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〜第五章〜

物凄いスピードで風を切り裂く音が聞こえ、ほとんど勘で横に飛ぶ。

直後に鉄針が地面に突き刺さり、そしてそれは間髪いれずに襲ってきた。

四方八方、周りに生える雑木林から飛んでくる鉄針はライセの身体を貫こうと襲いかかる。

ギリギリの位置で避け続けるライセであったが、このままではクルーザーに辿り着くのは不可能であった。

一人ならいざ知らず、今腕の中にはシエルがいる。


(くっそ!)


相手の手の上でいい様に躍らされている。猛攻はしばらく続き、ある位置に着地した時それは唐突に止んだ。

地面には無数の鉄のトゲが生え、ライセはシエルを抱えたまま湖と雑木林に囲まれている袋小路に追い込まれる。

目の前の唯一開けた場所に、ゆっくりとした足取りで相手は姿を晒した。

細身のスーツを着た眼光鋭い女。アップに整えられた銀色の髪が生暖かい風に撫でられ、揺れるそれはトサカを思わせる。

白い手袋をつけた手に鉄針は握られておらず、地面に刺さっている大量の鉄針はどこに持っていたのか読みきる事ができない。


「……俺達に何の用だ?」


後ろと左側は足場の悪い雑木林に囲まれ、右は雄大に広がっている湖。

逃げ道は前のみだが、そこには敵がいる。

ハニスに雇われたかどうか知らないが、この場所への誘導や巧みに繰り出された鉄針の攻撃を見る限り腕は一流のそれであった。

殺傷能力の低い武器を使っているのは殺す意思が無い事を示しているのか、単なる本人の好みか。

ともかくライセでさえ油断の出来ない相手である。


「…………」


地面に降ろされたシエルが女を睨みつけるが相手は意に介さない様子でこちらへと歩み寄ってくる。

構えも何もないただの歩みなのにライセの本能は危険信号を発する。

依然緊張を解かない面持ちのままでいると女の歩みが不意に止まった。


「貴方が、ライセ」


独り言のように喋りだす。

無感情にその目はライセを見つめ、観察でもされているような気分にさせる。と、その目がライセの腕を見定める。


「護る対象の為なら傷つくのも構わないのね。やはり、聞いた通りの人物……」


ナイフでの競り合いで僅かに血を滴らせるその腕を一瞥し、女は視線を上げた。


「私の名前はミレリア。貴方達への用は、ただ一つ」


視線はライセを通り越し、後ろで庇われるように立つシエルを捕らえる。


「……ライセ、貴方に再び護れない絶望を与えに来たわ」


「――っ」


一瞬だけ、見えた。

ミレリアが懐から鉄針を取り出す際めくれた手袋の隙間から覗いた手首。

彼女の腕は、ライセが見慣れている紅色に染まっていたのだ。


「ライセッ!?」


シエルの悲鳴が聞こえた。

しかしライセはそれに反応する事なく、崩れるように地面に倒れ伏してしまう。

ミレリアの姿が目の前から掻き消え、直後身体に押し寄せた衝撃。

途端、神経全てを切断されたように動かせなくなった身体。

倒れた自分を中心に広がりだす、ドロリとした赤い液体。

朦朧とする意識の中、ライセの目には泣きじゃくるシエルが映る。

必死で何かを叫んでいるシエルだが膜を一枚張られたようにその声は遮断され、ライセの耳には入ってこない。

シエルの両手をいつの間にか縛り上げたミレリアは、立ち上がる事が出来ないライセへ小袋を投げる。

不思議な事に、ミレリアの声だけは膜をすり抜け耳へと届いてきた。


「この子を取り返したければ屋敷まで来るのね。その傷で立ち上げれるならの話だけど……その袋に入っている物を使えば、動けるようになるかもしれない。隊長も、それを望んでいる」


