せんぱいと、凛子
お父さんが、もう戻ってこないのだとわかってから。
それからしばらくの間、凛子は――紗都美凛子は、記憶が曖昧な状態にありました。
あとでお母さんに聞いたところによると、昼夜問わずに外に出て、ふらふらと、宛もなく様々な場所を徘徊していたようです。お巡りさんにも、何度もお世話になったそうです。何日も見つからずに、捜索願いを出されたこともあったとか。
たぶんショックだったとか、そういった大きな感情はすでに通り過ぎていて、それでもお父さんのいない現実に自分を当てはめることができずに、その隙間を埋めるために、凛子はふらふらと、何かを探すように、彷徨い歩いていたのだと思います。
それが絶望だと、認識してしまえば。立ち止まってしまえば。
そこで自分が終わってしまうことを、凛子はわかっていたのでしょう。本当にギリギリの位置で、凛子は自我を保っていました。それは凛子が凛子であるために、必要な行為だったのです。
しまいには、目が離せなくて危険だからということで、精神病院のようなところに入れられました。そしてそこでも、凛子は脱走を繰り返したのです。
そんなある日、いつものように病院を抜け出した凛子は、どことも知れぬ道を歩いていました。次第に歩き疲れ、ふと見つけた公園のブランコに座って、なんとはなしにぶらぶらと遊ばせていた時でした。その人に話しかけられたのは。
「やあ、こんにちは。いい天気だね。こんな日にブランコを漕ぐってのは、なんだかとても理に適っているように思えるね。らしいというか。僕みたいな年寄りにも、許されるみたいな。幸い、他にお子様の姿もないようだし。だから今日ぐらいは、僕も童心に返ってブランコを漕いでもいいと思うんだ。ああ、もちろん、他にこの遊具で遊びたい、もしくは遊びたそうにこちらを見ている子がいるのなら、僕はすぐさま席を譲るよ? 順番待ちなんていらない。じゃんけんもしなくていい。僕はもう、ずいぶんないい大人だからね。喜んで譲ろう。そうは見えないかもしれないけど、僕は君の何倍もの時間を生きているんだよ。そうそう、譲るといえば、この間久しぶりに電車に乗ったんだけどね。またそれがたいそう混んでいてね。僕はほら、君と同じぐらいの背丈だろ? だからあの満員電車というやつは酷く堪えたよ。ぎゅうぎゅうに押し詰められて、身動きがとれなくてさ。地獄だったね。思わず○ボタンを押して、無双奥義を発動しそうになったよ。でも耐えたよ。僕は大人だからね。ばっさばっさと切り捨てられたらとても楽しそうだったけど、流石に自重したよ。ただ、誰も僕に席を譲ろうとはしてくれなかった。こんな見た目だからかな? でもだからこそ、譲ってくれてもいいと思うんだけどな。こんな幼気な少女が苦しそうにしているんだから。まったく嘆かわしい世の中になったもんだ。――おっと、話が逸れたね。なんの話をしていたんだっけか? ああ、そうそう、ブランコのことだ。だから僕は、その鬱憤を晴らす意味も込めて、少しぐらいブランコに乗ってもいいと思うんだ。ね、どうだろうか?」
「……はぁ」
いきなり現れてそう捲し立てるその人に、凛子は気のない返事をしました。その人は――なんといいますか、よくわからない印象を持った人でした。見た感じは、凛子と同年代ぐらいの小さな女の子なのですが、雰囲気は老練しているというか、達観しているというか、でもやっぱり幼さも残っているような、掴みどころのない、不思議な印象を感じさせる人。
そして凛子の返事などどうでもよかったかのように、その人はとなりのブランコを漕ぎ始めます。なんで聞いたのでしょうか。まあ、元々凛子の許可など必要ないのですが。
「お、意外と楽しいねコレ。ブランコとか、何十年ぶりだろ」
調子が乗ってきたのか、立ち漕ぎまで始めます。ひとしきり楽しんでから、また座り直し、ゆらゆらと自然な揺れに身を任せるその人。……なんなのでしょうか。危ない系の人なのかもしれません。話してはいけないタイプの。病院近いですし、お仲間さんかもしれません。
