紫月ちゃんと、私
もちろん、その感情がおかしいことはわかっていた。
世に言う一目惚れに近しい感情。そんな曖昧なものを私は信じていなかったし、一瞬で私の心を掴んでいったそれは、あまりに脈絡がなさすぎた。
不可解な現象に、感情とは切り離した理性で、私はまずギフトの存在を疑った。人の精神に作用するギフトがあることを、私は知り得ていた。そして問うまでもなく、彼の方からそれが推定ギフトによる効果であることが告げられた。
ならば。
私の取る手段はひとつだけだ。いつものとおりに。
私に異常をもたらすこれを、壊してしまえばいい。
物質でも精神でも、時間でも概念でも。形があろうとなかろうと。
私のギフトは、あらゆる全てを〈破壊〉せしめる。
目覚めたばかりのころは、極端な範囲制限がかかっていた。実際に手で触れたものにしか、私はギフトの効果を及ぼすことができなかった。
すぐに気づいて、制限そのものを〈破壊〉した。神様の用意したルールの抜け道。以降、知覚範囲内であればどんなものでも、私は壊すことができるようになった。
邪魔なものは全部壊してきた。だからこのおかしな感情も、壊してしまおう。それこそが私の望んだ、歩むべき道。
でも、感情がそれを否定した。初めて私は、壊したくないと思った。
理屈じゃない。何もかもを壊しきった先に、ひとつだけ残したいもの。失いたくないもの。求めているもの。
壊すことしかできない私が、守りたいと思ったもの。
それが、四条冬馬君だった。
「穂村……さん?」
次の日の放課後。
直接話すことがある、と早霧さんに連絡をもらい向かった応接室には、もうひとり白い髪の彼女の姿があった。
穂村紫月さん。冬馬君と一緒に転校してきた、彼の幼馴染みだという綺麗な女の子。
「彼女が今後、あなたのサポートをすることになります。事情は全て把握していますので、なんなりとお尋ねください」
「ただの連絡要員みたいなものだけど。よろしく」
「はぁ……。うん、よろしくね」
少しだけ。ほんの少しだけ、違和感とも呼べないような小さな引っかかりを覚えた。でもそれが何かはわからなかった。
「彼の境遇というか、性質については聞き及んでいますか?」
「ええ。特定の死に関する思いを抱えたギフテッドに、並々ならぬ執着を持たせるギフト、でしたか?」
「そのとおりです。我々は彼の存在を認識してから、少なくない予算を投入して彼を支援してきました。環境を整えて、彼のギフトの成長を促したのです。初回を含めると、その数は実に八回。いずれも感情を滾らせ暴走した少女たちにより、失敗に終わりましたが。何故我々がそこまで手間をかけるのか、理解できますか?」
死に関する思い。それはすなわち、ひとつの究極に位置する思いだ。そしてそんな極限の感情に身を焦がしたのならば。
その果てに辿り着く願いは――ギフトは、いずれも強力なものに決まっている。
「彼を――冬馬君を制御できれば、何人もの強力なギフテッドを支配下に置けるから」
「正解です」
「そういうこと……それで、今回が九回目ってわけですか」
「はい。ですがこれまでの実験の結果を踏まえて、我々はもう彼に半ば見切りをつけています。このまま同じことを繰り返しても事態の進展は望めないのではないかと、上が痺れを切らしたのです」
「……それは、あの大臣さんの意向ですか?」
「……我々も一枚岩ではないのです」
ふむ。何やら組織的なゴタゴタが関係しているようだ。まぁ、その辺は私にはあまり影響しないか。
相手が誰であろうが、私の邪魔をするなら壊すだけだ。
「名目上は、彼にとっては今回が最後のチャンスになります。我々もここに焦点を合わせて準備をしてきました。ギフトの効能を十全に発揮し、ギフテッドたちを支配下に置けるなら良し。また失敗するようなら、完全に見切られます。
ただ、そこにあなたを組み込むことによって、第三の選択肢が出てきました」
先日、大臣さんの鶴の一声で決まった私の参加。
繰り返し行われてきた実験。
もう後がない冬馬君。
そこに、祝福省の悩みの種である私を絡ませる意図。
……ああ、なるほど。そういうことか。
「祝福省は、もうほとんど冬馬君には期待していない。ならばせめてと、別の用途に使うことにした。あなたたちは、冬馬君を私に充てがうつもり。彼を私にとっての、楔にして」
言わば、人質に近い扱いだ。前時代的には、大名証人制度。立場が逆だけど。
彼に危害を加えられたくなければ、ある程度意向に従えということだ。
