円環する呪い
「満足。満足ですっ」
それからものの数十分で、蓮さんはほぼ全てのスイーツを食べ尽くした。気持ちのいい食べっぷりと言えば聞こえは良いが、実際に同席した私たちが感じたのは、ただただ戦慄ばかりである。
そんなこちらの胸中など露知らずと、彼女は誰が見ても幸福の絶頂とわかる笑みを浮かべていた。口元を上品にふきふきしているのも、次なる獲物を見定めているようで恐ろしい。
「……開いた口が塞がらないって、こういうことを言うのね」
失礼な感想を述べる聖歌君だが、それはこの場の全員の心を代弁していた。もっと言ってやってほしい。余韻に浸っているので聞こえていないだろうけど。
いつも思うが、ウチの上級生コンビはギフトなんぞなくとも、充分に人間離れしているね。色欲然り、食欲然り。ポイントは「満腹」ではなく「満足」と言い放ったところだ。つまり依然として底は見えていない。
きっとこのあとも普通に夕食を食べ、その上で食後のデザートを食べ、あまつさえ夜食まで食べるのだろう。彼女の胃袋は宇宙と接続されているとでもいうのか。ほんと大概にしてほしい。
「聖歌君、アレのことは深く考えてはいけないよ。ギフトなんてものが蔓延るこの世界だ、ちょいと物理法則に当てはまらない存在がいたって、今さらおかしくはない。私はそう思うことにしたよ」
「……その方がいいんでしょうね。わかりました、そうします」
「うむ。素直なのはキミの美徳だね、いいことだ」
精神衛生上の健康のためにも、見て見ぬふりというのは案外重要なのだ。
「ではでは、小腹も満ちたことですし。恋バナしましょー恋バナ」
「おお、あの伝承に謳われる恋バナかね。青春真っ只中のリア充にしか許されないという」
「恋バナ……なんかドキドキする響きだね、紫月ちゃん」
「だいぶ認識がズレてる気がするわね……っていうか、この面子でやる意味あるの、それ?」
「対象が四条だけだものね。ただの惚気になりそうだわ」
「まぁまぁ、細けぇこたぁいいのですよ。ささ、ではせーか先輩からどーぞ。いったいせんぱいのどこを好きになったんです?」
「え、あたしからなの?」
「ほう、それは私も気になるねぇ」
「ドキドキ……」
「朱里、擬音を口にするんじゃないの。最近あなた、知能の低下が著しいわよ?」
「さぁさぁ、遠慮せずにー」
「えー……なんか恥ずかしいわね……」
ほんのりと染めた頬を、ぽりぽりと掻く聖歌君。ふむ、これは凛子君のナイス誘導だね。
先ほど議題に上った、聖歌君のとーま君への不可解な好意。それを極めて自然に聞き出す流れに持っていけた。聖歌君としても、既に凛子君には気を許している節があるし、多少突っ込んだ質問をしても問題はないだろう。
凛子君は基本お馬鹿なんだけど、意外とこういう策士な一面もあるんだよねぇ。
「なんていうか……まぁ、前から気にはなってたのよ。朱里たちからあんなにアプローチを受けてるのに、いつもどこか困ったような顔をしてたから。あー、こいつはなんか抱えてるな、って」
ふむ。そのころのとーま君は、どうにかして来たる〈デッドハーレム〉を穏便にやり過ごすことばかり考えていたからねぇ。
「あー、せーか先輩って、そういうの見過ごせないんでしたっけ」
「そんな大層なものじゃないけどね。あたしに何かできるのなら、そうしたいってだけ」
たいしたことではないとばかりに、聖歌君はそう言い切る。しかしその精神は、決して余人には持ち得ないものだ。
言うは難し、行うも難しといったところか。少なくとも私たちの中には誰ひとり、見ず知らずの他人を助けようだなんて思う者はいない。
その在り方は、どこか少しとーま君に似ていると思えた。あるいはより純粋な、概念としての救い。ナチュラルな善意の魂。
聖歌君は、目に映る困窮を救わずにはいられない。だのに彼女は称賛も報奨も、ましてや感謝すら求めてはいない。曰く自分勝手に、ただ救うだけ。だから記憶もしない。
それは正に、彼女の抱えた呪いであった。
「それで気にしてたら、例のストーカーの件があって。なんの偶然か、あいつが手伝ってくれることになって。二人で話してる内に、あいつの思いとか、根っこのところがわかってきて、ああ、やっぱりあいつはあいつなんだなぁって……うわ、ほんとに恥ずかしくなってきた」
「わーあざといですー。計算してない分余計にあざといですー」
「え、やめてよ。べ、別にそういうのじゃないわよ」
「はい、いただきましたー。教科書に載せたいぐらいのツンデレセリフきましたー」
「可愛いかよ、だね」
