第88話 ノルデン大王国の 秘めし妃殿下
「ユキーラ、そちらの方々は? 宜しければ、ご紹介頂けないかしら?」
美声だ。 でも、さっき、ユキーラ姫様が、その美しい女性に対して、「大王妃陛下」って、呼びかけられていたじゃない。 そんで、この聖殿には、基本王族しか入れない事になってるんだから……。 でしょ? 本来、私なんかが、御目文字かなう、御方ではない筈なのよ。
慌てて、バッチリな王族対応のカテーシーを決め込んだの。 ミャーも、私の半歩後ろで、ガッツリ決め込んでる。
うん、対応としては、間違ってないね。 突然、お逢いしてしまったんだものね。 出合頭の衝突って感じよね。 ユキーラ姫様、なんか、めっちゃ慌ててるね。 彼女にも、苦手な人なのかもね。 ……半分固まってるユキーラ姫様が、再起動した。
「サラーム大王妃陛下。 ご機嫌麗しく存じます。 此方の方は、ソフィア=レーベンシュタイン嬢。 エルガンルース王国、レーベンシュタイン男爵が御息女にあらせられます。 もう一方は、ソフィア嬢の専属侍女で有り、ナイデン大公様よりお知らせが御座いました、ミャー=ブヨ=ドロワマーノ嬢。 お二人は、エスタブレッド大王陛下より、第一級国賓とされて居られます」
ユキーラ姫様の御答えが聞こえるんだけど、深々と頭を下げているから、肝心のサラーム大王妃陛下の表情は伺えないの。 ほら、基本王族の人に何か言うにしても、私の様な低貴族の娘なんかは、頭を上げる事なんか、出来ないしね。
「お話は、大王様にお聞きしているわ。 直答を許します」
優し気だけど、温かみが削れ落ちた様な、そんな声だったの。 ……う~ん、どうしよう。 取り敢えず、ちょっとだけ、頭を上げて、礼典則に外れないようにしながら、自己紹介を始めたの。 だって、直答を許すって仰ったんだもの。
「お初に御前に伺候いたします。 ノルデン大王国、サラーム=ノイエ=ノルデン大王妃陛下。 ご機嫌麗しゅう御座います。 エルガンルース王国、ブロイ=ホップ=レーベンシュタイン男爵が娘、ソフィア=レーベンシュタインに御座います。 此方に控えしは、わたくしの侍女、ミャー=ブヨ=ドロワマーノに御座います。 ユキーラ姫様の御話相手として、エルガンルース王国より、まかり越しました。 御前に伺候し、拝謁の栄誉を賜りましたこと、深く御礼申し上げます」
噛まなかったよ……。 大王陛下の正妃様だもの……緊張するよね。 でも、この御方の情報ってあんまり知られていないのよ。 ノルデン大王国の中でも、特に謎の多い御方でね。 滅多に表に出て来られれないし、どの様な方かも伝え聞いた事がないのよ。 秘中の秘ってな感じね。
「まぁ、これは、ご丁寧なごあいさつ、ありがとう。 わたくしは、サラーム=ノイエ=ノルデン。 このノルデン大王国の正妃です。 ……御顔を上げなさい。 お話を伺いたいわ。 ユキーラの朋でしょ? 義母のわたくしからも、ユキーラを救って下さったこと、有難く思います。 どう、わたくしのお部屋で、御茶にしませんこと?」
まぁ、なんだ、……緊張の連続だよ。 ユキーラ姫、また、挙動不審に成ってるね。 仲が良く無いのかな? それとも、なんか他の理由が有るのかな? 大王妃陛下に許されたから、カテーシーを解いて、立ち上がって、ちょっと俯き加減だけど、頭を上げた。
なんか、笑顔に凄みが増してるね。 くるりと方向を変えられて、歩き出されたのよ。 その後を追うように、私達三人は、付いてったのよね。 行き先は……大王妃陛下の私室。 もう、扱いが……、 怖いです。
ええ、とっても……、 怖いです。
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ノルデン大王国の極寒の季節。 【氷雪月】も、一番寒い時期。 氷の聖殿のお部屋はさぞや寒い事だろうなぁって、覚悟を決めていた。 でね、サラーム妃殿下に連れられて、妃陛下の私室に入った途端に、その覚悟が、不要なモノだったって理解したんだ。
暖かいんだ。
春みたいに。
ぽかぽかするって感じ? 白い毛皮のコートが暑く感じるし、マフから思わず手が出ちゃったよ。 牢屋の中での寒さは尋常じゃ無かったって事だね。
「コートを、お願いね」
妃陛下は侍女にそう言いつけて、私達をお茶席に誘ったんだ。 薄い白磁のティーカップ。 めっちゃ上品且つ、物凄い高級品。 エルガンルースの”教育”の時に、散々に説明されて学んだもんね。 相手がどんな茶器を出してくるかで、此方をどんなふうに見てるのかが、判るってね……。
えっ? 妃陛下も、相応に対応してくれるの? なら、ユキーラ姫のこの怯えた様子は、どういう事?
