第2話 覚醒して判る事
白い霧の立ち込める空間を、ひたすら彷徨い続けた。
隣にあの人が居ない、狂おしい程の寂寥感に苛まれながらね。 行く先は見えず、ただ、彷徨うばかり。
一筋の光が、白い霧の向こうに見えたの。 彼を探し回るだけの歩みは、自然とその光に向かったわ。 もしかして、いえ、きっと居る。 そう、心の中で何度も呟きながらね。
光差す空間にやっと、辿り着いたの。 でも、そこにも彼は居なかった。
辺りに視線を投げかけ、あの人の影を探した……。 確かに、誰かが此処を通った感じはしたの。 確かにね。 懐かしい匂いも少し残っていた……。と、思う。
光が降り注ぐ、一角があって、そっちの方から、強く感じたのよ。 彼の匂いをね。 当然の様に、足はそっちに向かった。 その場所に、光の輪の中に私は入ったの。
彼を探していたからね。
身体が白く、白く発光し始めた。 眩い光が私を包み込んだ。
やだ、何これ?
この白い世界から、また、どこかに連れて行かれそうな気がした。
「何処に行っても、どんな来世であっても、絶対に探し出すから」
って、彼の言葉を信じよう。 私は、また、どこかに行く。 貴方を追って…… きっと、貴方が私を見付けてくれると信じて。 魂の引き合う力を…… 私は、信じたい。
光に包まれた私は、その白い世界から、存在を消した。
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真っ白な視界が、段々と色を帯びて行くの。 あぁ…… また、死んじゃったのよね。 あの状況で生きてる訳ないよね。 やっぱり、彼の姿は見えないの。 と、云うより、視界が白濁してて、何も見えないの。 物凄く寂しさが込上げてくるの。
彼が、「絶対に探し出すから」って言ってたけど、私だって、見つけるつもり。 私の魂に焼き付けられた、彼の眼。 絶対に忘れない。 だから、見つける為に、動かなきゃ。 手を、足を、身体を動かす。 寂しさに張り裂けそうに成っても誰の目も怖くない。 泣き叫んで、彼を呼ぶの。
どこ、どこ、何処に居るの!!!
自分の ” 言葉に成っていない泣き声 ” に、ちょっとびっくりしながら、精一杯の大声で泣いていたの。 視界がゆっくりと、形を帯び、私が誰かに抱かれていることが判った。 目の前の甘い匂いに、脳ミソが蕩けそうになった。
「大丈夫、大丈夫。 そんなに泣かないで。 大切な私の分身。 名前を…… 名前を付けなきゃ…… ソフィア… ソニア… ソアラ…」
ソアラははやめて! なんだか判らないけど、その名前は嫌!! あの人と私を、引き離した原因? 雨の高速道路……。長い橋から飛び出す感覚……。浮遊感と、絶望感……。最後の時の情景が眼に浮かぶ。 状況を、理解した……。 マジで、転生しちゃったんだ、私。 赤ちゃんに成ってるよ。 いま、この世界に生まれたって事よね。 目の前の綺麗な女性が……、私の母親なんだ……。
「……ソフィア…… そうね、ソフィアが良いわ。 貴女の髪も、眼もわたくしにそっくり…… ソフィア、私がママよ。 初めまして。 ママの名前は……ディジェ…… いいえ、違うわね、それは、ここでの名前。 本当の名前は、ディジェーレ=エレクトア=マジェスタ。 宜しくね。 貴女には、本当に、ごめんなさい。 本当なら、貴女は、生まれる事は無かったの。 でも、わたくしが…… わたくしが生きた証が欲しかったの。 だから、” おかあさん ”に無理言って、お願いを聞いて貰ったの。 もう……あまり時間の残されて居ないわたくしの最後の願いだもの」
私を抱くその綺麗な女の人の名前……聞き覚えがあった。 と、云うより、ずっと気に掛かっていた人の名前と同じだった。
ディジェーレ=エレクトア=マジェスタ公爵令嬢。
『瑠璃色の幸せ』のあの人と同じ名前…… どういう事なの? やっと、ハッキリし始めた周囲の様子を窺う。 みすぼらしい室内、薄汚れた夜具、シンと静まり返った室内。 壁に一枚の聖画 【大慈母神 アレーガス 】 が描かれている小さな聖画。