自分が危ういバランスの上に成り立っていることを、凛子は自覚していました。いわゆる精神障害者の、一歩手前のあたりの。ふとしたきっかけで崩れてしまうような、脆い状態。正直、誰とも話したくはありません。現実を指摘されたり、復帰を促されたりすれば、おそらく凛子はもう、戻ってはこれないでしょう。
それからしばらく凛子とその人は、何を話すでもなく、公園の風景を眺めていました。誰もいない公園。ブランコとすべり台、あとはベンチがいくつかあるだけの、小さな空間。
凛子はお父さんのことを考えます。何度も何度も考えてきました。優しかったお父さん。大好きだったお父さん。どうしてお父さんは、凛子の前から姿を消してしまったのでしょうか。凛子のことが嫌いになったのでしょうか。何かの事件に巻き込まれたのでしょうか。どれだけ考えてもわかりません。そして小さな、無力な凛子にできることは、何一つありませんでした。
「探し物が見つからない」
びくん、と。
唐突な呟きに、凛子は体を跳ね起こします。となりの不思議な人。思いに耽っていた凛子は、すっかりその存在を忘れていました。そうでなくても、よくわからない印象の人。なんだか、それが当たり前のような。「忘れられる」ことに慣れているような、その人。
「そんな顔をしている。いやね、君みたいな子はたまに見かけるんだよ。ずっとずっと探している、求めているものがあるのに、どうしてもそれが見つからない。頑張っているのに。そんな自分は、世界で一番不幸な存在なんじゃないかって、そんな顔さ。でもさ、君は」
その曖昧な、笑いながら咎めているような視線が、凛子を捕えます。口調は穏やかに、されど糾弾するような。真実を浮き彫りにするような、色のない瞳。
「君は本当に、何か具体的な努力をしたのかい?」
「――っ」
酷い。酷い物言いです。なんで見ず知らずの変な人に、そんなことを言われなくてはならないのでしょう。凛子のことなんて、何も知らないくせに。凛子の壊れてしまいそうな思いを、欠片もわかっていないくせに。
「っ、凛子は、お父さんを探して、頑張って――」
「そうだね。君は頑張った。もちろん、ただ警察に捜索願を出しただけなんてことはないよね? 尋ね人のビラを作って、駅前で何日も配った。雨の日も風の日も、毎日必死に呼びかけた。ネットでホームページも作った。アクセス数を増やすために、毎日欠かさず更新した。テレビ局にも飛び込んで、自分の容姿を売り込んで、短い時間だけど全国で放送してもらった。当然、興信所にも依頼してある。費用を捻出するために、君は年齢を偽ってアルバイトをしている。昼も夜も、休まる時などない。うん、そうだね。やっぱり君は、頑張っているね?」
「……う、あ……」
何も、言い返すことはできませんでした。そう言われてしまえば、確かに凛子は、何もしていないのと同義でした。
その人の言ったことは、決して不可能なことではありません。何もできない凛子にもできる、具体的な行動です。
目まぐるしいほどの複雑な感情が、凛子を襲います。初めは怒り。憤り。次いで悔しさと――情けなさ。
そしてふと、気づきます。ぐるぐると渦巻く感情。そう、こんなに感情を動かしたのは、ずいぶん久しぶりのことでした。まだ凛子にも、それだけの思いが残っているのでした。
「ああ、ごめんね。別に君を虐めているわけじゃないんだ。わかっている。君みたいな年端もいかない少女には、少し酷な現実だ。何もできなくても無理はない。わかっているんだけど、どうしても突っ込んでしまうんだよね。僕の悪い癖だ。許してほしい。そうだ、お詫びと言っちゃなんだが、一ついいことを教えてあげよう。そんな君でも、まだできることはある。とても簡単なことだ」
「凛子に、できること……?」
「そうだ」
大仰に、その人は頷きます。