頭の上に、いくつもの ”?” マークがぶっ飛んでたと思う。 席について、やっぱり、凄みの有る笑顔のまま、私達を見ていた妃陛下が、その答えを教えてくれた。
「ユキーラ、心配しなくてもいいわ。 精霊様達、今日は依代に居られるから、此方には来られないわ。 大丈夫よ」
「お、御義母様!!」
「獣人族の血を色濃く受け継ぐ貴女には、ちょっと怖いものね、あの方々の御声は」
「……申し訳なく……」
「いいのよ、それに、わたくしの周りには、普段降臨されない、精霊様もいらっしゃるのですからね。 でも、今日は、皆さま依代にお帰りに成られているわ。 今ここに居るのは、以前の何も知らないサラームよ。 ソフィアさん、ノルデン大王国は如何? 寒いでしょ? 御本国とは比べようもない位に。 それに、ユキーラの心を助け出して下さった方に、命を儚くさせる様な仕打ちをしてしまった事、わたくしからも謝罪いたしますわ。 本当に、ごめんなさい」
き、気さくな人だね……。 気にしてませんって、ハンドサイン送っておいた。 何て言っても、王族なんだものね。 ここで、私がなんと言っても、不敬に当たるしね。 だから、そっと、ハンドサインだけにして置いたんだ。 い、一応、気は使ったんだよ? これでも。 それもお分かり頂けたようで、凄みにある笑顔は変わらなかったよ。 ホッと、一安心だ! でも、お言葉にあった、精霊様の事は、どういう事かな? ミャーなんか知ってる? なんか、ミャーも落ち着きが無いよね。 どうしたんだろう?
「ソフィアさん、貴女の侍女も、獣人族の血を強く受け継いでいるのね。 残滓にまで反応して……、 辛かったら言ってね?」
「あ、あの……。 ま、誠に無知で蒙昧なわたくしの恥をさらす様で、申し訳ないのですが、そ、その……、お話が理解しかねます。 わたくしの侍女がこのような状態になるのは、その……初めてな物で……、 お教え願えませんでしょうか?」
「あら、あなたは……何も感じないの?」
「と言いますと?」
「わたくしの周囲に漂う、【闇の精霊神】様の、濃密な残滓を……、 感じませんの?」
そう……言われれば……そうなのかな? 精霊様達と同じような、残滓は感じるね。 でも、まぁ、精霊様なんだし、別にそんなに怖がるような事でもないでしょ? 途轍もなく間抜けな顔をして、妃陛下を見詰めてしまったみたい。 妃陛下が、プッって噴き出してしまわれた。
「ソフィアさんも……精霊様に愛されてますのね」
「”も” と仰いますと?」
「わたくしは、このノルデン大王国では唯一の精霊の愛し子なのです。 その祝福を与えて下さったのが、かの【闇の精霊神】様。 魔人族を除く他種族にはその恩寵を与えられないと言われている、かの精霊神様が、なぜかわたくしを、「愛し子」と呼び、その恩寵をお与えに成られました」
「……たしか、【闇の精霊神】様の恩寵は、「死と再生」で御座いましたね」
「ええ、そのとおりです。 この魔人族以外の住まう場所では、かの精霊は死を運ぶ、闇の手……。 常に嘆きと悲しみが周囲に取り付きます。 しかし、かの精霊様への祈りも必要なのは事実。 その為、わたくしは、出来得る限り、表には出ず、ひたすら、精霊神様達に祈りを捧げているのです」
徐々に、凄みのある微笑みは消えていき、妃陛下の紅い双眸に、悲し気な目の色が浮かび上がって来たのを、私は見てしまった。 やがて、呟くように、妃陛下は言葉を綴ったんだ……。
「かの精霊神の恩寵の為にわたくしは子を孕む事が出来ません。 ユキーラの母君をはじめ、何人もの側室を大王陛下におススメしたのもわたくしですわ。 ノルデン大王国の行く末の為に」
とても、とても、とても、寂しそうな顔をされて居る。 だよね……、 敬愛するエスタブレッド大王陛下の側に居ても、情を交わされても、子は成せず、王家の血統を護るべく、自ら側室を進めなければならないなんて…… ある種の拷問だね。