そして、ミレリアはシエルを抱えてライセの前から姿を消した。

残された言葉を頭の中で何度か反芻し意味を理解しようとしたが脳が上手く働かず、意識はあと少しもしない内に無くなってしまいそう。

焼けるように熱い身体は痛みで感覚を無くし、途切れ途切れの意識は司会を回し、自分の体勢さえどんなものか分かりはしない。

そんな中でも、ミレリアに連れて行かれた少女の笑顔は脳裏に浮かんでくる。


「……ぅ……ぁ」


か細く漏れる声と一緒に泡状の血が口から出た。

ゆっくりとライセの腕が袋へと伸びる。

焦点の定まらぬ目で、それでも二度と見失わぬように、失くさぬようにと手を伸ばす。

もはや本能に近いその行動は、やがて袋を掴み取る。

徐々に暗くなっていく意識の中で、ライセは誰かに呼ばれたような気がした――









「おい、ガキ――ちっ! ライセ!」


陽の暮れはじめた時間帯、怒声と一緒に飛んできた石を、名前を呼ばれた少年は難なく避けた。

瓦礫で埋め尽くされた地面を踏みしめながら歩く少年――ライセは、不機嫌に顔を歪めている男を見る。


「何?」


「今から本部に戻ろうってのにどこに行く気だ!」


「そっちは勝手に戻ってていいよ」


男の憤慨を見ても声のトーンを変えぬまま、ライセはまた歩き始めた。


「んな訳いくか――って! くっそ、あのクソガキがぁ!」


いくら呼んでもライセが振り返る事はなかった。

歳がまだ十を越えたばかりの幼い少年は、こうして大人に媚びることなく自我を強く持っていた。

自分の認めた相手の命令しか聞かず、もちろんこの男の事ではない。


「何だまたか? お前も大変だなぁ」


妙に間延びした、からかい気味の声が聞こえた。男はその声に反応せず、近くにいた何人かの男達に指示を出しライセとは反対の方向へと歩き出す。


「俺に八つ当たりすんなよ。お前も分かってんだろ? あいつが隊長以外の言う事聞かないのや、隊長に付けられたライセって名前でしか反応しないのも」


肩を叩いてくる手を男は払いのける。

怒りのためか大股で歩を進め、そうするとショルダーストックで下げられたサブマシンガンが音を立てて身体に当たる。

それすらウザそうに眉を寄せ、喋ってきている相手を睨む。


「うるせえよ! あのガキの話はするんじゃねえ!」


そんな様子を、前を歩く男達が怯えながら覗いている。

多くの地区を制圧するため展開された小隊の小隊長がこんな様子では、無理のない事なのだろうが。


「だいぶ頭にきてるな。けど、そのガキに関して面白い話があるんだが聞くか?」


「あ?」


怪訝な顔つきをする男。

目の前の男が持ってくる面白い話というのは大体がガセなのでどうにも信用できない。


「今回は目撃者がいるから信用性ありだぜ? お前も知ってるだろ、ちょくちょく取引に来てる蛙みたいな男。あいつが言ってたんだ」


「ああ、あの気持ち悪い人売りの男か」


愛想笑いをよく浮かべ、その生理的に受け入れられにくい外見で有名な男。

名前は誰も知らないようで、確かガマガエルと呼ばれているはず。


「あいつが前にあのガキを南ブロックで見かけたらしいんだよ。お前の小隊の担当地区じゃないから用なんて無いはずだろ? そしたら何とそこであのガキはよ――」








先ほど男達と別れてから無言のままライセは歩き続けていた。

同年代の子供より更に小さい身体に大きめの迷彩服を着て、不釣合いなサブマシンガンを肩からかけて歩を進める。

歩く道には無残に大破した戦車が置き去りにされ周りの建物は原型を留めないほど崩れている。

燻った火がちらほらと燃えて、火薬の匂いと人間の焼ける異臭がする中、それでもライセの顔に感情が浮かぶ事はなく歩みが止まる事はない。

そんなライセを物陰から見つめる目があった。

その数は一人二人で済むものではなく、何十という視線が注がれる。


「…………」


ライセは気づいていたが反応はしない。前に一度、そうやって見ている者にのため銃を向けた事があった。

――その時に、アイツに怒られたのだ。

身も心も傷ついた人達にそんな物を向けてはいけないと一人の少女にされたのだ。

一番古い記憶が人に銃を向けるものであったライセからすれば、その言葉は今までの自分の人生を全否定するようなものだった。

だがなぜか嫌な気はせず、真剣な瞳で真っ直ぐに見つめてくる彼女の事がもっと知りたくなった。

彼女もライセを拒まず、自分の街を蹂躙したはずの少年を優しく受け入れた。


(……あの目)


