父、依頼を遂行する
都築円香の住居は、都心からそう遠くない場所にあった。学園から二十分も車を走らせれば着く程度の距離に。
というか以前住んでいた町だった。ほんの数ヶ月だけだが、冬馬の転校に合わせて移り住んだ場所のひとつである。四回目か五回目あたりだったか。
八回に渡る転居は、俺にとってはさしたる負担ではなかった。むしろ気分としては、小旅行に近い。休日や仕事終わりに拠点を構えた町を練り歩くのは、俺のささやかな楽しみであった。
馴染みの店ができたころに、また転居をしなければならないのは少し寂しくはあったが。別に二度と来れないわけでもなし。こうして、ふとした機会にまた訪れることだってあるのだ。
僅かな郷愁を感じながら、適当なコインパーキングに車を停める。出汁巻きのうまい蕎麦屋はまだあった。可もなく不可もないラーメン屋は暖簾が変わっていた。変わるものと変わらないもの。町は少しずつ時を刻み、移ろい行く。
人もそうだ。時を経れば、意識せずとも変わらずにはいられない。それでも変わらない、変えたくないものがあるのなら、思いを強く持つほかない。あるいは。
変わらないようにするか。
息子は、冬馬は今回、大きな一歩を踏み出した。逃げ惑い続けていた冬馬は、変わる決意をした。ひとりの少女を選んだ。
そこに至るまでに、何がしかの苦悩と喪失があったことは想像に難くない。能動的に変われる人間などそうそういないのだ。必要に迫られて、仕方なく、否応なしに、人は環境に順応する。
それでも、冬馬が先に進んだのは事実だ。痛みを伴いながら、茨の道を踏み締めながら。いつの間にか、ひとりの男の顔をしていた。
そもそも、あいつが父の庇護を求めたことなどあっただろうか。昔からそうだった。決めるのは遅いが、決めてしまえばもう、冬馬は絶対にそれを貫き通す。だから。
存分に、のたうち回るといい。この先、さらなる苦難が冬馬には降りかかる。避けられない痛みが襲い来る。それを乗り越えられるかどうかは、あいつ次第だ。
周りの思惑は気にしないでいい。学園にも祝福省にも、変な介入はさせない。後始末は全部やってやる。
好きなようにやれ。
そして、感情を乗り越えろ。
俺が願うのは、ただそれだけだ。
「ここだな」
目的地にほど近くなったため、思考を中断する。
なんの変哲もない、ごく普通の、二階建てのアパート。この二階の角部屋に、都築円香は住んでいるらしい。
入口の郵便受けには、普通に名前が記されてあった。郵便物が溜まっているわけでもない。どうやら情報に誤りはないようだが。
「でもたまっち、その人って今家にいるの?」
時刻は午後の三時に差しかかったところ。平日だし、普通の社会人であればまだ仕事をしている時間だ。
「どうやらギフトを発現したのち、勤めていた会社を退職しているようでね。ここしばらくは買い物以外に目立った外出はしていないはずだ」
「ニートってこと?」
「まぁ、有り体に言えば」
ギフトの発現が契機となって、免職を余儀なくされるケースはなかなかに多い。自発的にか、半ば強制的にかの違いはあるが。
もちろん表向きには、祝法によりそのような差別は禁じられている。だから会社は別の理由を付ける。あるいは急にその態度を変える。自ずから会社を去るように仕向けるのだ。
不法解雇だと、裁判となる例も後を絶たない。勝率は五分五分といったところか。いずれにせよ、以降の就職先は限られたものになってしまう。茶系ならまだひた隠しにもできようが、体毛と瞳の変色が、ギフトの存在をありありと物語ってしまうからだ。
ウィッグやカラコンで色彩を偽ることもできるが、もしバレた場合は同じ過程を辿ることとなる。
ギフテッドがこのような憂き目に会うのには、初期にはその得体の知れない力が警戒を呼んでのことだったが。研究が進み、ギフトの本質が一般にも明らかになるにつれ、皮肉にもその功績はさらなる隔たりを生む結果となった。すなわち。
彼女たちは、例外なく大きな感情を発露しているのだ。会社組織にとっては、これがネックと捉えられた。誰も好き好んで、ヒステリックな性質を宿した人材を抱えたくなどないのだ。
無論、必ずしも全てのギフテッドがこの図式に当てはまるわけではない。温厚で理知的なギフテッドなどいくらでもいる。だが一度広まった風聞は、今になってなお完全に払拭されているとは言い難い。
これでも一時期に比べれば、ギフテッドの採用を大々的に謳っている企業も出てきたりと、その社会への迎合はだいぶ進んできてはいる。だがまだまだ、特に保守的、懐古的な組織においては、偏見の目は消え去っていないというのが実情だ。
一部では、それこそ一定以上の規模を有する企業には、従業員の在籍数に比してギフテッドの雇用を強制する法を整備しようという動きもあるのだが。俺はこれには反対である。
