第六十四話 『暗雲』
「それでは、そろそろ向かいましょうか」
私が玄関にて待機していると、出かける準備を終えたレティア様から声をかけられる。
私はそれに対し、短く「はい」とだけ返事をすると、彼女の後に続き、馬車へと乗り込んだ。
「楽しみですね、今日の試合も。今度は一体、どんな"規格外"を見せてくださるのか……」
「ええ、そうですね。レイジ様の勝利は確実でしょうが、そこに至るまでのプロセスはぜひ、見て勉強をしたいです」
「ふふふ……本当にフィルス様はレイジ様のことを信頼しているのですね」
「はい! 死ぬはずだった私を、その身を削ってまで救って下さり、身寄りがないとわかると、その後の面倒まで見てくださって……あれほどお優しい方は、そうおりませんから。獣人を連れ歩くなんて、デメリットしかないはずなのに……」
「そうでしょうか。少なくとも、レイジ様はそうは思ってはいないのではないでしょうか」
「それは……レイジ様はお優しい方ですから。でも、ご迷惑をおかけするようなことがあれば、あるいは……」
そうでなくとも、私はレイジ様にお世話になってばかりだというのに……
「あの、レティア様。私にも何か、レイジ様にして差し上げられることはないでしょうか……」
「そうですね。それなら――――あら?」
そこで急に、馬車が停止する。
会場まではまだのはずだし、どうしたのだろう。
それに、このピリピリした空気……何かを警戒している?
何か、深刻な事態に陥っている可能性があると判断した私は、すぐさま半吸血鬼の力を解放する。
右側の屋根の上から、呼吸音が一人分と、その下の路地から二人分。それ以外に人の気配が全く無い。
……状況はわからないけど、これはかなりヤバそう。
「レティア様。かなり危険な状況であると思われます。周囲には人払いもされていることから、待ち伏せされている可能性が高いです。敵の位置はわかっています。そこから死角になるように逃げますので、ついてきてください」
私が小さな声で発した言葉に、レティア様は黙って首を縦に振る。
それを確認した私は、左側の馬車の扉を開けてこっそり馬車から抜け出す。
そこにいた護衛が反応しそうになるが、その動きから脱出がバレかねないので、ジェスチャーでこちらの意図を伝えたところ、どうやら理解してくれたようで、護衛の皆は、私たちを無視してくれた。
そしてそのまま、屋根の上の敵が視線を逸らした隙に、向かいの路地に逃げ込もうとするが……直後、すぐ後ろの、丁度馬車と護衛の真下で、巨大な魔法陣が光輝き、護衛たちが次々と倒れてゆく。
私は一瞬、護衛の方達を助けに行こうかとも思ったが、今はレティア様の安全が第一優先だと思い直し、踏みとどまる。
そしてそのままレティア様だけを路地へと押し込むと、敵に気付かれる前に、私は別の角度から出てきたように見える位置まで移動してから、敵に襲いかかる。
その時には、ほぼ全ての護衛の方たちが殺されてしまっていたが、後悔はしない。
嘆くだけなら後でもできる。
半吸血鬼の力を解放した私でも、三対一は流石に辛い。
しかも相手はかなりの手練のようで、前に戦ったグジャシュニクの男ほどではないが、足止めするので手一杯だ。
この勝負が、確実に勝てないものであると判断した私は、殲滅から時間稼ぎへと目標を変え、戦闘を続けながらも、敵を現場から少しずつ離していく。
お互いに一言も発することなく、剣を、拳を交える戦闘は、まさしく殺し合いで、そのあまりの緊張感に押しつぶされそうになる。
レイジ様との試合の経験がなければ、ここまで戦えてはいなかったでしょう。
大会前で忙しい時期だというのに、人間相手の戦い方を教えてくださったレイジ様には、感謝しなければなりませんね。
移動を続けていると、段々と大勢の人の気配へと近づいているのがわかる。
このまま行ければ、あと少しで――――
