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デッドハーレム  作者: fumo
第1章 願いと狂いと迷いと呪い
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その、感覚

 流石にというか、トイレの中にまで亜衣里さんがついてくることはなかった。「お手伝いします」とでも言われたらどうしようかと思ったが、まだ最低限の尊厳は守られているようだ。――頼めばやってくれそうなのが、恐ろしいところであるが。


 そしてこのトイレ、やはり他の例に漏れずやたら広い。広さだけなら俺の自室といい勝負なんじゃないだろうか。なお、内装に関しては完全に負けている。絵画や調度品、観葉植物まで備えた空間は、それでいて本来の用途を損なわないよう、どこか安らげる雰囲気を醸し出していた。


 便座とは別に設置された椅子に腰掛け、俺はため息を一つ。便座の方は、個室に入るなり勝手に蓋がオープンされたため、座るのが躊躇われたのだ。

 拉致されて後、幾ばくかの時間は経っているはずなのだが、不思議と尿意は微塵と感じなかった。通常、失神した際に失禁を伴うケースはあまりないらしいが――本当に、俺はいったい何をされてしまったのだろうか。


 考えても詮無いため、とりあえずそのことは横に置いておく。世の中には深く考えないほうがいいこともままあるのだ。下手に真実が明らかになると危険である。主に俺の精神衛生的に。

 それよりも、根本的に現状をなんとかしなければならない。このまま手をこまねいていれば、成す術なく手籠めにされてしまう未来しか見えなかった。詩莉さんの誘惑に、自信を持って抵抗できると言えないあたりが、俺の意思薄弱の表れである。情けない限りだが。まぁ、根拠もなくできると思わないだけマシであろう。要はそうなる状況を回避できればいいわけだ。


 脱出――難しいだろう。詩莉さんはともかく、今もトイレの外で待機している亜衣里さんを出し抜くのは、現実的に不可能に思えた。よしんば邸宅を抜け出せたとしても、ここから最寄りの交通機関まではかなりの距離がある。再度リムジンされてしまうのがオチだ。

 ならば、と俺はシャツの胸ポケットを漁る。幸い、スマホは取り上げられてはいなかった。そう、ならば助けを呼ぶ他ない。


 カテゴリーフォルダの「並尻」グループを開き、紫月の番号を呼び出す。さしたる戦闘力を備えているわけではない紫月だが、〈短距離転移〉を駆使すれば亜衣里さんを相手取って翻弄することぐらいはできるはずだ。その間に俺は逃げ出し、祝福省に公的に通報する。それで詩莉さんはお縄だ。

 落ち着いたところで、詩莉さんに俺の気持ちを伝える。一件落着だ。ともすれば亜衣里さん共々前科が付いてしまうかもしれないが、そこは綾女家の権力でなんとかしてくれるだろう。むしろ強権によりこちらの身が危うくなる可能性すらあるので、親父にはなんとか頑張ってもらいたい。


 十回を超えたコールの末、ようやく通話が繋がる。


「…………なによ?」


 やけに不機嫌そうな紫月の声。その上背後が何やら騒がしく、非常に聞き取りづらい。


「助けてくれ」


「え? なに? 聞こえないから、切っていい?」


「待てっての! 緊急事態だ! 助けてくれ!」


 あっさり通話を切ろうとする紫月に、慌てて叫ぶ。あまり大声は出したくないのだが、死活問題なのでそうも言っていられない。


「……ちょっと、今は……」


「本当に困った時は連絡しろって言ってくれただろ! 今が正にその時なんだよ!」


「…………」


 言い淀む紫月。幼なじみの危機だというのに、いったい何をしているというのか。

 ガヤガヤと騒がしい背後。混じるチープな電子音。――あ、まさか、こいつ。


「……おい、いくらつぎ込んだんだ?」


「……あたしにも、引けない時というのはあるのよ。諭吉たちも、それはわかってくれたわ」


 たち、だと。この馬鹿、ほんとにバイト代ほとんど使いやがったな!


「ようやく光明が見えてきたところなの。もう後には引けないわ。ほら、聞こえるでしょう? 憐れな囚われウサギの「助けて」って声が。あたしが助けずに、誰がこの子を救ってくれるというの?」


「誰かが救ってくれるよ! 少なくともお前よりはスマートに! なんなら後で俺が取ってやるから!」


「あ、それとは関係ないんだけど、ちょっと今月は家計が苦しいから、しばらく夕飯は質素にするわね。それじゃ」


「あ、コラ、ちょおま――!」


 ツーツーと。

 無残にも打ち切られる通話。

……え? マジで?

 あのうさぎパンツ、マジで俺よりもゲーセンのプライズを優先したわけ?