そんなことをすれば、彼女たちは本当に障害者になってしまう。ただ救いを求めただけの女性の、輝かしい未来が奪われることは、絶対にあってはならないのだ。
都築円香も、そのような境遇にあるうちのひとりなのかもしれない。もしそうならば救いの手を差し伸べたいところだが、それにはやはり登録が必須となる。こればかりは本人の自由意志なので、俺が強制するわけにはいかなかった。
「ぴーんぽーん」
こよりが擬音を口に出しながら、都築宅のチャイムを鳴らす。
しかししばらく待てど、内側からの反応は返ってはこなかった。
「お留守ですかね?」
「居留守や入浴中という可能性もありますが……」
「アオさん、どうします?」
「ふむ。そうだな……」
本来なら、もちろん待機するか出直すかするのだが。
相手は未登録のギフテッドであり、勝手に敷居を跨いだところで、幸いというかこちらが罪に問われることはない。久々利の件もあるし、そこは少し大目に見てもらうか。
「ちょっと確認だけさせてもらうとするか。香里奈、頼む」
「はぁい」
こんな時には、香里奈のギフトが便利である。ぱっ、とその姿が掻き消えると、少しの間を置いて、がちゃりと扉が内側から開かれた。
「それが〈透過〉かい。便利なものだねぇ」
「まぁねー。いつの間にかあなたの隣に這い寄るあたし、香里奈ちゃんです」
どこの旧支配者だお前は。
あと、たまに後ろから驚かしてくるのはほんとやめてほしい。
「やっぱりいないみたいですよ、蒼さん」
「普通に外出中だったか……どうしたもんかな」
間取りは一般的なワンルームで、バスとトイレが別。そのどこにも人の気配はなかった。
なお、バスルームの点検をしようと思った俺は香里奈に止められた。
「アオさんがそーゆーのやると、無駄にエロイベントが起きますから」
とのことである。なんか納得いかないが、あながち間違ってもいないので従っておいた。先日も紫月の裸体に出くわしたばかりである。
「シャル、見て見て。ほら、すごいよこのパンツ。ほとんどヒモだよー」
「こより、いくら未登録の方の家とはいえ、勝手にクローゼットを漁るのは如何なものかと……」
「だって隠れてるかもしれないじゃない。うわ、これなんかお尻のとこ穴開いてるし」
「……こ、後学のためにはなりますか……」
こよりはシャルロを巻き込んで家探しを始めた。このドイツっ娘、実は結構なむっつりだよな。
後でちゃんと戻しとけよー。
「さて環ちゃん。タイミングが悪かったようだが、一度出直すか?」
「そうですね。どこかで小一時間ほど潰すとしますか」
と、一時撤退を決めた、その時。
がちゃりと、玄関の開く音が響く。やべ、ほんとにタイミング悪いな。
コンビニのビニール袋を手提げた赤髪赤眼の女性――都築円香と、ばっちり目が合ってしまう。事態を飲み込めていない、惑いの目と。
「えっと……勇者様御一行?」
勝手に箪笥漁ってるしな。あいつらほんとよく捕まらないよな。
「……実は異世界から来た勇者だ」
「私は魔法使いです! なんでも曲げちゃいます!」
「私もまぁ、魔法使いかねぇ」
「あたしも魔法使いかな。レ○オルしか使えないけど」
「えと、わ、私も……ま、魔法使い……?」
魔法使い多いな。バランス悪すぎるだろこのパーティー。前衛俺ひとりだし。
「私は遊び人だ!」
張り合ってきたよこの人。まぁ言い出しっぺだけど。ニートだから正にぴったりだけど。
「ちなみに一日に五回ほど、賢者に転職している」
ドヤ顔でそう付け加えてきた。
回数多いな。悟りの書いらないからか。
そして本当に性に奔放な女性だな。冬馬から聞いてはいたが、初対面の相手にソロ活動の系譜をお知らせするのはやめてほしかった。
妙な沈黙が場に降りる。
なんだコレ。どうすんのこの空気。
「あ、五回ってのはあくまでも平均値で、最近は特にヒマだから八回ぐらい――」
「いや、別に回数の少なさを嘆いているわけじゃないからな?」
変な勘違いはしないでほしい。そのへん、例のお嬢様と似通ったところがある。詩莉ちゃんとは仲良くなれるに違いない。
遅れて会話の意味を理解した娘っ子たちが、視線を逸らして俯き加減に頬を染める。もじもじと手を組み、擦り合わせる仕草はなかなかに愛らしいが。
放っておくとまたカオスになるから、先に進めるか。
「あー、勝手に入って悪かったな。俺たちはこういう者だ」
ベストのポケットから名刺を取り出し、渡してやる。
「え、祝対って――私を捕まえに来たの?」
「だったらとっくに動いてる」
「それもそうか――ん? 四条?」
まじまじと名刺を凝視し、俺の顔と見比べる都築。なんかおかしかったか?
