日曜日の食卓
「四条冬馬君、ね。うん、よろしくね」
「君ってさ、なんかちょっとかっこいいよね」
「その……会って間もないのにおかしいとは思うんだけど。あたし、君のこと、好きかも」
「一目惚れ? そうなのかな。よくわかんないや。こんなの初めてだし」
「ええっ! あの子たちもなの? 冬馬君、モテるんだねぇ」
「ふーん。別にいいけど。でも来週は、あたしと行こうね」
「ほら、そこにネズミのマークが隠れてるでしょ?」
「あはは、恋人ですか? だって。恥ずかしいねぇ」
「えー、またぁ? 約束したじゃない」
「なんか、最近……ちょっと、辛いな」
「冬馬君はさ、本当は……誰が好きなの?」
「そろそろ決めてくれないとさ、あたし、もう……」
「危ないよっ! 早く逃げなきゃ! あの子、あんな無差別に——」
「しょうがないよね。やらなきゃ、やられちゃう」
「もう、大丈夫だよ。あの子は、君のことを忘れちゃったから」
「どうしたの、そんな顔して」
「あたし?」
「あたし、笑ってるの?」
「違うの、そんなつもりじゃなくて」
「あたしは」
「あたしは、ただ、君のことが——」
「ごめん……ごめんね?」
「あたし、君のことが、好きだったんだよ?」
「でもね、冬馬君。私の好きと、君の好きは、やっぱり違うものなんだね」
「ごめんね、ありがとう」
「楽しかった——ばいばい」
胃の中がひっくり返るような吐き気に、俺は目を覚ます。
そのままゴミ箱に飛びついて、安堵する間もなく、中身を全部ぶちまける。
出しきってもまだ、体の震えは治まらず。
心臓の音が、煩かった。
少し落ち着いてから、洗面所で顔と口の中を洗う。
ゆっくり息を吸って、吐いて。
ようやくはっきりしてきた視界の中の鏡には、ひどく青白い顔が映っていた。
時計を見上げると、すでに昼を過ぎていた。
昨日はだいぶ早めに就寝したのだが、ずいぶん長い時間眠っていたようだ。
あの夢を見たのは久しぶりだった。
正直、あまり思い返したくはないのだが。
今、あの夢を見たことには、何か意味があるように思えた。
一階のリビングに降りると、喧騒が広がっていた。
「シャル、これ本当にザワーブラーテンなの? なんか色がおかしくない?」
「問題ありません。我が家ではいつもこれが出てきました」
「あ、やべぇ……忘れてた、こいつの姉貴、すんげぇ味オンチなんだった」
「シャルのお姉さんですか?」
「ああ、前にドイツで一緒に仕事してたことがあるんだが、とても人の作りしものとは思えない料理を、美味い美味いと平らげるんだよ」
「な、そんなはずは……ほら、大丈夫です。美味しいじゃないですか」
「……蒼さん、どうぞお味見を」
「いやいや、今日はこよりの歓迎会みたいなもんだしさ、ほら、主役を差し置くわけにはいかんだろ?」
「いえいえ」
「いやいや」
親父と、二人の見知らぬ女の子が何やらキッチンで騒いでいた。
時間的に、昼メシを作ってるんだろうが……何とも得体の知れない匂いが漂っているな。
「親父、今日は非番だったのか」
「おう、起きたか冬馬。ちょうどいい、ちょっとこれ食べてみてくれ」
そう言って差し出された皿には、緑色のシチューらしきものと牛肉らしき塊。
鼻をツンと刺激する匂いに、先ほどリバースしたばかりの俺はまた少し気分が悪くなってくる。
「いや、ちょっと起き抜けにこれは……ってか、その子泣きそうになってるけど、いいのか?」
二人の女の子の内、金髪の方の子が、プルプルと震えながら目尻に涙を溜めていた。
「美味しいのに……」
「あー、いや、違うんだシャルロ。あまりに美味そうなんでな、腹を空かしてるうちの息子にも食べさせてやりたくてな」
「ほらシャル、蒼さん美味しそうだって」
「あ、こよりてめぇ」
「シャル、あーんしてあげて」
「あ、あーん」
「うおぅ、こより、人の首を曲げるんじゃがふっ!」
「ど、どうですか?」
「ごほっ! ぐほっ!」
「お口の中曲げて押し込みますよー」
「うぐおおおっっっ……ごふっ」
「あ、倒れちゃいましたね」
「ボ、ボス!?」
とても食事とは思えない光景が広がり、床に倒れる親父。
白目を剥いて口から泡を吹いてるんだが、これ生きてるんだろうか。
展開が唐突すぎて理解が追いつかない。何故に昼時の自宅で、殺人事件が発生しているんだろうか。
「流石はシャルの<殺人料理長>……一撃でしたね」
「そんなギフトは持ってません! ってボス! ボスー!」
姦しい様相の女の子たち。
とりあえず水でも飲ませてやるかと、俺は流しに向かうのだった。
十分ほど経って、ようやく親父は目を覚ました。
今はリビングのテーブルに四人で座り、銀髪の方の子が作ったらしきチキンオーバーライスを囲んでいる。
「とりあえずシャルロ、お前は今後人前で料理するの禁止な」
「そ、そんな……美味しいのに……」
「あのなぁ、俺はさっき川の向こうで手を振る妻が見えたぞ? 現実を見ろ。はい、シャルロの料理禁止に賛成の人ー」
シュタッ、と親父と銀髪の子が手を挙げる。ちょっとかわいそうだったが、俺もゆっくりと手を挙げた。
「わかったか? お前とお前の姉貴の舌は、我々人類とは作りが違うんだ。そこをよく覚えておけ」
「私も人類なんですが……うぅ……」
がっくりと肩を落とす金髪の子。