そう思った途端、残酷にもタイムリミットが訪れる。
半吸血鬼の力の限界が来たのだ。
流石にそれなしでこいつらの相手ができるほど、私は強くはない。
最後まで抗いはしてみたものの、体ごと吹き飛ばされ、民家の壁に叩きつけられた私の意識は、深い闇の底へと沈んで行くのであった――――
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屋敷から全速力で来た道を引き返してきた俺は、事件現場に到着するや否や、すぐさま痕跡を探し始める。
戦闘まであったのだ。何かしらの跡が残っているはず。
せめて相手の去っていった方向だけでもわかれば……
しかし、いくら探しても手掛かりどころか、戦闘の痕跡すら全く見つからない。
おかしい……いくらなんでも、今朝戦闘が行われたにしては綺麗すぎる。
何より、血の匂いが全くしない。
下は石畳だ。血が流れれば、完全にキレイにするのはほぼ不可能といっていいだろう。
魔法を使えばその限りではないのかもしれないが……今はその可能性は捨てる。
でないと、完全に手掛かりがなくなってしまうからな。
しかし、そうなると現場はここであってここでなかった可能性が高いか。
そもそも、大会の始まる直前のこの時間、この通りを無人にするなんてまず無理だ。
ならば、魔法か何かで作られた擬似空間に、レティア達だけが入って行ってしまったと考えたほうが、つじつまが合う。
まあ、それほど大規模な空間をどうやって作り出したのかは分からないが、アーティファクトとかなら、それくらいできてもおかしくはないだろう。
しかし、そうなると厄介だな。
痕跡がない以上、そこから相手の逃走経路や、移動手段を判別するのは不可能だが……
徒歩はまずないだろう。
近場にアジトがあるなら別にして、何人もの護衛の死体を、鎧ごと持ち去っているのだ。
流石に荷物がかさむはず。
それに、敗北していた場合、フィルスもだ。
死亡している可能性はあえて排除するとして、生け捕りの場合、運ぶのは色々と面倒なはず。
ならば、最も可能性が高いのは馬車だが……この時期は、門を出て行くのにも簡単なチェックが入る。
死体を山ほど乗せた上に、生け捕りにした獣人まで連れているような連中をスルーするとは思えない。
ならば、まだ街の中にいる可能性が極めて高い。
更には、レティアを狙った犯行であったことを考えると、裏に貴族がいる可能性が高いか。
ならば潜伏先は、その貴族の屋敷か?
貴族街なら会場とは反対方向だし、大会中なら人通りもかなり少なくなる。
……それが一番可能性が高そうだな。ならば――――
「レティア様。少々お聞きしたいことが」
俺は屋敷まで戻ると、レティアの自室を訪ねる。
レティアならば、自身を狙う動機のある者を、ある程度把握しているだろうと考えたからだ。
「レイジ様でしたか。あの……申し訳ございません。フィルス様は、私を逃がす為に……」
俺に向かって謝罪をするレティアの顔は、悲しみと罪悪感の織り交ざった悲痛なもので、見ているこっちが申し訳なくなってしまう。
「それは良いのです。今更言ってもどうにもなりませんし、フィルスが自分で選択し、行動した結果ですから。それよりも、レティア様を狙う事によって利を得られる貴族に心当たりはございませんか?」
「!! それは、どういう事でしょうか。何かわかったのですか?」
俺は、レティアに先ほど考えたことを伝える。
するとレティアは、一分ほど考え込んだ後、その口を開く。
「……そうですね。私を誘拐――殺害の場合、最初の魔法陣で一掃してしまえば済むので、今回の相手の目的は、誘拐であったと想定しますが――それによって利を得られるというだけなら、誰が行ってもそれなりには得られるでしょうが、特別な理由でもない限り、それはリスクが高過ぎます。これでも私は、侯爵家の娘ですから。それに、今は古魔晶龍様に眷属にまでしていただいた身。それに手を出すなど、普通に考えれば無謀極まりないことです」
