その味を知らぬは
「さ、あたしはこんなものでいいでしょ。あなたたちにも話してもらうわよ」
過去の打ち明け話を終えた聖歌君は、まだ少し頬に朱色を帯びながらもそう言った。
「え、まだ続けるのかい?」
「当然です。あたしだけ恥ずかしい思いしてたら、なんか負けた気になります」
勝ち負けの問題ではないと思うのだがね。極度の負けず嫌い、なるほどこれもとーま君の言っていたとおりのようだ。
「でも凛子たちの場合、せーか先輩の言うようにただの惚気になっちゃいますけど」
「む……そうね。どうすれば恥を与えられるかしら……」
「恥て。既に目的がおかしくなってないかねぇ……」
主目的であった聖歌君の顔合わせと本心の裏取りは済んだので、できればそろそろお開きにしたい。ぼっちは長時間他者と接触すると、孤独を求める衝動に駆られるのだ。簡潔に言うとめんどくさい。
しかし聖歌君も、そう簡単には引き下がりそうにない。どうしたものかねぇ……あ、そうだ。
目的を同じくしているはずの紫月君に目配せをする。彼女もさっさと帰りたいだろうからね。
気づいた紫月君は軽く頷きを返してきた。うむ、手段は問わない。やってしまいたまえ。
「脱ぐだけで恥を晒せる存在なら、ここにひとりいるわ」
「ねぇ、待ってよ。いい加減私でオチをつけようとするのはやめてよ。私のキャラ変が著しいよ」
「あら、誰も朱里のことだとは言ってないわよ?」
「嘘だよ。絶対に嘘。邪悪な意図が透けて見えるよ」
「そう……そんなつもりはなかったのだけど。悲しいわね、友達に信じてもらえないなんて。傷ついたわ」
「えっ……ほ、ほんとに? 私てっきり、いつもの紫月ちゃんの悪ノリだと思って……」
「いいのよ。あたしが一方的に親友だと思ってただけみたい」
「親友……! ご、ごめんね。私いつの間にか、信じる心をなくしてたよ。その、どうすれば謝罪になるかな? 私にできることならなんでもするから」
「あらそう? じゃあさっさと脱いでもらえるかしら」
「返して! 私の信じる心を返してよぅ……!」
おいおい、いつものコントじゃないか。楽しそうで何よりだが、これでは聖歌君は納得しまいて。朱里君の個人的な恥は晒せたようだが。
仕方ない、次だ次。凛子君に視線を向け、次はキミの番だとの意図を込める。
しゅびっ、と敬礼が返ってきた。らじゃーです、だね。
「要は、みんなが恥ずかしい思いをすればいいんですよね? じゃあ、せんぱいとの蜜月を報告すればいいんじゃないですか?」
ふむ。惚気と大差ない気もするが、まぁ妥当かね。乳首を晒すよりはまともな案だ。そして言うからには、凛子君には自信があるのだろう。
いいだろう、言ってみたまえとの頷きを返す。
にっこりと笑う凛子君の顔に、邪悪な意図が透けて見えた。あ、まずい。早まったかね。
「ちなみに凛子は、この前せんぱいにちゃんと好きだ、って言ってもらいましたっ」
「え?」
「はい?」
これでもかというぐらいのドヤ顔を晒す凛子君に、朱里君と蓮さんが呆けた声を返す。ああ、ヤバい流れだねぇ……。
「あれ、皆さんはまだなんです? あれれー、もしかして凛子だけだったりしますー? そっかそっかー、凛子がいちばんでしたかー」
わざとらしくおどける凛子君の言葉に、ピキッ、と空気が凍る。朱里君の顔が能面のようになり、蓮さんの笑顔が貼りついたまま固まる。うわぁ、もうこれどうやって収束させるんだよぉ。
「どう思いますーしゅり先輩ー? やっぱりせんぱいは、凛子がいちばん好きってことなんですかねー?」
「ぬぬ……や、でもほら、冬馬君はきちんと全員に言うつもりだと思うし……」
「そうかもしれませんけどー。実際、しゅり先輩はまだ言われてないわけですしー」
「ぬぐぐ……」
「ねぇねぇしゅり先輩、今どんな気持ちです? どんな気持ちです?」
「うぅぅ〜〜」
「あれぇー、なんか乳首凹んじゃってませんー?」
「……ち、乳首は関係ないもん……ぐすっ」
やめたげてよぉ。もう朱里君のライフはゼロだよぉ。ほら、ちょっと涙ぐんじゃってるじゃないかぁ。
