楽しかったんだ
「ひとつ、わかったことがあるわ」
幾度目かの試行の後。
ずらりと並んだ産業廃棄物を前にして、紫月先生は深くため息を吐いた。
「朱里。あなた才能ないわ」
「うう……酷い……おかしい……」
「おかしいのはあなたで、酷いのもあなた。いったいどれだけの卵が犠牲になったと思っているの?」
「そんなつもりじゃ……もうちょっと優しく……」
「朱里。あなたセンスないわ」
「言い方変えただけぇ……!」
おかしい。どうして上手くいかないのだろう。きちんと先生の助言どおりに作っているはずなのに。
同じ材料で、同じ器具で、同じ手順。だのに私の調理したものだけが、見るも無残な煤へと姿を変える。何がいけないの?
「あ、ちなみにこの黒色火薬は、この後スタッフが美味しくいただきますのでご安心ください」
「誰に言ってるの!?」
「誰って……稀代の暗黒物質製造師に決まってるじゃない」
「質量はあるしちゃんと観測もできるよ!?」
もちろん食べたくはないけれど。
色んな意味でまずい。このままでは不名誉な二つ名を付けられてしまう。
「なんていうか、これはもう呪われているレベルね……。あなたと料理という行為は、絶望的に相性が悪いわ」
「……紫月ちゃんとクレーンゲームみたいに?」
「本日の授業は終了しました。なお、再開の予定はありません」
「ごめん、ごめんなさい嘘です! 見捨てないでぇ……!」
ちょっと揶揄しただけなのに。なんかもう、私は紫月ちゃんに一生逆らえない気がする。
「まったく……。でもあなた、今まで調理実習とかなかったの?」
「……言われてみれば」
記憶を掘り返す。中学生のころ、家庭科の授業であったはずだ。
――何故か、洗い物をしている記憶と食べている記憶しか浮かばなかった。おかしい。もっと最初の、初めの時の記憶を――
「――――あ」
霞がかった記憶の底、朧げに映る光景があった。無意識に、ブルブルと小刻みに体が震えた。それは思い出してはいけない記憶だった。
生まれて初めて持った包丁。相対する人参。隣りで作業するクラスメイト。そこに、加減を知らない私は、包丁を振り下ろし――
「あ、あ、あ……」
「ちょっと、朱里?」
「あ、あ、た、田代君、田代君の指が、あ、あ、ああ――!」
「っ! こら、朱里! 戻ってきなさい!」
ぱんぱんと何かが張られる音。次いで感じるけっこうな痛みに、私は意識を戻す。
「――あれ? 田代君は?」
「田代君なんていないわ」
「でも……」
「忘れなさい。田代君の指がどうなったのかは怖いから忘れなさい。いいわね?」
「う、うん。……なんかほっぺたが痛い」
「気のせいよ」
なんだろう。何か、昔のことを考えていた気がするんだけど。記憶がはっきりしない。
「はぁ……。まぁ、なんとなくわかったわ。ひとつ仮説があるのだけど、検証のためにいくつか質問するわね。あなたがギフトを発現したのっていつごろ?」
「中学に上がってすぐかな」
「じゃあ美術や図工の授業もあったわね?」
「うん。うちはその二つが選択で、私はずっと美術にしてたよ」
「絵は上手い方?」
「人並みには」
「ジグソーパズルは作れる?」
「普通に」
「じゃあ最後。ギフトを手にしてから、料理に限らず何かをイチから作ったり、加工したりしたことはある?」
「……そういえば、ないかも」
「……確定ね」
深く首肯する紫月ちゃん。その赤い綺麗な瞳が、真実を見通すように私を射抜く。
「朱里。あなたはたぶん、何かを「創造する」ことができない。あるいは、そこに非常な困難が伴う」
「ええっ? いや、そんなわけ――」
「論より証拠ね。そこで、こんなものがあります」
いつもの如く急に敬語になる紫月ちゃんに、身構えて不安を募らせる。まだお財布の中身は大丈夫だっただろうか?
