Dランキング
改めて俯瞰してみると、部屋の内部は酷い有様であった。書物で埋もれたたま先輩の新たな私室。天才とは得てして日常生活を疎かにしたりするものだが、よくぞここまで放置できたものだと、呆れを通り越して感心してしまう。
踏み場のない床を本をどかしながら進み、やっとこさ簡易キッチンまで辿り着く。分け入っても分け入っても。よもや現代都市の、それも室内でかの放浪俳人の気分を味わうことになろうとは。
ミル付きのコーヒーメーカーに豆を放り込み、しばし待つ。ふわりと漂うのは、チョコレートを思わせる仄かに甘い香りだ。
ふとパッケージを見れば、そこにネコだかイタチだかの小動物のイラストが描かれていた。コーヒーに動物の絵とは珍しいな――って、コレほんとに珍しいやつじゃないか。
「はい、どうぞ」
「う、うむ」
開拓したルートを注意しながら辿り、まだ顔の赤いたま先輩にカップを手渡す。苦味と熱が喉を通り過ぎれば、ようやく彼女は落ち着いたように息を零した。
「むう……まさかこの私がこんな醜態を晒すとは……」
「たまにはいいんじゃないですか? 可愛らしかったですよ」
「か、かわ……その、できればさっきの姿は忘れてほしいのだが……」
「そいつは無理な相談ですね」
先ほどの一連の様子は、しっかりと俺の脳内ハードディスクに保存してある。また思い返してニヤニヤすることにしよう。
にべもない対応の俺に、たま先輩はもう一度深くため息を吐く。
「はぁ……いつからとーま君はそんなプレイボーイになってしまったのやら」
「そんなつもりはないんですがね」
慌てている相手を目の前にすると、逆に冷静になってしまうものだ。たま先輩を相手に一本取ったような高揚感があるのも、また事実だが。
「む……仕方ない、私もまだまだ未熟だということだね。それはそれとして、きちんと言葉にしてくれたのは、その、嬉しかったよ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。えらい遅うなってすんません」
突然エセ関西弁が出てきたのは照れ隠しだ。個人的に、何故かこの方言を用いると羞恥を有耶無耶にできると思っているのだが、どうだろうか。本場の人間には嫌われてしまうとも聞くが。
ともあれ、場当たり的な感じにはなってしまったものの、ひとつタスクを消化することができた。俺のやるべき――いや、やりたいことを進められたのは、素直に喜ばしい。この調子で残る三人にもきちんと伝えたいところだ。
お高いコーヒーを啜りながら、そう思いを確かめる。
「ところでたま先輩、いつもこんな高い豆飲んでるんです?」
独特の甘みを含んだ、シャープな苦味。確かグラム五千円ぐらいはするはずだ。
「ああ、コレかい? なに、興味本位というやつだよ」
「興味本位を実行できるその財力」
「なんならゾウの方もあるよ?」
「なんですと?」
カフェイン中毒の血が騒ぐ。まさかこんなところで、最高峰の稀少価値を持つ一品を味わえるとは。
「ただ、ひとつ問題があってねぇ」
そう言って、たま先輩が遠い目をする。視線の先は、雑多を通り越してもはや遺跡とでも形容できそうな惨状の部屋全体だ。……ああ、そういうことか。
「フンの中から捜すのと、どっちが労力使いますかねぇ……」
「む、失礼。流石にそれは失礼だよとーま君。私の部屋を汚物と一緒にしないでくれたまえ」
「そう思うのなら、せめて床が見えるようにしてくれませんかね」
「私は職場と私室はきっちり分けるタイプだ」
薄い胸を張って、ドヤ顔で宣うたま先輩。確かにギフ研の部屋はきっちり整頓されているが、だからと言って自室を汚部屋にしていい免罪符にはならないぞ?