「……これが修羅場というやつね。昼ドラで見たことあるわ」
「ああ、うん、そうなんだけどね? 今やキミも当事者だからね?」
もはや恥がどうのこうのという展開ではなくなってしまった。責任の所在はあやふやだが、どうにかこの場を収める方法を考えてほしい。じゃないと、下手すると修羅場どころか惨劇を見るハメになる。
「れん先輩? れん先輩はどう思いますー?」
凛子君の勢いが止まらない。次なる標的を蓮さんに定め、あざとさ百二十パーセントの上目遣いを向ける。それにしてもこの後輩、ノリノリである。ロリロリでノリノリである。
「私は、冬馬さんを信じてますので」
対する蓮さんは、凛子君の煽りにも落ち着いているように見えた。少なくとも表面上は。背後の般若を必死にしまい込んでいるのやもしれなかったが。
「えー、でもせんぱいですよ? ヘタれて結局言えずに数年後になるまでありますよ?」
一理あるね。状況とタイミングが合わなければ、そうなる未来が易々と想像できる。
「待つのは慣れてますので」
あくまでも淡々と、蓮さんは微笑む。次第に取り戻される、いつもの蓮さんが纏う雰囲気。柳に風が如き落ち着きは、確かなものに裏打ちされた彼女の自信の表れだと思えた。
「大人の余裕というやつね。月九で見たことあるわ」
「ふむ。我々も見習うべきかもしれないねぇ」
本人の性質も然ることながら、蓮さんの場合はギフトによる補助効果もあるのだろう。精神の異常さえ、彼女は自動的に〈再生〉してしまう。
不慮の事態にも冷静を保てるのは有用だ。精神攻撃を私は耐え、蓮さんは回復する。デバフ耐性持ちが二枚も揃っていれば、たいていの状態異常には対抗できる気がするね。ハーレムの防御の要として、私も冷静沈着を標榜しようじゃないか。
「ぷー、つまんないですー。凛子はもっとこう、女のドロドロした本音と建前の応酬がしたいですー」
「凛子君凛子君、キミそれやらなかったかね? だいぶガチめのやつ。むしろ殺し合っちゃうぐらいのやつ」
「やりましたけどー。凛子が勝たないと面白くないんですー」
「あー、まぁわからんでもないがね……」
前回は朱里君を追い詰めたところで、完膚なきまでに逆転されているからね。今度は自分が有利な立場で、ドヤっとカタルシスに浸りたいわけだ。
「とゆーわけで、まき先輩にターゲット変更ですー」
「おっと、藪蛇だったかね」
凛子君の意識がこちらに向いてしまったよ。とはいえ、そう慌てることはないか。私も蓮さんのように、余裕と落ち着きを持った大人の対応をすればいいだけだ。
もちろん、つい先ほど凛子君と幼稚な取っ組み合いをした記憶など、彼方に忘却している。そんな事実はなかった。いいね?
「あ、でも凛子よりおっぱい小さい人に勝ってもあんまり嬉しくないですね」
「なんて言った今ぁーー!」
おいコラ。落ち着け私。冷静はどうした冷静は。
「や、ごめんなさいです。初等部に混じっても違和感ないお子様おっぱいに対して、凛子が大人げなかったです」
「よぅし、表に出たまえ。決着をつけてやろうじゃないか」
駄目だった。大人の対応など微塵も気配すら出せていなかった。完全にデジャヴュである。一応そんな、客観視ができる程度の理性は残っているのだが――ああもう、なんかどうでも良くなってきたねぇ。
よし、ここは流れに乗ってしまうとしよう。つまり、それこそ大人げなく自分に有利な情報を開示する。あとは野となれ山となれだ。
「ああ、でもそういえば。わ·た·し·も、つい先日とーま君に、大胆な告白をされたんだよねぇ」
「え?」
「はい?」
「あれ、そーでしたか」
再び繰り返される、茫然自失の反応。おお、これは気分がいいねぇ。越えられない壁の上から、下々を見下ろす優越感。最初からこうしていれば良かった。
「う、嘘だよ。そんな、環さんまで……」
「嘘言ってどうするんだい。ちなみに私の場合は、壁ドンからの顎クイ、接吻というゴールデンコンボだったね。いやぁ、恥ずかしい恥ずかしい」
「うぅ、そんな……そんなことって……」
心に甚大なダメージを受け、朱里君のライフがマイナス域に突入する。アレだね、悲しみの種が汚れで飽和し、ウィッチ化しそうな勢いだね。
