表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/171

第143話 「 百年条約 」  9

 




 深夜の雨は、闇に包まれた、城壁の屋上を包み込むように天から流れ落ちているの。 その雨音は意外に大きくて、サリュート殿下の言葉は、私にまでは届かない。  時折、慟哭の雄叫びと、叫び声が聞こえるのみ。




 苦しまれている。




 天秤にかけられた、禁句の言葉と、殿下の想い。 誰かは判らないけれど、幻想の中で死に、その蘇りを対価に、禁句を口にさせようとしてるのでしょうね。 直接、エリスネールが語るのではなく、彼の脳ミソの中にある、彼と関係のある人物にね。




 ほんと、いい性格してるわ。 あのエルダー=サキュバス。 




 大切な人を取り戻す為に、禁句を口にさせる。 そして、それを促すのが、彼の近しい大切な人。 【魅了】と【魅惑】で、彼の心の壁は、かなり薄く、柔らかくなっているんだ。 使命とか、誓約とかの括りも、相当緩んできている筈なんだ。




 つまり、裸の自分の意志が試されているんだよ。




 難しいよね。 本当に。 幻想の中では、全てが現実なんだよ。 だから、目の前で死んでいく仲間も、傍で囁く近しい人も、実際にそこに居るんだ。



        殿下の前にね。 



 矛盾だらけの現実(幻想)は、強い感情に押し流され、正確な判断力を奪い去るんだ。 なにかしら、疑問に思う事が有れば、一気に幻想が瓦解するんだけど、かなり強固な魔法みたいだから、糸口が無いらしいのよ。 だから、術から抜けられない。 そして、追い詰められるのよ……。


 心のど真ん中に、信念が有れば、それを頼りに幻想を打ち砕けるんだけど、裸の自分の意志が ―――信念が 、其処まで強固な訳は無い。 人ってさ、揺らぐもの。 どんなに悲しくても、どんなに嬉しくても、やっぱりお腹 も空けば、喉も乾く。 


 

 大事な人の「死体」を抱き締め、近しくも大切な人が優しく促す。 ”その人を蘇せたくば、「禁句」を口にしなさい ” とね。 




 感情は、身体(手にする感覚)に引き摺られて、意志や信念は、割と簡単に揺らぐもんなんだよ。




 それでも、殿下には、強く居て貰いたい。 貴方の意志。 貴方の信念。 此処が正念場だよ。 疑念を持つに至る失敗をあのエルダー=サキュバスがしてくれたらいいんだけどね……。


 滂沱の紅い涙を流しながら、両の腕に誰かを抱え、膝を付き、天空を見詰める殿下。 言葉にならない声を漏らし、慟哭がうっすらと此処まで聞こえて来る。





 ほんとに正念場。





 きっと、彼の耳には、心地よい誘いが聞こえているのでしょうね。 禁句を言うか、耐えきれるか……。


 ギリギリの攻防って感じだよ。  私は……、 ただ、見詰めているしか出来ない。 「証人官」として、彼が独力で対峙していると、証せ無ければならないの。 私が手出ししてしまったら、彼の努力は、全て無駄になる……。


 この身が冷え切り、彫像の様に立ち尽くして居ても、身動みじろぎも出来ず、ただ、ただ、見守るしか、すべはないのよ……。 






     あぁぁぁぁ、なんか、腹立つ!!!!






 ^^^^^^^





 膝を付き、天を仰ぎ見るサリュート殿下の耳元に、あの女が顔を寄せ何事かを囁いていたんだよ。


 今にも、決定的な言葉を吐き出しそうになっていた、サリュート殿下の口が、突然引き結ばれた。 エリスネールが、ダメ押ししようとして、何かを囁いたって感じだよね。 そして、それが、決定的にサリュート殿下の何かに触れてしまったらしいの。


 サリュート殿下の中で、そうあって欲しい、そうであればいい、って言う想いを汲み取って、あの女が幻想として彼の耳に吹き込んだのよ。




            でもね……、





 サリュート殿下に対し、決して触れてはいけない人が居るのよ。 心の中では常に求め続けているけれど、おくびにも出さない様にしている方がね。 自分の弱点として、隠して、隠して、隠し通そうとする、思慕の念。


 エルガンルース王国の秘匿されるべき恥。





        側妃 ユミ=オオタイラ様





 願っても居ないのに、召喚され、言葉も風習も何もかも判らずにいた、” 渡り人 ”  国王陛下の戯れで、サリュート殿下を身籠り、彼をこの世に送り出した後、衰弱して儚くなってしまった、悲劇の側妃。


