どうして
終わりが近づいていた。
凛子と詩莉さん、二人の暴走をなんとかかんとか乗り切って。
ちょうど折り返し地点。残る相手は二人。あと二人の対処を終えれば、俺はようやくにしてひとつの結末に辿り着ける。
失ったものは多い。何人もの少女の思いを犠牲にして、俺はここまで来た。
だから、手に入れなければならない。確かなものを。俺はそれを求めていたんだと、胸を張って誇れるものを。
そうでなければ、どうして彼女たちに、通り過ぎてきた彼女たちに、顔を向けることができようか。
俺は答えに辿り着く。それは最早、呪いに近い観念であった。
あと二人。次に来るのは誰か。
朱里と、たま先輩。そのどちらかが、否が応でも現れる。それは避けられない未来だ。先延ばしにすることはできるが、いずれ必ず事態はそこに集約する。――でも。
俺にはどうしても、彼女が――たま先輩が、理性を失い暴走するとは思えなかった。
いつでも冷静沈着で、理知的で、確固たる自己を崩さないたま先輩。彼女が欲望のままに俺に襲い来る姿が想像できない。ギフト研究の権威たる彼女は、もしかしたら俺以上に俺のギフトの性質を把握して、既に対策を打っているのではないだろうか。湧き上がる狂気すら支配して。俺にはそう思えた。
蓮さんとは、今までどおり週に一度だけデートを重ねた。凛子や詩莉さんの抜けた分空きがあるので、俺としてはもう少し会いたい気持ちもあったのだが。
「そういうルールですから」と優しく微笑む蓮さんは、相変わらず魅力的で、であれば俺は彼女の意思を尊重しようと思った。
ちなみに、あの病室での一件以来、そういうことはしていない。あれはあの時だけの例外だ。特別措置。もちろん滾るものはあるのだが、まずは全ての事態を収めてからだ。気持ちは固まれど、それが俺なりのけじめであった。
お人形遊びも自粛した。アレはヤバい。こう、擬似的な浮気をしている気分になってくる。なので今は専ら、書斎で親父の晩酌相手をしている。
最後に確認した時は、何故か二体ともメイド服を着せられていたが……。
そうして、終わりが近づいてくる。それはもう、すぐそこまで来ているように思えた。
長かった。複雑に入り組んだ迷路を、迷いながら、間違いながら、俺は進んできた。僅かな光を頼りに、暗闇を手探りで歩いてきた。その出口は近い。
そして、その日。
夏休み最後の、たま先輩とのデートの日。
彼女は現れなかった。
ギフト研究会の部屋に、人の気配は一切なく。
ただ、「達者でね」と書かれたメモ用紙だけが、机に残されていた。
その日。
まだ照りつける太陽の熱気が厳しい、うだるような暑い日。
彼女は忽然と、俺の前から姿を消した。
夏休みが終わる。
長い、長い猶予期間が終わる。
「息子よ、ちゃんと夏休みの宿題は終わらせたのか?」
朝の食卓。
久しぶりに一家全員が揃った席で、親父は藪から棒にそんなことを言い出した。このところは何やら忙しかったらしく、しばらく泊まり込みをしていたようだが――どうせまた、いつものノリの会話だろう。さしたる意味はない。
「とっくに終わってるよ。最初の三日で全部終わらせた」
「む。俺の息子だというのに、存外優秀じゃないか」
「親父はあれか、最終日にまとめてやってたクチか」
「フ、甘いな。始業式に全ての課題を回収するわけではないからな、教科ごとの最初の授業に間に合えば問題ないのだ」
駄目な生徒の典型みたいな奴だった。そんなことを堂々と宣わないでほしい。
「難儀したのは自由研究だな。適当に北海道の土産に買ったマリモの観察日記をでっち上げたんだが、あいつら一月程度じゃ全く変わらんのに気づいてな。毎日百分の一ミリ大きくなっただの、今日は嬉しそうだっただの、書くことがなくて大変だった」
この親父ほんとにあほぅだな……俺はこんなのの血を受け継いでいるのかと思うと、将来にそこはかとなく不安を感じてしまう。
「紫月は?」
「終わらせたに決まってるでしょ」