初めてだった。

今まで出会った目は時に嘲笑を、時に恐怖を、時に無関心を映すばかり。

彼女のような澄んだ瞳で見つめられた事など一度もなかった。

唯一認める隊長でさえ、彼女のように優しかった事はない。

初めての経験、なぜかもっと見ていたくなる彼女の微笑み。

屈託なく笑う彼女に釣られ微かに口元が動いた事もある。その時は、自分のような者でも笑う事が出来るのかと驚いたものであった。

少しずつ彼女によって色々な感情が心に刻まれていく。僅か、砂漠に水滴を落とすぐらいなのに確かに何かが変わってきている。

だからこそライセは、背中に大きなリュックを背負っていた。

開いた隙間から微かに食べ物の匂いがする、とても大きなリュックを。


「ライセ~!」


と、前のほうから名前を呼ぶ声が聞こえた。見れば修道服を着た少女がこちらに走ってきている。

肩で息をしながら笑顔で手を振り、ライセが精一杯の返事である微笑を浮かべると少女は顔を更に綻ばせてくれる。


「――もう待てないって皆が言うから、私が代表で迎えに来ちゃった」


数歩の距離まで走り寄ると少女は立ち止まり、真っ黒な修道服から覗く陶器のように白い腕を差し出してくる。


「じゃ、行きましょうライセ。皆待ってるよ!」


その行為に戸惑いを見せるライセ。

気付いた少女はお構いなしに手を掴むと、来た方向を向き次いでライセを優しい眼差しで見つめる。


「こういう場合は男の子から手を握るものよ? ジェントルマンを目指すなら覚えておくようにっ」


「……ごめん」


「分かればよろしい! ――なんてね。さ、皆待ってるから早く行こう!」


引っ張られ、二人は一緒に駆け出した。

手を引く少女は十代半ばのようでライセより幾分か年上に見える。

そうして二人が走り去った後、黙って見ていた物影の目の一つが動き出す。

その者が向かう先は、食べ物をやる代わりにと見張りを命令してきた、ライセと同じ迷彩服を着る男達のいる所――



「やあ、ライセ君いらっしゃい」


街と呼ばれた、今は廃墟としか言いようのない場所から外れの丘にその教会は立っていた。

所々銃弾の跡はあるが教会自体はしっかりと地面に立っており、崩れるような心配はない。


「いつも食べ物を持ってきてくれて本当にありがとう。こんな状況下では手に入れるのは難しくてね……この子達共々、とても助かっているよ」


教会の中にはまだ若い牧師が立っており、その姿は割れたステンドガラスから注ぐ光で何だか神々しく見える。

しかし現実は、食べ物を満足に手に入れる事さえ出来ないこの『戦争』の被害者。

――そう、この国では今戦争が起こっていた。

豪華な暮らしをする国王政府に、圧政に耐えていた国民らが立ち上がり近隣諸国までを巻き込む内戦が勃発したのだ。

ライセの所属する集団も内戦解決のために雇われた傭兵であり、その活動内容はブロック分けされた区画の制圧。

それによりこの国の軍隊の陣地を狭め動きを封じ、段々と弱った所を一気に叩くというものだった。

制圧の為に手段は選ばず、崩れている街並みはその結果生まれた悲惨な光景であった。


「あっ、ライセ兄ちゃん!」


ライセが牧師に挨拶した時教会の奥から無邪気な声が聞こえ、そして駆け寄ってくる子供達がいた。

この子達は戦争の犠牲となった者達の忘れ形見のようなもの。

まだ幼い、戦争という言葉さえ知らない幼い被害者であった。