見覚えがあったと思ったのは、その聖画の前のチェストに、蝋燭立と、水を満たした粗末なコップ、更に、その辺で摘んで来た、可憐で名も無い花が供えられていたから。
『瑠璃色の幸せ』「C」、「D」、「E」エンドのスタッフロールの後ろに描かれたスチル。 街の悪に引き摺られて、娼館に放り込まれ、ボロボロに成るまで犯られる、あのスチル。 制作者の悪意があるとしか、思えない位、何枚もあんなスチルがエンドロールの後ろに流れたから、良く覚えていたの。 なにも、其処まで……って思う位にね……
同じ女性として、歯噛みした。 彼もそのスチルは嫌いだと言って呉れた。 目の前の美しい女性が、あれをされたのかと思うと、本当に胸が痛んだ。 でも、今、私を抱いているその女性、そんな事があったとは、少しも表情に出していない。唯々、微笑んでいる。 愛おし気に私を抱いている。
豊かな胸を出して、私に含ませる。 本能のままに其れに吸い付く私。 初乳って大事よね。 免疫が強化されるからね。 無心に飲む私。 その様子を優しく微笑みながら見ているのよ……。
この綺麗な人……、ディジェーレさん……だよね……。
つまりは、私が生を受けたのは……「瑠璃色の幸せ」終了後の世界なんだ……。
そして、私の母親がディジェーレさんって事は……。
この世界は、「瑠璃色の幸せ」と「君と何時までも」の「あの世界」ってことなんだ。
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ディジェーレさんが、優しく私を見詰めながら、囁くように語り掛けてきたの。 私は…… 体の欲求のまま、一生懸命、母乳を飲み込んでいるの。 今を生きる為にね。
「ソフィア……私から、貴方にあげられるモノは、本当になにも無いの。 でも、私が持っている知識、記憶は、貴方に移せるの。 受け取って。 ママの今まで全てを。 どう使うかは……。ゴメンなさい、導いてあげられなくて。 でもね、ママは信じているわ、ソフィアは決して良からぬ事にその力を使わないって」
そうか……。だから、私はこの最下層の人達の間から、あの事があった後、すんなり貴族社会に溶け込めたのか……。ディジェーレさんの知識と記憶が、私に転写されていたから……。 攻略対象者に成らなかった私は、この記憶の禍々しさに、悪落ちするんだ……。
あれ? それじゃ……、私の父親って……誰?
「ソフィアは貴方だけの未来を掴んで。 お願いした人の種だけど、貴方は紛れもなく、私の娘よ。 ……そう、わたしだけの娘 あなたの幸せだけを、心から大慈母神「アレーガス」様に祈るわ。 ママは貴方に私の全てを譲るわ……。『我、ディジェーレ=エレクトア=マジェスタ 大慈母神アレーガス様の聖名を持って、我が娘ソフィア=マジェスタに我が記憶と知識を贈る。 大魔法【贈り物】を発動』 」
彼女と私の周りに、薄緑色の魔方陣が展開された。 えぇ? 魔法? そ、そっか……この世界には魔法が存在するんだった! そうだ! この世界、十二歳に成ったら、学校に行って、魔力を増強して……、結構色んな事が出来る様に成るんだった。 そうだった。そうだった!
彼女の記憶と、知識が、奔流となって、生まれたての私の中に注ぎ込まれ、定着していく。
ウギャギャ……!
ギャ~~~~~~~!!
の、脳ミソ バ、バラバラになるぅ~~~~~!!
膨大な量の記憶と、知識が。 生まれたての私の中には、それまでの記憶もある。 ある意味、二人の人生が、真っ白なキャンバスに色鮮やかに描きこまれた状態なんだよ……。 ほら、生まれたての赤ん坊って、時々、変な記憶持ってるって話題になった事、有ったでしょ……? でも、成長と共に、その記憶も薄らいで行くって。
今、理解した。 あれって、転生輪廻した人が、前世の記憶が、脳ミソの記憶領域に定着してない状態なんだ。 それで、生まれ変わって、生活していくうちに日々の生活に上書きされてしまって、認識以下の断片記憶に成るんだ……。 そして、その記憶は、忘却の彼方に消える……。 押し流されそうになる、私の記憶……。
嫌だ!
彼の事、忘れるなんて出来ない!!