「君もニュースか何かで聞いたことがあると思う。もしかしたら、誰か知り合いにいるかもしれない。この世界にはね、不思議な力を持った人たちが存在しているんだ。幻想でもおとぎ話でもない、現実の話だ。神様に愛された、祝福を受けた存在が、確かにいる」
「……ギフテッド」
「そう、それだ。わかってるじゃないか。いいかい、彼女たちは、決して雲の上の存在なんかじゃないんだ。べらぼうに多いわけではないけれど、少し見渡せば、ちらほらとは存在している。すぐそこに。彼女たちに共通しているのは、何かを願ったということだ。真摯に願い、祈りを捧げたということ。ただそれだけなんだ」
「願い、祈る……」
「そう。あとはわかるね? 実のところ、僕にはそれを促すことができる。半ば強制的に。でも見たところ、君にはその必要はなさそうに思える。たぶん。君は自力で、そこに至れるだけの資質を宿している。だから、あとは願うだけだ。君の思いを。たった一つの、純粋な、本当の願いを。強く、深く。そうすればきっと、君の願いは――届くはずだ」
凛子の願い。本当の、真実の願い。お父さんを探すこと。
――いえ、違います。それは過程に過ぎません。凛子は、お父さんと――一緒にいたいのです。それに。
何度も考えた、最悪の想像。もしかしたら、お父さんはもう。
この世界には、いないのかもしれません。
本当のところはわかりません。ただ、それが真実であるならば。どれだけ願ったとしても、お父さんに会うことはできません。世界の隅々まで不思議な力で探索しても、永遠に見つけることはできません。ならば、凛子はいったい、何を願えばいいのでしょうか?
「……作る」
ひらめきが、凛子を救います。簡単な、単純なことです。そう、ないのなら、作ってしまえばいいのです。一から。いえ、ゼロから。
知っています。凛子は知っています。それは、少し難しい言い方をするならば。
〈具現〉、と表現するのです。
「――っ!」
瞬間。
思いを言葉にして、願いとして昇華させた、その刹那。
光が。眩いほどの膨大な光が、凛子を包みます。
理解します。世界の成り立ち。幾万もの思い。その一部である凛子が、世界の根底と繋がった感覚。万能感。祈りが、届いたことを。そうして。
凛子は、ギフテッドとして覚醒したのでした。
それからの凛子は、それまでとは打って変わって精力的に活動を開始しました。さっそくお父さんを〈具現〉しようとしたのですが、うまくイメージが定まりません。不明瞭なイメージでは、名状し難い肌色のぷるぷるした物体ができるだけです。そこで凛子は、段階を踏むことにしました。
色んなものを作ります。初めは飴玉一つ作るのにも苦労しました。小さな飴玉でも、それを構成する要素は多岐に渡ります。色、形、匂い、触感、味など、それら全てを綿密にイメージして再現するのは、とても困難な作業でした。
来る日も来る日も、飴玉作りに励みます。少しずつ精度を増していき、速度も速くなっていきました。力を手に入れ、目的を定めた凛子は、もう以前のように辺りを徘徊することはなくなりました。そんなことをする暇はなかったのです。そうして凛子は退院し、また自宅から学校に通う生活へと戻りました。髪と目の色が変わった凛子を見て、お母さんは少し驚いた顔をしましたが、それでもとても喜んでくれました。涙を流してぎゅっと抱きしめてくるお母さんに、凛子はたくさんたくさん心配をかけてしまっていたことを悟りました。そんなことにも、あの頃の凛子は気づけていなかったのです。お母さんを抱きしめ返すと、暖かいものが漏れて、凛子もちょっとだけ泣いてしまいました。でも、泣くのはこれで最後です。目的を完遂するまでは。そう、凛子は決意を新たにしたのでした。
ある日、退院祝いということで、お母さんの知り合いだというパティシエさんのお店に連れて行ってもらいました。パティシエなのに和菓子の要素も取り入れた作品を作る、風変わりな方だったのですが、その時に出された羊羹をベースとしたムースの繊細な甘さに、凛子は酷く感銘を受けました。