「ちゃんと肉持って来てくれた?」


「私パン食べた~いっ」


「お菓子ある? 僕チョコレート食べたいよ~」


ライセより幼い子供達は我先にと詰め寄ってくる。

皆の目的はライセが持ってきたリュックの中身。

子供に服を掴まれ、引っ張られ、時につねられたりしてライセは困惑している。

毎回の事ではあるが、この子達にどう接していいのか未だに分からないのだ。


「はいはい、皆そこまで~。ライセが困ってるでしょう? まずは手を洗ってこようね」


「何だよ~。姉ちゃん食べ物独り占めするつもりか?」


「違うよ。お姉ちゃんが独り占めしたいのはライセ兄だよ? ねえお姉ちゃん?」


「なっ!?」


あどけない声でそう言われた少女は顔を真っ赤にする。

その言葉の意味の分からないライセはとりあえず解放されたので近くのイスに座ると、リュックを降ろしサブマシンガンの安全装置を確認する。

子供達の唐突な行動で何かあるか分からないので、一応マガジンを抜いておく事にする。


「へ、変な事言ってないで早く手を洗ってきなさい!?」


裏返った声で怒声が飛ぶと子供達の騒ぎ声も徐々に遠ざかっていく。

教会の中には三人が残るが、そのとき牧師が突然手を叩く。


「そういえば用事があったんでした。ちょっと外に出ますから――後はごゆっくり」


「ぼぼ、牧師さん!」


穏やかな笑みで牧師が出て行った後、教会内は沈黙に包まれた。

気恥ずかしそうにする少女と、特に何も考えていないライセ。

と、座るライセから少し離れた場所に少女は腰を降ろした。


「み、皆遅いね?」


「そうだね」


「あ、あのさ……」


「何?」


そこで押し黙る少女。聞き取れなかったのかとライセが近くに寄ると少女は驚いたように目を見開いて、口が惚けたように開いたままになる。


「何?」


再度問うライセに、少女は意を決したような顔をする。

眉根を寄せ、なにか強い意思の宿った目でライセを見つめる。

そして、やっと開かれた口からは言葉が発せられた。


「お、お菓子いっぱいあったら嬉しいかなぁなんて――」


口から出た思いがけない言葉に、違うの違うのと頭を振るが結局諦めたように溜め息を吐いた。

そんな感じで、出会って幾度目かの落胆を少女がしているのにライセは気づかず、その行動の可笑しさに小さな笑みが零れるのみ。


「――あるよ。お菓子もいっぱい」


それを聞いて少女は、まあいいかなといつもの観念した思いを抱くのだった――



「やっぱライセは鈍感だな~」


「姉ちゃんが可哀想に思えるよ」


「……早く、お菓子食べたい」


戻ってきた子供達からはそんな言葉が次々に飛んだ。

ライセが何の事か分からないといった顔をすると、少女が慌てて子供達に詰め寄る。


「あ、あなた達まさか見てたの!」


その声にほくそ笑む子供達。最初から最後まで見ていた事を告げると、少女の顔は赤くなってしまう。


「も、もう~!」


震えているのは怒りのためか恥ずかしさのためか。

視界の端で追いかけっこをする少女と子供達を捉えながら、ライセは近寄ってきた数人にリュックの中身を配り始める。


「ありがとうお兄ちゃん!」


「これおいしいっ!」


「ねえねえチョコは~?」


食べ物を受け取ると笑顔になる子供達。

それを見ていると、ライセの心の中がほのかに暖かくなる。


(……笑顔って、いいな)


