第99話 大森林《エルステルダム》へ
【穀雨月】の空は、低い。
泣き出しそうで泣き出さない、そんなお空なのよ。 時々、雲間の間から、天空への光の階段が降りて来てる。
ずっと続く、街道の途中休憩で、ボンヤリと雄大な景色を眺めていたの。 タイガの森と、緑の絨毯。 青い水面に漣を浮かべる湖沼。 ゆく風は、水気を含み。 頬を撫で心を安んじ、植物の葉裏に、そよぎ 精気を与える。 そこここに精霊の息吹を感じ、心豊かな気分になるよね。
はぁぁぁぁぁ~~~~~。
深い深い溜息が出ちゃったよ。
頭の中に流れる音楽は、市場に連れて行かれる、子牛のBGM。 此処は、もう国境近く。 ノルデン大王国、王都グレトノルトは遥かなり。
「そろそろ、出ます。 ソフィアさん、お戻りください」
「はい」
背後から、柔らかな声がするの。 賢者エスカフローネ=ウッダート様の呼び声なんだよね。 質素だけど、見る人が見れば、物凄く豪華な乗り物が、純白のユニコーンに繋がれて、私の歩く先に物凄い存在感を撒き散らしながら存在してた。 アレに乗んなくちゃならんのよ。 はぁぁぁぁぁ~~~~~。
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あの舞踏会から、二週間が経ってる。 サリュート殿下は、私を故国に連れて帰ろうとしてたんだけど、それを阻止したのが、 《 エルステルダム 》の森の賢者こと、賢人の長 聖賢者ハイエローホ様だったの。
「エルガンルースの王子だったかの? おぬし、ソフィア嬢ちゃんを……、 殺す気か?」
ってね。 えっ? またなの? ってな事、思っちゃったよ。 なんでも、私から漏れだした、アレ……、 かなりの妖気だったらしい。 で、このまま、私が人族の中に戻ると、ちょっとヤバイらしいんだ。 私がじゃなくて、周りがね。 そんで、誰かが、私の周りの異常の原因が私自身から出る妖気だって、知っちゃったら、殺されかねないって……。
半妖だからって、理由でね。
ちょっとばかり、《エステルダム》で修行して、ニンゲンモドキになれるようにしてあげようって、提案されてね。 渋々、サリュート殿下は、了承されたって訳よ。 エルヴィンは引き続き、ノルデン大王国で留学して、法典の神髄を学ぶことになったの。 なにか、へし折れたような顔してたね。 期間はあと一年だそうだよ。 本格的に鍛えて貰えそうだよ。 エルネスト法務長官が請け負ってくれたんだ。
ガンバレヨ…… エルヴィン!
別れは突然だけど、もうそろそろ潮時だもんね。 ユキーラ姫も判ってくれた。
「いつでも、いらして下さいね。 ノルデン大王国の王家の者は、皆、ソフィアをいつでも快く迎えますから。 いつでも……、 何時までも……。 わたくしの朋……」
半泣きで言われても、困ってしまう。 ユキーラ姫は、ミャーとも同じように別れの言葉を交わしていたんだよ。 あの二人は、本当の従妹同士だからねぇ……
そうそう、ミャーと言えば……
侍女として、私に付いて来てくれたんだ。 二度と離れないって、凄い鼻息だったよ。 ナイデン王国の獣王陛下とも、ユキーラ姫とも、血縁関係が判明してからも、より一層、仲良くなったから、良いんだって。 表立っては、公言しないけど、真実は変わりないから、それでいいんだって。 それよりも、私から目を離す方が、嫌なんだってさっ!