強く、強く、それを願ったの。
結果、元の私の記憶と、ディジェーレさんの記憶、 両方が私の小さな脳ミソに刻み込まれ、二人分の記憶と、経験と、知識が私の中に定着した。 ハァハァハァ…… もう…… 失わずに済む……。 物凄い倦怠感と、虚脱感が湧き上がる。 含んで居た乳房が口から離れ、虚ろな視線が宙を彷徨う。
ぐったりと上を向いた。 慌ててるディジェーレさんの姿が、視界の端に映って……、世界は暗転した。
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ディジェーレさんは、三か月間一緒だった。 私が親離れしたのではないのよ、彼女がこの世からお別れしたの。 もうボロボロの体。 それでも、私を慈しんで下さった。 最後の最後まで、私の幸せを祈って下さったのよ。
こんな深い母性を見せつけられて、全身全霊で愛情を注いでくださった、ディジェーレさんは、まさしく私のママだった。 彼女の云う ” おかあさん ”は、この売春宿の支配人。 つまりは、遣りて婆。 でも、ちゃんと個々の女たちの事情を汲んで、相手を見繕っていた。 有能な人だよね、労務管理の立場から見てみればさ……。
ディジェーレさんは、なんでも、超売れっ子の高級娼婦で、お忍びで娼館に来る身分の高い人専用だったそう。 惜しい惜しいって、” おかあさん ”が、そう言ってた。 だろうね。 彼女は身分から言えば、公爵家の令嬢だったんだもの。 対応はバッチリな筈だもんね。 なんせ、彼女、元王妃候補なんだもの……。
” おかあさん ” も、薄々感じ取ってたらしいの、最初にママが「この娼館」に放り込まれた時にね。 あとで、事情を聴いて、ママが、マジェスタ公爵家の息女って判って、狼狽したらしいね……。 私に、ボソリと漏らした事が有ったんだ、この事をね。
だから、 ” おかあさん ” は、ディジェーレさんを、大事に匿った。 下手打ちゃ、自分もお咎め受けそうだしね。 そんな、ディジェーレさんは、もう境遇に逆らおうなんて思わなくなったんだってね。 自分を娼婦として認識したそうだよ。
だから、身分の高い人がお忍びで来ても、彼女の対応は完璧だったんだろうね。 そう言えば、彼女の記憶の中に、身分の高い人達の弱みに成る事が沢山詰まってた。 あぁ……、寝物語に漏らしたんだろうね……。 これだから……、男って奴は……。あの人以外は、そんな物だよね……。
◇
彼は……、 私以外の女の人とは寝ないって言ってたな……。
「君が居るのに、必要ないでしょ? それに、僕には、あんまりそういった欲求ってないんだよね」
わたしが、ブライダルチェックした時に、彼の遍歴も教えて貰った。 真面目だったよ。 と、いうより、時間が無かったってのも有るのかな? とにかく、忙しい人だったらかね。 それに……、
「君を愛しているからね」
だって……。もう、真っ赤になったよ。 記憶が有るのは嬉しい。 いま、思い出しても、心が温かくなる。 早く大きくなって、彼を探さなきゃね。 あぁ……、その前に、ここから出なくちゃ。 合法的にね。 いや……、どんな手段を使ってもかな? 綺麗なまま、彼には会いたいしね。
◇
この売春宿は、この小汚い一帯では、高級店になるんだ。 望まない妊娠をして、生まれて来てしまった子供たち用の孤児院だって併設されて居るんだよ。 男の子は、養子なんかの道もある。 女の子は十二歳に成ったら、娼館の方に住まいを変えて、商売を始めなきゃいけないけれど。
まぁ、そうだよね。 女の子の孤児たちは、みんな首に娼館ギルドの証である、チョーカーを付けられてるのよ。 でね、私と同じような子達が、一緒に暮らしているのよ。 私はまだ五歳に成ったばかり。 お店は繁盛してるらしく、私達にまで教師が付けられているの。
” おかあさん ” の方針だって。 学を身に着けた娼婦は、高い代価を払ってくれる身分の高い人達の相手も出来るって。 だから、そんじょそこらの商家の子達よりも、よっぽど高度な教育を受けさせてもらえてるって訳。 ただね……、 転生前の記憶のある私にとっては……、 御察しレベル。 他の子達が躓いてる中、さっさと先に進めたよ。