無邪気に向けられるそれらは今まで無かったもの。

彼女のお陰で知る事のできた、とても大切な感情。


「あっ、俺らにもくれよ兄ちゃん!」


「私も欲しい~!」


追いかけっこをしていた子供達も気づくと近寄ってきた。

その後ろには、まだ顔が赤いものの穏やかに笑っている少女。


「もう……」


少女の呆れの声はしかし同時に鳴ったお腹の音で消されてしまう。

子供達やライセの視線が集まり、少女は耳まで真っ赤にさせてしまう。


「姉ちゃん、でかい音だな~」


子供の一人が言った一言で場は笑いに包まれた。

穏やかに、ここが危険な戦場の中だと思えない暖かな空気が充満する。

そして、少女に差し出される一つの手。


「どうぞ」


ライセの掴んだパンを少女は恥ずかしそうにしながら受け取る。

受け取った時に触れた手の暖かさは、心と同様に両者を繋いでくれた。

今は銃も、戦争も、殺しも、仲間も。全てを忘れていられる。

肩にかかる重たい武器の必要無いここは、ライセにとってとても居心地の良い場所。

いつの間にか、失いたくないと思えた、特別な場所になっていた。


「――はい。今ここに来ています。分かりました……あの約束、忘れないでくださいよ」


その教会内の様子を外から見ていた牧師は、握った無線機から聞こえる男の声に返事をしながら懐に隠した物に触れる。


「なら、明日という事で――」


切った無線機を握る手が、白くなるほど握られる。

子供達に囲まれ少女の傍に座るライセを見る目は、燃え上がるように憤怒の感情に満ち満ちていく。


「必ず明日、殺してやるからな……」


歯噛みする牧師の心には、復讐という名の炎が揺らめいていた――








次の日の朝、ライセは違和を感じながらも教会への道を歩いていた。

昨日、思っていたよりもお菓子を欲しがる子供達が多く食べられなかった子がいたので、任務の前に持っていく事にしたのだ。

少女には何も言っていないがどうせ教会に皆いるのだ、子供が起きていなくても牧師に預ければいいと思っていた。


(いつもの視線が、ない)


先ほどから感じる違和感の正体、それはいつも見てくる視線がない事であった。

時間が早いせいなのか。それでも視線が一つもない事は奇妙でならない、

それと、もう一つ。


(……僅かだけど血の匂いがする)


鉄さびに似た匂いが風に乗って鼻をくすぐる。まだ新しい、ついさっきまで生きていた人間から出た新鮮な血の匂い。

それは、教会と同じ方向から漂ってきていた。


「…………」


嫌な予感がした。心臓を鷲掴みにされたような気がしてライセは無意識に走り出していた。

そんな事あるはずない、自分の考えすぎだ。

そう何度も思うのだが、嫌な予感は消えてはくれない。

――そして、聞こえてしまった。

遠くの彼方で響いた銃声を。

ライセは今や全速力で走っていた。

息が弾もうが汗が流れようが関係なく、空気を切り裂くようにその足は地面を踏みしめていく。


「っ!?」


教会が視界に入った時、身体中に電気が流れたような気がした。

煙の上がる教会。崩れた壁。

断続的になる銃声と――子供の、悲鳴。


「――あああああああああああっ!!?」


絶叫に似たライセの叫びは大きく、悲しく、かつての大切な場所に虚しく轟いた――



割れたステンドガラスから光が差し込んでいる。

その光に照らされた場所には二人の男。


「な、何なんだこれは! 私はあの少年だけを殺せればいいんだ! 子供達は関係ないだろう!?」


悲痛な叫びを上げる牧師を、もう一人の男はただ見つめるだけ。

片目に眼帯をした男はその声に反応する事なく、報告にやって来た同じ服装の男と話をする。


「……来てしまったか。仕方ない、ここまで誘導しろ。戦ってもお前たちではライセに勝てん」


それを聞くと、やって来た男はまたどこかへと駆けて行った。牧師は無視され、それでも男に詰め寄り大声を上げた。


「あの子達はこの内戦の一番の被害者なんだぞ! その子らを更に苦しめるなんて……あんたらは、どれだけ私から奪えば気が済むん――」


最後の方は掠れた声になっていた。

何かが激突したような衝撃を感じた腹を触ると、湿った感触が返ってきた。


「なん……っ」


分からない、といった顔をして崩れ落ちる牧師。

倒れた床にはみるみる血溜まりができ、口からも大量の血を吐きだす。


「さっきから聞いてると何とも身分を履き違えた言い分だな。お前は、お前達は所詮殺される側の人間だ。ライセに要らぬ知識を与えているようなのでお前の話に乗ったが、そもそもライセを殺せると思うのか? あの、誰よりも狂気と殺しの才能に恵まれた化け物を」


