本当の願い
「がっかりした?」
述懐を終えた朱里が、深い息を吐いてそう漏らす。
柔らかな表情。されど笑みを形どりながらも、そこには自虐と諦観が含まれているのが見て取れた。
「これが、本当の私。理由なんかないの。ただ、壊したい。刻んで潰して崩して千切って屠りたいの。それが楽しくて嬉しくて、そうせずにはいられないの。だから、私を説得しようなんて、最初から無理なんだよ」
内なる原初の衝動。それは朱里の根幹を成す性質であった。
理由のない思い。朱里は目にする全てを壊さずにはいられない。当初に想定していたとおり、やはりそれが彼女の抱える死に関する思いだった。
ここに至って、俺はひとつの確信を得た。彼女たちと過ごした時間が、俺にそれを気づかせてくれた。
俺のギフトが囚えた、五人の少女たち。
いや――千影に始まり連なる、二十八人の彼女たち。
そこに共通する思い。
それは呪いだ。彼女たちは皆、死に関連する呪いを抱えていた。
行き場のない思い。前にも後ろにも進めず、ひとり佇む他ない、呪いとして固着してしまった感情。
それこそが、俺の〈デッドハーレム〉が彼女たちを囚えた本当の条件。
祝福されたはずの彼女たちは、その実、その身の内に逃れようのない呪いを孕んでいた。
父親の喪失に、その似姿を求め続けた凛子の、死を受容できない呪い。
耐え難い痛みをなくしてほしいと願った末に、その反対の性質を得てしまった詩莉さんの、死を感じられない呪い。
身も心も縛る家のしがらみに対し、反逆することを選んだたま先輩の、死に抗い続ける呪い。
生還を願った代償に、自己の意思に関わらず生き長らえてしまうようになった蓮さんの、死に至れない呪い。
そして、そのどれとも違う。
仔細は異なれど、降りかかる理不尽な死に対抗する思いで、願いを叶えた彼女たち。
だけど朱里だけは、前提となる思いが真逆の方向を向いていた。
抑え難き衝動に押された朱里の、それは死を与えずにはいられない呪い。
その解消は難しい。限りなく不可能に近い。
本能とも原罪とも、魂に刻まれた宿命とも呼べるその衝動。そこには物語がない。
生まれ持った因子を取り除くことなどできない。深く根を張った破壊願望は、最早彼女にとって生きる理由そのものと化している。
でも。
「でもお前は、俺を求めている」
「そう。私はあなたを求めている。何もかも壊してしまいたい私が、初めて欲しいと思ったもの。壊したくないと思ったもの。それがあなた」
矛盾していた。壊したいのに壊したくない。錯綜し、絡み合う二つの感情。
「それが、手に入らないとすれば?」
「それは有り得ないよ。私は絶対にあなたを手に入れる。それは既に決まっていることで、私はそうしなければならないの」
「そこに俺の意思が伴わなくても?」
「――そう。例え、どんな形になったとしても」
揺るぎない意思の、その宣告。極めて純度の高い思い。
朱里は絶対にそれを曲げないだろう。朱里を受け入れなければ、彼女はきっと俺の心を壊す。紫月を壊したように、俺に死を与える。歪み狂った、されど真摯な真実の感情。
〈貴方を愛死てる〉。
それは正に、彼女の感情を表す名前であった。
「わかった」
短く答えを返す。決意を乗せて。
抱えた紫月をゆっくりと地面に横たえて、俺は朱里と視線を交えて向き合う。
朱里の思いはわかった。彼女は真実の思いでもって、真っ直ぐにそれを示してくれた。だからあとは、俺が答えるだけだ。
もう、ごまかしも取り繕いもいらない。
示すべきは、俺の最奥の感情。
ここが――本当の正念場だ。
「お前が望むのなら、俺の心はお前に捧げる。気に入らなければ存分に壊してくれていい。でも本当に、それでいいのか? それがお前の望む、唯一なのか?」
「……そうだよ。冬馬君がいれば、他にはなんにもいらない。それだけでいいの」
「嘘だな」
賭けに出る。
朱里たちと過ごした時間、そこで見つけたものがあった。