「大王陛下をお慕いされて居るのですね。 しかし、精霊様をないがしろにするわけにもいかず……。 大協約の順守は、時として、妃陛下の様な悲劇をもたらします……。 なんと申し上げてよいか……」
お悔やみの言葉のようになってしまったよ。 苦しいんだよね……。 だから、あんな壮絶な微笑みをたたえて、全てに達観したような表情をしていたんだね……。 妃陛下の周囲の靄の様な、精霊神様の残滓が、ボンヤリと拡散し始めている……。 きっと、ちょっと、気が緩んだんだ……。 ユキーラ姫とミャーの顔色が青くなる。
私? 別に~~? 動じないし……。 つい最近、間近で見た闇の精霊様の息吹だもん。 あは、つまりは、死にかけてたってことよね。 真顔で、妃陛下が問いかけて来たんだ……。
「……ソフィアさん……。 貴女は何故、わたくしに嫌悪を抱かないのですか?」
「えっ?」
そうか、【闇の精霊神】様の加護で、周囲の感情も読まれてしまわれるのか……。 好むと好まざるにかかわらずにね……。 ちょっと、本気で、どういって良いか……。 可哀想なんて、陳腐な言葉では言い表せないわ……。 なんて、言おうかな……
「わたくしの周りには、強い情念が取り囲んでおります。 嘆き、悲しみ、虚無感……。 この国一番の祈祷師でも、宮廷魔術師でも、どうにもなりませんでした……。 みな、「死」は恐ろしいモノ……。 濃密にその「死」を運ぶ、闇の精霊神様の御手先と見なされれば、人は皆、嫌悪を感じますのに……。 何故ですか?」
ちょっと、てんぱってるね。 ふぅ……、 息を吸い込んで……、 私が聴いた、精霊様の嘆きをお伝えしよう……
「妃陛下様、精霊様はお嘆きです。 魔人族の方々は本能的にご存知なのでしょう。 死とは、再生の為の最初の一段。 諸々の所業を積み上げ、御霊に磨きを掛け、そして、精霊神様の御意思のもと、生まれ出るのです。 私達、魔人族以外の種族の寿命は、魔人族の寿命に比べ遥かに短い……。 つまりは、再生への段階を認識できていないのだと……。 そう精霊神様がお教え下さいました」
「再生への階段……とは?」
「はい、その通りです。 時の精霊様が回す時間の中、決して戻らない”今”を懸命に生き抜き、そして、明日へと続く世界。 精霊様は仰いました、この世界は、時を縦糸に、生きとし生けるものの諸々の所業を横糸に織られる、絢爛豪華な織物だと。 有る糸は短く、有る糸は長く、有る糸は光沢を放ち、有る糸は被毛に覆われ……交錯する糸はどれも美しく儚いと。過ぎさりし日々を彩っていた糸は廃れ分解され、新しき糸に撚り直される。 生きとし生ける者の魂は、その様に出来上がっていると……。 御父様から勧められた、古書「魔術と精霊」と、少しだけ聞こえる精霊様の御声が、そうわたくしに伝えて下さいました」
「…… そうなの…… あなたも、精霊の愛し子なのでしょ? その御加護をお与えに成ったのは、どなたなのかしら?」
えっと……わからん。 いや、知らん。 確かにそう言われたけど、【精霊帰祭】で、《精霊の門》から飛び出して来た、あれだけの精霊様のどなたがそう言われたのかなんて、到底、特定出来ないよ……。 と、そこに、か細いミャーの声がした。
「……光の精霊神様です……。 誕生と出立を司る光の精霊神様です……」
そっか……。 あの時も一緒にいたんだっけ……。 そっかぁ……。 ミャーは精霊様の御声が良く聞こえるから、誰が言ったのか知ってたんだね……。
「光の精霊神様……ですか。 そうなのですか……。 ユキーラ、申し訳ないのだけど、ちょっとソフィアさんお借りしたいのだけど? 彼女一人で、わたくしについて来てもらいたいの。 精霊神の依代の所へ……。 いいかしら?」
なにか、キランって、深紅の双眸が光ったような気がしたんだよ。
うん、確かにした。
何やら、不穏で、のっぴきならない
そんな気がした……。
ミャー……
は、無理か……。
また、一人で行く事になるのか……。
はぁぁ……。




