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デッドハーレム  作者: fumo
第1章 願いと狂いと迷いと呪い
59/118

冬馬さんと、私

 あの子のことです。私が傷を癒やした、あの小さな女の子。

 突然全ての傷が綺麗さっぱり消えましたので、病院内では大騒ぎになりました。もちろん真っ先に私が疑われましたが、私は鳴らない口笛を吹いて知らんぷりをしました。他者を癒やす能力があることが周知になると、中々にやっかいな事態になりそうな気がしたのです。


 バレバレだったでしょうが、先生たちはそれ以上の追求はしてきませんでした。私の事情を慮ってくれたのかもしれません。

 リスクなく人の傷を癒やせるのです。そんなことが公になれば、私の周囲は治療希望者で溢れ返ってしまうことでしょう。それだけならばまだしも、悪い人に連れ去られて酷いことをされてしまうかもしれません。

 

 私のギフトは、使いようによってはいくらでも悪用ができます。

 真っ当な方法に限っても、治療の見返りに莫大な金額を提示すれば、簡単にお金が稼げてしまいますし。

 過激な犯罪組織にとっては、自爆テロなんかには打ってつけの人材です。お腹にステレオタイプの爆薬を巻き付けて、どこぞの事務所に飛び込む自分を想像して、流石にそれは嫌だなぁと思いました。

 つまり、私は自分のギフトをなるべく隠さなければなりません。打ち明けるとしても、信頼できる人に限るべきです。


 でも、あの子だけは。

 中途半端に体だけ治したあの少女だけは、心もちゃんと治してあげたいと思いました。


 退院日の、前日の夜。

 五一五号室に忍び込むと、女の子は既に夢の中のようでした。好都合です。

 体の傷が治ってのち、最低限の受け答えはしてくれるようになったと、先生は言っていました。


「どこかの優しい誰かさんのおかげでね。まだ立ち直るには時間が必要だけど、女の子だから、体の傷跡がなくなったのは本当に僥倖だよ」


「そうですか。私は何も知りませんけど、それは良かったです」


 そっぽを向いてそう答える私に、先生はただニコニコと微笑むだけでした。明らかにバレてますが、世の中には言葉にしない方がいいこともあるのです。


「もしあの子を治してくれた人に会うことがあったら、伝えておいてほしいんだ。君の行い、その慈しみの思いによって、ひとりの少女は確かに救われた。それは紛れもない、君の、君自身の心に住まう優しさが為したことだ。こんな世の中だけど、まだ優しさを忘れていない人はたくさんいる。だからきっと、君にも――君を救ってくれる人との出会いが、必ずある。僕はそう願っているよ。君のこれからの人生に、幸あらんことを。そして――ありがとう」


「……わかりました。もし会うことがあったら、必ず伝えておきます」


 私は知っています。いつも忙しく働いている先生。ろくに睡眠を取れない日が続いても、先生は必ず毎日、全ての患者さんに会いに行っていることを。

 反応の薄い少女に笑顔で話しかけ、意思なき瞳をした少女にもおどけた笑い話を聞かせ、そして。

 涙を失った私にも、変わらない態度で接してくれました。

 本当に優しいのは、あなたの方です。


 だから、恩返しというわけではありませんが。

 あの子だけは、ちゃんと治してあげようと、そう思ったのです。


 あの子の悲しみをなくしてしまってもいいものかと、懸念する思いもありましたが。

 何分、まだ小さな子です。ひとりで乗り越えていくには、その痛みはいささか大きすぎるでしょう。

 私の自己満足に過ぎないかもしれませんが。

 あなたのこれからの人生に、幸あらんことを。


 ベッドに眠る小さな頭に触れて、私はイメージを構成します。自分の傷は自動的に癒やしてしまう私ですが、他者の傷を癒やす際には、実際に触れてある程度その対象を明確にする必要がありました。