愚問だったか。仮面優等生のこいつが、そんなわかりやすい失態をするはずもない。
にべもなくそう答えながら、紫月は卓上の冷蔵専用ウサギから、これまた無駄に長い耳の付いた水筒――水分補給専用ウサギを取り出した。苦労して取ってやったというのに、水筒一本しか入らないという恐ろしく実用性の低い一品である。まぁ、本人はえらく喜んでいるからいいが。
なお、このウサギと例の高級フルーツパーラーの件で、とうとう俺の諭吉さんはお亡くなりになった。軍資金の支給日まではすっからかんである。おかげで愛読している「月刊尻マニアックス」が買えなかった。悲しい。
「うちの子供たちは優秀だなぁ……そうだ、お前ら、ちょっと職員たちの家庭教師とかやってくれないか?」
「給金が出るなら考えるが……そんなにヤバいのか?」
「留学生扱いのシャルロが一番できる、って時点で察してくれ。特にこよりと香里奈がヤバい。ガチで落第しかねん」
一応は国家公務員でもあるわけだから、留年とでもなれば風聞が悪いのだろうな。
「わかった、適当に日程組んどいてくれ。でも、そんなのに金出せるのか?」
「いいか冬馬。社会にはな、経費という便利な概念があるのだ」
悪い大人の考えであった。いいけど、捕まらない程度にしてくれよ……。
「それにシャルロとこよりを家に招いたことを話したら、他の奴らがこぞってずるいずるいとか言い出してなぁ。大して珍しいもんでもないのに、なんでうちなんかに来たがるんだか」
それはあんたの家だからだよ、と突っ込んでやりたいが、どうせ言ってもわからないんだろうなぁ。我が親父ながら、とんだ無自覚ハーレム野郎である。
マリモの気持ちを考える前に、彼女たちの気持ちに気づいてやってほしい。気づいたら気づいたでやっかいなことになるのは間違いないが。
「ん? 紫月、卵焼きの味変えたか?」
「別に変えてないけど」
「んー、そっかぁ? なんか急にうまくなった気がするんだが」
「ふりかけご飯とメザシに比べりゃ、なんでもうまく感じるんじゃないか?」
「蒼さんはあたしの料理に何か文句でも?」
「ナンデモアリマセン。おっと、そろそろ出勤せねばな」
追求を恐れてか、親父はそそくさと食事を平らげ席を立った。食卓の支配者は今日も健在である。
穏やかな時間が流れていた。親父がいて、紫月がいる、いつもの日常。ずっと続いてきた、代わり映えのない日々。
何が変わろうとも、これだけは変わらない。何度転校しても。幾度のハーレムを乗り越えても。
俺が最後に帰ってくる場所だけは、ずっとここにある。
そう、思っていた。
「――ねぇ、冬馬」
「あん?」
紫月の声に、左を向く。いつもの定位置。
家でも学園でも、こいつは必ずそこにいる。
紫月は口を開き。
「――――」
何かを言いたそうに、もごもごと動かして。
――結局何も言わずに、口を閉じた。
「なんだよ?」
「――なんでもない。早く食べちゃって」
「? 変な奴だな」
思えば、それが。
俺に許された、最後の日常だった。
鈍い痛みと共に目を覚ます。
覚えのある感覚と覚えのない場所。揺らぐ視界と定まらない記憶。
もう一度目を瞑り、大きく深呼吸をする。心を落ち着かせる。後頭部に感じる鈍痛。
オーケー、いつもどおりだ。まずは現状の把握。今さら取り乱すまでもない。
とうとうその時が来た、それだけのことだ。
始業式が終わり、久々に会った前澤、中西と連れ立ってボーリング場で遊んだ。
投擲した玉を〈置換〉で位置替えし、あり得ない軌道で高得点を叩き出す中西。遊戯そっちのけで、隣のレーンに立つ女の子のスカートを風で捲り、うんうんとご満悦になる前澤。あほぅ共は変わらず平常運転だった。
帰りしな本屋に立ち寄ろうと、商店街に抜ける細い路地を通った。そこまでは覚えている。
おそらくそこで、後頭部にいいのを貰ったのだろう。
周囲を見渡す。そこそこに広い空間。打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの壁と床。窓はなく、外の様子が窺い知れないので、現在時刻は不明。スマホで確認をしたかったが。
