第75話 夢と、現実と、王族の朋
目の前の情景は、とても、とても、懐かしく、そして、いまでも確かに望んでいる情景……。 たしか、貧血で、ぶっ倒れて意識失ってる筈なのよね。 なのに、この情景を見てるんだ。 夢ね。 そう、認識したんだよ。 でも、余りにリアルな情景。 とても、夢とは思えないくらいに……。
夕日に沈む街を歩いてるのよ。 手にさぁ、買い物袋をぶら下げてね。 あの人の好物を作る為の材料が入ってるの。 心なしか、足も速くなってるね。 早く帰って、晩御飯の準備をしなくちゃってね……。 これって、会社の帰りだよね……。 そうなんだよね……。
坂を上って、アパートに向かってるの。 何時もの時間、何時もの道。 まぁ、残業が無かった日は、定時に上がって、スーパーに寄って、買い物してたからね。 上り切った坂の上に、こじんまりとしたアパートがあるんだ。
私達のお家がね。
うちの部屋を含めて、八部屋あるの。 私達の部屋は、一階の角部屋。 六畳二間と、ダイニングキッチン。 おトイレと、お風呂場がある、月額65000円の賃貸。
裏側に駐車場があって、軽のワンボックスが私達の車。 まぁ、殆ど使った事が無いけどね。 そうかぁ……。 あの車に乗って、実家に向かってたんだよね……。 あれ、私が必死になって買った車だったしねぇ……。
ちょっと気になって、裏側の駐車場に行ったら、ちゃんとあった。 なんか、ニマニマしたよ。 玄関に向かったの。 そんで、入ろうと思って、ポケットに手を突っ込んだら、鍵が無いの。 焦るよね。 どっかに落っことしたのか? でも、おかしな話なのよ。 キーホルダーはちゃんと有るのに、鍵だけが無いのよ。
慌てるよね。 いや、ホントに慌てた。 慌ててるから、彼が何処に居るのか確認もして無かった。 携帯電話を取り出す事すら忘れてた。 って言うか、携帯電話自体を忘れてた。 ヤバイ、ヤバイってね。 慌ててると、ほんと、変な事バッカリするよね……。
……そうか、長い事スマホなんかいじって無かったから、存在自体を忘れてたんだ。
もしかしたら、彼が帰ってるかもしれない……。 突然思いついてね……。 そんで、鍵失くしたって事で、入れて貰わないと!! なんて、思ってね。 呼び鈴を押して、返事を待つ。
「どなた~~~?」
間の抜けた彼の声……。 懐かしい……! 嬉しい……! 居るんだ、この中に!! 居るんだよね!!! どっちかが、鍵を失くして、部屋に入れなくて、相方が中に居る場合に、合言葉で開けて貰えるって事にしといたのを、思い出した。 えっと、合言葉!! そう、合言葉よ!!
えっと、えっと、なんだっけ?
慌てる私。
でも、出てこないのよ……。 なんか、目の前がボウッてしてきて、泣けて来た。
開けてよ!!
お願い、あなたの顔が見たいのよ!!!
此処を開けて!! 開けて!! 開けて!!!
ドンドンって、扉を叩くんだけど、相変わらず、インターホンからは、
「どなた~~?」
って間の抜けた声だけが聞こえてくるのよ。 必死で叫んでいるんだけど、声が出ないの……。 段々と、周囲がぼやけて来てね……。 白い靄がかかるのよ……。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、離れたくない!! 此処から、何処にも行きたくない!! あなたがこの中に居るんだもん。 開けてよ!!!
す~~とね、自分が透明になるんだ……。 存在感って言うかさぁ……、 そんなものが抜け落ちていくんだよ……。 いくら叩いても、もう、音すらしない。 夕日一杯浴びて、真っ赤に染まるアパート……。
インターホンから聞こえる、彼の声…… 視覚が段々と白濁して行って…… 声だけが聞こえるの。
「合言葉……忘れちゃったのかなぁ……」
ってね。 ええっと、ええっと…… 合言葉!