濃密な時間を経て、俺は変わろうとした。前に進もうと思えた。そのきっかけは、間違いなく朱里から貰った。
朱里も同じはずだ。俺たちは互いに混ざり合った。心を交わらせた。移り行く数多の感情に晒されて、それでも変わらずにいられるほど、俺たちは大人じゃない。
そう、俺たちはまだ子供なんだ。ギフトを発現するほどの、多感な時期の少年少女。
変われるはずだ。その先にはまだ、無限の可能性が開けている。
「人の欲望は、そんなに清廉なものじゃない。そこに限りはない。少なくとも俺は、ひとつじゃ足りない。俺は全部、全部欲しいんだ。だから朱里、俺だけがいればいいだなんて、そんな狭量な願いは。
――酷く、おこがましい」
「っ!」
瞬間。
朱里の姿が掻き消える。消えると同時に現れる。俺の目の前に。空間破壊による疑似転移。
そのまま胸に軽い衝撃を受け、押し倒される。地面に打ちつけた背中に鈍い痛みが走る。でも。
俺を見下ろす彼女の方が、もっと痛そうな顔をしていた。
「私を、私の思いを愚弄するの?」
俺の襟首を両手で掴んで、朱里は泣きそうな顔でそう言った。
「そうじゃない。お前の思いが本物だってことは知っている。でも、それだけじゃないはずだ」
「適当なことを言わないで! 知らないくせに! 私のことなんか、何も知らないくせに!」
激情が溢れ出す。俺の服を掴んだ手がぎりりと締め上げられ、呼吸が苦しくなる。
でもそれでいい。それこそが、俺の見たかった彼女の感情だ。
「知らなかったから、知ろうとして、そして知ったんだ。それを教えてくれたのはお前だ。逃げ続けていた俺に、お前がその感情を教えてくれたんだ!」
朱里との最初のデート。
そこで朱里は、通り過ぎてきた彼女たちの思いを示してくれた。その時から。
俺は、変わろうと思ったんだ。
「お前はもっと、たくさんのものを求めている」
「そんなわけ……ないよ。だって私は……私には、壊すことしか、できない」
「そんなことない。朱里はちゃんと、それを俺に示してくれた」
思い出す。その証左を。
彼女が本当に、求めているものを。
狂いの先。
願いの果て。
その奥に潜む感情。
それを、露にする。
「卵焼き。上手くなったじゃないか」
「――――――っ!」
ほろりと。
透明な感情が一粒、流れ落ちて。
俺の頬を濡らした。
「最初はほんとに酷かったよな。どうやったらあんな冒涜的なものができるんだよ? でもだんだんマシになって、最後はちゃんと美味しい卵焼きになった」
「どうして――」
「なんとなくかな。同じレシピなんだろうけど、やっぱり違うんだよ。あれは紫月の卵焼きじゃない。朱里の、卵焼きだった」
何度も何度も、練習してくれたのだろう。正しく、俺のために。
朱里は苦手な料理を、たった一品とはいえ、作れるようになった。
「朱里。作れたんだよ。壊すだけじゃない。お前は何かを、生み出すことができた」
「わ、私……私は……」
「できるんだよ。お前の壊したいって思いは確かに本物だ。でも、それだけじゃない。お前はもっと、色んなことができる。他にもたくさん、壊したくないものがある。お前はそれを、壊さなくたっていいんだ!」
「私は――――っ!」
感情が溢れ出す。それは桃色の瞳から、滂沱となって流れ出た。
弱々しい、儚げな、ひとりの少女がそこにはいた。もうそこに、狂気の片鱗は隠れていなかった。泣き崩れる彼女は、どこにでもいるような普通の少女だった。
その体を、俺は優しく抱き締める。
壊れてしまいそうだった。
華奢な肩を抱くと、桃色の髪からは柔らかな匂いがした。
こんなに細い体の中に。彼女はその身に余るほどの、膨大な感情を宿していた。
それは到底、ひとりの少女に抱えきれるものではなかった。
だから、それは。
その深い、蝕むような呪いは。
俺が引き受けるべきだと、思った。
比喩ではなく。
抱き締めた朱里の体を伝って、それは俺の中に流れ込んでくるような、気がした。
