第162話 そして、王都へ
レーベンシュタイン領に帰還したのは、【穀雨月】だったね。
毎日続く雨。 その様子を見て、「試練の回廊」の風景を思い出したのよ。 稲妻が天空を過り、紫雲を孕むその様子をね。 泥濘と濁流に浸食された大地。 その只中に居たんだもの、良く生きて帰ってこれたよ……。
ミッドガルドでは、そんなに激しい雨じゃない……。
湖沼地帯が多いレーベンシュタイン領では、こんな雨でも、結構大変な事に成ってしまう。 その為にね、ほら、私のドレスを作る代金までつぎ込んで、簡易水路の整備に当ててたでしょ……。 今じゃ、その効果が随分と出て来ててね、こんな雨が続く日々でも、町中の道は冠水しなくなったんだよ。
領の人達も一安心だよ。
細々とした、整備とかは、本当にお金が掛かるんだよ。 だけど、止められないし、止めちゃいけないんだ。 レーベンシュタイン男爵家が何時まで経っても、貧乏なのは、その領の自然環境の厳しさが原因なのよね。
雨を見る度に思うの……。 領の人達が、幸せに暮らしていける毎日が来ればいいとね。
ボンヤリと雨だれの伝う窓を見ながら、そんな事を思っていたの。 ―――誰も来ない、屋根裏部屋。 領の人はおろか、この本宅の人達にも、知られないように、御父様が用意してくれたお部屋なの。 食事なんかは、私自身が作れるし、お部屋には、小振りながらもキッチンもあったし、食材も保管してあったよ。 シャワーも、トイレもあった。 ほんと、何に使う部屋だったんだろうね?
ミャーが、美味しい「お茶」を、入れてくれた。
ちょっと耳が倒れてる。 なにか――― 聴きたい事が有るんだね。 いいよ、なんでも答えるよ。
「ソフィア、御茶が入ったよ。 ―――ちょっと……お話していい?」
「いいよ、大丈夫。 なに?」
「うん…… あのね、これからの事だけどね、私も魔族の領域に行くのよね」
「そのつもりよ。 ミャーは、私と離れたくないって言ってくれたでしょ? 私は、魔族の領域に、行って魔人王様に嫁ぐの。 そう、 ” あの人 ” の、お嫁さんになるのよ。 私の探していた人なんだよ。 ミャーは、 ―――私が何処に行っても付いて来てくれる―――って、言ったでしょ?」
「うん、地の果てだろうが、煉獄の底だろうが、ついて行くよ。 でも…… ちょっとは教えて欲しいの。 どんな所かって」
不安に思う気持ち、とてもよくわかるよ。 見も知らない、土地に行くだ、そりゃそうだ。 でも、いい人達ばかりだったよ。 命を懸けて、生き残りを賭けて、戦って来た私には、本当に夢の様な場所だったよ。 この想いをどうやって伝えようか……。
「ミャー、今夜、時間……あるよね」
「うん…… あるよ」
「温泉に行こうよ。 前みたいにさぁ……」
「えっ? あっ、あぁ……、 ソフィアが悩んでた時みたいに?」
「そう、二人っきりで、温泉に行こう。 そこで、オブリビオンのお話をするよ。 楽しかった旅のお話をね。 本当に色々な事があったんだよ。 御父様に伝えきれてない色々なお話。 ミャーもきっと気に入ると思う、そんな素敵な場所のお話をね」
「判った。用意するよ」
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深夜、小雨には成っているけど、まだ泣いている空の下。 私とミャーは馬を駆って、温泉に行ったんだ。 そう、アノ時と同じように、ミャーが手綱を取って二人乗りでね。 行道は、さらに整備されていて、とても快適。 あっという間に、温泉の施設がある場所に辿り着いたの。
アーノルドさん、気合入れてんなぁ……。 さらに豪華に成ってるよ、ココ……。