 その骸は、宮殿の片隅に埋葬された。 そう、王と、妃の永遠のしとねである、王家墳墓の谷にすら入れて貰えない、” 異邦の渡り人 ”。


 彼女の口からはついぞ、此方の人に分かる言葉は出なかったそうよ。


 だから、誰一人、彼女が何を想い、何を言ったか、理解した人はいないの。


 その、「悲劇の側妃(側妃 ユミ様)」の姿を借りて、理想的な形で、言葉にして、彼を陥落させる気だったんでしょうね。 あの女……馬鹿ね。 それは、秘められた思い。 決して実現する事の無い現実。 それに、手を出しちゃったんだ……。





     敢えて言おう、エリスネール=アフレシア。 





 あんた、サリュート殿下の心の「地雷原」踏み抜いたんだよ。 どんな心地の良い夢も幻想も一撃でぶち壊すほどの威力を持った、届かない想いなのよ……。


 急速に幻想を駆逐していく殿下。 引き結ばれた口元に、光を失っていた漆黒の瞳に、ゆっくりと下ろされる両腕に、意志の力が蘇って来るんだ。 





 ^^^^^^





 殿下から、重く黒い瘴気ともいえる、濁った威圧感が、彼の身体から解き放たれた。 




        ヒッ!




 小さく悲鳴を上げて、あの女が引き下がる。 仲間だろうサキュバス達も、一斉に引き下がったんだ。 


 底冷えのする、極めて冷静な、感情の無い声で、殿下は語られたのよ。





「側妃様は、絶対にそのような事は、仰らない。 あの方は、全てを恨んで亡くなられた。 そうだ、全てをだ。 私も、国王陛下も、エルガンルース王国も、そして、何より、この世界そのものをな。 私とした事が、何かに付け込まれていたか……。 誰も、気が付かないと思っていた。 自分自身に対してすら、誤魔化していた感情を、利用されたというのか。 だから、気が付かなかったのか。 己の弱さを、付け込まれたのか―――」 





 幻想から覚め、掛けられていた色々な魔法も破砕した後、ゆっくりと周りを見回しておられたんだ。 エルダー=サキュバスの姿を認め、疑問を口にされたんだ。





「……これは 「審問」なのか?」


「御意に……御座います、サリュート殿」


「随分な事をしてくれる。 答えが ” 戯れに ” であれば、「その首」落ちたであろうな」





 痺れる様な、緊張感に、エリスネールは身動ぎ一つ出来ないんだ。 ただ、簡潔に応える事が、彼女に許された事。 さもないと―――――― 。 殿下の片手には、研ぎ澄まされた、魔力の剣を帯びられていた。 一体、いつ紡ぎ出したんだ? それも、錬成魔方陣無しで……。 あぁ、無詠唱魔法と同じ理屈かぁ……。


 それに、殿下の闘気が、エリスネールを縛っているんだ。 逃げられない様に。 空間が歪んだ様に見えるくらいに……ビリビリとした緊張感が辺りに漂う。 殿下の、純粋な ” 怒り ” の、感情だったんだ。


 ヤバいよ。 ホントに怒ってらっしゃるよ。 でもさぁ、「審問官」斬り殺しちゃったら、シャレにならないよ。 緊急事態に、【隠形】を解き、姿を現し、殿下に近寄ったんだ。 その時の殿下の顔……。暗い、暗い表情が、反転したの。 


 ん? なんだ? 見知った顔が来て、ホッとしたのか? 取り敢えず、この状況を何とかしないとね。 いや、マジで、ヤバいよ。 きちんと、殿下の目を見ながら、 ” お願い ” を、口に出したんだ。





「殿下、お怒りを、お納めください。 コレは、「審問」に御座いました。 わたくしも、本日初めて知りました。 「審問」は、正規のモノであり、何ら問題は御座いません。 殿下に課せられた 「強き意思の審問」 は、他の方達の「審問」と違い、心の隙を突く「審問」で御座いました。 何卒、ご勘如の程、願います」


「そ、ソフィア。 うむ……」





 真剣な眼差しで私を見詰めるのよ、殿下。 その視線は、「説明せよ」と、言われた様なもんだよね。 判ったよ、説明するよ……。 でも、雰囲気ね。 詳細な説明は私にだって出来ないもの。





「殿下……。 通常の「審問」で御座いましても、戦闘の合間の「 隙 」を突かれます。 まして、このような状況に御座いますれば――――」


「……やむを得ない……か」


「御意に……」





 流石に聡いね……。 私の言葉を聴いてくれたのか、殿下の手から紡ぎ出されていた、魔力の剣は虹色の光と共に雨の夜空に消えて行った。サリュート殿下は、エルダー=サキュバスに向かい、口を開く。 