えらい可愛い子だったが、その外見に騙されてこれ以上の犠牲者を増やさないためにも、妥当な措置であろう。
「蒼さん蒼さん、どうですか、私の料理は?」
「美味い。普通に美味い。シャルロに教えてやれ」
「ふふっ、よかったです、お口に合って」
何とも嬉しそうな銀髪の子。
親父に向けるその視線には、どう見ても一定以上の好感が含まれている。
悔しそうに臍を噛む金髪の子も、態度から察するに似たような感情を抱いているのだろう。
なんかちょっとイラッとするな。
あれか、他から見ると俺もこんな感じに映るのか。これは少々、自重すべきかもしれんな。
というか、いい年してリア充してるうちの親父は一体何なんだ……。
「あー、今さらだが、こいつがうちの息子、冬馬だ。そんで冬馬、こっちの大きいのがこより、小さいのがシャルロ。どっちもうちの職員だ」
「何を見て紹介してるんですか!」
なるほど。わかりやすい。
そして親父は相変わらずセクハラ三昧のようだ。いつか捕まる気がするが、弁護する余地がないな。
インタビューが来たら、「ああ、いつかやると思ってました」と答えてやろう。
「あら、わかりやすいじゃない。ね、ぺたりん」
「その名前で呼ばないでくださいっ!」
突っ込み大変だなぁ、シャルロ……さん?
欧米の血のようだが、顔立ちが幼くていまいち年齢が掴めないな。
「こよりが同級生で、シャルロが二つ上だったか」
察してくれたのか、親父が追加情報をくれる。
ほう、年上か。その割に幼いから、ハーフかクォーターなのかもな。
「よろしくね、冬馬君。こより、って呼んでね」
「よろしくお願いします。シャルロで構いません」
「蒼だ。最近父さん、って呼んでくれなくなって少し寂しい」
「ああ、どうも。好きに呼んでください」
親父はスルーだ。
紫月の言うあほぅ遺伝子がほんとに存在してそうだから、やめてほしい。
「そんで、今日は一体なんの集まりなんだ?」
部下の慰労に、ホームパーティーみたいなもんだろうか。
まさか、「今日からこの二人がお前の母さんだ」とか言い出さないだろうな? 流石に犯罪くさいぞ。
別に母さんに操を立てろとは言わんが、母親が同級生ってのはちょっとなぁ……。
まぁ見た目的には、親父はギフトで外見年齢を止めているので、そこまでおかしくはないのかもしれないが。
「ああ、まぁ色々あってな、二人を食事に招待することになった」
色々、のところで親父の目が泳ぐ。
たぶん、セクハラ関係の埋め合わせかなんかだろう。
「シャルは別に呼んでないんですけどねー」
「むっ。いえ、私も被害を受けていますので、権利はあるはずです」
やっぱりだよ。ほんとに捕まるぞ、この親父……。
「それで、紫月にでも頼もうかと思ったんだがな」
「そういや紫月は?」
「朝から出かけてる。友達のとこ行くってよ」
友達……朱里のとこか。
最近、放課後も一緒にどこか行ってるみたいだし、ずいぶん仲がよろしいことだ。
「なんで出前でも取るつもりだったんだが、こいつらが作るって言うもんでな」
「ひとり暮らしですから、慣れてますので」
「くっ……」
見事な腕前を見せてくれたこよりが、何でもないように言う。
それを横目にシャルロさんは、敗北感を露わにしていた。真面目タイプなのか、セリフのあとに「殺せ」が付きそうな人だな。
朱里とどっちが酷いのか、少し気になるところだ。
「ところでどうだ、あー、その、最近の学校とかは?」
「なんで急に久しぶりに会った親子の会話になった?」
「ノリだ」
ノリかよ。フリーダムすぎるだろこの親父。
「ぼちぼちやってるよ。今回は五人だから、ちょっと多いけど」
「そうか。ギフトは把握したのか?」
「ああ、どいつもこいつも規格外だよ。シングル、だっけ? たぶん全員それだ」
先日、たま先輩に借りたギフトの専門書に載っていた用語だ。何でも、単一の言葉で表される汎用性の高いギフト、の総称らしい。
絶対数が少なく、そうお目にかかれないので、概念としては一般にはあまり広まっていないようだが。
そうなると、あの学園にはシングルが多すぎる気もするな。中西なんかもたぶんそうだろ、あれ。
「今のとこは小中高一貫だからけっこう大きいんだけどさ、そこにシングルが六人ってのは多いのか?」
「多いというか、統計的にはおかしい。その規模でも、ひとりか二人いればいい方だ。偶然の一言で片付けるには、些か不自然な数字だな」
ギフテッドに深く関わる親父からしても、そう感じるか。
やはり何か、誰かの意図が隠されていると見るべきかもしれない。
御門学園側が、そういった人材を集めているのだろうか。
それとも俺に学園を紹介した祝福省、それも親父より上部に、何らかの意思があるのか。
あるいはその両方か。
親父はたぶん、ノリの会話と言いつつも俺に警告を促しているのだと思う。立場を保てるギリギリの範囲で。
今日休みを取ったのは、そのためでもあるのだろう。
学園側については、たま先輩にそれとなく聞いてみるかね。
「そっか。まぁ、注意してみるわ」
言外に、意図が伝わった旨を視線に込める。
親父は深く頷いて返してきた。
「あ、そうだ。一番大事な用事を忘れてたわ。冬馬、ちょっとこっち来てくれ」
立ち上がった親父が、部屋の隅へと俺を手招きする。二人には聞かせられない話か?