ナイデン大公閣下が、獣王ツナイデン陛下と、ミャーの間を秘密裏に取り持ってくれるって。 あの、ミャーの母君の耳輪は、そのままツナイデン陛下にお返ししたって。
「母は、此処に居ますから。 それに、獣王陛下も、ユキーラ姫も、いらっしゃいますので、大丈夫です、寂しくありません」
そう言って、胸に手を当てるミャーを、ツナイデン陛下は優しく見ていたよ。 まぁ、なんだ。 何とかなったと思う。 ミャーが危なく無い様にさえしとけば、ナイデン王国とは、友好関係を築ける様な気がしたんだ。
見詰め合う、ミャーとツナイデン陛下を眺めなら、そんな事を考えていたら、ナイデン大公閣下が、そっと耳打ちしてくれたんだ。
「大丈夫です。 私が付いておりますから。 悪い様にはしません。 ええ、必ず」
だとさ。 頷いてから、囁き返したんだ。
「頼りにしております、大公閣下。 愛を与えてくれる方が存在する事は、大きな力になります。 きっと、ミャーも、そう思っていると、信じております」
ナイデン大公様は、頷いて同意してくれた。
そして、私は、大森林の国、《エルステルダム》に向かう事になったんだよ。 あの、高貴な御方と ” ご一緒 ” になっ!
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「あの、聖賢者ハイエローホ様……。 この手は、何でしょう?」
ここ暫く、このエロ爺、私の隣に座って、手やら太ももやらをサワサワして来るの。 真向いの席にミャーが座っててね。 射殺さんばかりの視線を聖賢者ハイエローホ様に向けてんの。 その両隣に座っているのが、賢者ミュリエ様と、賢者エスカフローネ様の御二人。
なんと、この馬車の中に賢者が三人。 下手すりゃ、世界の終わりを見る事になるかもね。 魔法馬鹿のマーリンが見たら、卒倒するか、土下座するね。 確実に! で、このエロ爺、ほんと、ずっと触ってんのよ。
「そう怒るな、ソフィア。 なに、ちょっとした検査じゃよ、検査。 ソフィアは何も考えんでもよい」
「未婚の淑女の身体を軽々しく御触りになるのは、如何なものかと?」
「若い肌は、ええのう。 心が洗われる様じゃ……。 その内に漲る魔力も、素晴らしいの」
「聖賢者さま!」
「フォフォフォフォ、怒るでない。 またぞろ妖気が漏れ出すぞ?」
「も、もう!」
「それにな、ソフィア。 何度も言って居るじゃろ? わしの事は、ハイエと呼べと」
「しかし、それは、余りに……」
「儂が許して居ろう? 問題は何もない。 であろう、ミュリエ、エス」
渋い顔をしている、御二人。 流石の賢者様でも、聖賢者ハイエローホ様には何も言えない御様子なんだよね。 そんで、お二人はミャーを抑えるのに必死。 なんで、馬車の中でピリピリモードなんだよ! つ、疲れる……
「……時に聖賢者様…… わたくし達は何処に向かっているのでございますか?」
「森じゃ。 黒い森に向かう。 ソフィア……真面目な話、お前の今の様子からは、危険な香りしかせん。 時に触れ、漏れだす妖気は、さながら、魔人族のそれと同様か、更に強い。 下手な魔獣など、近寄れもすまい。 そのような状態で、人族の住まう場所に戻れば、要らぬ争いが起きる事必定。 ……黒き森にて、その妖気の制御を学ぶがよい」
聖賢者ハイエローホ様の言葉に、賢者ミュリエ様が眼を丸くして、そして、息を飲んだ。
「老師よ! 誠に御座いますか!!」
「本気じゃよ? この幼子はそれ程の者じゃよ。 なに、心配はいらん。 儂がついておるからの」
「……御意に……」
黒の森…… なんか、厄介な所らしいね。 この際、知らないって事で、放置しておくかぁ……。 まぁ、【処女宮】での、御茶会の話のタネに、少しばかり調べては居たんだよね……。 アレが役に立つのか。 勉強した甲斐があったって事だよね……。
しかし、黒の森とはねぇ……。
そんな会話をしつつも、このエロ爺は、また、サワサワ触って来てるんだ。 ほんと、何処まで堂々とセクハラするんだよ! ほら見ろ、ミャーの眦が、ジリジリ上がって来てるじゃないか!!! この子を怒らすと、ほんと厄介なんだよ!!!