そしてふと気づく。聡明な私は気づいてしまう。そのあまりにもな事実は、彼女に軽く絶望を引き起こしてお釣りがくるほどの衝撃を孕んでいた。まずいねコレは。ガチでヘクセンナハト待ったなしのやつだ。
私の精神が急速に落ち着きを取り戻す。幸い、まだ私以外は気づいていないようなので、どうにか戯言と意識誘導を駆使して事態を有耶無耶にして――
「わ、私だって、冬馬さんとキスしたことはあるんですからっ」
しかし膨れっ面をした蓮さんのその一言によって、計画は立てる前から雲散霧消してしまった。ああ、どうして現実とは、こうも儚く残酷なものなのか。
「――え?」
朱里君の目からハイライトが消える。うん、駄目だこりゃ。すまないがもう、私にはどうすることもできない。
「もちろん凛子もですよ。せんぱいって、キスの時は割りかしイケメンに見えますよね」
「――え?」
「わかるわ。普段ふざけてる分、そのギャップっていうのかしら。意外とまつ毛長いのよね、あいつ」
「――え?」
「あのしり先輩ですら、キスの話した時は素で恥じらってましたからね。そのあと詳細な味の感想が続いてげんなりしましたけど」
「――――え?」
「なんですかしゅり先輩、さっきからうるさいですよ? ……って、あ、もしかして……」
メンバーの視線が朱里君に集中する。かわいそうなものを見る時の、憐れみの視線だった。駄目だ、それ以上は言うんじゃないぞ。言わなければ、言葉として固定しなければ、まだギリギリなんとかなる。それぐらいの慈悲の心は、キミたちにも残っているはずだ。
「ああ、そういうこと。朱里だけ冬馬とキスしたことないのね」
「――ぐふぅっ!」
だが自称親友の情け容赦ない口撃が、朱里君のガラスハートを深々と貫き壊した。慈悲もへったくれもなかった。
「なんでトドメ刺してるんだよキミはぁぁ!」
「攻められる時に可能な限り攻める、というのがあたしのスタンスよ」
「私もびっくりのドSっぷりだねぇ!」
空気が読めないのではなく、読んだ上でそれでも躊躇わないあたり、紫月君のそれは生粋である。私程度のSっ気ではおこがましく思えてしまう。
「だいたい朱里、あなた最後の暴走を冬馬に止められてから、ろくにあいつと話してないじゃない」
「ぎっくぅ」
「ぎっくぅじゃないわよ。冬馬も冬馬でヘタレだけど、あなたも大概のものよね」
「わかってるよぅ、わかってるからもう言わないでよぅ……」
「そんなんだから乳首が凹んでるのよ」
「うぅ〜〜……ばーか、紫月ちゃんのばーか!」
「あらあら」
「とうとうしゅり先輩の語彙力が小学生レベルにまで落ちたのです」
「死人に鞭打つって、こういうことを言うのね……」
「その上アイスまで奢らせますからね」
「害していたぶって財布まで奪い取る、と。正に鬼畜の所業だね」
「なにか言ったかしら、あなたたち?」
「「「「ナンデモアリマセン」」」」
そうして、朱里君という尊い犠牲の下に、様々なあれこれは色々と有耶無耶になった。うん、私も語彙力がヤバい。
とまれ、こうして無事? 私たちは聖歌君をハーレムの一員として迎え入れたのである。
「なんにせよ、これからよろしく頼むよ聖歌君。こんなんだが、一応私たちは一蓮托生ということになるからね」
「はい。……とりあえず、誰に逆らっちゃいけないのかだけは、わかった気がします」
未だじゃれつく二人を前に、乾いた笑いを浮かべる聖歌君。アレがここの標準だと思ってもらっては困るのだが。
「ほら、いつまで拗ねてるのよ。そろそろアイス食べに行くわよ」
「つーん。優しい言葉をかけてもらわないと動けませんー」
「このあほぅ。ゴミ。クズ。くだらないこと言ってないでさっさと動きなさい」
「ただの罵倒だよ!?」
「ありがたく思うのね。冬馬と同じ扱いをしてあげたわ」
「あ、そう言われるとちょっと嬉しいかも」
「あなた本当にチョロいわね……」
ギフテッド最強格と、その最強を手玉に取る存在。
そう考えると、聖歌君の感想は正鵠を射たものであると思えた。