びびっ、ときたのよ
「……まぁ、一応お礼は言っておくわ」
ひとしきりの「制裁」が済んだのち、公園の地面に転がる俺たちを見下ろしながら、星崎はそう言った。そっぽを向いて少しだけ頬を染めたその仕草は、なるほどほんのりツンデレ風味の混じった可愛らしいものだと思えた。
尤も。今しがた荒れ狂う暴力の嵐に見舞われた俺たちには、それを上回る恐怖の感情が植え付けられていたのだが。
全身が余すところなく痛かった。大胸筋に限らずあらゆる部位を万遍なくバスターされた。暴虐の魔法(物理)を放つ筋肉少女は、実写版が作成されるなら迷わずスカウトされて然るべき人材であった。
げに恐ろしきは、俺や前澤はともかく中西までもがその餌食になったことだ。
俺が為す術なくボコられるのを見た中西の判断は速かった。奴はいつぞや、俺が詩莉さんのクリサンセマムにダブルフィンガー·エネマを決めた時のように、即座に〈置換〉による逃走を図った。それも、同時に前澤をこちら側にほど近い位置に転移させ、囮とした上でだ。汚い。流石中西、汚い。
だが、星崎の反応はそれをも上回った。純粋に速力と筋力でもって、星崎は転移直後の中西に追いつき、その頭をぐわしっと掴んだ。踏み切り位置の地面の土が、爆発したかのように深く抉れていた。
俺と同様にぐりんされた中西の絶望の表情は、なかなかに見ものであった。
そうして、少年を含めて四人分の半死体が転がる凄惨な光景ができあがった。――ああ、前澤はついでとばかりの腹パン一発で沈み、のちほどゆっくりと調理された。
魂の宝石を汚染され、大魔王ならぬ魔女と化した筋肉少女からは、誰しも逃げられなかったのである。
「ねぇ、ちょっと。聞いてる?」
返事ができない体にしたのは誰だと思っているのか――との恨み言は、辛うじて飲み込んだ。逆らっても何ひとつ事態が好転しないことを、俺は今までの経験から知り得ていた。
感情を溢れさせた女性を鎮めるには、どうすればいいのか。全てを肯定して、感情を吐き出させるしかない。台風のようなものだ。我々は縮こまってただ、嵐が過ぎ去るのを待つ他ないのだ。
「……聞いておりますとも」
鈍痛に耐えながら、なんとか声を絞り出す。これでも手加減はしてくれたのだろう……本気で殴られれば、内蔵が破裂してもおかしくはないのだから。
どうにか立ち上がれるぐらいには回復してきた。周囲を見渡せば、中西も同じく起き上がり、こちらに近づいてくるところであった。前澤はまだピクピクと危ない痙攣を起こしていたが……ん?
「なんか、あいつだけダメージデカくね?」
唯一の取り柄である顔面が、キュビスムの絵画が如き芸術性溢れる有様となっていた。着色は自前で用意した赤一色だ。
「ああ、うん。僕の分も肩代わりしてもらったから」
「……お前な」
よく見れば、中西の体は砂土に汚れてはいるものの、それ以外は特に外傷もなくピンピンしていた。流石はシングル、規格外の反則性能。受けた攻撃は全て〈置換〉で前澤に移していたようだ。
「姉御、あいつ全然反省してないっすよ。もっかいシメてやりましょうぜ」
「あんたからも全然反省の意が見えないんだけど? なんで急に三下の子分になってるのよ」
そりゃあノリだからだ。加えて空気感を変えて、これ以上のバイオレンスな展開を防ごうという狙いもある。
なお、反省はしているが後悔はしていない。過去に戻れたとしても、きっと俺は同じことを繰り返すだろう。あるいはもっと面白いことを。
「え、流石にこれ以上は死んじゃうと思うよー」
そして当然のように、前澤の心配をする中西。正に外道、こいつは反省すらしていない。自分が痛痒を受ける気はさらさらないようだ。
「お前との関係を見直した方がいい気がしてきたな……」
「やだなー、僕たちトモダチだろ? 持ちつ持たれつ、ってやつさ」
そのトモダチの定義に激しい格差があると思うのは、俺の気のせいではないはずだ。中西と行動を共にする時は、ゆめゆめ警戒を忘れないようにせねばなるまい。
まぁ、俺に被害が来ない分にはいいか。前澤が憐れだったが、そういう役回りというか星回りなので諦めてもらおう。
「それで、この子はどうするのー? 警察とか祝福省に突き出す?」
未だベンチに埋もれたまま、ぐったりとしている少年を指す中西。
「親父を通せばそれなりのペナルティーは課せられるだろうが……手続きが面倒だな」
