相模朱里
相模朱里は、ことさら真面目な普通の少女である。
優等生、模範生、委員長といった表現がしっくりくるし、実際我が一年五組のクラス委員長であった。
成績優秀、容姿端麗、文武両道と、彼女を讃える言葉には枚挙に暇がない。それでいて、学園内の誰からも、彼女を妬んだりやっかんだりといった声は聞こえてこない。
対人関係においても朱里は完璧で、彼女に対する評価は全て肯定的であった。
誰に対しても分け隔てなく、笑顔が魅力的で、明るく朗らかな、そしてちょっとだけ料理が苦手な、普通の女の子。
それが俺の知り得る、相模朱里という少女だった。
俺の周囲にいる、一癖も二癖もある少女たちと比べて、朱里はとても常識的だ。
それは今回に限らず、過去に出会ったどの女の子と比べても、である。
それ故に。
俺は朱里を、最も警戒していた。
俺のギフト、<デッドハーレム>が取り込む女性たちに共通する、ただ一つの要素。それは何らかの、死に関する思いを抱えているということだ。
八回の転校を経た中で、俺が出会った少女は二十人を超える。その全員が死の思いを抱えてギフトを発現しており、ただのひとりも例外は存在しなかった。
朱里からは、その思いが一切感じられないのだ。
凛子は父親の喪失から、それを自ら創り出したいと願い。
詩莉さんは死に至る虐待に、せめてその痛みから逃れたいと祈り。
蓮さんはおそらく、自身に迫る死からの<再生>を。
たま先輩は少しわかりにくいが、<束縛>による物理的、あるいは精神的な死への抵抗を。
それぞれ願い、祈ったはずだ。
紫月にはいつも、あほぅあほぅと罵られてはいるが。
俺だって、尻のこと以外何も考えていないわけではない。その割合が高いのは認めるが。
だから朱里も、願ったはずなんだ。ならば何を?
推測はできる。恐ろしい想像だ。
彼女のギフトは、発動型<破壊>。至極単純に考えれば。
朱里は、何かを、誰かを、壊したいと願ったことになる。
それはつまるところ、他の四人のような、降りかかる理不尽な死への抵抗の思いではなく。
自ら、与える側の死を願っていることを意味していた。
あの優等生の朱里がそんな思いを抱えているようには、とてもではないが思えない。
だからもし、それを内に隠しているのなら。
隠してしまえるほど、それが日常と融合しているというのなら。
彼女はその身に、狂気と呼べるものを孕んでいる。
考えすぎかもしれない。暴漢に襲われるなど、致し方ない状況にあった可能性だってあるのだ。
だが暴走時の危険度からして、朱里には真っ先に脱落してほしいというのが、俺の正直な思いでもあった。
この恐ろしい推測が、杞憂に終わることを願うばかりである。
そうして、一巡目最後のデートは、朱里とテーマパークに行くこととなった。
日本最大のテーマパークリゾート、今回はその海の名を冠した方である。
この一週間で、俺の財布はだいぶ軽くなった。まだ月の上旬だというのに、この心許なさは少々気が滅入るものだ。
今後もしばらくはこの状況が続くのだろうから、親父のところで何か単発のバイトでも探すとするか。
距離的には、御門学園から電車を乗り継いで四十分ほど。さほど遠くもなく、俺たちと同じような学校帰りの制服姿もそこそこの数がいた。
なお、御門学園高等部では土曜日も二コマ目までは授業がある。とはいっても選択制なので、週休二日を選んでいる生徒も多数いるのだが。
朱里はもともと授業を入れており、俺はたまたま補講があったため、今日はどちらも登校していた。
日替わりデートは今週の火曜日から始まったため、ルール上は朱里の番は来週の月曜日となるのだが。
せっかくなので、今後のスケジュール的にもわかりやすかろうと、それを繰り上げた次第である。
入口の手荷物検査を終え、チケットブースを見ると、なかなかの人数が列を成していた。昼過ぎながら、流石土曜日とあって客数は多いようだ。
まあ仕方ないかと列に加わろうとすると、朱里にくいっと袖を引かれる。
「もうネットで買ってあるから、大丈夫だよ」
やはり優等生、用意のいいことである。
あー、しかしこういうの、ほんとは俺がやらなきゃいけないんだろうなぁ……。
せめて代金はと財布を取り出すが、朱里はふるふると首を振る。
「私が来たいって言ったんだし。気にしないでいいよ」
「いや、そういうわけにもなぁ」
流石に年上でもない女性に金を払わせるような教育は受けていない。
正確には、美尻には金を惜しむな、それは金で買えるとは限らない。親父の言葉である。
「うーん。あ、じゃあ、来週は冬馬君持ちってことで」
少し悩んだ素振りを見せ、にっこりとそう言う朱里。めっちゃいい子だった。
どこかのうさぎさん愛好者とは大違いである。事あるごとに俺の財布を狙うあいつには、是非とも朱里の爪の垢を飲ませてやりたいものだ。
「何か乗りたいやつとか、あるのか?」
「そうだね、冬馬君は絶叫系とか、大丈夫な人?」
「まぁ、人並み程度には」
実のところ、三年ほど前までは、ビッグ○ンダーですらアウトだったのは内緒である。
強引に乗せてくれたある少女のおかげで、幼少期からの苦手意識はいくらか薄れていた。
「朱里は好きなんだ?」
「うん。ドキドキするの、好きなの」
そう言う朱里に一瞬、詩莉さんの蕩けた顔が重なって見えるが、すぐさま打ち消した。
どうやらたいがい、俺も毒されているらしい。朱里のは、そういう意味じゃないからな?