 私の指先から伝う力で、少女の精神を包み込むイメージ。強く、されど柔らかに。膜のように、胎児を宿す母体を満たす羊水のように。

 少女を、包む。

 その時。


「お姉ちゃん」


 声が聞こえました。

 最初は、女の子が目を覚ましてしまったのかと思いました。

 でも違いました。目の前の少女は、変わらず安らかな寝息を立てながら、胸を上下させています。

 言いようのない不穏な感覚が、私を襲いました。


「お姉ちゃん、その子を助けるの? ――私のことは、助けてくれなかったくせに」


 衝撃が、私の視界を揺らします。

 知っている声。聞き慣れた声。

 ああ――と私は理解します。もう、聞こえるはずのない声。間違えようはずもありません。

 それは、()()()の声でした。


「どうして? どうして私を助けてくれなかったの?」


 揺らぎ、渦巻く現実。少女に、あの子が、妹が重なって映ります。


「私も生きたかった。まだ死にたくなんてなかった」


 それは幻影でした。そのはずです。

 私の心に巣食う、悪夢のような幻。それが形を成したもの。


「お母さんが、私を選んだから?」


 違うの。そうじゃないの。

 あの時はまだ、あなたを治せるなんて知らなかったの。

 本当に? わかっていたんじゃないの?

 お母さんに選ばれたあの子が憎くて、わざと見捨てたんじゃないの?


「自分だけ助かって。生き延びて。優しくされて」


 吐き気が込み上げてきました。私を責める声。私を苛む、剥き出しの悪意。

 こんな時に限って、〈再生〉は効力を発揮してくれません。明らかな異常にも関わらず。いつもは勝手に私を治してしまうのに。大切な思いを奪っていくのに。

 

「ほんと、最低な人」


 気づきます。これは傷でも異常でもありません。わかっていました。

 これは呪いです。ひとりだけ助かった私が。悲しみを失ってしまった私が。

 自分自身を戒めるための、それは忘れじの呪い。


「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい――――」


 反響する、怨嗟の声に。

 胃の中身を吐き出して、そのまま崩折れそうになって。

 駄目だ、と思いました。あの子とは関係なく。

 この子は、救わなければいけない。心を潰されても。私が終わりになっても。


 開いていた左手で、ヘアピンを掴み取り。

 思いきり、勢いよく。

 ずぶりと、瞳に突き刺します。


「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 壮絶な痛みに、妹の影が一瞬揺らぎます。その隙に。

 霧散しかけたイメージを掻き集めて、少女を癒やします。悲しみを剥ぎ取ります。

 それがきちんと為されたのを、見届けてから。


「そんなことしても、お姉ちゃんは救われないよ?」


 私の意識は、闇の中に沈みました。

 



















「やっぱり、もう少しここで過ごしてもらってもいいんだよ?」


 退院の日。表情には出ていなかったはずですが、私から何か異質な雰囲気を感じ取ったのでしょう、先生はそう言ってくれました。


「ありがとうございます。でも、いい加減私も現実に戻りませんと。お勉強も遅れちゃいますし」


「……そうか。わかったよ。でもそうだな、せめて月に一度ぐらいは、顔を出してくれないかな? 経過観察ということで。僕も君に会いたいし」


「……はい。わかりました」


 どこまでも優しい人でした。現実に帰り、これから希薄な日常に身を埋めていく私に。先生は、最低限の拠り所を、繋がりを残そうとしてくれます。

 

「ほら、君も。何か言いたいことがあるんだろう?」


 そう促す先生の影に隠れるように。

 そこには、白衣の裾を掴んで、半分だけ顔を出すあの女の子がいました。もじもじと、照れた様子でこちらを窺っています。


「……あの。その……」


「ん? なぁに?」


 腰を屈め、視線を合わせてあげると。

 女の子はとてとてと小走りに近づいてきて、私の手をぎゅっと握りました。


「ありがとう、お姉ちゃん。わたしを治してくれて」


 それだけ言うと、また女の子はさっと先生の後ろに隠れてしまいます。小さな、けれど柔らかく、温かい手でした。

 その温度が流れ込むように、私の心を温めます。こんな私でも、誰かを救うことができたのでしょうか。少しだけ自分の存在を許されたような、そんな感覚。

 ああ、でも。


 私にはもう、安寧を感じる資格などないのです。

 だって。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。安心してね。私は絶対に、お姉ちゃんを許したりしないから」


 悪意を孕んだ、満面の笑顔のままで。

 妹は、まだそこにいました。





















 高等部への進学は、思ったよりスムーズにいきました。

 学長先生以下、教師陣から定型のお悔やみを頂き。中等部から持ち上がりの友人たちに、軽く事情を説明すると。

 もうそれで私という個人は、あっさりと学園生の中に埋没しました。


 新しい環境への適応に、皆自分のことで精一杯なのです。わざわざ私のことに、必要以上に関わろうとする者は誰もいませんでした。


「まぁ、そんなものじゃないの? お姉ちゃんに友達がいないだけかもだけど」


 くすくすと笑いを漏らす妹を黙らせるのは、もう諦めました。ことあるごとに私の精神を削ってくるのはやめてほしかったですが、どうせ言っても聞きやしないのです。空耳として処理するほかありません。

 でも、そうなのでしょうか。私、友達、少なすぎ?