でも、その声も聞こえなくなって……、 引き摺り戻される感覚があったのよ。 嫌だ! 帰りたくない!! って、思っても 、無駄だったみたい……。 白濁に飲まれて……夕日の紅い色が鈍色に成って……クリーム色になって……良く知ってる、それでもって、とても心配そうな、「声」が聞こえたの。
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「お嬢様! お嬢様!! お嬢様!!! ソフィアお嬢さま!!!」
ミャーの声だ……。 焦点が合う。 見知らぬ天井……じゃ無かった。 あぁ……戻ってきちゃった。 此処は……ノルデン大王国の公館……だね。 意識を掴んで……帰ってきちゃったよ……。 もうちょっとで、あの人に逢えたのに……。
意識を取り戻したら、ミャーが居た。 視界の端に、ユキーラ姫の姿もあった。 四つの心配そうな色を浮かべる「瞳」が、私を見ていた。 そうだったよねぇ……。 わたし、ユキーラ姫の「爪」に切り刻まれて、貧血で倒れたんだ……。
でも、ここ、あの小部屋じゃないね。 どこだろう? 探るような目つきに気が付いたミャーが、耳元で教えてくれたんだよ。
「公館にて、お嬢様が滞在させて頂いている、お部屋にお運びしました。 此方の医務官の方に、治療をして頂きました。 判りますか? お嬢様!!」
うん、判る。 耳元で、大声だしてるミャーの事は、良く判る。 でもさ、なんか、ユキーラ姫、感じ変わってない? 心配そうな瞳の表情。 あんな表情、出た事無かったよね。
「ソフィア、わたくしの爪のせいですわね。 ……ごめんなさい」
「い、いえ……、ユキーラ姫様に置かれましては、大変なご無礼を致しました故……」
「ソフィア、いいの……。 その無礼は許します。 確かなモノを取り戻せました故」
でさぁ、私の手を取ったユキーラ姫、ジッと私を見てるのよ。 ちょっと焦るよね。 まぁ、やらかした事がやらかした事だからね……。 娼館のお姉さんの真似事したからさ……ゴメンよ……。 ユキーラ姫が、少し安心されたような口調で、私に伝えて下さったの。
「もう少し、お眠り下さい。 医務官から、そう申し付かっております。 お気づきに成られても、起き上がられないようにと。 今は、眠って下さい。 そして、医務官達の許可が下り、起きられる様になられたら、あの方々の叱責を受けてください。 わたくしから、口添えします。 絶対に、「叱責」だけに留めますからね」
そう言ってね、なんか嗅がされて……意識が遠くなるんだ。 安息香の香りがするね。 深い眠りに誘う香り。 でも……なんか、めっちゃ、怖いよね。 叱責って……やっぱ、怒られるんだよね……。 深い眠りに引きずり込まれる前に、目の前のミャーが、優しく微笑んでくれた……。
「お休みなさいませ……。 お嬢様」
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やっと、起きる事が許された。 んでもって、ダーストラ=エイデン卿の執務室に ” 御呼出し ” を、喰らったんだよ。 怖~い表情の騎士さんに連れられてね。 ヤバいよ……。 マジでヤバい。
そんでさ。 執務室でね……
いや~~~、怒られた、怒られた!
もう、全方位からね。 そう全方位。 ミャーもいる、ユキーラ姫もいる。 なんでか、三大国の重鎮の人達もいてさ、総出で怒られたよ。 無茶しよってって。
失敗すればどうなるか、判ってやってるから、なおさら悪いってっさ。 私自身も無事では済まないってのも含まれているよね、これ。 ユキーラ姫の爪が私を抉る可能性もあったって事。 でも、ユキーラ姫様がね、心を壊されそうになったにも拘わらず、ニコニコしてるんだ。
あの感情の籠らない視線じゃ無くて、自然な感じの、豊かな感情が乗った視線でね。
乗り越えられたんだ……。 って、いいように解釈しといた。
そんな姫様の至って普通な感じに、三大国の重鎮達も、深~~い 溜息しか出てこなかったみたいね。 沈黙が痛い。 そんな重い雰囲気を一気に吹き飛ばすように、ユキーラ姫様から、御声がかかったの。 でもさ、なんか、雰囲気違くね?