「じゃあ、こっちだね」
迷いなく歩を進める朱里に、並んでついていく。
その足取りは確かで、おそらく何度も来たことがあるのだろう。
デートコースとしては定番なので、俺も何度か来たことはあったが、流石に道を覚えるまでには至っていない。
せいぜい、やたら喋るカメの中の人の違いがわかるぐらいだ。
そのことを教えてくれたあの子を少し思い出す。
年パス勢であった彼女は、他にも道に隠されたネズミの意匠や、アトラクションの持つ物語上の設定など、細かい知識で俺を楽しませてくれた。
気象観測所を模したアトラクションの閉鎖にも、世界観が崩れると憤慨していたな。
彼女は今、何を思っているのだろうか。
浮かぶのは最後の日の、泣きながら笑うくしゃくしゃの顔。
散々な終わり方をしたあの日から、彼女は病院のベッドの上で、虚ろな瞳のまま、何も語ってはくれない。
医者によると、精神的な損傷を受けた脳の防御反応から、外界への反応が極端に薄くなってしまっているとのことだった。
月に一度、俺は自戒の念も込めて彼女を見舞っている。
しかし、およそ三年経った今でも、回復の兆しは見えていない。
いずれ、蓮さんに頼んでみようかとも思うのだが。
果たしてそれを、彼女が望んでいるのかと思うと、どうしても二の足を踏んでしまっていた。
と、不意に頰が摘まれる。隣を見ると、そこには唇を尖らせた朱里の顔があった。
「むー。他の女の子のこと、考えてたでしょ?」
少し不貞腐れたように、そう言う朱里。
……しまったな。今考えることではなかった。
しかし何でそういうのわかるんだろうな、この子たちは。
女の勘というやつだろうか。
もしくは、男の察する能力が低すぎるんだろう。情動を主軸に据える彼女たちは、総じて内情の機微に驚くほど敏感だ。
こういう時は、相手にもよるが、下手にごまかしたりはしないほうがいい。だいたいは失敗する。
気取られた時点で、勝敗は決しているのだ。無様にあがけばそれだけ傷は深くなり、その修復に多大な労力と資金を要することとなる。
故に、ここは平謝りの一手だ。言葉はタダだしな。
……何だか、浮気慣れした優男みたいな気分になってきたな。そんなチャラしい奴には、まだなっていないと祈りたい。
「すまん、ちょっとだけ思い出してた。あ、ほら、ポップコーン買っていこうぜ。いろいろあるけど、やっぱりキャラメルが一番だよな」
「……もう、次はないからね。今日は私の番なんだから、ちゃんと私を見てて」
嘆息しながらも、存外あっさりと許してくれた朱里に安堵する。
詩莉さんなんかは、ここぞとばかりに「では謝罪の証明に、膜を——」などと言い出してくるので恐ろしい。
ポップコーンを買ってくると伝えると、朱里はその間に花摘みに行ってくるとのこと。
売り子のお姉さんに三百円を支払い、男女別に別れた建物に背を向けて朱里を待つ。
ポップコーンを齧ると、キャラメルのカリッとした食感と甘みに加え、仄かな苦味が口に広がっていく。
実のところ、凛子のお気に入りレパートリーに入っているため、つい先日にも食してはいたのだが。それもお高いギャ○ットのものを。
なお、同系統のものとしては、ポン菓子のほうが好みである。あのぐらいの素朴な甘みが俺にはちょうどいい。
ただ、無糖コーヒーと同じく凛子には伝わらなかった。ジェネレーションは離れていないはずなのだが、俺の嗜好が古臭いのだろうか。
あるいは凛子が幼いのか。たぶん両方だろう。
そんなことを考えていると。
「おまたせ」
右腕に、何やら心地よいふよんとした感触を感じる。
見れば、花を摘み終えた朱里が俺の腕を取り、その体をぴったりと押し付けてきていた。
サイズ的には、紫月と同程度か、それよりもやや大きめといったところ。三年生の二人とは比べるべくもないが、しっかりと存在を主張できるだけの膨らみがそこにはあった。
うむ。悪くない。
朱里にしては少し大胆な行動だが、その顔からは先ほどの回想浮気? の件から、「これくらいはいいでしょ」とでもいうような思いが見てとれた。
あててんのよ、である。
ふよふよに挟まれながら、連れ立って歩く。やっぱり少し恥ずかしいのか、朱里の顔はほんのりと赤い。
ちなみに蓮さんや詩莉さんだと、挟まれるというか埋もれる。あれはやばい。理性を保つのがギリギリだった。
できることなら尻に挟んでほしかったが、その光景は想像するだに、あまりにもシュールなので諦めておこう。是非いつか実現したいものではあるが。