「話が早くて助かりますが……あなた、本当に高校生に成り立てですか? 理解度が未成年のそれじゃないんですけど。実は年齢偽ってません? あるいは異世界転生して人生二回目とか」
「失礼ですね。歴とした花も恥じらう女子高生ですよ」
「いえ、あなたの場合は花も慄くと言いますか……」
ばきん、と。
早霧さんが胸ポケットに刺した高そうなボールペンが、唐突に圧し折れる。おやおや、なんだろう。不吉なこともあるものだ。
「もう一本、手折られたそうな花が咲いてますねぇ」
「花も恥じ入って自ら花弁を散らしてしまうほどの可憐な女子高生でしたっ!」
早霧さんの首筋に視線を這わせると、彼女はたらりと冷や汗を流しながら慌てて訂正してきた。まったく心外だよ。
「……話、進めてくれない?」
「あ、ごめんね穂村さん。ほら早霧さん、あなたのせいで話が遅れてますよ?」
「早霧さん、手短に。今日は入荷日だから急いでるの」
「うぐぐ……この小娘たちは……」
女子高生二人に責められ、そんな恨み節を呟く早霧さん。きっと理不尽な上司のせいで心を病み気味なのだろう。本人の要領の悪さと気の短さも手伝って、せっかく美人なのに色々と残念な人だった。
「と、とにかく。おおまかにはあなたの推測どおりです。表向きは、九回目となる実験――オペレーション·シヴァを進めます。今回の女神はあなたを含めて五名。前回までは、四条冬馬が諦めた時点で終了していましたが、今回はあなたを勝たせる出来レースです。ただしあくまでも、法に則った対処をしてください」
「相手が暴走するまで待てってことですか? 回りくどいですね。ひとりずつ闇討ちすればそれで終わりなのに」
「……言ったでしょう、こちらも色々とあるのです。体面を保つのは重要なことです。あと、これはできればですが、死者は出さないようにしてもらえると助かります。事後処理の手間が段違いですので」
「面倒ですね……まぁ、善処はします」
人死によりも、法と体面を守れと。平然とそう言ってのける早霧さんに、私は社会の闇を覗き込んだ気がした。どの口が人を狂人扱いしたものやら。
あなたたちこそ、充分に朽ちて腐って狂っているじゃないか。また話が進まなくなるから言わないけど。
「では、そのように。どう動くかはあなたたちにお任せします。……あと、一応警告しておきますが。間違っても女神同士で結託して、我々に歯向かおうなどとは思わないように。既に彼には監視が付いています。そのことをゆめゆめお忘れなきよう」
「あら、脅しですか?」
確かに祝福省にとっては、そうなるのがいちばんやっかいなケースだろう。口ぶりから察するに私以外の四人も強力なギフテッドを集めたようだし、裏の事情を知った私が彼女たちを纏めて反逆すれば、壊滅的な打撃を与えてしまえる。
もちろん早霧さんは親切心で言っているのだろうし、私にもそんなつもりはないけど。
なんだかちょっとイラッとする。我慢は体に良くないので、晴らしておこう。
「そう取ってもらって構いません。如何なあなたたちといえども、我々の組織力の前には――」
「刻み壊せ」
言い終わる前に。
彼女の纏う上下のスーツを対象に、ギフトを放つ。
「ひゃあっ!」
なんか可愛らしい声が出た。
瞬時に全身の衣服をびりびりに刻まれ、下着姿となった早霧さんがぺたんと尻餅をつく。
その様を見下ろしながら。
「こちらこそ警告しておきましょう。いいですか、冬馬君に毛ほどの傷でもつけようものなら、その時は――――国ごと、壊しますよ?」
わかりましたか? と優しい笑顔で付け加えると、ぶんぶんと高速の首肯が返ってきた。平和的にわかってもらえたようで何よりだ。
「では、そういうことで。行こ、穂村さん」
「そうね」
「ああ、それと。差し出がましいようですが、流石にあなたの年齢でそのフリルびっしりのパンツは、やめておいた方がいいと思いますよ?」
そう告げて、後ろ手に扉を閉める間際。
「うう……もう、この仕事辞めよっかなぁ……」
涙混じりの、そんな嘆きが聞こえてきた。
さて、正直なところ。
私には同年代の子と積極的に遊んだ経験が、ほとんどない。同年代以外は言わずもがな。どうしても、その行為に興味を持てなかったのだ。
……そう。単純に、他人に興味がなかった。ただそれだけ。
それ以外の理由なんて、あるはずもない。
故に学校行事などの致し方ない場合を除き、誘いは受けてもやんわりと断っていた。生産性のない会話に意味があるとは思えなかった。私が生産性を語るというのも、変な話だけど。
そんなわけで。
「……えっと。穂村さん?」
「しっ。今大事なとこなの。静かにしてて」