仲良くしてくれるのは、半獣人の女の子。 猫族のお母さんと、多分人族のおっさんの間に出来た子。 猫族のお母さんが、この娼館に売られて来た時にはもう、孕んでたんだって。 そんで、生まれて来たのが彼女。 鳴き声から、名前は『ミャー』ってつけられてた。
「ソフィア! 頭いいねぇ! 教えておくれよ!!」
ミャーは、基本 賢いよ? ほぼ同じ年齢だしね。 ただ、五歳児なんだもの、それなりだよ。 ミャーは、自分が生きているのが奇跡だって、ちゃんと理解していた。 彼女のママも、とっくに亡くなっているものね。
普通だったら、放り出されて、その辺で死んでるよ。 それを、おかあさんが、”ちょっとでも元を取りたいからねっ” って、孤児院においてくれたらしいんだ。 あの人、ツンデレだから、見るに見かねてだと思っている。 まぁ、十二歳に成ったら、客を取れるんだから、マニアックなお客様相手に、十分に稼げるんだけどね。
仲良くしてくれてるから、私も仲良くした。 基本ね、この孤児院の子達って、そんなに仲良くない。 まぁ、行く先が判っちゃってるから、暗くなるのも判るんだけど、立ち向かえるようになる為には、勉強しなきゃならんのに、それすらしない。
徒党を組んで、気に入らない子に八つ当たり。 馬鹿じゃないの? 冷たい視線を送って、反撃されてシオシオに成るんだから、最初から辞めとけばいいのにね。 そんな感じで、いま、私の仲の良い子達って、獣人族とか、ドワーフ族とか、エルフ族とか、人族では無い子達ばっかりなんだよ。
娼館で事情を抱えたママたちが育てられなくて、泣く泣くここに放り込んだ? そんな子達バッカリよ。 彼女達の方が、肝が据わってるよ。 同い年でもう、お姉さんたちに、色んな手練手管を教えて貰っているんだもんね。 凄いよ。 生き残るだけの事はあるよね。
でね、思い出しがてら、『君と何時までも』の進行をノートに書きだしたのよ。 イベント各種ね。 私、ソフィアが絡むのはずっと後なんだけど、このまま行ったら、まず間違いなく、何をしても、処刑されてしまうから。 何としてもここから抜け出す事を考えないとね。
で、記憶を書き連ねたノートの文字の間から、私はどこかの時点で、マジェスタ公爵家に引き取られて、散々な目にあうことがわかったの。 嫌だよね。 だからこのフラグだけは折りたかった。 結果がどう転ぶか、判ったもんじゃないけど、少なくともマジェスタ公爵家にだけは行きたくなかった。
エンドロールに描写のあった ”あの事” さえ、しなければ、絶対に接点はない。 だから、私は、” おかあさん ”から貰ったママの遺品の一つを、” おかあさん ” に差し出したのよ。 琥珀色の刀身を持つ短剣を。
マジェスタ公爵家に伝わる女性の 「 護身用の護剣 」
これさえ見つからなければ、私が何者か、相手には伝わらない。 だから、ストリー上は持ち歩いている筈のこの短剣を、おかあさんに、敢えて手渡した。
「おかあさん。 コレ……」
「ん? 何だい、……あぁ、あの子の遺品かい?」
「そう。 でも、私が持っていても、ダメ。 お金に変えて、みんなの事に使って」
「なんでだい? あんたのママの大切な物だろ?」
「ママの書き残したものに有ったの。 ”ソフィアらしく生きなさい” って。 これ、ママの。 だから、私らしく無いの」
「……そうかい。 判ったよ。 預かっておくよ。 誰にも見せないから、安心しな」
「有難う、おかあさん」
「ん。 みんな呼んどいで、ご飯にしよう」
「は~い」
これで…… フラグを一つ、へし折れた。 私と、マジェスタ公爵家の繋がりは、限りなく薄く成った筈。 ” おかあさん ”は、ママの素性を知っている。 だけど、ここで働かせていた。高級娼婦としてね。 だけど、今はまだ、マジェスタ公爵家の者に知られて居ない。 万が一知られると、自分もヤバイ事に成る事ぐらい、理解出来る筈。 だから、” おかあさん ”は、隠すに決まってる。 換金すらしないと思う。
これでいい。 いいんだ。
後は、ここをどうやって脱出するかだけだよね。
それが、問題なんだよ……。頑張ろう。