「冬馬君は、ちょっと思考が欲望に忠実すぎるよね」
そんな俺の思いをまた読みとったのか、朱里が呆れた感じの声を出す。
そんなにわかりやすいのかね、俺の思考は。
「冬馬君が後ろにいると、なんかお尻がむずむずするもの」
「あー、女の子って、そういうどこを見られてるってのがすぐわかるっていうしな」
「うん。視線でお尻が焼けちゃいそうなぐらい、遠慮ないし。
私たちはまぁいいけどさ、他の子たちにはちょっと加減したほうがいいよ。変態さんにしか見えないと思うから」
「朱里さんや。俺はな」
ことさら真面目そうな顔を作り、俺は告げる。
「エロには誠実でありたいと、常々思っている」
「それは誠実と言っていいものなのかな……」
「もちろんだ。そこにエロの兆しがあれば、俺は躊躇わない。よくそれをひた隠しにするむっつり野郎どもがいるが、そんなものはナンセンスの極みだ。俺はエロを全面的に肯定する」
キリッ、とドヤ顔で宣言する。
「あ、うん……そうですか」
朱里さんの密着度が下がった。
しかし気にせずに俺は続ける。
「そもそもが、人類の発展とはエロとともにあった。それは技術の進化に付随して、否、技術のほうが、エロを求めて進化したものと言える。
活版印刷然り、インターネット然り。それらは異常な速度で我々の文化に浸透した。何故か。エロを迎合するためだ」
「えっと、活版印刷は確か聖書の——」
「故に!」
朱里の言葉を遮り、俺は声を上げる。
教科書に書かれている歴史が絶対に正しいわけではないのだ。
「そこにいい尻があれば、俺はそれを愛でるのに何の躊躇もない。例えば——」
俺たちの少し前を歩く、大学生らしきカップル。その女性の尻に視線を集中する。
「あのロングスカートの大学生。サイズは八十六となかなかのもの。大人しそうな挙動に反して、今日は夜に向けて気合いを入れているのか、なんとTバックだ」
この後はホテルにでもしけ込むのだろう。何の憂いもなく。
それが即ゲームオーバーに繋がる俺としては、羨ましい限りである。
「……そ、そうなんだ」
朱里さんはだいぶ引き気味だ。
これで幻滅してくれればいいのだが。
なお、流石に色まではわからないが、尻の形から下着の形状を推察するのは朝飯前だ。
誠実かつ真摯な訓練の賜物であった。
「ちなみに朱里は、八十三。今日は横縞のストライプ」
「っ、何でわかるの!?」
ばっ、と腕をほどき、真っ赤な顔をして尻を押さえる朱里。
模様は当てずっぽうだったのだが、どうやら当たったようだ。流行ってるのか、しましま。
いや、たま先輩から通達がいってるんだったな。別にそれ限定で好きなわけではないんだが……。
「もう、完全に変態さんだよね……。ほんとに、どうしてこんな人好きになっちゃったんだろう……」
さめざめとため息を吐く朱里。
そこはまぁ、俺のギフトのせいということなのだが。
正直なところ、朱里たちとの出会いには、何か特別な印象があるわけではない。たまたま会う機会があり、そこでギフトの条件に合致した彼女たちが囚われたという、ただそれだけのことだ。
ああ、詩莉さんだけは別だ。あんな出会いはそうそうあってたまるものではない。
……何だか少し悲しくなってきたな。
紛れもない事実とはいえ、やはりギフトなくして、俺は朱里たちに好意を向けられることはなかったのだろう。
いいけどね。慣れてるしね。
「あー、<貴方を愛死てる>だっけ? 環さんもまた、言い得て妙な名前をつけるよね」
俺の表情から察して、しましま情報と同じく、たま先輩より伝わったギフト名を告げる朱里。
恥ずかしいのであまり往来では口にしてほしくないのだが。
「まぁ、そういうわけだ。前にも説明したと思うけど、やっぱり朱里たちの好意は不自然に作られたものなんだよ」
フラグを立てた覚えもないしな。
どこぞのトラブルまみれのRさんもびっくりの乱立具合だ。
「うん……そうだね。一目惚れ、って言葉で片づけるには、確かにちょっとおかしいとは思う」
「そうだろう? 俺も自分で言ってて悲しいんだが、特にモテる要素が見当たらないんだよな。強いて言えば身長が高いとこぐらいか」
それで多少は補正が付いているのかもしれないが、尻関連の嗜好でトータルではマイナスだろうしな。
改める気は一切ないが。
「——でも、それでもいいと思うんだ」
歩みを止め、はっきりとそう言う朱里。
その言葉に、すうっと空気が変わるのを感じる。
俺も足を止め、朱里の言葉を反芻する。
それでもいい?