あっという間に口の中に溶けてしまったそれ。残る甘美な余韻。正に至福の時間でした。もう一度それを味わいたいと、凛子は強く思い。気づけばギフトを行使して、まったく同じものを作り出していました。口に運ぶと、寸分違わぬ甘露の舌触り。至福の連鎖です。
強烈なインスピレーションが、論理構成を上回った瞬間でした。
その後は、地道な構成要素の練度向上と、瞬発的な印象の再現の双方向から、ギフトの訓練を重ねていきます。一年が経つころには、ほんの数秒で結婚式に出てくるような豪奢な多段式ケーキを作れるまでになっていました。ですが、凛子の目的はお菓子職人になることではありません。ギフトのイメージ構成に自信を付けた凛子は、いよいよ生きものの〈具現〉に挑戦する段階に入りました。
しかしここで、問題が起こります。まずは犬や猫を作ってみたのですが、姿形はそっくりなれど、何故かそれらは動くことなく、生命というものを感じることができませんでした。
イメージが足りないのでしょうか。生命の営み。躍動する命。あるいはその魂の。
何度も何度も作ります。うさぎ、レッサーパンダ、ハムスター、イグアナ、ポニー。でもできあがるのは、本物と見紛うほどの精巧なぬいぐるみや剥製ばかりです。何がいけないのでしょう。
一旦中断して、機械類の製作に移ります。さほど時間をかけずに、トースターや冷蔵庫、自動掃除ロボットなどの家電製品から、果てはスタンガンや拳銃、ラジコン操作ドローン、自動小銃、追尾機能付きの小型ミサイルなどの危険なものまで、あらゆる物品の〈具現〉に成功しました。ある程度の学習機能を備えたメイドロボすらできました。でもどうしても、生きものだけは作れなかったのです。
半ばやけになって、お父さんの〈具現〉を開始します。参考にしたのはフルメタルな兄弟が主人公の漫画です。調整を繰り返し、見た目だけは立派なお父さんができました。真理の扉の前に連れて行かれることはありませんでしたが、でもやっぱり。
お父さんのカタチをしたそれらは、ぴくりとも動くことはありませんでした。
再びの絶望が凛子を襲います。神様は意地悪です。凛子の願いを、祈りを聞き届けてくれたのではなかったのでしょうか。足掻いて足掻いて、結局は望みを叶えられない凛子を見て、どこかでほくそ笑んでいるのでしょうか。最悪です。性悪です。どうして、こんな中途半端な力を与えたのですか? こんなことならあのまま病院で、あるいは何処とも知れぬ場所で、ゆっくりと朽ちていくだけの方が、どれだけよかったことか。
もう――疲れました。何もかも、無駄でした。どうでもいい。涙すら枯れ果てました。失敗ばかりで、それでもまだ、この物語は終わらないのでしょうか?
ああ、そうか、と。
凛子は気づきます。簡単なことです。
終わらせてしまえば、いいのです。今の凛子なら、豊富な手段で持って、それを成すことができます。そういうことなのでしょう。
ねぇ、神様。貴方には、こうなることがわかっていたんですよね? この結末が見たかったんですよね? なんて――悪趣味な人。
そう、怨嗟の呪いを呟いて。
小さな黒い球体を、凛子は作り出します。黒く光る、無機質なまん丸。付属したデジタル板に、赤く表示された数字。三桁の数字。それが単調な機械音に合わせて、一つずつ数を減らしていきます。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と。
秒を刻むその音は、終わる瞬間までのカウントダウン。
さて、残り少ない時間の中で。
凛子は何を思い、誰を呪って――逝きましょうか。
そうやって、全てを諦めた、その瞬間のことでした。
その声が、聞こえてきたのは。
「何してんだ、ちびっ子。風邪引くぞ?」
それは決して、優しそうな声色ではなく。
むしろぶっきらぼうな、つっけんどんな印象の、低い声で。