流石にこれだけの証拠と証言が揃えば、ギフテッド間の諍いといえども一方的に不利益を被ったことを立証できる。ただそのためには、お役所的な煩雑極まる書類作りに、少なくない時間を割かねばならなかった。
「これだけ痛めつけたから、放置してもちょっとやそっとじゃ再犯には及ばないだろ。だがまぁ、最終的には依頼主の意向に従うぞ?」
そう言って星崎を見やる。彼女が望むのなら、それこそ法の埒外にあるこの状況を利用して、彼にさらなる私刑を加えるのもやぶさかではない。倫理的にはともかく、法的にはハンムラビかそれ以前の時代のものを適用しても、なんら問題はないのだ。
完全なる自己責任。彼にその覚悟があったとは到底思えないが、ギフテッド同士が争うというのは極論そういうことだ。ましてや自分から身勝手な思いを押しつけてきた少年には、客観的に見ても酌量の余地は皆無であった。
「んー……そうね、もういいんじゃない? あたしに直接害があったわけでもないし」
「俺ははっきりと殺害を宣言されたが……まぁ、お前ならそう言うと思ったよ」
結局のところ、星崎の根っこに蔓延る性質は善だ。これだけのことをしでかした少年のことも、罰が済んだと見てもう許してしまっている。その在り方には危うさを覚えるが、同時に多くの人間が忘れてしまった尊いものであるようにも思えた。
きっと星崎は、また少年が困っている場面に出くわしたとしても、同じように助けてしまうのだろう。
「え、ほんとにこのまま放っておくの? ちょっと甘すぎるんじゃない?」
「本人がいいって言ってるんだ。俺たちがどうこう言う筋合いはないだろ?」
「そうだけどさー」
正直に言えば、俺も中西に同感だ。再犯の可能性がゼロでない以上、より徹底的に反抗心は摘んでおきたい。
でも、星崎がそれを望んでいないのなら。俺はその思いを尊重してやりたかった。
「わかったよ。でも僕も少なからず関わったからね、保険はかけさせてもらうよ?」
「ああ、それでいい。……あんまりエグいことはするなよ?」
「うん。とりあえず縛って、と」
言いすがら懐から細い紐の束を取り出し、少年の体をぐるぐる巻きにしていく中西。何故そんなものを常備しているのかは激しく謎だったが、ろくでもない答えが返ってくるのは明白なので、突っ込むのはやめておいた。
「じゃ、あとは任せてよ。あ、先生にも報告しておくねー」
「……ほんとに頼むぞ?」
「ばいばーい」
俺の念押しには答えずに、中西は〈置換〉で少年をいずこかへと運んでいく。……ついでに転がったままの前澤も。
「……ねぇ。アレ、大丈夫なのかしら?」
「……何を大丈夫と定義するかによるな」
これ以上の身体的な拷問はしないと思うが……あのゲス西のことだ、心に消えない傷を負わせる可能性は充分にあった。あいつ男にはほんと容赦しないからなぁ……。
心の中で、軽く合掌しておく。星崎ほどではないにせよ、俺にも同情の念が浮かんできた。
少年よ、どうか強く生きるんだぞ……。
静かになった公園で、まずやらなければならなかったのは現状の回復だった。ところどころ抉れた地面はまだしも、中央に無造作に積み重なったベンチはそのままにしておくわけにもいくまい。
そして完全に忘れていたのが、白ひげの老紳士像だ。返却せねばなるまいが、当然正規にレンタルしてきたわけでもないので、その過程を目撃されると窃盗犯扱いされる恐れがあった。
仕方ないので、これはのちほど責任をもって中西にやらせることにしようと、とりあえずベンチの脇にでも立てておく。ドブ川に投げ込んだりはしていないので、どうか呪いはかけないでほしいものだ。
「こんなもんか」
おおよその位置にベンチを戻し、座ってひと息吐く。なお、俺がひとつ運ぶ間に星崎が残り三つをまとめて運んだため、さほど時間はかからなかった。ひとり引越し業者ができるな、こりゃ。
「お疲れ様」
そう言って、星崎が隣りに腰かける。その位置が先ほどよりも近くなっているのに、俺は気づいた。
「すごいもんだな。開業するなら是非教えてくれ、贔屓にするから」
「乙女に肉体労働を勧めないでよ。それに、そういうのは転移系のギフテッドが幅を利かせてるって聞くわよ?」
「そこはイメージ戦略を活用だな。筋肉少女の宅急便、マジカルパワーでマッシヴオレンジがアナタにお届け☆ ってのはどうよ?」
「どうよ? じゃないわよ。誰がそんな怪しいところに頼むのよ」