「あらあら、微笑ましいですねぇ」
「こ、これが天然のリア充の力なの……」
「天然の陥没とは比べるべくもないわね」
「それは関係ないよねぇ!?」
実際、恥じらう聖歌君の表情は恐るべき破壊力を秘めていた。こう、胸の奥がキュンと締まる感じだ。一歩間違えれば百合の花が咲きかねない。
そして同時に、彼女の思いの強さを知る。違和感の正体。それは決して、一日程度で成される量の感情ではなかった。私たちは誰よりも、そのことを知っている。
同じく気づいた凛子君が、笑顔を崩さぬまま、その種類だけを変える。
「それで? せーか先輩は、いったいいつからせんぱいを気にしてたんです?」
「え? だから、クラスでのあいつの様子が気になって……」
「あ、別に責めてるわけじゃないですよー。ただ、できれば本当のところを知りたいかなー、と。ね、まき先輩?」
おや、どうやら私にいいところを譲ってくれるようだ。なかなか先輩思いの後輩じゃあないか。よし、先ほどの胸部の件は忘れてあげよう。
「やっぱりあいつはあいつだった――思わず本音が出てしまったかね?」
「あ」
自分の失言に気づいた聖歌君が、はっとして口を押さえる。素直な反応だ。それ自体が裏づけとなってしまっている。美徳は同時に弱点にもなるわけだね。
「ふふ、語るに落ちましたねせーか先輩。さぁ、隠してることをちゃきちゃき吐くのです」
「えっと、その……」
しどろもどろに言い淀む聖歌君。何かうまい言い訳を考えているようだが、言葉が出てこない。元来隠しごとや騙し合いは苦手なのだろう。
「あ、せーか先輩だけだと不公平ですよね。わかりました、ではこちらもしゅり先輩の恥ずかしい秘密を教えますので」
「ねぇ、おかしいよね? どうして私だけそんな扱いされてるのかな?」
「ヒントは乳首です」
「ヒントじゃないよねそれぇ! 思いっきり答え言っちゃってるよねぇ!」
「あー、もう……わかった、わかったわよ。白状するわ」
案外あっさりと、聖歌君はその事実を認めた。竹を割ったような気風のいい性格、ととーま君は評していたが、そのとおりだね。ちょっとだけ残念である。もう少しいじめてみたかった。
「実は昔、会ったことがあるのよ。たった一日、ほんのちょっとの時間だったけど。小学五年生のころね」
「ほう。紫月君?」
「生憎そのころはまだギフトがなかったから、あたしは知らないわ。でも、確かに冬馬はたびたび家を空けては、困っている女の子を助けてたわね」
「なるほど、その内のひとりが聖歌君だったというわけかね」
過去のとーま君について、私が知っていることはそう多くはない。ただ、紫月君が断片的に語ってくれたところによると、どうも〈デッドハーレム〉を発現する以前から数多の少女と交流をしていたらしい。とんだ小学生がいたものだ。
「家族でこっちの方に旅行に来てたんだけど、ふとしたことであたしだけはぐれちゃったのよね。そのころはまだ、あたしも可愛いだけのお嬢ちゃんだったから、どうしたらいいかわからなくて。知らない土地でたったひとりで、怖くて心細くて」
「さらっと自分を可愛いとか言っちゃうあたり、キミもいい性格してるよねぇ」
「おまけに雨まで降ってきて。早くどこかで雨宿りしなきゃって走ってたら、見事にすっ転んだわ。もうパンツまでびしょびしょで、とうとう泣き出しちゃったの。――そこで、不意に声をかけられたわ。なに泣いてんだお前、って」
「あら、いいタイミング」
「凛子の時もそうでした。まるで計ったみたいに現れますよね、せんぱいって」
確かにそうだね。いつもいつも、少女の窮地に颯爽と現れるとーま君。ギフトが関係しているのかもと思っていたが、それ以前からということは、もうそういう星の元に生まれたのかもしれないねぇ。
「それでもあたしは泣き続けていたわ。そうしたら、とりあえず行くぞ、って腕を掴まれて――近くのホテルに連れていかれたの」
「は?」
「え?」
「なんですと?」
「いきなりのエロ展開に突入です?」
「エロくないわよ。なんか、そこの受付のお姉さんと知り合いだったみたい。二言三言話してから、お姉さんがあたしをお風呂に入れてくれたの」
「ああ……そうね、あいつ何故か無駄に顔が広くて、特に妙齢のお姉さんの知り合いはたくさんいたわね」
そ、そういうことかい。とーま君のことだから、てっきりもにょもにょがピーでピピーでズギューンしたものとばかり。不適切な思考なので、一部自主規制にてお送りしております。
「え、ヤったんじゃないんです?」
しかし約一名、空気が読めないのがいた!