ああ、そういえばそんなこと言ったっけな。正直、半分忘れてたわ。
すまないレティア。忘れてたけど何かあれば助けるつもりだったから許してくれ。
俺が密かに、心の中で謝罪をしている間も、レティアの言葉は続く。
「これらのことから、今回の黒幕に当てはまる条件は二つ。一つは、私を誘拐する特別な理由のある者。二つ目は、古魔晶龍様を軽んじている――つまり、クリスフェデーレでない者でしょう。そして、現在レムサムに滞在している中で、その条件に当てはまる貴族は全部で三人おります。一人目は、バナード子爵家の次男、マーヴ・バナード。彼は以前、私にしつこく求婚してきたことがありまして……最終的には父に追い払ってもらいましたが、その時に色々あったので……」
ふむ。まあその手の輩は頭が弱い可能性があるからな。
短慮を起こして、今回のような無謀なことをしても、おかしくはない。おかしくはないが、しかし……
「ええ。正直彼の犯行である可能性は低いと思われます。バナード家自体は、至って普通の家で、私への執着はあくまで彼個人のもの。子爵家の次男程度では、ここまで大それたことをするのは、色々と難しいかと。可能性が無い訳ではありませんが」
ま、確かにな。
俺の仮説が正しければ、敵はアーティファクトか、かなり手練れの魔法使いを使って結界を張る必要がある。
そんなものを用意しようと思ったら、一体いくら必要になるか……
「二人目は、モーグレン男爵家の長男、アリアス・モーグレンです。と言っても、直接的に恨みを抱いている可能性があるのは、彼の父親で現当主の、アバイラ・モーグレンですが。以前、彼が爵位が上がるのではという程の武勲を上げたことがあったのですが、ちょうどそれと同じ時期に、父がより大きな功績を収めまして……その……陰に隠れ、霞んでしまったと言いますか……それで、逆恨みを」
あー……それはなんかもう、ドンマイとしか言えない。
でも、それでジウスティア家を恨むのは筋違いというものだろう。
とはいえ、向上意欲のあるいえが、逆恨みでこんなつまらんことをするとは思えんな。
「そして最後の一人、正直私は、彼が一番怪しいと思っているのが……」
む? 今の二人はあくまで違った時はそうかもという程度で、どうやら本命がいるらしい。
「アーゼルシア伯爵家当主、グランツィオ・アーゼルシアです。アーゼルシア家は、グレデルンブ家と繋がりがありまして、例の事件の調査をしている最中に偶然、アーゼルシア家が違法奴隷を売買している疑惑が浮上しまして……現在、国の指導の下、我がジウスティア家が調査中ですが、正直、ほぼ黒でしょう。証拠が揃い次第、国には報告が行くと思います。この国では違法な奴隷売買は重罪です。どれだけ軽い処罰になったとしても、主犯は死罪、お家も解体されるでしょう。それを止める方法は一つ。ジウスティア家に虚偽の報告をさせることだけです。無論、証拠が完全に揃っていない今、彼らの犯行であると断言はできませんが……家の持つ力なども考慮すると、一番可能性としては高いかと」
確かにな。
それに、動機も一番強烈だ。
そりゃ、死刑が確定なんてことになれば、なりふりなんて構っていられないか。
どうせ死ぬなら、どれだけ分の悪い賭けでもとは……考えてしまうかもしれないな。
「そうですね。話を聞く限りでは、私もそのアーゼルシア家が一番怪しいと思います。屋敷の位置はわかりますか? それから、このレムサム内に、他に彼らの自由にできる土地や建物などがあれば、それも教えていただけるとありがたい」
そうして、今手持ちにあるだけのそれらの情報を聞き出した俺は、下手に動いて察知されぬようにという事だけ念を押して、急いでアーゼルシア伯爵家の屋敷へと向かうのであった――――