 すぐさま掛け直すが、返ってきたのは「お掛けになった電話は、現在電波の――」の定型文だ。

……見捨て――られた? それもこんな、アホみたいな理由で?

 おいおいおい。マジか。完全にアテが外れたぞ。

 あいつ、俺が死にはしないから大丈夫だろうとか思ってるのか?

 確かに詩莉さんが相手なら命の危険まではないだろうが、命以外は全て奪われかねんぞ? 特に尊厳とか。


 まずいな。他に頼れる奴といったら――


「四条様? ご用は済まれましたか?」


「いや、まだ取り込み中で――って」


 凛と響く声に、顔を上げると。

 すまし顔のメイドさんと視線が合う。


「……なんで入ってきてます?」


「何度かお呼びしたのですが、お返事がなかったもので。万が一持病の発作でも起こされているといけませんので、失礼ながら」


 ピン、と曲がったヘアピンを掲げ、そう言う亜衣里さん。鍵破りまでできんのかよ、この人。もうなんでもありだな。本気で経歴が気になってきた。

 そして俺の心配はいいから、願わくばお宅のお嬢さんの発作をなんとかしてほしい。


「あー、いや、ちょっと急に便秘気味になったみたいでして。もうちょっとかかりそうかなー」


「まあ、それはいけませんね。便秘は大病の元といいます。今すぐ()()()差し上げましょう」


「大丈夫でした! 気のせいでした!」


 おもむろに鉄○を構え、腰だめの姿勢を取る亜衣里さんに、俺は慌てて前言を撤回した。やけに堂に入ったその構えは素人目にも無駄がなく、俺には無様にすっとばされる未来しか見えてこなかった。

 おそらく先ほども、その技で腹部を打ち抜かれ、内容物の強制排出を受けたのであろう。しかも外的な痛痒が残っていないので、たぶん鍛○功とか混じっている。もうやだこの人。

 

「では、戻りましょうか。お嬢様がお待ちですよ」


「ハーイ」


 そうして、俺の抵抗は虚しく徒労に終わったのであった。













 諦めの境地。

 亜衣里さんに先導され、詩莉さんの部屋に戻る道すがら。力なく歩く俺の表情を額縁に収めたなら、そんなタイトルが付いたことだろう。半開いた口から漏れ出るのは、乾いた笑いと有名すぎるあの歌だ。

 

「……何故イディッシュ民謡を?」


「そこが俺にとってのアウシュヴィッツだからですよ……」


 歴史的には歌の成立が先なので、辻褄が合わないらしいが。俺や仔牛にとっては些細な問題である。


 と、そんな様子の俺に何を思ったのか、立ち止まり、こちらを見据えてくる亜衣里さん。そこに浮かぶのは僅かな悲しみの色だ。


「……そんなにお嬢様の寵愛を受けるのがお嫌ですか?」


「嫌なわけではないんですが……」


 綾女詩莉。

 その異常な変態性が玉に瑕どころかひび割れだが、とても魅力的な女性である。外見はパーフェクトだ。特に尻は、今まで出会った女の子の中でもトップクラスに素晴らしい。中身を差っ引いても充分にお釣りがくる。張り、ツヤ、形、弾力と、あれだけの一品を持つ者はそうそうお目にかかれない。しりさん。名は体を表すとは、正にこのことである。


 例えば。

 例えばの話である。

 あの日、あの時、あの病院で。

 俺の心を埋めてくれたのが、詩莉さんであったのならば。

 きっと俺は、彼女を選んでいたのだろう。


「でも、俺はもう決めたんです。だから、詩莉さんの想いには答えられない」


「……左様ですか」


 たぶん、亜衣里さんはわかっている。俺が本当の意味で、詩莉さんを求めはしないことを。

 わかった上で、それでも主の願いを叶えるために、こんな犯罪じみた行いに手を染めている。それは偏に、忠誠心故にだ。

 二人の強固な絆の、その根底となる思いには多少興味があったが。だからといって、情に絆されるわけにはいかなかった。


 詩莉さんの暴走は、もう止まらない。

 頼みの綱の救援は期待できない。口八丁で引き延ばすのも、いい加減限界だろう。

 実力行使は能わない。なんの力も持たない俺では、駄目もとで逃げ出してもほんの数分で、あるいは数秒でまた亜衣里さんに捕縛されてしまう。つまるところ。

 もうあとは、耐えるしかない。詩莉さんの蹂躙に。心を強く持って。少しでも長く、溺れてしまわないように。そうしていつか、誰かが救いに来てくれるのを待つ。思い直した紫月か、もしくは他の誰かが。