でも何故か、凛子は振り向いていました。振り向かずにはいられませんでした。たった今、全てを捨て去ったはずなのに。
その顔を、見て。
「うわ、全身ずぶ濡れじゃねーかよ。んー、紫月はゲーセン行っちまったし……まぁいいか。ほら、すぐそこ俺ん家だから、とりあえず行くぞ」
ずがーーーーんと。
極大の雷鳴が、凛子を貫きました。
一瞬で、凛子の感覚はその全てが持っていかれました。
絶望も焦燥も、懇願も諦観も、憧憬も執着も、あらゆる感情がない混ぜになって、ぐるぐると渦を巻き、余分なものを弾くように破裂して、残ったものが一つに集約されます。再構成。
ありえない、信じられないと、期待に大きく脈打つ胸の音。抑えきれない感情の波。凛子は知っています。いえ、今、正確に、理解します。
人はそれを――恋と呼ぶのです。
同時に、周囲の情報が鮮明さを取り戻します。急激に世界が色付きます。
見知らぬ住宅街。野ざらしの雨。むず痒い寒け。水滴に途切れる視界。濡れた髪と服が肌に貼り付く、不快な感触。そして。
「……あ」
未だ時を進め続ける、真っ黒な球体。赤色の数字。そのカウントは、すでに残り二桁を切ろうとしていました。
「ん? なんだそれ。おもちゃ……にしちゃ、やけに精巧だな」
「う、あ、その……」
「あん?」
「ば、ばくはつ、します……」
「ハァ? ――――ハァ!?」
がしっ、と。
残りカウント五で、彼は球体を凛子から奪い取り。
「うおおおおおおおっっっ!!」
全力で、振りかぶったそれを宙空へと投げ捨てました。
ニ、一、ゼロ。
どがーーーーーーん、と。
辺りに轟音が鳴り響き、球体が内側から爆発四散します。
幸い――と言っていいのか、それは凛子ひとりだけに効果が及ぶよう、火薬の量を調整していましたので。
何もない空を震わせる他に、特に被害はありませんでした。ぱらぱらと、その細かい残骸が凛子たちに降り注いできます。
それでも、その音だけは殊の外大きく響いたようで。雨の中、何事かと、周辺住民の皆さんがちらほらと、窓を開けて身を乗り出してきます。住宅地で謎の爆発音。今日の夜のニュースには、そんなテロップが流れることでしょう。
「っ、とりあえずほら、行くぞ!」
「あっ」
無造作に、手を引かれて。
足早に、彼とともにその場を離れます。
雨に濡れた凛子の冷えた手を、しっかりと握る大きな、暖かい手。
燃えるように頬と、体が熱くなっていくのを、凛子は抑えることができませんでした。
「えっと、その、あのあの」
「なんだ? 早く逃げないと――」
「あの、その――好きですっ!」
「…………ハァ?」
呆けたような顔をする彼。
わかります。いきなりそんなことを言われても、訳がわからないでしょう。おかしいです。どうかしています。
でも凛子は、今すぐにその気持ちを伝えずにはいられなかったのです。
そうして。
その日凛子は、せんぱいと出会ったのでした。
神様の意地悪は、まだ続きます。
お父さんを失って、絶望の末にようやく巡り会えたせんぱい。凛子の運命の人。しかしせんぱいには、他にも思いを寄せてくる女の子がたくさんいたのです。
どうやらせんぱいも、凛子と同じ不思議な力を持っていて、それが原因で様々な異性から好意を向けられているようなのです。
確かに、急激な感覚でした。せんぱいに出会った瞬間、脈絡なく、凛子は心を鷲掴みにされました。でも、そんなこと関係ありません。
知っています。凛子のこの思いは、本物です。例え最初は作られた偽物だったとしても、今となってはもう、それは凛子の一部として完全に組み込まれているのです。
新たな目標を定めた凛子は、積極的にアプローチを開始します。なんたって、他に邪魔な女が四人もいるのです。うかうかしてはいられません。
実のところ、しゅり先輩たちのことはそれほど嫌いなわけではありません。むしろ凛子のことを可愛がってくれるので、好きな方です。いい友達になれたのでしょう。せんぱいのことさえなければ。