 まぁ、別にいいです。深く突っ込まれても、それはそれで面倒ですし。


 日常が戻ってきました。空虚で平穏で退屈な、空っぽの日常が。

 取り立てて何か、新しいことを始める気にはなれませんでした。元々目立つことをする性格ではありませんでしたが、どうにも私からは、意欲や熱意といったものが欠けてしまったように思います。

 例えるならば、ずっと喪中のような気分。言い得て妙です。果たしてそんな私に、生きている意味はあるのでしょうか?


「駄目だよ、お姉ちゃん? 自殺とか考えちゃ。できないだろうけど。もっと生きて、もっともっともっともっと苦しまなきゃ」


 そしてうちの妹は、こんなに性格が悪かったでしょうか。私がそうさせてしまったのかもしれませんが。

 空虚な日々が過ぎていきます。


 しばらくすると、昼休みや放課後に、屋上なり体育館の裏なりに呼び出しを受けるようになりました。相手は決まって、同級生や上級生の男子生徒です。

 いわゆる、お付き合いの打診というやつでした。


「またぁ? お姉ちゃん、モテるねぇ」


 自分ではよくわからないのですが、私なんかのどこがいいのでしょうか。やっぱり興味が持てなかったので、全て丁重にお断りしましたが。

 あと、胸部への視線の集中がなんかすごかったので。気持ち悪いとまでは言いませんが、いい気分でないのは確かです。


「お姉ちゃん、おっぱい大きいもんねー。私にも分けてほしいよ」


 分けられるものなら分けてあげますけどね。重いばかりで、なんの役にも立ちませんし。


「あ、そうだ。もうさ、お姉ちゃん適当な人と付き合っちゃいなよ。それで処女あげちゃうの。どう? 少しは不幸になれると思わない?」


 そんなことが、あなたへの償いになるのでしょうか。


「ならないよ。ううん、ちょっとはなるけど、もちろんそれだけじゃ足りないよ。お姉ちゃんには、もっとずっと苦しんでもらわなきゃ」


 そうですか。なんだかもう、どうでもよくなってきました。妹がそう言うなら、それもいいのかもしれません。次に呼び出されたら、その人とお付き合いをしましょうか。

 でも、お付き合いって何をすればいいのでしょう? いきなりえっちなことというのも、なんだか違う気がします。


 そんなことを思いながら。

 気づけば、いつの間にか半年が経っていました。時間の感覚すら希薄になっていました。












 久しぶりに訪れた白い病院は、退院の日から何も変わることなく、静かで密やかな時間の中にありました。

 月に一度は、という約束を、私はすっかり忘れていました。それほど日々が変わりなく、緩慢で、何もない時間の連続だったのです。


「やあ、久しぶりだね。元気そう……ではないみたいだけど。まぁとにかく、来てくれて嬉しいよ」


 先生は相変わらず忙しそうにしていましたが、わざわざ私に会う時間を作ってくれました。その優しい笑顔に、私はずいぶん久しぶりに自分の情動を思い出します。

 他愛もない世間話をしていると、私は少しだけ心が安らぐような気がしました。妹は不機嫌そうな視線を寄越してきましたが、少しぐらいはいいでしょう。

 会話の流れで、私はふと思いついたことを聞いてみます。


「先生は、ご結婚されてるのですか?」


「僕かい? いやぁ、残念ながら相手がいなくてね」


 ちっとも残念ではなさそうに、先生はそう言います。たぶん三十年の半ばほどでしょうから、結婚していてもおかしくはないと思ったのですが。


「では、お付き合いのお相手は?」


「……僕がモテそうに見えるかい?」


「はい」

 

「それは光栄だがね。実際には、女性には全然相手にされない人生を送ってきたよ」


 ははは、と笑う先生ですが、それは厳密には違うのでしょう。

 現に先生と接する看護師さんの中には、そういった視線を送っている人もいるのを、私は知っています。ただ、異性とのお付き合いよりも優先するべきことが、先生にはあるのだと思います。