「もしかして、冬馬君のお兄さん?」
「よし、小遣いをやろう」
「アオさんてばっ!」
むう。しまった、若く見られたもんだからまた財布を取り出してしまった。
「冬馬ならうちの息子だ」
「え、冬馬君高校生だろ? ずいぶん若いお父さんだねぇ」
「もっと言っていいぞ」
「アオさん、話進まないですから」
香里奈に窘められ、仕方なく口を噤む。ちょっとぐらいいいだろうに。
「それで、捕まえに来たわけじゃないなら、なんの用かな?」
少しの警戒を滲ませながら、都築が質問してくる。
俺は一歩下がり、視線で環ちゃんに続きを促してやる。
「不躾な訪問ですみません。ギフト研究を生業としております、御門と申します。もし差し支えないようであれば、研究の一環として是非お話を伺いたいと思いまして」
「研究者? お嬢さんが?」
「浅学ながら、末席を汚させて頂いております」
「はぁ、そりゃまたすごいねぇ」
感心したそぶりで、都築が環ちゃんを見据える。十代の研究者なんて普通は有り得ないからな。彼女は異例中の異例だ。
「もちろん、報酬は出します。なるべく意に沿うようにと考えておりますが、如何でしょうか?」
「うーん。そうだねぇ……」
何かを考えながら、都築がこちらを見回してくる。そこに僅かだが、異質な感情が混じっているのに俺は気づいた。
俯瞰するような――いや。
品定めをして、舌なめずりをするような、それは狩人の視線。
「じゃ、報酬は先払いってことで」
瞬間、都築の周囲に無数の赤い煙玉が浮かび上がる。報告にあった〈ポルノワークス〉、その行使だ。
くそ、出が速いな。意識していた俺以外は反応できていない。コンマ五秒で状況判断。取捨選択。香里奈、すまん。
「ひゃっ」
「きゃっ」
こよりとシャルロを両脇に抱き寄せ、ギフト発動。そこで。
「とりま二十倍でー」
煙玉の大群が押し寄せる。部屋を覆い尽くすような絨毯爆撃。赤色が一面を染め上げ、そして。
「うひゃあっ!」
聞こえる香里奈の悲鳴。ぺたんと尻もちをつく気配。
「いやー、こないだまた振られちゃってねぇ。ちょうどいいからちょっと相手して――って、え?」
都築の目が見開かれる。思惑とは異なる風景が広がっているからだ。
煙に触れた対象の性的感度を引き上げる都築のギフト、〈ポルノワークス〉。その効果を受けたのは、僅かに香里奈ひとりだけであった。
咄嗟に二人を抱き寄せ、周囲の空間を〈停滞〉させて「不可侵領域」を作り出すことにより、俺とこより、シャルロは難を逃れた。俺の手は二つしかないので、悪いが香里奈のことは諦めた。
そして。
「全然効いてないねー」
環ちゃんもまた、なんら変わることなくそこに佇んでいた。その有り様に、俺の中の疑念がひとつ、確信に変わる。
まぁ、それは後だ。とりあえずはこの場を収めよう。
「都築円香。こっちも勝手に侵入して悪かったからさ、今の攻撃は不問としよう。だがこれ以上続けるようなら、俺も祝対室長として容赦はしないぞ?」
「オーケー、わかった。降参降参」
分が悪いのを悟ったのか、両手を挙げてあっさりと恭順を示す都築。ものわかりが良くて結構だ。
しかしチャンスと見るや即座に欲望を満たそうとするあたり、やはり典型的な未登録の例に漏れず、危なげな思考の持ち主のようだ。鎮圧には便利そうなギフトだが、祝対にスカウトするのはやめておこう。
「ちなみに、誰を狙ったんだ?」
とりあえず全員動けなくしてから、ゆっくりといたそうとしたのだろうが。二刀流らしいから、誰を狙ったのかまではわからなかった。