「オプションでチラリかポロリを選択できますが、いかが致しますか?」
「いかがわしい店にしないで!」
「駄目か? 流行ると思うんだがな。ダブルオプションなら一割引きとかで」
「なんなら、あんたの首を胴体からポロリさせてあげるけど?」
「もちろん冗談だ」
手刀を構えて恐ろしいことを言いだしたので、即座に言葉を翻す。そんな内臓チラリサービスは誰も求めてはいない。
星崎が盛大にため息を吐く。
「はぁ……。なに、あんたは常にふざけていなきゃいけない呪いにでもかかってるわけ?」
「そういうわけではないが……なるほど、言い得て妙だな」
常にふざけ続ける呪い。それは少女たちの重すぎる思いから逃れるために、俺が無意識に獲得した性質であると言えた。彼女たちを受け入れる選択をした今では、その形骸だけが機能しているわけだ。
そして――それはつまり。
今、目の前の少女から、俺がそういう気配を感じ取っているということで。
「まったく。真面目な話ができないじゃないの」
「結構なことじゃないか。誰もが悩まずに笑っていられる、そんな優しい世界を俺は作り――」
「お礼がしたいのよ」
俺の適当な戯言を無視して、星崎が強引に言葉を割り込ませてくる。
はっきりと響く、凛とした声。そこには彼女の揺るがない意思が含まれていた。
「気にすんな、って言ったろ?」
「あたしの気が済まないの。どうすれば、あんたにとってお礼になる?」
「ふむ。そこまで言うなら、その鞄にしまってある間違いパンツを――」
「本当に?」
オレンジ色の双眸が、薄っぺらな虚飾を貫くように俺を見据えてくる。
「本当に、それだけでいいの?」
逃れられない、と思った。
それは真っ直ぐで、純粋な感情だった。俺が尊いと思った、迷いのない彼女の有り方そのものだった。
薄い化粧を施した唇が、やけに妖艶に見えた。
その俺の視線を、星崎は敏感に感じ取った。俺の浅はかな意思など、彼女たちにはいつだって筒抜けだ。
じりじりと、ベンチの上の距離が詰められていく。
「……これがお礼になるだなんて、ずいぶん自分に自信がないと言えないわよね、って思ってたけど」
「だよな。あいつら自意識過剰だよな」
「でも、今ならわかるわ。彼女たちはね、確信していたの。だって」
そして。
とうとう、その隙間がゼロになる。
想像していたとおりの――否、それ以上の柔らかな感触が、俺の脳髄を蕩けさせた。
ゆっくりと、惜しむように紅色が離される。
「だって――あんた、あたしのこと、ちょっと好きでしょ?」
小悪魔のように微笑む星崎。
それがとても魅力的であることを、俺はもうごまかすことはできなかった。
「……お前、わかってるのか?」
だから俺は、問いかける。
俺の境遇。置かれている状況。信念。もう二度と違えないと誓った、俺の思い。そういった諸々を。
「わかってるわよ。いえ、わかってないのかもしれない。でもね、そういう細かいことはどうでもいいの。あとで考えればいいの」
淀みなく、星崎は答える。
それは感情がそのまま言葉になって出てきたような、彼女らしい剥き出しの思いだった。
「言ったでしょ? びびっ、ときたのよ」
返す言葉はなかった。
あまりに真っ直ぐな星崎の思い。
それが示される。
「好きよ、四条」
「……そうか」
理屈や言い訳が、全部吹き飛んでいくのを感じた。そうして残ったのは、偽ることのできない俺の本当の感情だった。
そう、最初から。
俺は、星崎に惹かれていた。
「……で?」
「……ん?」
「ん? じゃなくて。ちゃんと答えなさいよ」
そっぽを向いて、恥ずかしそうに星崎が呟く。
そう。それは大事なことだ。
俺は知っている。言葉に願いを託した彼女たちには、きちんと答えなければならない。それは何よりも大事なことだ。
でも。
「……あのな、俺にも恥じらいってものがあってだな」
「なによそれ。男にはそんなものいらないわよ。誰得よ?」
「それは男女差別と言う」
「いいからさっさと言いなさい」
「あー……悪い、ちゃんと言うからさ。とりあえずは」
そう言って。
怒る星崎の頬に、そっと手を添えて。
気恥ずかしい言葉を、俺はもう一度、その唇に触れさせて伝えた。
「これで勘弁してくれないか?」
「……しょうがないわね」
俯く星崎の顔は、夕暮れの空よりも赤く染まっていて。
同じように。
俺もしばらく、火照りを抑えることはできなかった。