「もしかしてあれかい? 好きな男の子でもできたのかな?」


「いえ、そういうわけではないのですが。後学のために、お付き合いのイロハみたいなものがわかればと」


「ふむ。僕も全く経験がないわけじゃないけど、どうにもそういうのには疎くてね。僕の古い友人なんかはよくモテる奴で、いつも女性に囲まれていたんだがなあ。今も女性だらけの職場に勤めているし」


「……そういえば、ここには他に男性の先生は?」


「いないねぇ。ああ、そうか、そういう意味ではここも似たような環境か。なんせギフテッドの患者を多く受け入れているから、どうしても女性の職員が中心になってしまってね。まぁ、僕はあいつとは違って、彼女たちに好かれたりはしていないけど」


 いえ、充分に好かれていると思いますが。看護師さんにせよ、他の患者さんにせよ、彼女たちの先生を見る目には多分に熱いものが混じっているのが、私でも感じられます。

 というか今も、部屋の扉をほんの少し開けて、その隙間から恨みがましい視線が送られてきています。先生からは死角になっているので気づいていませんが、あまり長居するのはよろしくないかもしれません。


「恋愛のアドバイスができる子なんか、うちにいたかなぁ……あ、そうだ。ちょうど今、お見舞いにひとり男の子が来てるんだけどさ。彼も中々にやっかいな状況にあって、複数の女性から好意を持たれているらしいんだ。彼と話してみるのはどうかな? 何か参考になるかもしれない。ちなみに、さっき言った僕の友人の息子なんだけど」


「はぁ……」


 気のない返事を返してしまいます。できれば大人のアドバイスが欲しかったのですが。まぁ、他に頼る宛もありませんし、先生がそう言うのなら何か思うところがあるのでしょう。

 私はお礼を言って、先生の部屋を後にするのでした。














 五一八号室の、赤宮さん。

 彼女とは面識がありました。とはいっても、おそらくは私の一方的なものでしょうが。

 お隣りの部屋でしたので、何度か会うことがありました。病室に溶け込むような、真っ白な印象の彼女。

 ただ赤宮さんは、およそ人間らしい反応を返してくれることはありませんでした。先生の曰く、彼女もギフトに関連する事件に巻き込まれ、人としての反応を――おそらくは記憶を、なくしてしまったようです。


 少しだけ懐かしい廊下を歩く先、その部屋から声が漏れてきました。入口の引き戸が少し開いたままだったのです。

 なんだか後ろめたい気持ちもありましたが。先ほど私と先生を覗いていた看護師さんのように、私はそっと中を窺ってみました。

 そこにはベッドに上半身を起こして座る、虚ろな瞳の赤宮さんと。

 その隣りに、男の子がいました。黒髪黒目で背の高い、たぶん私よりも幾らか年下の男の子が。

 その優しげな、儚げな顔を見て。

 柔らかに赤宮さんに語りかける、低い声を聞いて。


 雷撃が、私を貫きました。

 煩く跳ねる心臓の音。全身の血液が沸騰するような感覚。

 一瞬で、私の感情はぐちゃぐちゃにされました。

 上気する頬を抑えられず。息をするのも忘れて。

 力が抜けたように、かくんとその場に座り込みます。

 

 それは、私の知らない感情。知らなかった、今初めて知り得た感情。

 胸の奥が締め付けられるような、深く切ない思い。

 その名前は――――


「お姉ちゃん」


 ああ、と。

 隣りから響く声に、私は現実に戻ります。

 そうでした。


「わかってるよね? おかしいってこと」


 駄目でした。私にとって、それは許されないことでした。

 それは、名前を付けてはいけない感情。


「ほら、早く刺して。治して。そして――忘れて」


 声に導かれるように、スカートのポケットから、折り畳まれた小振りのナイフを取り出します。それはもしもの時のためにと、私が用意していた再生装置(リセットボタン)。私のギフトが、自動的に判断できない異常に遭遇した時、強制的に〈再生〉を発動させる、癒やしの刃。

 そう、おかしな感覚でした。あり得ないこと。こんな、ひと目見ただけで、心を揺さぶられるなんて。

 でも。


 嫌だ。

 消したくない。

 失いたくない。

 やっと手に入れた、消さなくていい感情。

 大切にしたい感情。

 嫌だ。

 嫌だよぅ…………


「早く!」


 妹の声に、急かされるように。

 ずぶりと、お腹にナイフを差し込みます。

 痛みと熱を感じて、それが癒やされていくのと同時に。


 私の感情は、病院の景色に溶け込んでいくのでした。

 涙は、流れませんでした。

 