馬車の行く先が、深く大きな森に差し掛かり始めた。 最初は灌木。 そして、梢の高い樹々に様相が変わり、今は、巨木と言っていい樹々が、馬車の行く道にガンガン生えているんだよ。 あたりはいつの間にか、本当に森の中に成ってたんだ。 いよいよ、大森林に入国になるんだ。
初めて見る風景。
風の匂も、樹々から零れ落ちる光も、何もかも……、
見るモノ、聴く音、嗅ぐ香り……、
全てが、初めての経験だったんだ。
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大森林の入り口にある、国境警備の詰所によって、私とミャーの入国審査をしたんだよ。 入国審査っても、保証人が聖賢者ハイエローホ様だから、ほぼ何も無し。 水晶玉に手を当てて、本人確認だけですんだ。
私…… 半妖だけど、いいのか? そんなアッサリ通して?
「儂が居るからの。 一緒に居なければ、追い返されとるわな」
「……不安です」
「その不安を取り除きに来たんじゃ。 儂に任せて置け」
そう言いながら、また私の身体を、サワサワ撫でて来やがるんだ。 ん? なんで、尻撫でとるんだ? ぶっ飛ばすぞ! エロ爺!!!
ギロって睨んであげると、流石にマズイと感じたのか、腰に手を当てて来た…‥
そっか、それでも、サワサワはやめないのか…… このエロ爺が! でもおかしいよね。 いくらなんでも、おかしいよね。 人前であるにも関わらず、こんな事をずっとしてんだ。 只のエロ爺って訳じゃなさそうだし……、 時々、真顔になってるのが……、
怖いよ。
国境の警備詰所を抜けて、また馬車に乗り込み、えっちら おっちら 進んでいくんだ。 森の中だから、そう早くは進めないんだけど、その美しい光景に目を奪われてね…… エロ爺のセクハラなんて、もう、気にしなくなったよ。 木々の間から零れ落ちる、木漏れ日のなんと美しく素敵なことか!
鮮烈な森の空気に、体の中から清浄に満たされていくような……。 そんな気がして来るんだよね。 私の表情に気が付いたのか、手をサワサワしつつ、聖賢者ハイエローホ様が、軽い口調で、仰ったんだ。
「あながち、間違いでは無いの。 徐々に樹々の力が強くなる。 精霊の息吹もな。 魔力の薄い者には、ちと厄介じゃが、我等、森の民には無くてはならんからの。 ほう、やっと帰ってこれた。 爺には、長旅は堪えるの」
にこやかに、皺々の御顔で、聖賢者様は微笑んでらしたヨ……。 手は相変わらずだけどね。
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そう言えば、マーリンと、フリュニエ、元気にしてるかな? 大分時間が経ってるけど、どうなったかなぁ……。 たしか……、 賢者エスカフローネ様にくっ付いて、こっちに来てる筈だったよね。
魔力の保持量に苦慮してたもんなぁ……あいつ。 ご指導の結果、どうなったんだろうね?
「賢者エスカフローネ様。 マーリンと、フリュニエは如何お過ごしですか?」
「あぁ、あの二人なら、恙なく暮らしておいでよ。 最初の頃は苦労してたけど、今じゃ、森の民となんら変り無く暮らしているわ。 ……人族基準としては、破格ね」
「そう……ですか」
「今度、会わしてあげる。 見た目も変わってて、ビックリするわよ……保証する」
綺麗なウインクを投げて来たんだ。
そっかぁ……。 なら良かった。
困り果てて、投げ出すかもしれないって……、
そう想ってて、ゴメンよ。
きっと、素晴らしい、魔法使いになってるよね。 楽しみにしとく。
あの、根の暗い奴がどうなったか……、
とっても……、
……興味が沸いて来たよ。
大国三国と誼を通じる、男爵令嬢。 半妖となっても、彼女は彼女のまま、真っ直ぐに進んでいきます。