腕は動かせなかった。足を投げ出し座った姿勢で、柱にぐるぐるに縛られていた。まぁつまりは、そういうことだ。
なんともはや、今回三連続での拉致監禁である。トータルでは二桁の大台に乗ったかもしれない。ギネスに申請すれば載せてくれるだろうか。生涯、最も多く不特定多数の相手に監禁された男。それも中東や特定アジアではない、法治国家日本でだ。
少なくとも、ドキュメンタリー番組のいちコーナーでは取り上げてくれるに違いない。
縛られている縄は、どこぞの鳶職が使っていそうな灰色の頑丈なワイヤーだ。こう何度も縛られていると、縄の良し悪しとかがわかってしまいそうで怖い。そういうのは詩莉さんの分野なので、是非ともそちらに任せてしまいたいところだ。
とにかく。
今わかるのはそれぐらいだ。現状把握は済んだ。あとは心を強く持つ。この先の展開を予想しておく。何をされても耐えられるように。
ただ、ひとつ問題がある。たま先輩が姿を消した今、今回の件はまず間違いなく彼女の仕業だ。今までは彼女が助けてくれた。それが襲う側に回ったことで、当然ながら俺を救い出してくれることはもうない。
対話で凌ぐ他ないだろう。正直なところ、あまり自信はなかったが。
一応、紫月や親父にことの次第は伝えてある。最終局面が近いので、もし俺が消息を断ったら、それとなく探してほしいと。面と向かって相対するのは危険なので、あくまでも救助を前提としてくれとも。
その後は、暴走の度合いにもよるが、大規模な作戦になるだろう。そう、作戦だ。
彼女を無力化するには、生半可な戦力ではものの役にも立たない。ただ被害者が増えるだけだ。完璧な布陣を敷いて、それでも犠牲が出るかもしれない。
果たして国が、祝福省が、そこまでして俺のために動いてくれるのかはわからない。いざとなれば見捨てられてしまうかもしれない。だが、放っておけばそれは国の威信に関わる事態となる。少なくとも排除はしてくれるはずだ。俺の生死とは関係なく。
無論俺とて、そんなことは望んでいない。いちばん丸く収まるのは、俺が彼女を受け入れることだ。しかしそれはできない。俺は蓮さんと共に歩むと決めた。その決意は、絶対に覆したりはしない。
結局は、説得するしかないのだ。それこそ、命を賭けてでも。
ふと、疑問が過る。俺を縛り上げて、彼女はいったい何をするつもりなのかと。そもそも、俺を拘束する必要があるのだろうか。彼女にしては回りくどい手順な気がした。
もっと単純に、簡単に、その最強のギフトでもって示せばいい。自分の意に従えと。俺に抗う術などないのだ、それでこと足りる。
もしかしたら、今回のハーレムとは関係ない、別の第三者の仕業なのだろうか。可能性としてはゼロではない。どこからか、俺が未登録であるという情報が漏れ、身代金目的で俺を誘拐した。
こういう時も、未登録のギフテッドは不利となる。何しろ警察は動いてくれない。家族が個人的に対処するしかないのだ。我が家にどれだけの蓄えがあるのかはわからないが、親父は腐っても国家公務員の管理職である。それなりの給金は貰っているはずだ。それを狙っての犯行という線も、なきにしもあらず。
そんな、淡い希望が。
がちゃりと開く扉に、脆くも崩れ去る。
「――――え?」
真っ白になる。
意識が、思考が、視界の先が。塗り尽くされる。
それは奇しくも、あの病室に。
千景がいて、いなくなって、そして俺が決意を新たにした、あの五一八号室に。
重なるような、真っ白なイメージ。
わけがわからない。混迷の極み。
理解できない。いや、したくない。
何が――いったい何が起こっているのか。
俺はまだ、夢の中にいるのか。
もちろん現実だ。
頭の痛みも、体を縛る縄の感触も。
目の前でにっこりと微笑む、彼女の存在も。
なんでだよ。
どうして。
どうして、あんたがここにいるんだよ。
――――――――――蓮さん。




