも、好きなだけ買ってやる。

 だから。

 なぁ、頼むよ。

 紫月。

 頼むから、目を覚ましてくれよ…………。


 なんとはなしに、ベッドに腰かける。

 背を向けて、紫月の――ちょうど右側に。


 もぞりと。

 背後で身じろぎの気配があった。


「紫月っ!」


 振り返ると、紫月が起き上がっていた。

 ぱちくりと、長いまつ毛の生えた目蓋をしばたたかせて。


「紫月っ……紫月っ!」


 繰り返し、名前を呼ぶ。その瞳を覗き込む。

 その、赤い綺麗な瞳には。


「紫月……」


 俺の姿は、映ってはいなかった。


 同じだった。

 彼女の――千影の反応と。

 その瞳は開かれていながらも、何ものをも捉えてはいない。

 虚ろで焦点の合わない、意思のない瞳。


 同じなのだろうか。

 千影のように、行動はすれどそこに情動が伴わない状態。

 生きてはいるが、生きようとはしていない、物言わぬ人形のような。

 そんなことを、考えていると。


 おもむろに、紫月が動き出す。ベッドの上を、もぞもぞと這うように、動いて。

 その縁に腰かける。俺の隣りに――そう。

 俺の、左側に。


「お前……」


 やはりその瞳に、色はない。意思はない。何も映してはいない。

 だからそれは、情動ではない、本能とでも呼ぶべき行動で。

 彼女の根底に根づいた、性質だった。


「紫月……」


 ああ、と。

 そうだったな、と。

 湧き上がる感情に、俺は心と体を震わせて。

 彼女をしっかりと、抱き締めた。


 温かかった。

 とくんとくんと、心臓が動いていた。

 例えそこに、感情が残っていなくても。

 彼女は確かに、そこにいるのだった。

 



















…………………………

…………………………

…………………………








 それで終幕でも、良かったのかもしれない。

 物語としては、ひとつの終わりを迎えた。ハッピーエンドではないが、見ようによっては綺麗な終わり方をした。静かに幕を下ろした、優しい悲しみの物語。


 たくさんのものを、失ってしまったけど。

 まだ、残っているものもあった。

 変わり果ててしまったけど、こうして紫月はここにいる。朱里もそうかもしれない。

 凛子もいるし、詩莉さんもいる。探せばきっと、たま先輩もどこかにいる。彼女たちに頼めば、尻だって揉ませてくれるだろう。


 だから、ここで俺の物語は終わりにして。

 残る時間をゆっくりと、アフターストーリーのように過ごすのも、ひとつの選択肢だ。



――でも。

 やっぱり駄目だ。

 俺は朱里に言ったはずだ。紫月に宣言したはずだ。

 俺の本当の願い。俺が求めているものは、それだけじゃないんだと。

 

 全部だ。

 俺は全部欲しい。

 子供のように喚き散らしてでも。

 泥水を被って、醜くのた打ち回ってでも。

 俺は全てを、手に入れる。


 そうやって、無様に抗い続けた者のところにだけ。

 気まぐれで意地悪な神様は、小さな奇跡を落とす。

 だから。

 だから、俺は。




 抱き締めた紫月の背中から、そっと手を離して。




 その程よく肉づいた、形のいい尻を、揉んだ。

 



「ふむ」


 もみもみ。

 もみもみもみ。

 もみもみもみもみ。


「いい尻だ」


 いい尻だった。七十八。こんなにちゃんと揉んだのは、三年前のあの日以来か。順当な成長が窺える。もみもみ。


「まったく、尻に貴賤はないとはよく言ったものだ」


 誰の言葉だったか――ああ、俺の言葉だ。

 歴史に残るに違いない、俺の万感の籠もった言葉。

 もみもみ。


「でもお前、これ俺の渡した美尻クリーム使ってないだろ? あれはな、ちゃんと俺がお前の尻に合わせて選んだ至極の一品なんだぞ? 将来のためにも、今のうちから適切なケアをだなぁ……」


「――――――こ、」


 と、そこで。

 もみもみ。


「こ、こ、こ、こ、こ」


 小さな声が聞こえてくる。

 鶏の鳴きマネのような。

 小さな、されど――俺の聞きたかった声が。

 もみもみ。

 そして。


「こ――――――んのどどどどどあほぅがあああああっっ!!」

 

「ぐほおおおっっ!!」


 未だかつて、そいつから聞いたことがないほどの音量の罵声が響いて。

 同時に放たれた渾身の右ストレートに、俺はもんどり打って吹き飛んだ。


 ああ、やっぱり。

 やっぱりそうだった。


 殴られた頬の痛みに、でも俺は顔を綻ばせて。

 珍しく顔を真っ赤に染め上げたそいつを――紫月を見上げて。

 よう、やっと起きたか――この寝ぼすけが、と。

 感激の再会となるセリフを告げようとして。


 瞬間、紫月の姿が掻き消える。〈短距離転移〉。

 現れたのは、俺の真上。長い足が大きく開かれ、病院着の裾からウサギさんパンツが見える。アメリカンファジーロップ。そして。


「死ねええええええっっっ!!」


 絶叫と共に放たれた、落下速度の乗った全力の踵落としが。


 俺の顔面に、ぞぶりと食い込んだ。

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