開錠して、中に滑り込む。 木のいい香りがするの。 二人して脱衣場に向って行ってね、スルスルと着ているモノを全部脱いだのよ。 ミャーは背中の傷跡を見て、痛々しそうな表情を浮かべたの。
「ミャー、コレはね、私の生きた証なの。 だから、卑下する事も、忌む事もないの。 私の中のほとんどは妖魔に成っているらしいけど、私は私。 だから、この傷跡も私なんだよ」
「それは、私の罪の証でもあるんだ、ソフィア。 ソフィアを護れなかった私の罪。 薬に負けて、気を失って、ソフィアを護れなかった……。 闇の精霊様にソフィアの命を繋いでもらった時も、何も出来なかった。 みんなと同じように、失われてしまったと思ったんだ、ミャーは……。 その傷を見ると、自分が……」
「その先は言う事は無いよ。 ちゃんと私を待っていてくれた。 何時までも一緒に居るって言ってくれた。 だから、ミャーはそれでいいんだよ。 貴女が此処に居る、―――それだけで私は良いんだよ。 ミャーの事が、大好きなのよ。 行こう、一杯お話する事があるからね」
湯船に向うの。 手を繋いで、雨に煙る浴場にね。 小さな輪っかが沢山、沢山、出来ている湯船は、とても暖かだったよ。 ゆっくりと体を浸すの。 色んな凝りが解けて行くの。 両手を組んで、大地と水の精霊様に、感謝の祈りを口にする……。
ボンヤリと、私の周囲が淡く光る。
精霊様の御加護。
痛みも辛さも、何もかもが解けてほどけて、温泉の中に霧散する。 はぁ~~~ やっぱり、いいね。 大地の恵み、本当に有難うございます!
ミャーも久しぶりの温泉にうっとりしてる。 そうだよね、私達が見つけた、大切な場所だからね。
ミャー…… お話を始めるよ。 「黒き森」からの出来事をね。 瓜生さんの事も、お話するよ。 そうよ、私、エルガンルース王国の初代様にあったんだから!! 凄いでしょ!!
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雨はやがて上がり、雲が流れ、その合間に月の光が差し込んで来たの。 とっても幽玄な景色だったの。 揺らめく湯気に、真珠の様な月の光。 一生懸命に私の話を聴くミャーの金銀眼。
長い長いお話は、一夜だけでは済まないわよ。 アレルア様に告白された、あの月夜の事も思い出しちゃったよ……
「ソフィア…… ミャーはそんな素敵な場所に行くんだね? でも、ミャーは大丈夫かな? あっちへ行くと、心を壊すって云われてるじゃない」
「そうよ素敵な場所よ、ミャー。 ミャーの心配はもっともだけど、それは、ミャーの瞳に【妖魔の眼】を符呪する事でおしまいよ。 あっちに行って心を壊してしまう最大の原因は、視覚の変調なの。 ホントにそれだけなのよ。 そしたら、ココでの暮らしと何にも変わらないから。 サリュート殿下達で実証済みよ」
「そうなんだ……。 なんだか、ミャーは、とっても楽しみになって来たよ」
嬉しそうに笑うミャー。 こっちでやる事やったら、直ぐにでも行くよ。 だから……、 うんと楽しみにしておいて。 そう、やる事やったらね。 どうやって、サリュート殿下達と、繋ぎつけようかなぁって思ってたのよ、その時は。
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温泉に、何夜も通う私達。 本領のお屋敷を抜け出してた事が、御父様にもバレた。 苦笑いと共に、お許しは下さったんだけど、出来るだけ人目に付かない様にって、でっかい釘刺されたんだよ。
” 本当なら、大々的に帰還の祝宴を張りたい所では有るのだがな ”
そう、仰って下さたの。 そのお気持ちだけで、もう、何も言う事が出来なくなったよ。 アーノルドさん、そして、主要な侍女さん達には、私が帰って来た事をお伝えになった様ね。 あの小部屋で、「百年祭」出席の為の準備をしていたら、王都エルガムから、懐かしい顔がやって来たの。