 















 感情を忘れても、記憶までは失われません。

 私は覚えていました。実感なく、されどその思いを感じたことを。

 また一月が経ったころ、私は再び病院に赴きます。


「何しに行くの? もうあそこに用なんてないでしょ?」


「別にないですけど。ただ、先生と約束したので」


 嘘でした。

 先生に聞きました。彼の名前。四条冬馬さん。

 そしてお願いしました。彼が病院に来たら、教えてほしいと。


「ふーん。いいけどね。どうせ同じことだし」


 それから毎月、私は同じことを繰り返しました。

 病院に行って、赤宮さんと話す彼をこっそり見て。心を昂ぶらせて。

 やっぱりお腹を刺して。感情を忘れさせて。

 また記憶だけを残して。積み重ねていきます。


「無駄なことするねー。何も残らないのに。それにあの人、赤宮さんが好きなんじゃないの?」


 そうなのでしょうか。毎月お見舞いに来るぐらいなので、大切な人なのは確かなのでしょうが。

 なんとなく、違う気がしました。私が彼に向ける思いと、彼が赤宮さんに向ける思いは、どこか似て非なるものだと感じられました。

 その優しい笑顔の下は、後悔と悲しみに彩られていました。

 

 ある時を堺に、私は感情が少し残っているのに気づきます。消しきれずに、心の底で燻っている、小さな感情。

 異常が異常ではなくなってきているのだと、私にはわかりました。何度も何度も繰り返す内に、その思いは私自身の、本物の感情へと昇華を遂げたのです。

 それは当然のことでした。私のギフトが成した、偶然の副産物。言うなれば、私は。


 何度も何度も、彼に一目惚れを繰り返していたのです。


 そう、自覚すると。

 もう私の感情は、消えなくなりました。


「駄目だよ、お姉ちゃん」


 妹が何を言っても。


「許さないからね。自分だけ幸せになろうなんて!」


 もうこの思いは、消すことはできないのです。



















 三年生に上がってから、少し経ったある日。

 先生から呼び出しを受けます。どうしても伝えたいことがあるのだと。

 彼に会う目的以外で病院に行くのは久しぶりでした。そしてそのころにはもう、妹の声はだんだんと薄れてきていました。


「いい知らせがあるんだ」


 にこにことした笑顔で、先生はもったいぶるようにそう言いました。相変わらず扉の外からは突き刺さるような視線が注がれていましたので、早くしてほしかったのですが。

 目の下に隈を作った先生は、忙しい中わざわざ時間を作ってくれたのでしょうから、私は黙って待っていました。


「彼ね、今度君の学校に転校するらしいんだよ」


「えっ!」


 それを聞いた瞬間。

 私は立ち上がり、先生に詰め寄っていました。


「いつ!? いつなんですか!?」


「ああ、うん。予想以上に喜んでくれて何よりだよ。でも、ちょっとだけ落ち着いてほしい。あとできれば首を締めないでほしい」


「あっ……すみません」


 気づけば、先生の襟首を掴んでガクガクと揺さぶっていました。自分で自分の感情が制御できていませんでした。

 けほけほと息を整えてから、先生が続けてくれます。


「来週の頭だそうだよ」


「来週……」


「良かったね。いい機会だから、もう彼に思いを伝えてもいいんじゃないかい?」


 そう。およそ二年もの間、私は自分の感情をただ募らせているだけでした。未だに彼は、私の存在すら知り得ていません。

 妹を差し置いてという気持ちもあって――いえ。

 それすら、最早言い訳に過ぎません。結局は、私が勇気を持てなかっただけのことです。

 そんな私を、先生は優しく見つめて。


「君がまだ、本当の意味で救われていないことは知っているよ。でもね、もういいんじゃないかい? もう君は充分に苦しんだ。苦悩して、後悔した。過去のことを忘れろってわけじゃない。それはそれで君の大事な一部だ。それを踏まえた上で」


 あの日と同じ、優しい言葉で。


「僕は願っているよ。君のこれからの人生に、幸あらんことを」


 そう、言ってくれました。














 その日の朝、校門の脇に佇んで。

 私は今か今かと待ち続けます。

 あの人を。今日からこの学園に通う、冬馬さんを。

 心臓はずっと煩く騒いでいます。正確には昨日の夜から。昨日は眠れませんでした。

 

