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デッドハーレム  作者: fumo
第1章 願いと狂いと迷いと呪い
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束の間の日常

 目覚めは凡庸だった。

 夢を――悪夢を見るかと思ったが、予想に反して俺の意識はまっさらだった。たぶん脳のキャパシティがいっぱいで、夢を見ることすらできなかったのだろう。それほどに俺の精神は疲弊していた。泥のように俺は眠り、そして目覚めた。疲れはほんの少しだけ軽くなっていた。だが。


 胸の疼きを確認する。それはまったく癒えてはいなかった。おそらく、もう二度と消えることのない痛み。ぽっかりと空いたがらんどう。

 とうとう、犠牲者を出してしまった。蓮さん。優しかった、狂いに至ってしまった蓮さん。彼女の存在は、細胞一片に至るまで永遠に失われた。

 

 感情は閾値を超えていた。絶望を通り過ぎた先の、無気力の領域。何もする気が起きない。全てが億劫だった。息をすることすら。生き続けることすら。

 残ったのは惰性だ。死ぬための行動すら面倒だという、ただそれだけの理由で俺は生きていた。もし、誰かが死ねと言うのならば、俺は躊躇いなくそのとおりにする気がした。

 いっそのこと、無差別に人を襲う殺人鬼でも現れてくれないだろうか。抵抗などしないから。苦しめてくれていい。残虐な方法でいい。誰か、俺を殺してくれ。終わりにしてくれ。死で満たしてくれ。

 

 誰かの死は、誰かに深い悲しみと絶望を与える。だがそれは、時に誰かにとっては救いともなる。

 俺にとっての死の象徴を思い浮かべる。昨夜まで共にいた少女。死色を撒き散らす彼女。


「少し、時間が必要かな?」


 ひとしきり感情を吐き出し、打ちひしがれる俺に、朱里はそう告げた。声色は優しげだったが、その顔を見上げることはできなかった。そこには悪魔が聳えているように思えた。


「またね、冬馬君」


 そう言い残して、彼女は立ち去った。そのあともしばらく、俺はそこから動くことができなかった。

 どうやって帰路に着いたのかは覚えていない。気づけば俺は自室の前におり、着の身着のままでベッドに倒れ込んでいた。赤く染まった穴だらけのシャツで、よく通報されなかったものだ。


 時計を見ると、もう急がなければいけない時間だった。シャワーを浴びて朝食を食べ、走ればギリギリ間に合うかどうか。

 何処に? もちろん学校にだ。今日から通常授業が始まる。あんなことがあっても、日常は変わらずやってくる。俺にはもうそれに従う意義は見出だせなかったが、かといってサボったところで他にやることもなかった。

 何もかもが無意味に思えた。これからずっと、この虚無感と付き合わなければならないのか。いつか俺に死が訪れるまで。それは真綿で首を絞められるような、緩慢とした地獄だった。ならばそれに慣れる意味も含めて、惰性と習慣に流されるべきであろう。


 なお、うちの幼馴染みは朝起こしてくれたりはしない。朝食と弁当は用意してくれるが、俺が起きてこなくても平気で置いていく。幼馴染みだというのに。

 まったくその属性を全否定するような薄情者である。


 カラスの行水を済ませ、リビングに入ると、案の定そこに紫月の姿はなかった。親父はまた泊まり込みだろうか。テーブルに並ぶのは、いつもどおりの朝食と弁当の包み、それと。

 無駄に長い耳で、抱えるように小さなホワイトボードを掲げたうさぎのぬいぐるみ。いつの日か取ってやったシリーズの内の一体、伝言専用ウサギだ。

 そこには達者な文字で、「今日だけなら休んでもいいわよ」と書かれていた。

 

 昨夜顔を合わせた記憶はないが、どこかで俺の酷い様を見られたのだろう。突き放すでもなく、過度に心配するでもなく、それは普段どおりの紫月を表す言葉だった。

 俺は少しだけ心の震えを取り戻す。俺にとって、あいつの存在は日常の象徴であった。

 幾度ものハーレムを乗り越えた先、俺の戻ってくる場所。何も言わず、変わらずにそこにいてくれる紫月。異常と日常との橋渡し。

 数多の少女たちの激流のような感情に晒されても、俺が人間性を保っていられたのは、偏にあいつの存在によるところが大きい。変わることない、約束された安寧。


 それがかけがえのないものであることを、俺は改めて認識する。あいつの、紫月の声が聞きたかった。いつもの平坦とした声で、あほぅと罵ってほしかった。

 それは俺に残された、世界との最後の繋がりだった。

 