「お嬢様……。 お懐かしゅうございます」
「お嬢様も、立派な淑女に成られましたわね。 マーレ、嬉しく思います」
いや、本当に、懐かしいよ。 しっかりと男爵令嬢の立ち居振る舞いを伝授して頂いた、マーレ侍女長さんとビーンズ執事長さん。 こっそり、御父様がお呼びに成ったらしいの。 なんでも、重要なお話があるのだとか。
「お嬢様、サリュート殿下よりの御言付けに御座います。 来たる「百年祭」の日、王都エルガムでお待ちになるそうに御座います。 待ち合わせの場所は、テラノ男爵家のタウンハウス。 あちらのご嫡子様の御名を借り受けて、王宮、【金牛宮】へ向かうとの事で御座いました」
「テラノ男爵家……。 ドロテアのお家なの?」
「左様に御座います。 ご嫡子は、病弱と言う事で、今までは夜会等公式に場には出席しておられませんでしたので、都合がよいと」
「……でも、あのお家は、宮廷の中でも巧みに泳ぐ御方達ばかり……。 よく、御当主様がお許しに成られましたね」
「サリュート殿下の熱意が通じたのでしょうか。 ご嫡子が後を押されたのでしょうか……」
「ご嫡子って……、 ドロテアのお兄様? でも、あの方は社交の場にも……」
「いえ、その御方では御座いません。 表に出られない、情報分析官の任を賜って居られた方に御座います。 当家とも親交の深い御方……」
「あぁ……、 盾の男爵家の御役目ですね」
「御意に」
そっかぁ……。 ドロテアのお家って、そう言うお家だったんだ。 レーベンシュタインが、諜報、防諜、のスペシャリストなのは知ってた。 で、テラノ男爵家は、情報分析に特化しているお家なんだ。
だから、ドロテアも、ドロテアのお兄様もあぁなんだ……。 道理で、宮廷内とか、学園での泳ぎ方が上手いはずだよ。 相手に隙を見せずに必要な事柄を救いあげていく手腕は、一級品だったもんね、二人とも……。
「それでは、その日に、テラノ男爵家にお伺いすれば良いのですね?」
「はい、左様に御座います。 殿下よりのお言葉には、続きが御座います」
「何でしょうか?」
「当日は、正「証人官」として、お越し願いたいと。 そう、しっかりとお伝え申せ、と」
「……」
成る程ね。 殿下も、その日が焦点だと思っていらっしゃるのね。 うん、その通りね。 判ったわ。 私は正「証人官」として、お伺いする。 そして、精霊様に奏上するのね。
いよいよ、お膳立てが整い始めた。
闇に紛れつつ、警戒の薄くなった王都に乗り込むべき時が来たようね。 ミャーも私も、準備は出来ている。 さぁ、乗り込むわよ。 王都エルガムに。
「御父様、行ってまいります。 王都エルガムに」
「うむ…… 私も王都のタウンハウスに向う。 私と一緒に行くか。 そうだな、侍女の服装でなら、目立つ事はあるまい」
「お願い申し上げます、御父様」
「大切な娘の出陣だからな。 出来るだけの事をしたい。 マーレ、彼方ではソフィアの準備を頼む」
「御意に。 精一杯お勤めさせて頂きます」
「ビーンズ、先行して、サリュート殿下にお伝え申せ」
「御意に」
「ソフィア、ミャー、頼むぞ。 私は王都の影共に、君達の安全を守る様に伝える。 私が陣頭指揮を執る。 王宮の中までは、私の手は届かないが、其処までは、君達を護り切る」
「御父様……。 有難うございます! 大好き!!」
飛びついて、抱き締める。 淑女としてはハシタナイかもしれない。
だけど、
だけど、こんなにも愛してくださるんですもの! 子供っぽくったくっていいじゃない!!
本当に大好きですよ!
御父様!!!
いよいよ、乗り込みます。 クライマックスで、御座います!!