「ふん。お姉ちゃんなんか、振られちゃえばいいんだ」


 久しぶりに響いた妹の声は、そんなことを言っていましたが。

 それを気にする余裕など、今の私にはありませんでした。

 なんて声をかけようか。髪型はどうしようか。下着は……いえ、そんな、会って初日にそんなことには……でももしかしたら――。

 結局は、わちゃわちゃと混乱した思考のまま、今日を迎えてしまいました。朝食のパンすら、一斤しか食べられませんでした。


「――っ!」


 びくん、と体が跳ねます。

 来ました。遠目に映る、背の高いシルエット。あくびを噛み殺す、眠たそうな顔。間違いありません。

 足が竦みました。体が震えました。でも勇気を振り絞って、私は冬馬さんに声をかけます。


「あ、あのっ!」


「ん? 俺ですか?」


 その声を聞いて。

 初めて、私という存在に気づいてもらって。


「あ――――」


 一瞬で、私の感情は全て持っていかれました。思考がばらばらに吹き飛びました。そして。


 暖かいものが、頬を伝いました。

 それは、私が失ったはずの。

 もう二度と、流すことができなかったはずの。

 悲しみに依ることのない、一筋の感情。

 

 ああ、私は。

 私は、まだ。

 涙を失ってはいなかった!


「えっと……」


「私っ!」


 彼の困惑を遮るように、私は叫びます。感情を溢れさせます。

 この思いを、伝えます。

 周囲には、他にもたくさんの生徒がいましたが。

 そんなもの、気にもなりませんでした。


「私っ! あなたのことが、好きですっ!!」


 そうして。

 その日、私は本当の意味で。

 冬馬さんに、出会ったのです。


















 冬馬さんの置かれた状況は、思ったよりも複雑なものでした。

 複数の死に関する思いを抱えた異性から、異常なほどの執着を持たれるギフト。〈デッドハーレム〉。

 私を含めて、既に五人もの女性が、冬馬さんの周りには集っていました。


 朱里ちゃんたちと冬馬さんの争奪戦をするのは、私にとって充実した時間でした。もちろん嫉妬もするのですが、その焦がれすら私には楽しく感じられました。私は、彼女たちのことも好きになっていきました。その真っ直ぐで純粋な思いは、どれも本物だったからです。

 できることなら。この時間がずっと続けばとさえ思いました。


「でもさ、流石に蓮さんには驚いたよ。まさか転校して一秒で告白されるとは思わなかった」


「突発性の一目惚れでしたもので」


「一目惚れは全て突発性だと思うんだがな……」


 あの病院で、私が既に冬馬さんを知り得ていたことは、内緒にしておきました。彼を取り巻く状況から、たぶんその方がいいだろうと思えたのです。

 冬馬さんもまた、深く暗澹(あんたん)たる思いを抱えていました。私と同じように。あるいは、もっと酷く。

 私にはわかります。それは私と同じ性質の思い――即ち呪いです。ただ彼は、その根源を忘れてしまっていました。

 私が悲しみを失った代わりに、妹のことを忘れてしまわないよう、自分自身にかけた忘れじの呪いのように。

 冬馬さんにも、強く思いを馳せる出来事があって、それが呪いを成したのだと思います。


 私のそれは、冬馬さんに出会ったことで極限まで薄まりました。完全に消えてしまったのかはわかりませんが、あの日から、もう妹の声が聞こえることはありません。

 ですが冬馬さんは、そもそもの起因となる思いを失っています。だから彼は、今日も探し続けています。見つからない最初の願いを。少女たちと思いを交わらせながら。何度も何度も、繰り返しています。

 彼を救いたいと思いました。彼が私を救ってくれたように。


 私たちとのデートを重ねて、冬馬さんは思い悩んでいるようでした。おそらく、ずっとそうだったのでしょう。元来優しい人ですので、私たちとの交流が深くなればなるほど、それを蔑ろにはできなくなってしまったのだと思います。