その思惑は明け透けだ。誇らしげにすら見える彼女の顔には、「私は絶対に掃除などしない。絶対にだ!」と書かれていた。
「……わかりましたよ。今度掃除しに来ます」
「おや、そうかい? すまないねぇ、なんだか催促したみたいで」
予想どおりの笑顔が返ってくる。そう、既にこのパターンは経験済みだ。過去にひとり、このタイプの私生活がだらしない系女子とは行き遭っているのだ。
三日と置かずに腐海を再構築していた彼女の部屋。足繁く通い掃除を続けたあの日々は、砂漠に水を撒くような徒労感を覚えるものだった。
おかげで俺の掃除スキルは急激に上達した。まさかたま先輩がその類だとは思わなかったが、世の中何が役に立つかわからないものである。
「まぁ、それはそれとして。そろそろ本題に入るとしようか」
中身を飲み干したカップを適当な本の上に置いて、たま先輩がそう告げる。どうやら調子を取り戻してくれたようで、いつもの軽快な語り口調になっていた。
しかし着衣を改めるつもりはないようで、依然として白衣の裾からは縞ぱんがチラチラと見え隠れしている。俺へのサービスを継続してくれているのか、それともそのものが部屋に埋もれて行方不明になっているのか。たぶん前者を含んだ後者だと思った。眼福には違いないので、指摘はしないでおくとしようか。
俺は心の中でぐっ、と親指を立てた。たま先輩はいつだって最高です。
「今一度整理しておこうかと思ってね。キミの置かれた状況について」
「あー……やっぱりもう、知ってます?」
「うん。即座に凛子君からグループラインが飛んできたよ」
相変わらず、彼女たちのネットワークは情報の伝達が速い。
薄々は察知していた。今日の呼び出しの、本来の目的。このタイミングだ、例のあいつの件なのだろう。
「ああ、別にそう身構えなくてもいいよ。私としては、特に追求したり糾弾したりするつもりはないからね」
「そうなんですか?」
「いちいち目くじら立ててもしょうがないしね。モヤっとしてる子はいるかもしれないが……そこはまた後日、話す場を設けるつもりさ」
「……さいですか」
なんだろう、この話の中心にいるはずなのに、外堀だけで全てが決まっていく状態は。安堵半分、恐怖半分。規模はまったく異なるが、どこぞの後宮や大奥を想像してしまう。あるいは、いずれ本当にそうなるのか。
まぁ実際、俺が出ていかない方がスムーズに事が運ぶのだろう。陰ながらの女の戦いが起きないことを祈るばかりである。
「ただ、いい機会だからとーま君には、私たちの「危うさ」を知っておいてほしいんだ」
「……危うさ」
「そう。なんとなくわかってると思うけど、私たちの抱える呪いは、その全てが消え去ったわけではない。それを相対的に表す指標を考えてみたんだ。名付けて――Dランキング」
「…………」
「うむ、異論はないようだね」
きらりん、と目端を光らせてたま先輩がドヤる。ちょうど俺のギフトを名付けた時と同じ顔をしていた。この人も大概、厨二の心を忘れてないよな……。
Dランキング。そのイニシャルは、いったい何を意味しているのか。少なくとも、豆腐屋の息子の如き夢や金剛石ではないことだけは確かだが。
そうだな、俺のギフトから類推するに――デッド、デンジャーといったところか。また大層な不吉を背負わせてくれたものである。
「あくまでも暫定だがね。メンバーや状況によって順位は変動するし。それで、現時点でのランキングだけど……どうだい? 聞きたいかい?」
「聞きたいような聞きたくないような……」
「そうかいそうかい、そんなに聞きたいかい。では教えて進ぜよう」
とてもいい笑顔であった。どう返答しても、聞く以外の選択肢はないようだ。まぁいいか、どうせ俺には拒否権など存在しない。いつものことだ。
「まずは最下位。これはもう、疑う余地なく彼女だね。期待の新星、ノーブラ愛好家の星崎聖歌君」
「そんな情報まで……や、あいつも好きでノーブラだったわけではないと思いますが」
本人の知らぬ間に恥が拡散されていた。ほんとに恐ろしいネットワークだな。流石に浮かばれないので、せめて擁護はしておいてやろう。
だが、順位自体は妥当なものだと俺も思う。
「知ってのとおり、彼女には死に関する呪いがないからね。思いの強弱はどうあれ、とーま君への依存度も低いし、危険性はさほどではないと言える」