 綺麗な焦げ目の付いた卵焼きを、急いで、されど味わいながら口に運ぶ。絶妙な加減に甘く味付けされた、紫月の十八番料理。

 舌に馴染むその味に、にわかに心が色彩を帯びる。俺が死んでしまえば、あいつは悲しみに暮れることになるのだろうか。思えば長い付き合いの中でも、あいつの泣く姿はついぞ見たことがない。

 それだけは避けなければならないと思った。紫月を、日常を悲しみに浸らせることだけは。


 大丈夫。

 まだ、大丈夫。

 まだ俺は、世界と繋がっている。


















 ホームルーム開始の鐘が鳴り終わると同時に、俺は教室に滑り込んだ。

 教卓に御座(おわ)す遠峰女史の眉はぴくりと持ち上がったが、特にそれ以上の追求はなかった。どうやらブザービーターは適用されるルールのようだった。


 左隣りの紫月は、ちらりと一瞥だけしてきた。いつもの、抑揚のなさそうな視線。でもそれで充分だった。そこにいてくれるだけで。


 教室の前方を眺めると、朱里は来ていないようだった。今日は体調不良で休みだと、遠峰女史がアナウンスしてくれる。

 そのことに俺は少し安堵を覚える。彼女とどう接すればいいのか、まだ俺は気持ちを整理できていなかった。

 そう、自暴自棄になっても仕方がない。蓮さんがいなくなっても、世界は滞りなく続いていくのだ。否が応でも。整理して、棚卸しをして、考えなければいけない。これからどう生きていくのかを。痛みを抱えながら。

 紫月の静かな横顔に視線を這わす。帰る場所があるのなら、俺はまだ生きていける気がした。辛うじて、ヒトの形を保てると思えた。


 ホームルームが終わり、一限開始までの僅かな準備時間。休み明けの教室は、浮つきと気怠さがちょうど半々ぐらいの空気に満ちていた。

 そのどちらにも属さない紫月は、授業の準備を整えてからこちらに顔を向けてくる。


「大丈夫なの?」


「……まぁ、なんとかな」


 もちろん全然大丈夫ではなかったが、どうにか虚勢を張ることはできた。それぐらいには、俺は自分を取り戻せていた。


「そ。ならいいけど。……あ、ちゃんと食器水に漬けといたでしょうね?」


「ああ」


 それは紆余曲折を経て決められた、俺が出遅れた際の、食器の処理のルールであった。

 最初は放置に始まり、「自分の分ぐらい洗いなさいよ」→自分で洗う→「あんたの洗ったは洗ったに入らないの。ちゃんとやりなさい」→ちゃんと洗う→「どうして水浸しのまま棚に戻すのよ! もういいから水溜めて漬けといて」との変遷を辿り、今の状況に落ち着いている。まったく小うるさい奴であった。

 そう前澤に愚痴ったところ、「熟年夫婦の会話にしか聞こえねぇ……」と返ってきた。思い違いも甚だしかったが、傍からはそう見えているのだろうか。


 そんな他愛ない会話が、今の俺には心地良かった。日常がそこにはあった。

 ありきたりの日常にこそ、かけがえのないものがあるとはよく歌われるものだが。確かにそのとおりだと思えた。今の俺には、そのことが身に沁みてよくわかった。

 それだけの濃密な時間を過ごしてきた。俺の紡いできた物語。非日常の連続。うたわれるもの。そう、それは最早、歌の濃度であった。

 全編が歌で構成された物語。そこから抜け出し、平凡な日常を享受するためにも。

 俺は考えなければならない。

 元より、俺にできることはそれだけだった。









 教師たちの声を右から左に聞き流しながら、俺は思考に没頭する。まずは整理だ。現状の、俺を取り巻く周囲の状況の確認。何が起こって、これからどうなるのか。

 蓮さんが殺されたことは、まだ誰にも知れ渡っていないようだった。それが明るみになっているのならば、学園は大騒ぎになっているはずだ。その事実を知っているのは、今のところ当事者である朱里と俺だけである。