 夏休みに入って、冬馬さんは私に相談があると言ってきました。ひとり、どうしても治してほしい人がいると。

 彼女のことでした。白い病院の、五一八号室の、赤宮さん。

 私は悩みました。果たして、彼女を治してしまってもいいものかと。

 治療自体は可能なはずです。彼女の異常は、ギフトによる記憶の喪失。それを治すイメージは容易く描けます。

 ですが、彼女は彼女の意思でもって、その選択をしたはずです。やるせない思いがあって、どうしようもなくて、冬馬さんから距離を置いたはずです。

 少なくとも、彼女の意思を確認する必要があると、私は思いました。


 だから本当は。

 私は、冬馬さんに謝らなければなりません。


 冬馬さんと約束をした日の、前日。私はひとりで病院を訪れます。

 白い病室の、真っ白な彼女。赤宮さんは、変わらずその部屋に溶け込んでいました。

 扉を開いた音に反応したのか、こちらを向く彼女。でもその瞳には、やはり私は映っていません。

 

 それは隔絶するイメージ。

 他者と彼女とを隔てる、不可視の断層。

 赤宮さんのギフト、発動型〈忘却(オブリビオン)〉。彼女が忘れたのは。

 おそらく、この世界の全ての他者との繋がり。


 その白い頭に両手を添えて、私はイメージを展開します。

 途切れた糸を、世界と彼女とのリンクを紡ぎ直すイメージ。

 細い神経を、一本一本。手繰り寄せ、纏わせ、繋ぎ合わせると。

 彼女はすっ、と瞼を閉じて。


 再び開いたそこには、澄んだ湖のような青色が宿っていました。


「ありがとう、三枝蓮さん」


 開口一番に、赤宮さんはそう言いました。


「今、全部繋がったよ。あたしのこと。冬馬君のこと。あなたのこと。思い出した――ううん、落とし込めた。記憶が、世界に追いついた」


「……この病院でのことも?」


「うん。なんて言えばいいのかな……そうだね、記憶喪失になって現れた別人格の体験が、私というフィルターを通して再構成された、って感じ。わかるかな?」


「なんとなくは」


 どうやら私の見立ては、大筋で合っていたようです。およそ考えられる限り、最善の状態で赤宮さんを〈再生〉させることができました。


「だから、ありがとう。あなたはあたしのことを思って、冬馬君に会う前に、あたしを治してくれたんでしょう?」


「ええ。私があなたの立場だったら、それはちょっと酷だと思いましたので」


 冬馬さんの意思には反してしまいますが。

 乙女の心には、やはり準備というものが必要なのです。


「それで、赤宮さんはこれからどうしたいですか?」


 恋敵が増えることになるかもしれませんが。可能な限り、彼女の望みは叶えてあげたいと思いました。


「うーん……もちろん冬馬くんには会いたいんだけど。流石に記憶が繋がったばっかりで、まだ全然整理できてないの。だからちょっと、時間が欲しいかな」


「それは。ここからいなくなるということですか?」


「うん、そうだね。たぶん、その方がいいんだと思う。病院の人たちには辻褄合わせをして、あたしは一度姿を消すよ。勝手すぎるかな?」


「勝手ですが、気持ちはわかります。あなたがそう思うのなら、それがいいのでしょう。でも、冬馬さんは悲しみますよ?」


「わかってる。それで、勝手ついでなんだけど、三枝さんには冬馬君を支えてあげてほしいの。自惚れじゃなければ、あたしが消えることは、冬馬君に大きな傷を負わせると思う。だから彼が壊れないように、守ってあげてほしい」


「それは――」

 

 もちろん私としては、断るべくもないのですが。


「いいんですか? 私、冬馬さん奪っちゃいますよ?」


 それぐらいの自負はありました。傷心のシチュエーション、優しい冬馬さん、それを受け入れる私。これだけお膳立てがされていれば、彼を堕とせるだろうという自信は。


「嫌だけど、我慢する。うん、我慢できる。それで、私も冬馬君も落ち着いたころに、また来るよ。諦めたわけじゃないよ? もしその時に、冬馬君があなたを選んでいても、もう一度奪い返してあげるんだから」


 そう言って、赤宮さんはにっこりと笑いました。八重歯の覗く、可愛らしい、魅力的な笑顔でした。


「わかりました。待ってますよ、赤宮さん」


「うん。じゃ、早いけどもう行くね。色々ありがとう」


 立ち上がり、大きく伸びをする赤宮さん。そのまま出口に歩き、扉を掴んだところで。


「あ、そうだ。戻ってきたらさ」


 こちらを振り返り。

 少しだけ、はにかんで。


「友達になってくれるかな?」


「――ええ、もちろん」


 そうやって。

 赤宮さんは、私の前から姿を消しました。

















 