「朱里、大丈夫だ。やり直そう。遅いなんてことはない。俺がお前の、隣にいるから。だからもう一度、ちゃんと向き合おう。俺と一緒に、歩いて行こう」
「……駄目、だよ……」
腕の中の朱里は、そう言ってふるふると首を振った。
怯えるようなその震えが、俺に伝わってきた。
「駄目だよ……遅いよ……私、たくさんたくさん壊しちゃったよ。蓮さんを壊しちゃったよ……紫月ちゃんを……壊しちゃったよ……!」
慟哭が響き渡る。
もう戻れない過去。
悔恨が、彼女を支配していた。
「そうだ。それがお前の罪だ。未登録のギフテッドは法によって裁かれない。だから、俺が裁く。俺が覚えている。俺が、お前の罪を認めて! 俺が一緒に、抱えてやる!」
より一層、彼女を深く抱き締めて。
俺は心の叫びを上げる。
罪に寄り添う。
それが。
何もできない俺にできる、唯一の。
たったひとつの選択だった。
千景を失った。
蓮さんを失った。
そして紫月までも失った。
心は張り裂けそうなほどに痛い。
いくつも空いた大きな穴から、ヒューヒューと空気が漏れていた。
でも、まだ残っているものがあった。それは俺が紡いできた物語だ。
たくさんのものを失くしても、まだ物語は続くのだ。少女たちの思いを絡めてきたそれは、最早俺ひとりの絶望だけで終わらせていいものではなかった。
後悔に苛まれる道になるだろう。深く険しい、茨刺す道程。
それでも、歩んでいく。朱里と二人で、罪を分かち合いながら。
それが、俺が少女たちに誓う、決意だった。
「ごめん……ごめんね……ごめんなさい……ごめんなさい……」
震えを帯びながら、朱里が壊れたラジオのように言葉を紡ぐ。
それは果たして、誰に対しての謝罪なのか。
蓮さんか。
紫月か。
それとも、俺の知らない誰かに対してか。
たぶん、その全てだ。
そして。
どん、と。
赦しを告げようと思った俺の体が、朱里によって押し出される。
気づく。
その、謝罪の言葉には。
「ごめんね……冬馬君」
俺も、含まれていた。
「朱里!」
またか。
またなのか。
あの日の千景の姿が、朱里に重なる。
泣きながら笑う、悲しみの笑顔。
また――俺は救えないのか!?
「私、冬馬君のことが好きだったよ。でもやっぱり、私はもうここにいちゃいけないんだよ」
その細い指が、頭に添えられる。
儚く美しい、桃色の髪に。
「朱里、やめろ!」
「私、本当に楽しかった。みんなに会えて。紫月ちゃんに会えて。冬馬君に会えて。本当に、良かった」
「やめろ! やめろおおおおおおっっ!!」
制止の叫びは。
「ありがとう――ばいばい」
届かずに。
同じ言葉で、力が放たれ。
そうして。
俺はまた、誰も救えなかった。
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本当は、気づいていた。
ずっと前からわかっていた。
でも無意識に、考えないようにしていた。それを認めてしまえば、私は自分を保てなくなってしまうから。
興味を持たないようにしていた。友達を作らないようにしていた。
だって、友達ができてしまったら。
私はそれすら、壊したいと思ってしまうから。
何もかもを壊したかった。
そうして全てを壊してきた。
でも、本当に壊したかったのは。
そんなことを考えてしまう、私自身だった。
震えるような恋をした。
狂えるほどの思いがあった。
ねぇ、冬馬君。
私、あなたに会えて良かった。
あなたに恋をして、幸せだった。
ねぇ、紫月ちゃん。
私、あなたと友達になれて良かった。
あなたと過ごした時間は、本当に楽しかった。
たくさんのごめんねと。
いっぱいのありがとうを。
最後に、伝えるね。
――もし。
もし、本当に神様がいるのなら。
この世に、生まれ変わりなんてものがあるのなら。
私は願う。
次は。
次こそは。
こんな私じゃないと、いいなぁ…………