すると紫月ちゃんは、鞄から例のウサギシリーズを一匹取り出した。背中に付いたジッパーを開くと、その中から灰色の塊――園児が遊びに使うような粘土が出てくる。
「朱里、ちょっとこれで何か作ってみなさい」
「なんでそんなもの持ってるの?」
「こんなこともあろうかとよ」
「便利な言葉だね……それで、おいくらなの?」
粘土だから、そんなに高くはないと思うのだけど。
「え、これはあげないわよ? ただ貸すだけだからお金はいらないわ」
「え……使用料とかは?」
「いらないわよ」
「そ、そんな……紫月ちゃんがお金を取らないだなんて……!」
「……あなた、あたしをいったいなんだと思ってるのよ……」
無理もないと思う。この数日で、紫月ちゃんにはすっかり守銭奴の印象が根付いてしまっていた。
「タダより高いものはない」――そんな格言が頭を過ぎったが、どちらにせよ払うべき時は払うしかないのだ。今は気にしないでおこう。
「まぁ、とりあえず作ってみるよ」
塊を手に取り、こねこねと弄る。粘土なんて触るのはいつぶりだろう。それこそ遠い過去の、幼稚園児のころが最後かもしれない。
こねこね。
こねこね。
こねこね。
……………………………………こねこね。
「………………できました」
「……で、それは何?」
「……ウ、ウサギさんです」
「率直に言うわね」
あ、やめて。やめてください。私たぶん耐えられない。
「汚泥を啜るクトゥルフ」
「旧支配者じゃないよぅ……!」
「いあ! いあ!」
「やめてよぅ! 讃えないでよぅ!」
私の根幹を成していた自信がボロボロと崩れていく。そんな、こんなはずでは……。
『自慢じゃないけど、私って大抵のことは人並み以上にできるから』
「まだ追い打ちするの!?」
再び録音した私の声を再生する紫月ちゃんに、私は胸を押さえて泣き崩れた。この人、絶対Rの次にくる性癖の持ち主だ。
「これでわかったでしょう? あなたは「模写」や「組み立て」はともかく、新規の「創造」が極端に苦手。たぶん、ギフトが関係していると思うわ。副作用みたいなものかしらね」
「……〈破壊〉のギフトがあるせいで、その対極にある「創造」ができないってこと?」
「そんなところね」
「そんな、それじゃあ……」
冬馬君に手料理を振る舞うなんて、夢のまた夢じゃない。
いったいどうすれば……。
「対策はあるわ」
「先生!」
「もちろん、相当量の練習が前提となるけれど」
「なんでもします!」
そうして。
紫月先生の指導の元、私は思いもしない方法で料理の特訓をすることになる。
さらに二週間が経過したあたりで、私は冬馬君を迎えて三回目の会議を招集した。
そこでもっともらしい理由を付けて、昼食会を廃止するのに成功する。まだ特訓は続けていたけど、あまりにも私に分が悪かったためだ。
代わりに、これまた紫月ちゃんの発案による日替わりデートを提言した。これにより、デート中以外の子と紫月ちゃんが接触を図り、その特性を把握するという作戦だ。
計画は概ねうまく進んだ。いずれ対峙することになる彼女たちの情報を、紫月ちゃんは詳細な報告書に纏め上げ、私はそれを共有した。
私と同じ、シングルワードを持つ彼女たち。四人が四人とも、想像を上回る凶悪な性能を誇っていた。事前に情報を得られたのは本当に幸いだった。もし紫月ちゃんの協力がなければ、どこかの段階で私は倒れ伏していたかもしれない。
冬馬君とのデートは、もちろん楽しかった。
遊園地、美術館、動物園、水族館。友達や恋人と行くらしき、定番の場所。でもどうしても興味が持てずに、自発的には訪れなかった場所。
隣りに冬馬君がいるだけで、まったく違う景色が見えた。あらゆるものが光り輝いていた。
私は感情を溢れさせた。そしてどんどん冬馬君を好きになっていった。もう彼なしには、私は自分の人生に価値を見出だせないと思うほどに。
それは最早、使命のような決死の思い。
何があっても。どんな手段を使っても。
私は絶対に、冬馬君を手に入れる。
デートのない日は、その多くを紫月ちゃんと共に過ごした。
料理の特訓が主だった目的で、紫月先生は本当にスパルタだった。技術うんぬんも然ることながら、彼女は本当に人の弱みを的確に突いてくるため、私は何度も泣きそうになった。というか泣いた。
「攻められる時に攻められるところを徹底的に攻めるべき、というのがあたしの持論よ。相手が泣いてからが本番ね」
いじめっ子の理論だった。某お前のものは俺のものさんよりも遥かに酷い。どが三つ付くぐらいのネクストRっぷりに、私はかつてない畏怖を覚えた。
二人で連れ立って出かけることも多くなった。紫月ちゃんは一般の女子高生というカテゴリーからは、大きく逸脱した存在だったけれど――私も人のことは言えないけれど――その趣味嗜好は、乙女のそれであった。
甘いものと可愛いものに目がなく、彼女はその衝動を抑える術を知らなかった。資金が足りない時には、何かと理由を付けて私が支払わされた。釈然としなかったが、既にいくつもの弱みを握られている私としては、彼女のお財布に成り下がる他なかった。