ですが、身を引くわけにはいきません。せんぱいは凛子の全てです。それは、他の先輩たちも同じようでした。
だから正々堂々と、凛子はせんぱいを落としにかかります。ルールに則って。本当はがむしゃらにせんぱいを求めたかったのですが、残った僅かな理性で気持ちを押し止めます。それが同じ人を好きになった先輩たちへの、凛子の挟持だと思えました。
ゆっくりと、時間は過ぎ去ります。それは凛子の短い人生の中でも、一際楽しい時間でした。
いろんな場所でデートして、些細なことで笑い合って。時に嫉妬して、焼きもちを焼く場面もありましたが。それすらも、せんぱいへの思いを深めさせるスパイスとなりました。凛子は、思いを募らせていきます。
もしかしたら。この猶予期間が続くことこそが、みんなが幸せになれる唯一の道だったのかもしれません。
ですが、そんな幻想はやはり長くは続きません。終わりはいつもどおり、唐突にやってきます。
意地悪な神様は、どうあっても、凛子を手放しに逃してはくれないようです。
夏休みに入って、しばらくして。
凛子は不穏な知らせを受け取ります。曰く、せんぱいの様子がおかしいと。
嫌な予感がひしひしと募ります。ちょうど凛子のデートの日だったので、凛子はせんぱいを学校に呼び出します。その時にはもう、凛子は半ばわかっていたのでしょう。何が起きて、これから何が起こるのかを。
学校に向かう道すがら。先輩のひとりを見かけます。いつも穏やかな、柔らかな笑みを絶やさない人。高等部三年の、れん先輩です。
凛子は、声をかけようとして。
遠目から、その優しげな顔を見据えて。
理解します。いつもの笑顔。そこに混じる、明らかに異質な要素。わかります。凛子には、わかるんです。れん先輩は、すでに手にしています。だって、それは。
ずっとずっと、凛子が追い求めていたものだから。
何故ですか? どうしてですか?
それは、凛子が欲しかったものなのに。
その場所は、凛子がいるはずの場所だったのに!
もやもやと、黒い感情が擡げてきて、凛子の心を支配します。今までの比ではありません。もう二度と戻れないぐらいの、それは真っ黒で、陰湿な感情。
わかっています。それはただの逆恨みです。でも凛子には、すでにお父さんを失ってきた凛子には、もう抑えることはできなかったのです。ルールとか、常識とか、そういったものは全て、凛子の中から消し飛んでいました。
学校に着いて、せんぱいを誘導します。
あの部屋に。凛子の最高傑作の一つ、「虹喰」を展開できる、あの部屋に。
そして、せんぱいを捕えます。完璧です。
これでもう、誰も凛子の邪魔はできません。
せんぱいが何かを言ってきますが、よくわかりません。不安なのでしょうか。大丈夫ですよ? ずっとずっと、ここで凛子と二人で暮らせばいいんです。
それでも、せんぱいは逃げ出そうとします。
ああ、かわいそうなせんぱい。騙されているとも知らずに。
せんぱいは、凛子といるべきなんですよ? あの人には、騙されているだけなんですよ?
ねぇ、せんぱい。
知ってますか?
凛子は、せんぱいのためならなんでもできるんですよ?
あの苦いコーヒーだって、今なら作ってあげられるんですよ?
だから、ね、せんぱい。
ちよっとだけ――大人しくしましょうね。
無骨な、回転する刃を作り出し。
構えて、振りかぶります。
刃がせんぱいの足首を切り落とす――その間際。
ぱりん、と。
虹色の空に、亀裂が入ります。
それは瞬く間に、大きく広がって。
「冬馬君っ!」
不快な声が、響き渡ります。
降り立ったのは、桃色の髪をした、邪魔な異物。
本当に――どうして。
最後の最後まで。
神様は、凛子の邪魔をするのでしょうか。凛子に、なんの恨みがあるのでしょうか。
――いいでしょう。立ち向かいましょう。打ち破りましょう。
凛子が、いちばんせんぱいに相応しいってことを。
証明してあげます。