赤く染まり血を滴らせる男の二の腕。

片方しか見えない目には冷酷な色が宿り、牧師を嘲りの笑みで見下ろす。


「くっ……そ……」


最後にそう言って牧師は動かなくなった。

首元に下げたロケットを握り締め、頬を涙と血で汚しながら、そうして彼の命は終わりを告げた。


「――!」


その時、開け放たれていたドアからライセが入ってきた。

服には血しぶきが付き、手に抱えるサブマシンガンの銃口からはうっすらと煙が吐かれている。


「……牧師さんを、殺したの?」


幼い喋りには怒りが込められていた。

相手の返事を待つ中、突然に懺悔室の扉が開く。


「あ~あ、壊れちゃったよ。もう少し楽しめると思ったんだけどなあ」


「……クソガキ、こんなに早く来るなんてな」


姿を現したのは昨日、ライセに怒っていた小隊長の男とその横で薄笑いを浮かべていた男だった。

下劣な笑みを浮かべ、小隊長の男は片手に誰かの腕を掴んでいる。

そして、明かりの灯っていない暗い部屋から引きずられ出てきたのは――


「――――――」


「まさかまだ処女だったなんてなあ。てっきりテメーとしてるもんだと思ってたぜ」


はだけた修道服。隠すべき所が露わになっていても反応をしない、一人の少女。

白い肌に付けられた生々しい傷は赤く、青く、アザになっている。

大腿を伝う白く濁った液体は酷い匂いを発し、それは服や身体、口元など至る箇所にこびり付いている。

虚ろな少女の瞳に光は無く、ライセは思考の停止した頭でそれを見つめていた。

ただ心の中で昨日の笑顔が浮かんでは消えてを繰り返し、目の前の現実を、昨日の笑顔と重ならぬ少女の顔を、色の違うオッドアイで見つめ続けるだけ。


「……お前をたぶらかし、要らぬ知識を与え食料を要求していたこいつらは敵だ。だから制圧の命令を下した。お前に伝えなかったのは、今のようになるため」


喋る隊長の声も頭に上手く入ってこない。

食料は自分が勝手に配っていただけだと、要らない知識を教えられたんじゃないと言いたかったが口は動いてくれない。


「この娘がお前を騙し、食料を掠め取っていた当事者なのだろう? ――隊長命令だ。そいつを殺せ」


「っ!?」


全身の血が、凍った気がした。

今まで何百と下された殺しの命令が、こんなにも心を締め付けたのは初めて。

こんなに嫌だと思う事は、初めてだった。


「やはりお前にこの場にいる者達を殺しは出来ないだろう。だからこそ、俺達だけで殺しに来たのだ。貴様を懐柔した者達を殺すために」


「やめ、」


「これは、お前のためだ」


「……やめ、ろ」


「お前の心が真に欲しているもの。それはこの匂い、この色だ」


「――――っ」


――その音は、嫌に頭の奥にまで鳴り響いてきた。

音と鳴動するように、心の中で何かが壊れた気が、した。

何も映さず動く事の無くなった少女の瞳を見つめながら、ライセの手は自ずと腰のポーチに伸びる。

指に摘まれた一粒の赤いカプセルをゆっくり飲み込むと、それはすぐ溶け溶岩のように血をたぎらせる。


「テメーがその気なら、俺らも容赦しなくていいな」


掴んでいた細い腕を離すと、男達も同じカプセルを飲み、途端紅色に腕が変色していく。

――そして次の瞬間、首から血を噴き出し地面に倒れ伏す。


「……はは、」


乾いた笑いはライセの声。心から漏れていく大事な気持ちは笑い声となり、頬には一筋の水滴が流れる。

だがそれに気づく事無く少年の笑いは続く。


「ねえ隊長、どうしよう……」


言われた言葉に隊長は軽く身構えた。

腕を前で交差させ、じっとライセを見つめる。


「護りたかったのに……ずっと一緒にいたかったのに」