「審問官殿、やり方は気にくわないが、これが正規の「審問」であると、そう「証人官(ソフィア)」が言った。 相違ないな」


「相違ございません。 サリュート殿におかれましては、誠に、強き意思の持ち主と、「審問」致しました。 あれほどの幻想を以てしても、決して ” 禁句 ” を、口にすることは御座いませんでした。 「審問」は、成りました。 ……強く、強く、報告いたす所存に御座います」





 いつになく、険しい表情の殿下。 私を見る目と物凄い違いだよ。 何なのよ…… そうね、心の隙を突かれ、柔らかい、そして、隠しておきたかった事を暴かれ、目の前に見せ付けられたんだ。 まぁ、そうなるよね。 それにしても、エルスネールは、何を見せたんだ?





「それにしても、サリュート殿。 何処から疑念をお持ちだったのでしょうか? あそこまで深く、【魅了】を掛けられ、あれほどの【幻想】の中で……、 御心の中を覗き、その秘された思いを利用いたしました事は、誠に申し訳なく思いますが、これも「審問」 ―――この「審問」に関しましては、人族に対しての相当の攻撃となります。 大協約の誓文の中にある、相互不可侵に抵触するほどです。 「審問」 以外では、許されざる事に御座いました。  それ程の術を、一体どこから疑念を……。 お聞かせいただきたいのです」





 憮然とした表情を浮かべならが、エリスネールに対し口を開き、言葉を紡ぎ出す殿下。 視線を私に向けた後、彼女にもう一度、強い視線を向け言い切った。





「「証人官(ソフィア)」は、あのような事は決して言わない。 困難に喘ぐ者には、その手を差し出し、対価は求めず、好意に対しては、何処までも鈍感な彼女が、彼女の「心」を向ける相手は……、 俺じゃない。 その事は、良く理解している。 伊達に彼女の教官を務めていたわけでは無い」





 そのあと、呟くように小声で云ったんだ。 ”鈍感なのは、そう言った感情だけなんだ。 ソフィアを使った事が間違いなんだよ ” ってね。


 一体、この女は、何を ” 幻想 ” させたんだ?


 彼女は頷き、全てを理解したような顔をしやがった。 





「深夜、雨の中、申し訳ございませんでした。 聖女……、 いえ、「証人官」ソフィア様。 精霊様に証を……。 わたくしは、これにて下がります。 最後にして、最大の難関を、無事なされた事、お慶び申し上げます。 ―――聖女ソフィア様……、 無礼な発言お許し下さい……。 では」





 怒りの戒めを解かれ、闇に溶けるように、エリスネールは消えて行ったんだ。 消えゆく瞬間に、彼女は私にうっすらとした笑みを残しやがったんだ。 一体、どんな意味を込めたの? 全然わからなかったんだけど――――――?


 殿下は最後の瞬間まで気を抜かず、私を護る様に立っておられた。 少々疑問に思う事があったんで聞いてみたんだ。





「殿下、一体どのような幻想を見られたのでしょうか?」


「……甘く、甘美な思いと、絶望だった。 夢の様な一時だった。 そして、その夢を繋ぐ為に出てらしたのが、側妃様。 どちらも、絶対に手に入らない、甘美な夢……。 内容は……言わぬが花であろうな。 これは、俺の宝とする」


「……御意に」


「深夜の雨は冷たい。 湯浴みを願い出て、身体を温かく……な。 やまいにでも罹れば、それこそ一大事だ。 さぁ……部屋に戻ろう」





 背中に回された手が優しく私を押し出したんだ。 そうだね、言う通りだよ。 促されて、歩き出す前に、天空にまします、精霊様達に向かって、両手を組み、頭を垂れるの。 そう、感謝の祈りを……。




 精霊様、使節団の審問は、これにて全て終わりました。  全部の審問を潜り抜け、胸を張って跳躍門に行けます。




 全ては、精霊様の御心のままに。 




 厳しい「審問」では御座いましたが、エルガンルース王国の漢達は、「人族」として、「魔族」と並び立てるモノと証せられました。 




      わたくし、ソフィア=レーベンシュタインは、






        絶大なる感謝を…… 申し上げます。





             御加護と、





             慈しみと、





           示された道に対して、






         真摯に感謝の祈りを、捧げます。









 薄らボンヤリとだけど……頭を一つ……撫でられた様な……、そんな気がしたんだ。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