「つまり星崎は、暴走することはないと」
「おそらくはね。でも、ゼロではないよ? なにも〈デッドハーレム〉だけが、暴走を誘発させる要因ではない。元来、私たちはそうやってギフテッドになったのだから」
「……なるほど」
別の要因が星崎の感情を揺るがして、暴走を招く可能性は充分にあるわけか。それはそれで、気に留めておかねばなるまい。
「とはいえ、やはり死の呪いがないのは大きいね。多様性の観点や保険的な意味合いからも、彼女の加入はハーレムにとってメリットがある。それもとーま君の状況を知ってなお、受け入れてくれたんだろう? 正に聖女みたいな心の広さだよ」
「ええ、まぁ、ありがたいことです」
「あ、でも呪いによる執着がないから、あっさり振られちゃうかもしれないけどねぇ?」
「……そうならないよう、努力はするつもりです」
「うむ。我々ともども、大事にしてあげたまえ」
茶化しを含んだ忠告を、ありがたく受け取っておく。曲がりなりにもハーレムを統べるのならば、彼女たちを蔑ろにしてはならないと知るべしだ。傲慢たる王がそうして足下を掬われた例は、神話の時代から枚挙に暇がない。慢心、ダメ、ゼッタイ。
「次も確定で、私だね。〈束縛〉で〈デッドハーレム〉に直接対抗できるから、よっぽどの事がない限り暴走はしないと思う。他者支配系のギフトにも耐性があるしね。大切に扱うといいよ?」
「頼りにしております」
「うんうん、良きにはからいたまえ」
安定感抜群のギフト、〈束縛〉を持つたま先輩。その聡明な頭脳も合わさって、俺の彼女への信頼は最も高い。どんな窮地に陥ったとしても、彼女なら解決策を見つけてくれるように思う。
小さな体に、大きな安心。それでもたま先輩なら……たま先輩ならきっとなんとかしてくれる……!
ただ、その上で何が起こるかわからないのが、俺たちギフテッドの世界だ。いずれたま先輩の防御を突破する、規格外のギフテッドが現れないとも限らない。
故にあぐらをかくことなく、しっかりと状況を見据えること。そして想像を放棄せず、あらゆる想定をすることが大切だ。あまり役に立てない俺の、それが唯一できることである。
「その次、第四位は……ちょっと迷うけど、詩莉さんかな」
続いてたま先輩が口にしたのは、いちばんの問題児の名前であった。少々意外である。
「詩莉さんですか?」
「ああ、キミの疑念も尤もだが……ほら、彼女はさ、常にあんな感じだろう?」
あんな感じ。詳細を口に出すのが憚られる、特異な逸脱性。余人には理解の及ばぬ、独自の美意識。ところ構わず振り撒かれる、ピンク色のオーラ。
端的に言えば、変態である。それも完全に手遅れの。
「まぁ、常に暴走してるようなもんですが……」
「そう、そうなんだよ。正直判別がつかないというか、アレはアレで一種の耐性になって、免疫を獲得しているというか」
「あー……確かに」
止まることを知らない、詩莉さんの変態性欲。彼女は前回の争奪戦でも、朱里を新たな執着対象にする、という斜め上の方法で狂気の解消に至っている。いや、より深まったと言うべきか。
「狂気の常時開放、とでも呼べばいいのかね。ある意味強靭な精神を持っているから、生半可なギフトでは彼女を揺るがすには能わない。故に脅威度は低いと判断したわけだよ」
「別の脅威度はマックスですけどね」
主に俺と朱里の、精神衛生的には非常によろしくない。それはもう、ゴリゴリと正気度が削られている。
「正にキミたちが要というわけだ。是非とも二人には、今後とも上手く彼女の手綱を握ってもらいたいね」
「……なるたけやってはみますが」
ギリギリと胃が痛むのを感じる。詩莉さんに手綱を付けることなどできる気がしないし……なんなら縛られて喜ぶまであるからな、あの汎用型十八禁。
救いがあるとすれば、やはり朱里の存在か。ひとりではないというだけで、随分と心持ちは軽くなるものだ。
二人揃って汚染されてしまわないよう、上手くヘイト管理をせねばなるまい。できなかった時は、まぁ、アレだ。傷の舐め合いぐらいはできるだろう。そうしてなんとか正気を保つ。
「……あ、コーヒーおかわり要ります?」
「貰おうか」
カップの底が見えてきたのに気づき、たま先輩にも声をかける。ま、あまり考えすぎても良くないか。どうせなるようにしかならないのだ。
そう思い。俺はまだ見ぬ未来の光景を、苦味とともに流し込むのであった。