「ソフィア、御茶にしません? それとも、お庭でお稽古します?」
悪戯ネコっぽく、微笑むのよ。 楽しい事見つけたネコみたいにね。 それは、それは、いい笑顔なんだよ。 でもさぁ……相手はお姫様なんだし……恐れ多いなぁって思って、丁寧にごあいさつしてたら、手を引っ張られてね。
「わたくしは許しましたが、ダーストラが云うのよ、あれだけの事、仕出かしたんだから、何か私から「罰」をってね。 それで、コレは「罰」よ。 わたくしと、お友達になって、あの時と同じに、ユキーラって呼ぶ事。 いいわね!」
うはっ! なに、これ! ガッツリ、カテーシー決め込んでたのに、両手を取られて、目線を合わされて、キラキラした瞳で、私をジッと見るのよ。 絶対に受けて貰うぞ! って、そんな気迫すら感じるのよ。 フーって、ダーストラ様が大きく息を吐かれて、呟くように言葉を紡がれたの。
「お転婆姫様が、戻られたか……。 法も、規則も、礼則も無視なさる、厄介なお姫様……。 嬉しくは有るが……。 ソフィア殿、諦めなされ。 言い出されたら、聞かぬ御方です」
ちょっと!! ダーストラ様!!
「あ、余りに恐れ多い事ですので……、 何卒、ご容赦の程を……」
ナイデン公爵様が、大人の色気ある笑みを浮かべならが、私に問いかけて来たのよ。 予想してなかったとは言えないけれどね。 普通は、あり得ないよね。 でも、今回の事はそれ程の事って、思った。
「あぁ……ソフィア殿、今回の事を外交案件と成されますかな?」
「ナイデン公爵様まで!!!」
何なのよ!! 大切なお姫様の御心を殺し掛けた私に、どういう事よ!! 勿論、相当の罰をうける事は覚悟してたのよ。 なんで、みなさん、そんなに優しくしてくれるのよ!!
「「 諦めなされませ 」」
そう言う事になっちゃって、くれやがりました。 賢者ミュリエ様が大笑いしながら、言われた事に、胸を刺しぬかれたよ……。
「それだけの事をなさいましたからね。 一歩間違えれば、貴女の御命もまた、儚くなる所でしたのに……。 しかし、よくぞ連れ戻された。 手法は聞きましたが、貴女のしたことは、《ノルデン大公国》の国法に則れば、確実に万死に能うる事に成るでしょうが、この姫様が、それに代わる「罰」をお与えに成った。 甘んじて受け入れるべきでしょう。 我等も、貴女の刑死は望んでいない。 ノルデン大王国の国民と、大王様に心底愛されている姫様との友誼を結ばれるのは、結構な事ですよ」
貧血でぶっ倒れて、手厚い看護してもらった手前もあるしね……。 ほんと、自爆ばっかりじゃん、わたしって……。 深々と淑女の礼を取って、素直に罰を受け入れる事にしたよ。
「このような卑賎な者で宜しければ、御心のままに、ユキーラ姫様……」
「ユキーラ! でしょ! ソフィア。 いい、他の呼び方は許しません」
「……ユキーラ……様」
「もう! ダメよ。 ユキーラ。 ね、ソフィア」
「……ユキーラ……」
「はい、ソフィア。 これを、この度の無礼への罰とします。 ダーストラ、公文書に記載を。 いいですね。 必ずよ」
「御意に」
ニコニコ顔のユキーラ。 渋い顔のダーストラ様。 含み笑いを隠そうともせず、楽しそうに笑うナイデン大公様。 そんな様子を、温かく見守ってくれている、賢者ミュリエ様……。
なんとか、一件落着って……事にしてくれ~~~~。
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まさしく、その日から、ユキーラは私の側を離れようとしなかった。 依存か? ってくらいにね。 一緒に勉強して、一緒に体術の鍛錬して、で、私がノルデン大王国の騎士さんにぶっ飛ばされるのを、大笑いしてくださりやがりましたっ!