まぁ、私にはさしたる趣味もなく、お小遣いやお年玉は貯まり気味だったのでいいのだけど。でも紫月ちゃんにバレると何を買わされるかわかったものではないので、そのことはひた隠しにしておいた。
初めは強引だったけれど。
そのころにはもう、私は紫月ちゃんを自然に受け入れていた。いや、自覚していなかっただけで、たぶんずっと前からとっくにそうだった。
ありのまま、自然な形で。
私は彼女の隣りに並んだ。
楽しかった。
そう、楽しかったんだ。
あるいは、冬馬君といる時よりも。
二人で食べるアイスは甘くておいしかった。
可愛い小物が並ぶ雑貨店で、普通の女の子のようにきゃいきゃいと騒いだ。
プールで水をかけ合って、それがいつしか本格的な競技に発展して、騒ぎすぎて監視員さんに怒られた。その後で、二人で顔を見合わせて小さく笑った。相変わらず表情にはあまり出なかったけど、私には紫月ちゃんの感情がはっきりとわかるようになっていた。紫月ちゃんが笑うと、私は嬉しかった。
紫月ちゃん。
私の。
私の、初めての友達。
それから一度だけ、早霧さんに会う機会があった。
美味しそうなケーキ屋さんを見つけ、紫月ちゃんが好きそうだなぁと思って。ショーケースを前にうんうんと唸る彼女に、ばったりと。
「あれ、奇遇ですね」
「――相模さん?」
「早霧さんもケーキを買いに? もうお仕事終わったんですか?」
「ええ、まぁ……仕事というかなんというか。うちの大臣、甘いもの大好きなくせにイメージが崩れるとか言って、毎回私に買いに行かせるんですよね。その上指定もしないのに、好みじゃないの買っていくと機嫌が悪くなるんです。酷いと思いません?」
「はぁ……」
相変わらず、理不尽な上司の対応に苦労しているようだ。なるほど、それでかぶり付くようにケーキを見回していたと。
「私自身は辛党なんで、こういうの良くわからないんですよねぇ」
天月大臣。静かに威圧感を放っていた彼女は、どこか少しだけ紫月ちゃんと似た雰囲気があった。落ち着いていて、いつも先を見通しているような、そんな佇まいの印象。
「よかったら、私が選びましょうか?」
「え? ――あ、いえ、はい。それは助かりますが」
幽霊でも見たかのような顔をする早霧さん。なんだろう、何か変なことでも言っただろうか?
まぁいいか。さて、大臣さんの好きそうなものはと。雰囲気が似ているからといって、嗜好まで同じとは限らないが――たぶん、紫月ちゃんなら。
「これなんか、いいと思いますよ」
そう言って私が指したのは、抹茶とほうじ茶の二層のスポンジをベースにクリームが盛られた、和風のケーキ。上面に小豆がアクセントとして載せられており、シックで大人向けな感じながら可愛さも兼ね備えた一品だ。
「そうですか……あ、では、すみません、これを四つください。二つずつ別の箱で」
私の勧めに従い、店員さんに注文を告げる早霧さん。同じものをそんなに食べないだろうから、他の職員さんの分かな、と思っていると。
彼女は受け取った箱のひとつを、こちらに差し出してきた。
「どうぞ」
「あ……すみません、なんか催促したみたいで」
「いえ、こちらこそ。私ひとりでは決めかねていたので、助かりました」
それからしばらく道のりが同じだったので、私たちは並んで街を歩いた。その道中、何故か早霧さんはチラチラとこちらの様子を窺うような視線をよこしてきた。
「……あの。何か?」
「あ、いえ。なんと言いますか」
早霧さんは言葉を選んでいるようだった。
「あなた、ずいぶん印象が変わりましたね?」
「そうですか? ちなみに以前はどんな印象を?」
「頭のイカれた生意気な小娘だなと……あっ」
「どうやら通行人の皆さんに、今日のパンツを批評してもらいたいようですねぇ」
「本質は変わってませんね……いえ、失礼。でも、その方がいいと思います。私個人的にも」
「はぁ。そうですか」
そんな、気のない返事を装った。
わかっていた。
そんなこと、人に言われるまでもなく。他ならぬ自分のことだ。
私は、変わりつつある。
私の衝動は、別の場所を向き始めている。
あの二人がそうさせた。二人がそれぞれ別の筆を持って、私を違う色に塗り変えていた。
私が私でなくなる気がした。
でも、それでいいと思った。
戸惑いと不安が胸を痛めたけど。
もしかしたらこの変化こそが、私が心の奥底で求めていたものなのかもしれないと。
そう、思えた。
ただ、それを早霧さんに気取られたのは、なんだか少し釈だったので。
「穿ち壊せ」
「? 何か言いました?」
「いえ、別に。なんでもないです」
そう、小声で呟いて。
彼女のズボンのお尻に、小さな丸い穴を開けておいた。
……やっぱりまだ、彼女はフリルびっしりの少女趣味なパンツを履いていた。道行く皆さんに存分に評価してもらうといいだろう。
事態はゆっくりと、平和的に進んでいた。
でも、もちろん。
私の呪いが、そんな緩やかな終わりを許すはずもなかった。