馬鹿な、自分の気持ちが操作されているんだぞ?
「きっかけはともあれ、ってやつだよ」
じっとこちらを見据える朱里の視線は、冗談を言っているふうではない。
いたって真面目に。
真理を告げるが如く、言葉を紡ぐ。
「だってさ、今まで誰か一人でも、冬馬君のギフトを説明されて諦めた子っていた?」
「いないけど……それはギフトの効果であって——」
「それもあると思う。だけど、それだけじゃないんだよ。うまく説明できないけど、そうだね、冬馬君のギフトは、過程を少し早送りしているんだと思う」
「早送り?」
どういうことだ?
時間操作なんてレアな技能が、俺にあるとは思えないんだが。
「うん。冬馬君に好意を持つ可能性のある女の子にきっかけを与えて、なんか気になるな、好きかな? から、好きかも? 好きだ、までの過程を凝縮してるって言えばいいのかな。
だから、手当たり次第じゃなくて、最初から好意を持ち得ない子には、効果がない。そして普通はもっとゆっくりと育てていくはずの恋心を、加速させているんだと思う」
それは——そんな考え方をしたことはなかった。
確かに、俺のギフトの効果対象は、はっきりとはしていない。
死の思いを抱えたギフテッドという、それ以外の条件があってもおかしくはない。
ただ、その考えは。
少なからずの、俺への好意があるという条件は。
——俺のこの三年間を、根底から破壊せしめるものだ。
「それは厳密には、恋とは呼べないのかもしれない。
最初のきっかけは強引に、押し与えられたものなのかもしれない。
でも、それでも——」
その桃色の瞳が。
真っ直ぐと。
溢れるように、思いを告げる。
「この切なくて、苦しくて、壊れてしまいそうなほどの思いが。偽りだとは、どうしても思えない」
感情が。
奔流となって、俺を貫く。
それは、彼女の偽らざる、真摯なる思いで。
俺の心を揺さぶる、確かな真実だった。
「……そう、か」
震える唇で、ようやくそれだけの言葉をこぼす。
渦巻く感情に、思考がまとまらない。それだけの衝撃を、思いを、朱里の言葉は含んでいた。
数多の少女たちの思い。
それを俺は偽りだと決めつけて。
向き合わず、やっぱり、ただ逃げていただけなのだろうか。
だとすれば結局、俺は最初のころから何一つ前に進めておらず。
閉じこもった部屋から、一歩も踏み出しておらず。
斜に構えて、わかったようなふりをして。
彼女たちの思いを、蔑ろにしていたというのか。
「——あ、ごめんね。そんな、責めるつもりじゃなくてね」
焦ったように、俺を気遣う言葉をかける朱里。
それは真実、本物の感情で。
演技や取り繕いでは、決してなかった。
死の思いを抱えているから?
危険なギフトに目覚めているから?
目の前の少女は、ただ俺を心配しているだけじゃないか。
どうして、警戒する必要があるっていうんだ。
「ほんと、ごめんね。せっかくのデートなんだから、ほら、楽しもう?」
「……ああ」
柔らかな笑みが、突き刺さるように痛い。
何とか平常を装いながらも。
俺はどうしても、この後物理的に落下するアトラクションに乗る気には、なれなかった。