なお、直撃した香里奈は少し身じろぎするだけで快感が押し寄せるのか、声を押し殺してぷるぷる震えている。恨みがましい視線を感じるがスルーだ。
二十倍やべーな。香里奈、お前の犠牲は忘れないぞ。たぶん。
「御門ちゃんと金髪ちゃん。澄ました感じの子に少しずつ刺激を与えて、「お願い、もう……」って言わせるのとか、もうたまんない。わかる?」
環ちゃんがささっと距離を取り、腕の中のシャルロががくがくと震えた。
まぁ、わからんでもないが。ドが三つ付くぐらいのSっ気だな。ほんと俺じゃなくてよかった。
「そんじゃ、環ちゃんの質問に答えてやってくれ」
「はいはい」
一悶着はあったが。
こうしてなんとか、依頼の目的は達成できたのであった。
「なんであたしだけ見捨てました?」
環ちゃんの調査が終わり、香里奈の受けたギフトの効果が解けたあと。
都築宅をお暇し、さあ帰るかとスムーズな流れに持っていこうとしたのだが、がしっと香里奈に袖を掴まれてしまった。やっぱ駄目か。
「いや、お前が一番先輩だしさ。あの状況だと守れるのは二人が限界だったし、仕方ないだろ?」
「うう……なんか最近、こんな役回りばっかりな気がする……」
用意していた答えを告げると、香里奈は不承不承といった態度で項垂れた。本当はキャラ的に一番違和感が少ないだろうと思ってのことだったが、その事実は心の内にしまっておく。
真実はいつもひとつだが、時にそれは明らかにしないほうがいいこともあるのだ。
「そう不貞腐れんなって。そうだ、この通りにうまいアップルパイを出す店があるんだよ。それ奢ってやるから」
「むー。しょうがないですねぇ、絆されてあげます」
甘味と聞いて、にわかに色めき立つ娘っ子たち。なんとか機嫌は取れそうだな。
「あ、俺と環ちゃんはちょっと依頼料の話を詰めとくから、先に行って席取っといてくれるか?」
「はぁい」
店の詳細を教え、三人娘を先に向かわせる。その姿が見えなくなったあたりで、俺は意識を切り替えて環ちゃんに向き直った。
そう。実のところ、今回の件は今からが本番である。
「さて、環ちゃん」
「はい。なんでしょう、お義父様?」
微笑を携え、軽くはぐらかそうとする環ちゃん。
やっぱりわかってるな、この子は。
「君さ――実は〈デッドハーレム〉の影響を受けていないだろ?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るぞ?」
先ほどの、〈ポルノワークス〉の煙を受けた際。
環ちゃんは直撃したはずなのに、その効果を受けてはいなかった。それが何を意味するのか。
ギフトに対抗できるのはギフトだけ。その図式に当てはめるのならば。
――環ちゃんのギフトが、効果を現したからに他ならない。
発動型〈束縛〉。現象系に属する強力なシングルワード。
その性質は、どこか俺の〈停滞〉と似通っているように思えた。物質、あるいは精神を「留める」「そのままにする」願い。
だから想像できる。環ちゃんはおそらく、自身の精神状態、在り方、感情、そういったものを、変化しないように〈束縛〉している。〈デッドハーレム〉の効果を無効化している。
そう当たりを付けていたのが、今回の件で確信に変わった次第だ。
「……流石、父君はよく観察していらっしゃる」
ひとつ息を吐き、環ちゃんが緊張を崩す。仮面の微笑を剥ぎ取り、本来の、柔らかな笑みでこちらに視線を向ける。
「そうですね、ひとつお話をいたしましょう」
そう言って、彼女はゆっくりと語り始めた。
「愚かしい少女の半生と、彼女が恋をするまでの物語を」




