〜エピローグ〜
暦の上では八月は終わりに近づき、しかし暑さは衰えを見せないとある日曜日。
残り少ない夏休みを外で過ごす子供や、買い物する主婦たちで賑わうアーケード街の一角に、忙しそうな足音が響く喫茶店があった。
「ああもう! ニックさん何度言えば分かるんですか! その飾りはもっと上のほうに、それじゃあ反対側と均等にならないでしょう!」
「そうは言うけどよ蘭香ちゃん、あんま垂らしすぎたら邪魔になんねえか? それに六人なんだしこんな派手にしなくても……」
「駄目です! せっかく引っ越してきた人への歓迎会なのに手を抜いてどうするんですか! さっさと飾りつけするっ!」
外まで漏れる大声で指示を飛ばす蘭香を、二人の初老の男性が見つめていた。
甚平を着た男と執事服を着た男。
二人は湯のみとティーカップという服装にマッチした物を持っており、しかして中身は日本酒だったりする。
「蘭香さんはカカア天下になりそうですね」
「けっ、ただ単にニックが弱いだけだろうよ。蘭香も蘭香で、もちっと女らしくなれねえもんかねえ」
頬に赤みを差しながら二人は言いたい放題。
酔っ払いの相手はしないに限ると蘭香はそれを無視してニックに指示を飛ばし続ける。
「ほらほら、次はこっちの飾り付けをお願いします。休んでる暇なんてないですよ!」
「か、勘弁してくれよ~」
弱音を吐くニックだったが、逆らえないのかその手はもう作業を始めていた。
一階から騒がしい物音が聞こえる中、二階の部屋には段ボールや梱包された家具が所狭しと置かれ、それらに囲まれるようにあるソファにライセは寝転んでいた。
疲れているのか顔に腕を被せ、窓から入る日差しを少しでも和らげようとしている。
冷房により快適な温度の室内ではあったが、荷物による圧迫感は何とも息苦しいものを感じさせる。
「……まさか引っ越し代金を俺に払わせるなんてな」
不意に出た独り言で、疲れが更に倍増してしまった。
値段は、ライセの様子から察するに安くはなかったのだろう。
握った料金票には片手では足りない数のゼロがくっついていた。
「ん――しょっと」
別の部屋へ続く扉から声が聞こえたと思ったら、大きなテーブルに何かが置かれた。
ライセがそちらに目線を向ければ、そこには小型のコンポがあった。
置いた張本人は探すのに一苦労した~と言いながら、テーブルに置いてあった麦茶を取って一気に飲み干した。
「やっとこれ見つけたよ~。お陰で汗かいちゃった」
「何だこれ?」
話しかけられたシエルは、ぱっと花咲くようにライセに笑顔を向ける。
「何ってコンポに決まってるじゃん。音楽を聴く機械だよ?」
「……いやそれは分かる。これをなんで今出したんだ? まさか今夜の歓迎会で曲をかけるつもりなのか?」
ライセの問いにシエルは首を振って否定する。
冷房の届かない部屋に行っていたからだろう、その頬は暑さで紅潮している。
「これに入ってる曲は一つだけ。それはあの夜、船で流そうと思ってた曲だよ。ライセと踊ろうと思ってた、お父様とお母様の思い出の曲なんだ」
軽いステップでシエルはテーブルに上がる。
両手を胸に当て、思い出すように瞼を閉じる。
「昔、二人が一番綺麗な思い出を作った時に流れてた曲らしいの。思い出の、特別な曲なんだって」
シエルは、その曲がプロポーズの時に流された曲だとは言わなかった。
それは先日、ライセが想いを受け止められないと言った事が僅かながらも関係する。
「……たとえ今、手の届かない壁の向こうにライセがいるとしても私は諦めない。この曲で、二人でたくさんの思い出を作っていくの。いつか、あの二人みたいな綺麗な思い出を作るまで――」
自分自身に語りかけるように言った後、シエルはライセに手を差し出す。
寝た姿勢のままのライセの顔に突き出されたその手は、もう前みたいに震えてはいない。
「ライセが私の想いを受け止めてくれるまで、絶対離れないから覚悟しててね?」
少しだけ寂しそうに見える笑顔は、それでもしっかりとライセに向けられていた。
受け止められないと言われてもなお、その先の二人の未来を信じて少女は笑う。
「……言っとくが、俺は踊りとかできないからな」
差し出された手を握り、ライセは気恥ずかしそうに言った。
ゆっくりとテーブルの上に立ち、狭い舞台の上で二人は手と手を握り合う。
「大丈夫だよ。ちゃんと私が誘導してあげるから、だから一緒に――踊ろう!」
曲が、流れ出す。
最初は小さく、段々と音を大きくしながら。
どこかで聞いた事のあるような優しいメロディーの曲。
それをBGMにして、ライセとシエルは狭い舞台のなか、共に最初の一歩を踏み出した。
そうして、分岐の報せは多くの人に告げられながら、それぞれの道を重ね始めていった――――
終。
自分は恋愛を絡ませたお話を綺麗にまとめられないのですが、この作品は比較的綺麗に出来たなと思っていました。
ちなみにシラセは、シエル、ライセ、セバスチャンの頭文字を取っております。