あまりな物言いに周囲の空気が固まる。
「凛子ちゃん、めっ。お下品なの、めっ」
倫理規定に反しているので、蓮さんママの指導が入った。うん、食が絡まなければ蓮さんはまともだ。
だが凛子君の悪ノリが止まらない。
「えー、ヤった人に言われましてもー」
「凛子ちゃん? 滅っ、されたいんです?」
「ゴメンナサーイナンデモナイデース」
般若を背負った蓮さんの圧に、凛子君が押し黙る。よし、なんとか平和は保たれた。微妙な空気が流れているので、さっさと軌道修正だ。
「ささ、聖歌君続きを」
「え、ええ……まぁ、それであたしが戻ったら、四条がどこかに電話をかけていたの。たぶん警察とかだったと思うわ。それからものの数十分で、駆けつけた両親と再会できたってわけ」
「ふむ、それで惚れちゃったのかね」
「んー……気にはしてましたけどね。そのあとろくに話もせずにいなくなっちゃいましたから」
「え、名乗りもせずに立ち去ったんですか? それ本当にせんぱいです? そんなカッコいいことするとは思えないんですけど」
凛子君の評価が辛辣だ。だが残るメンバーも似たような感想を抱いているのは、表情を見れば明らかだった。
「確かに今の四条とはずいぶん印象が違うから、あたしも最近まで確証は持てなかったわ。あいつの方は、あたしのことなんかまったく覚えてなかったし。でもね、お礼がしたいって言うあたしを抑えて、あの時のあいつは去り際にこう言ったの。「いつかお前が大きくなったら、尻を揉ませてくれ。それで充分だ」って」
「とーま君だね」
「せんぱいですね」
「冬馬さんですねぇ」
「紛うことなく冬馬君だね」
「あんのあほぅ……」
満場で意見が一致した。そんなセリフを宣う小学生は、とーま君以外にいるわけがない。
「あ、でもね。呆れたのはもちろんだけど、結局見ず知らずのあたしを助けてくれたには違いないじゃない?」
「最大限好意的に解釈すれば、まぁそうかねぇ」
「だから思ったの。あたしも、あいつみたいに誰かを助けられるようなろうって。そうすれば、あたしもあいつと並び立てる存在になれるかなって」
「んん?」
なんだか話の雲行きが怪しくなったきたねぇ。
「それって、つまりですよ……」
「昔の冬馬君の影響で、聖歌ちゃんはこういう性格になったってことかな?」
「そうなるね」
なんともはや。身から出た錆というか、因果は巡るというか。
人を救わずにはいられない、聖歌君の呪い。円環を成す呪い。その根本たる要因は、そもそもがとーま君によるものであったというわけだ。
私たちを救い、聖歌君を二度救い、他にも数多の少女を救い。そしてまだ見ぬ、未来の少女たちを救おうとしているとーま君。謎は深まるばかりだ。
ねぇ、とーま君。
在りし日の、過去のキミは。
本当に、いったい、何を願ったというんだい?