「お前さ、あいつらの尻のサイズ、測れるか?」
小声で、そんなアホなことを宣う親父。
至って真剣な表情だが、それは俺への注意喚起より大事なことなんだろうか……。
「親父……とうとう頭沸いたのか?」
「いやな、この後買い物に行くんだが、正確なサイズがわからんもんでな」
ああ、そこまで含めての埋め合わせ、ってことか。そして下着をプレゼントするつもりだと。
「後ろから見りゃわかるが、下着はやめといた方がいいんじゃないか?」
「何故だ? 紫月は喜んでくれたぞ」
それは付き合いが長いから、親父に変な意図がなくて完全な善意だとわかった上で、それでも渋々受け取ったんだと思うんだがな。
まぁいいか……更に変なフラグを立てるだろうが、俺の知ったこっちゃない。
「それに俺だと、触らんとわからん。それも精度は百%ではない。その点では、尻に関してはお前は父を超えたと言えるな。誇っていいぞ」
お前はワシが育てた、の顔をする親父。
喜んでいいのか微妙なところだ。
「そういや親父なら、時間止められるんじゃねぇの?」
「できるし、それが前提なんだが、あの二人の周囲に限定しても一秒が限界だ。それも恐ろしく消耗するから、交戦でも最後の最後に使う奥の手だな。ス◯ープ◯チナにはまだまだ遠い」
流石にオラオラは無理ってことか。
一見、最強に思える親父の<停滞>だが、やはり制限はある。消耗が大きいのだ。
他のギフテッドにも言えたことだが、ギフト行使の際には、一般的には精神力が消費される。数値化が難しく、質的な損耗となって現れるのだが、短時間で使いすぎたり対象が大きすぎたり、効果が常軌を逸しているほど、その消耗は大きい。その結果、頭痛を感じたり、最悪精神の崩壊を招くこともある。
親父の時間停滞はその部類に入る大技なのだろうが、そんな奥の手をこんなアホなことに使われる二人が憐れで仕方ない。
「故に、手筈はこうだ。俺がタイミングを見計らって時間を止めるから、その間に俺が胸を、お前が尻を調べるんだ。以上」
「揉んでいいのか?」
「許す」
勝手に許可を出された二人には少し同情するが、揉んでいい機会があるのなら揉ませてもらうとするか。バレたら全部親父に押し付けよう。
「では、状況開始。
二人とも、すまんが食器を流しに持って行ってくれるか?」
「はーい」
「ヤー」
親父の指示に、二人が立ち上がって食器をまとめ始める。
そしてこちらに背を向けた瞬間。
「今だ、<停滞>せよ!」
横一列に固まる二人に、俺が右から、親父が左から切迫する。
親父とすれ違い様にひと揉み、ふた揉み。親父もひと揉み、ふた揉み。
そのままズザァァァァッ、と床を滑る。
「ひゃっ!」
「きゃっ!」
再び動き出した時間にて、遅れて届いた感触に悲鳴を上げる二人。頰を染めて周囲を見回すが、何が起きたのかはわかっていない様子だ。
「K八十二、S七十六」
「K八十七のE、S七十二のA」
そんな二人を他所に、しれっと情報交換をする俺たち。
ニッ、と笑い合い、ハイタッチを交わす。
完全犯罪の成立であった。
「どうした、二人とも。早く食器を片付けてくれ」
「は、はい」
「ヤ、ヤー」
疑問顔のまま、食器を持って流しに向かう二人。
どうも、ご馳走様でした。色んな意味で。
「あ、ついでに親父さ、なんか割のいいバイトとかないか?」
「わかった、見繕っておく。それでお前は、この後どうするんだ? 予定がないなら一緒に行くか?」
せっかくの誘いだったが、俺は首を振る。
起きた時から、予定は決めていた。
「今日は、見舞いに行くわ」
そう。
今日は、あの子に会いに行こう。