一杯、一杯、話したの。
ミャーとも、お友達に成ったみたいね。 同じ半獣人だから、気が合うのかも? そう思っていたら、ナイデン大公様が、私を物陰に呼び出したんだ。
「ソフィア殿、ちとお伺いしますが、貴女の侍女、ミャー殿の事です」
「……何なりと」
「彼女の出自をご存知か?」
「……ナイデン大公様に置かれましては、隠し事も出来ますまい。 わたくしと、ミャーの出自、ご存知ですわよね」
「ええ、まぁ、調べ上げては居ります……。 貴女のお母様が、ディジェーレ=エレクトア=マジェスタ公爵令嬢であり、貴女が、娼館【レッドローゼス】にて、生まれ落ちた事は。 ただ、貴女の侍女である、ミャー殿に関して、判らない事が多すぎるのです」
やっぱ、調べ上げていたんだ……。 そりゃそうだよね。 相手の弱みを握るのがお仕事な人だものね。 で、そのカードは、切らないでおいてくれてるみたいなんだよね……。 何時でも切れるぞって、脅しかな? にしては、穏やかだな……。 で、ミャーの出自? 私だって、良くは知らない。 彼女のおかあさんが、レッドローゼスに来た時には、すでにお腹にミャーは居た。
どこから、” おかあさん ” が買ったのかも知らない。 私も、生まれたてだから、ミャーのおかあさんに会った事すらない。 だから、正直に応えるのよ。
「ミャーとは、あの孤児院で一緒でした。 生まれた時から、双子の姉妹の様に暮らしてきました。 彼女の生まれる前の事は……わたくしには、判りません。記録が有るとすれば、レッドローゼスの支配人がお持ちだと……。 そう愚考いたします。 また、支配人から情報を引き出すのならば、ダーストラ様にお願いされるのが宜しかろうと、愚考いたします」
ナイデン大公様、ちょっとお考えになってね……。
「この話は、またいずれ、確証が得られました後に、お話いたす事に……。 アレは、とても良い侍女だ。 大切になされよ」
「ミャーは、……わたくしの半身です。 わたくしの至らぬ所を埋めてくれます。 気持ちも、何もかも……。 わたくしには、勿体ない程の ” 女性 ” です」
「うむ……。 侍女として……ではなく?」
「朋として、姉妹として、我が半身として」
ピタリと視線をナイデン大公様に固定する。 捕ろうなんて、思うなよ? ミャーは、絶対に渡さんぞ?
「成る程。 良く判り申した」
ニコリと微笑んでから、ナイデン大公様は去って行かれた。 いったい……何が言いたかったんだろう? 翌朝、私の元に、古い新聞の切り抜きが届けられたの。 《 ナイデン王国 》で発行された、古い、古い新聞の切り抜き。
もう、黄ばんだ紙面の切り抜き。
絵姿もあったの……。
今のミャーによく似た女の人が、煌びやかな衣装に身を包んで立ってるの……。
そこにあった文字を目で追ったの……。
======== 号外! =========
ナイデン王国、第四王女様 誘拐さる!
麗しの金銀眼の第四王女様、ヘリエンラール=エステン=ナイデン王女の行幸中の惨劇!
忽然と消えた、高貴なる、我らが王女様はいずこへ!?!?