周りで聞こえていた銃声はいつの間にか止んでいた。きっともう、殺す対象がいなくなったからだろう。


「心に穴が開いたみたいに凄く痛いんだ。どこも、怪我なんてしていないのに……」


上げられた視線に力はこもっておらず、年相応の脆弱な雰囲気がライセを包んでいる。


「隊長の血をこの腕で吸い尽くせば、この穴と痛みは無くなってくれるのかな……」


血が旋風のように舞い、その場にいたはずのライセの姿は消え、殺意だけが周りに充満する。


「……やはりお前は天才だ!!」


気づいた時には付けられていた傷から血を出し、それでも隊長は愉快そうに叫んだ。

紅色の腕を最大限に広げ、まるで懐に招き入れるようにライセを待ちかまえる。


(……護りたかった)


腕に力を込めながら思った瞬間、ライセは気づく――自分の、本当の気持ちに。


「隊長――あんただけは絶対に許さないっ!」


「仇討ちか、やってみろ! お前の才能を俺に見せ付けるんだ!」


――その後、教会は燃えて数多の死体は消し炭へと果てた。

最後の最後、教会に火を付けた隊長は死んでもおかしくない身体でライセの前から消えた。

燃え盛る炎の中、少女の亡骸を腕に抱きながら、ライセは、か細く、弱々しい声で何かを言う。

それに答える者は誰もおらず、少女の金色の髪は血に汚れたまま炎に包まれていった――








「……懐かしい事、思い出したな」


先ほどの攻防が嘘のように静寂を取り戻した湖のほとり、ライセは立ち上がると小さく呟いた。

血がべったりと付いたシャツが肌に張り付き気持ちが悪いが、今はそんな事を言っている場合ではない。

口の中に溜まっていた血の塊を吐き出し、身体がちゃんと動くか確認してみる。


「今度こそ死ぬかもな。まあ、でも――」


先ほど渡されたもの、それはM・О・Sであった。

朦朧とした中で飲んだそれの作用で、痛覚は麻痺しているが怪我が治ったわけではない。

今は止まっている傷口の血も、いつ噴き出すか分からないしM・О・Sの効果が消えた時一気に来る痛みでショック死というのもあり得る。

――しかし、それでも。


(護るって決めたんだ。これじゃあ、あの時と何も変わらない。変われない……)


身体中を駆け巡る血の本流が血管からエネルギーを送り続け、活力となって身体を熱くさせる。

落ちていた小袋を懐にしまうとライセは顔を上げた。


「今度こそ、俺は護る」


ライセの見据えた先は、屋敷のある方向――








「何だ! 何が起きている!?」


部屋にいたときに突然響き渡った爆発音。次いで連鎖的に鳴る銃撃の音に、ハニスは慌てて部屋から飛び出た。


「一体どうなっているのだ! 説明しろ!」


扉の前に控えていたゲイルに問いただすが、彼も困惑しているようで明確な答えは返ってこない。

無線機を使い色んな所へ連絡をしているが、返ってくるのは悲鳴と耳をつんざく発砲音だけ。

ジップは黒服の何人かと玄関の警護にあたっていたが、その彼と連絡を取ろうとしても返事は未だ無い。

不安と言い知れぬ恐怖が込み上げ、ハニスは金切り声を上げてゲイルに詰め寄った。


「これはどういう事だ! お前らはプロだろう、なぜ僕の周りで銃声が聞こえる! そんな事から守るのが仕事だろうがっ……貴様みたいなクズでも役立てる唯一の事だろうが!」


激しく罵るがそれで音が止むわけでは無い。

ゲイルは冷静になろうと息を数度吸いゆっくり吐く。


「ここから離れましょう。何が起こっているか分かりませんが、何者かに襲われているのは確かです。私が命を賭けてハニス様を飛行場まで連れて行きます。さあ、早く行きま――」