「いや、この環境で静かにも何もないと思うんだけど……」
周囲を騒がすのは、いくつもの種類の電子音と人の声。
半裸の早霧さんを放置して。
今後のことを話そうとしたところ、穂村さんに「悪いんだけど、大事な用があるからその後にして」と言われ、仕方なくついて行った先。学園にほど近い、焼畑農業が得意なショッピングモールの最上階。
おそらく私が初めて足を踏み入れた、「友達と行く」らしき場所。それがここだった。
「あっ、もう……もうちょっとだったのに」
先ほどから穂村さんが張り付いているのは、たくさんのぬいぐるみが収められた大型の機械。存在自体は知っている。クレーンゲームというやつだ。
そのボタンの横に積まれた百円玉の山が、見る見るうちに減っていく。対して成果はゼロ。その取得に平均してどの程度の投資が必要なのかは、あいにく私にはわからなかったが。
「次、次こそは……!」
なんというか、控えめに言っても、その……穂村さんは、下手くそだった。絶望的にセンスがなく、鬼気迫る勢いだけが空回りしていた。
そしてこれが大事な用だったのかと思うと、私の胸中は得も言われぬ複雑な心境に陥った。最初に感じた、綺麗で物静かな女の子という印象はすっかり消え失せていた。
とうとう硬貨の山がなくなり、穂村さんが呆然と立ち竦む。表情はあまり変わらないが、たぶん絶望しているのだろう。「仕方ないわね、今月の食費に手をつけるしか……」とか言ってるし。早霧さんとはまた違ったベクトルで残念な子だった。
「……えっと。よかったら、私が取ろうか?」
「取れるの?」
ぐりんと高速でこちらを振り向き、ようやく私を視界に映してくれる穂村さん。うん、なんかもう怖い。
「うん……まぁ、たぶん」
やったことはないけど。要はアームの強度とスピードに加えて、対象の重心を把握すればいい話だ。そして空間把握は、私の得意中の得意。
穂村さんと立ち位置を替わり、百円玉を投入してアームを動かす。さんざん見学していたので、データは全て数値化できていた。あとはそれを数式に当てはめるだけ。
「あっ」
穂村さんから感嘆符が上がった。うまい具合にぬいぐるみが持ち上がり、危なげなくそれを手前の穴まで運ぶ。しかし無駄に耳の長いウサギだ。ゆるキャラというやつだろうか。
高鳴るファンファーレ。ぽとりと落ちてきたウサギを拾い、穂村さんに渡してあげる。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
そう言いながらも、変わらない表情。いや、ちょっとだけ口角が上がっている。もしかしてこれで、本人的には満面の笑みなのだろうか。なんとなくわかってきた気がする。
そして。
「……えっと」
渡したウサギごと、私の手を掴んで離してくれない穂村さん。なんだろう。やっぱりまだ、表情が薄いので行動の理由がよくわからない。
「……あなた、いい人ね」
「そ、そうかな?」
「正直さっきまで、頭のおかしい女だと思ってたのだけど」
「そ、そうなんだ。ずいぶんはっきり言うね」
「よく言われるわ」
わからない。なんだこの子。
気づけば、私はすっかり彼女のペースに呑まれてしまっていた。
「ええっと……穂村さん?」
「紫月」
「え?」
「紫月って呼んでくれていいわ」
「う、うん。じゃあ、紫月ちゃん」
「ねぇ、朱里」
「は、はい」
いきなりの名前呼びに、何故だか敬語を使ってしまう。
なに? なんなの?
「あたしたち、いい友達になれると思うの」
「…………はい?」
「一緒に出かけて遊んだもの。もう友達よね?」
「いや、その、展開が急すぎて全然追いつけないんだけど……」
「初めはみんなそうよ。友情はいつも唐突に始まるもの」
それは恋のことではないだろうか。
「で、でも……その、頭のおかしい女と?」
「誤解してたわ」
ごめんなさい、と頭を下げる穂村さん――もとい紫月ちゃん。
駄目だ。全然思考が整理できない。
気まぐれでぬいぐるみを取ってあげただけなのに、どうしてこうなったの?
「じゃあ、行きましょ」
「……どこに?」
いったいどこに連れて行かれちゃうの、私?
そこはかとない不安――いや、恐怖を感じる。
――恐怖? 私が?
祝福省からのどんな刺客に殺気を浴びせられても、そんなもの微塵も覚えなかった、この私が?
「決まってるでしょ? これからのことを話さなきゃ」
「……あ、うん。そうですね」
そうして、混乱した思考のまま。
ほとんど押し切られる形で。
私は紫月ちゃんと、友達になったのだった。