 彼女は過去の事故で家族を失っており、一人暮らしをしている。故に不在を怪しまれることはない。学園側も当人に連絡はしているだろうが、まだ現状では「一日無断欠席している」という認識に留まっているはずだ。これが数日続いて、初めて警察に連絡がいき、事件性のある案件として持ち上がる。

 警察がどの程度の捜査を展開するかはわからないが、蓮さんの交友関係を調べればすぐに俺たちに行き着くだろう。そして同時期に姿を消した朱里の存在を知る。そうなればもう、祝福省の関与は避けられない。


 つまりそれまでの間に、朱里からもう一度俺にコンタクトがあるはずだ。逆に言えば、少しだけ時間がある。これからどうするのか、その選択を深く考えるぐらいの時間は。

 これもまた、朱里の思惑の内なのだろう。手段はどうあれ、今回の争奪戦の勝者は彼女だ。最後に()()()()()があったものの、ルールに則り、朱里は唯一の勝利を手にした。表向きの体裁は整えられた。

 決してそれは、俺に強制を示したわけではないのだと。だから俺に、落ち着くまでの猶予を与えたのだと。

 朱里は、そう言っているのだ。


 それは同時に、彼女の自信の表れでもあった。俺が最終的には、朱里に(かしず)く他ないことを充分に理解している。

 そして俺がどんな選択をしようとも、対処できると。驕りでも慢心でもなく、実力で対応できると。だから無駄な抵抗はやめて、大人しくいい子にして?


 深淵から身を乗り出し、俺を背中からそっと包み込む、女神を装った死神。そんなイメージが見えた。囚われる、と思った。俺が囚えたはずの彼女たち。実際には、より大きな檻が俺をもろとも囲んでいた。

 俺はどうすればいいのか。

 どうすれば、平穏を掴めるのか。


 いちばん簡単なのは、やはり俺が朱里を受け入れることだ。だがそれは、日常との決別を意味する。

 いずれ祝福省は、朱里の犯行に気がつく。その時どのような対応をしてくるかは不明だが、流石に野放しにはしないだろう。秘密裏に接触、あるいは処分を目的として近づいてくる。


 しかしながら、朱里の対処をするのは非常に困難である。その実力は、祝対のトップである親父をして、初手の不意打ちが決まらなければ百パーセント負けると言わしめた。

 間近でその交戦を見てきた俺としては、さらに悪い予想をしている。朱里の空間把握能力は人外の領域に近い。まるで背中に目が付いているかの如く、彼女は視覚外からの凶刃を事もなげに撃ち落としてみせた。類稀なる戦闘センスを誇る朱里の不意を突くということが、そもそも不可能に思えた。


 それこそ、核兵器でも持ち出して極大範囲をもろとも焼き払うか。あるいは、精神力の枯渇を狙って絶え間なく攻撃を加え続けるか。そのどちらかぐらいしか対処法はない。

 そしていずれの場合も、多大な被害を前提とする。


 ひとつだけ、被害を最小にする方法がある。彼女の隣にいる、無能な男を狙えばいいのだ。生け捕りにできれば上々だ。それで彼女を封じることができる。そう、即ち。

 

 朱里を選ぶということは。

 全てを敵に回し、破滅の道を歩むということに他ならない。

 心情うんぬんを別としても、それは避けるべき道筋であった。


 ならばいっそのこと、先んじて祝福省に庇護を求めるのはどうか。情報をリークし、朱里を捕縛する側に回る。

 いくらか俺自身の危険度は下がるように思えるが、こちらも確実ではない。朱里は立ち塞がる全てを薙ぎ払うだろうし、もしかしたら体のいい人質として扱われてしまうかもしれない。過程が異なるだけで、結果は似たりよったりになる気がした。


 つまるところ。

 結局は、俺の取るべき道はひとつしかない。ただひとつの、平穏に至る道筋。

 俺の、全ての思いを持ってして。

 狂いに感情で訴えかけて。

 朱里を、説得するのだ。

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