 汚される寸前の少女の心持ちとは、このようなものだろうか。不安と恐怖が入り混じり、反発と抵抗を経た上での、諦観に至る感情。まったく、世の性犯罪者たちには須らく、俺と同じ体験をさせるべきであろう。そうすれば二度と、身勝手な欲望をぶつけようなどとは思わなくなるはずだ。


 部屋の前まで戻ってくる。奇跡は起きない。ギリギリの場面で颯爽と現れ、俺を救ってくれるヒーローは登場しない。

 仕方ない。腹を括るか。これからいったい何をされるのかは未知数だが、おそらく俺の想定を越えた詩莉さんの変態性が発揮されるのは確かだ。少なくとも、芯の芯だけは快楽に流されてしまわないよう、心積もりはしておこう。絶対にピーーなんかに負けたりしないんだから。


 帰還を知らせるノックをしようと、亜衣里さんが扉に近づく、その直前で。


 キィ、と。

 内側から、扉が開く。

 ひょっこりと顔を出すのは、当然だが部屋の主たる詩莉さんだ。

 その――蕩けきった顔を見て。


「冬馬、さまぁ? 遅かったですねぇ? もう、私、わたし、ワタシ、駄目みたいでぇ――」


 あっさりと、俺の決意は瓦解する。

……。

…………。

………………。

 

 うん。駄目だ。無理。

 脳内に巡るのは、ア○顔を晒して「やっぱり勝てなかったよ」とモノローグする数分後の俺の姿。

 全てを略奪される根源的な恐怖が、ぞわりと心臓を撫で。

 一もニもなく、俺は逃げ出した。


「四条様っ!」


「あっ、冬馬様ぁ」


 二人の静止の声を振り切り、一目散に駆け出す。本能が俺の足を動かしていた。

 アレは駄目だ。捕まったら最後、俺の人としての生は終わりを告げる。命は残るだろうが、本当にそれだけだ。能動的な意思を全て失った、人形に成り果てる。

 幸いだったのは、詩莉さんの変貌に気を奪われていた亜衣里さんの不意を突けたことだ。ほんの少しだが、時間を稼げた。とにかく。


 走る。長い廊下をひたすらに駆ける。道筋などわからない。呼吸の配分も無視して、ただただ足を動かす。

 無駄な抵抗なのはわかっている。より酷い結末になることも。だが、心が屈しても、体が勝手に動いていた。アレに捕まれば、俺は俺でなくなってしまう。


 そうして、広い空間に出る。豪奢なシャンデリアと弧を描く階段。吹き抜けのロビー。視界の奥に映る、荘厳な正面玄関。

 あそこを、抜ければ。


「仕方ありません……後ほど治療しますので、ご容赦を」


 そんな呟きは、意外と遠くから聞こえた。――逃げられる?

 そう思った、瞬間。

 

 ヒュン、と。

 響くのは鋭い風切りの音。同時に。


「がーーっ!!」


 右足の裏側に走る激痛。受け身など取れるはずもなく、前のめりに倒れ伏す。

 焼けるような痛み。赤いものが流れる感覚。

 見なくてもわかる。亜衣里さんの投擲した武骨なナイフが、深々と突き刺さったのであろう。


「うぐ、あ、がーー」


 尋常ではない痛み。少し動かそうとするだけで、灼熱の感覚が脳髄を満たす。

 こんなものでさえ、詩莉さんは快楽に捉えてしまうというのか。それは真実、狂気の領域にある感覚だ。


 駆け寄る二つの足音。目の前には階下へと繋がる階段。

 無理だ。もう動けない。捕まる。諦めろ。俺にしてはよくやった。最初から無理だったんだ。ーーでも。


 まだ、意識はある。


「っ! やめーー」


 なら、進まなければ。右足が動かない? まだ左足も両腕も動くだろう? だったら。

 前に進む。混濁した思考で、ただそれだけを思い、前へ。残った全ての力を掻き集めて。

 この身を、投げる。


「冬馬様ぁっ!!」


 悲痛の叫び。束の間の浮遊感。

 眼前に迫る階段の中腹に、更なる衝撃を予感して。

 ああ、これは下手すると死んだかもな、と苦笑のままに目を閉じて。

 そして。


 ガンゴンガン、と強かに全身を打ち付け。

 襲い来る、圧倒的な。

 その、感覚。

 それは。


「〜〜〜〜っ! あ、あ、うあっ!」


 弾け飛ぶ。瞼が全開になる。

 ごろごろと転がり、やがて体の動きが止まる。でも止まらない。内側からぶち撒けるように溢れ出る、それは。


「〜〜〜〜〜〜っっっ!!」


 およそ経験したことのない。

 染み渡るような。




――――快楽。

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