 

 赤宮さんを失い、絶望に打ち震える冬馬さんを見るのは、わかっていたこととはいえ、辛いものがありました。その原因を作ったのは私なので、なおさらです。


 私は打算も含めて、冬馬さんを抱き締めました。今なら彼は私を選んでくれるとわかっていました。

 そしてそのとおりになりました。今度こそ、私は選ばれる側になれたのです。

 嬉しい反面、罪悪感がチクチクと胸を突いてきました。


 でも、もし私が動いていなくても、結局は同じことになっていたのだと思います。

 冬馬さんは今回、私たちのことを深く知ろうとしていました。だからいずれは誰かを選んで、その結果残る少女と対立するのは避けられなかったでしょう。


 冬馬さんの〈デッドハーレム〉について、わかったことがひとつあります。それは、その効力を振り切るには、時間が必要だということです。本質はたぶん、そこにあります。

 その点、私の〈再生〉は相性のいいギフトでした。何度もその効果を打ち消すことにより、私は長い時間、正気のままで冬馬さんの傍にいることができました。

 いつしか不自然な思いは立ち消え、ゆっくり育んできた本当の思いだけが残りました。

 でも、それが能わない場合は、先に感情が溢れてしまうのです。


 その後の事態は、流れるように過ぎていきました。

 まず凛子ちゃんが、次に詩莉さんが感情を抑えきれなくなり、冬馬さんに襲いかかりました。意外だったのは、その対処に朱里ちゃんが立ち塞がったことです。

 私はてっきり、朱里ちゃんが真っ先に暴走すると思っていました。その直接的に過ぎるギフトは、彼女の性質を表したものだと捉えていたからです。

 私の予想とは裏腹に、朱里ちゃんは正気を保ったまま二人を撃退しました。彼女が動かなければ、私が体を張るしかなかったので、その点ではとても助かりました。

 ただ、あまりにもタイミングが良すぎます。みんなの治療をしながら、私の中でひとつの疑念が膨らんでいきました。


 そして夏休みも終わりになるころ、環ちゃんがいなくなりました。聡明な彼女は、おそらく事態を深く理解していたのだと思います。身の危険を察知し、行方を眩ませたのでしょう。


 ここで、私の疑念は確信に変わります。今回の事態において、私が冬馬さんに選ばれてからの進捗が、あまりにスムーズ過ぎました。

 悪役がいて、ヒーローがいました。わかりやすい構図です。

 それは、パズルを綺麗に組み立てるような。

 劇の台本に、適切なキャストを配置するような。

 誰かに、仕組まれた計画。


 何ひとつ確証はないのですが、私にはひとり、疑っている人がいました。

 最初から違和感がありました。どうして、()()にいるのか。おかしいのに、誰もそれに気づかずに。


 夏休みの、最後の日。

 いい加減に詰問しようとして、逆に彼女に呼び出しを受けます。

 そして。

 物語の真相を知ります。

 それは、何人もの意思が複雑に絡み合った結果の、最早誰かひとりでは解決することのできない、がんじがらめに鎖を巻かれた牢獄の物語でした。

 一転して、私は協力を申し出ます。だって、そうしなければ。

 冬馬さんは、永遠に救われない。


 見返りというわけでしょうか、私はひとつ、忠告を貰います。

 たぶん、明日来る、と。

 私も警戒はしていました。もう他に気を遣う必要はないので、直接的な行動に出てくるだろうと。


 そうして。

 始業式の日。

 ホームルームを終えた私は、使われていない空き教室に向かいます。そこで大きなボストンバッグから、凛子ちゃんから彼女経由で渡された、無骨で長大な刃を取り出します。

 本当はあまりやりたくないのですが、そうも言っていられません。

 けじめを付けるために。膿を出しきるために。

 私は刃を振りかざします。












◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆













 目を覚ますと、そこは見知らぬ教室でした。

 記憶がはっきりとしません。どうして私はこんなところにいるのでしょうか? いったい何をしていたのでしょうか?

 悩む間もなく、出入口の扉ががらりと開きます。

 現れたのは彼女でした。


「こんにちわ、蓮さん」


 ぞっとするような微笑を携えて。

 渦巻いた瞳で、彼女はそう言いました。


「そして――――さようなら」

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