「へえ~。ならさあ」


ハニスの腕を掴み歩き出そうとした瞬間――子供の声は唐突に聞こえた。

目で見るより先に声の方向に銃を突きつけ、ゲイルは容赦なく引き金を引いた。


「その、賭ける命が無くなったらどうするつもり?」


しかし弾は当たらず壁に撃ち込まれ、同時にゲイルの巨大な身体は床へと崩れ落ちた。


「――って、死んだら何も出来ないから意味ないよね」


沈んだゲイルの前にはキリが立っており、両手を軽く振っている。

振られる度に血が垂れそれを鬱陶しそうに見た後、床にへたり込んでしまっているハニスを見据えた。


「ロウ~、こいつがハニス?」


「ええ、もらった写真ではこの人で間違いありませんね。――おや、相当怖かったんですね」


近くに立っていたロウが見つめる先には、しとどに濡れたハニスの股間が映る。

異臭を放ち広がっていくその水にキリはあからさまに嫌悪の顔をする。


「げっ、何だよこいつぅ~……もういいや。こんなのとっとと片付けよう」


明確な殺意で放たれた言葉を聞いた瞬間ハニスは叫び声を上げた。

ガタガタと震えながら必死に懇願するような目で、目の前のキリとロウを見る。


「か、金ならいくらでもやる! 何なら僕の専属のボディーガードとして雇ってもいい! ほ、欲しいものは何でもやるから、ここ殺さないでっ!?」


涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ハニスはすがり付くようにロウの足に絡みつく。

床に額を擦りつけながら、死体となったゲイルの横で惨めな姿を晒すハニス。

そこには傲慢な男の姿はなく、仮面を剥ぎ取られ暴力に屈する男が一人いるだけだ。


「……」


無言でそれを見下ろすロウ。

キリは視界にも入れたくないのかそっぽを向き、血塗られた手は強く握られている。


「あなたは……」


いつの間にか止んでいる銃声のお陰か、聞き取れるぐらいの声量でロウは喋る。

媚びへつらう様な顔で見上げたハニスは、だが一瞬で顔面が蒼白に変わった。


「あなたはそうやって助けを求めた少女達に何をしました? ――あなたのような人間はさっさと死ねばいいんですよ」


「――!」


瞬間こめかみから血が噴き出し、ハニスは床に這いつくばってしまった。

まだ意識はあるらしく、離された手を掴んでもらおうと弱々しいながらロウへと伸ばしてくる。


「……ぼ、僕はあの、エンドバーン家のっ」


「残念ですが、殺すように依頼したのはあなたのお兄さんです。つまり、あなたが死んで喜ぶ者はいても困る者はいないんですよ」


「そ、んな。に……さん、が――」


そこまで言って、ハニスの言葉は聞こえなくなった。

「……脳の神経を切断しました。あなたはこれから徐々に迫る死の恐怖をはっきりした意識で感じながら、動かせない身体のまま死んでいくんです。簡単に死なせては、つまらないですからね」

ハニスの力なく開いた瞼から見える眼球がせわしなく左右に揺れる。まだ生きている証拠のその動きはロウを見て、キリを見て、助けを求めて動き続ける。

と、眼球内に血が進入し白目は見る見るうちに赤く染まっていく。視界いっぱいを血に占領され何も見えなくなったハニスは、自分が死ぬその時までその色を見続ける事になる。

何よりも鮮やかな、紅の色をした血の色を。


「ロウ……」


キリがいつもと違い弱く名前を呼んだ。

見ているのは先ほどまでハニスがいた部屋。

中に向けた銃を持つ手は、心なしか震えて見えた。


「……せめて、苦しまないように死なせてあげます。私に任せてあなたは下がってなさい」


その部屋を覗くキリとロウの目は、微かに涙で濡れているように見えた――








「くっそ! 何がどうなってんだよ!」

言って地面にへばり付くように茂みに隠れていたニックは舌打ちをする。


突然聞こえた遠くでの爆発音、それをきっかけにしたように屋敷からは銃声が鳴り響いた。

その音はどんどん激しさを増し、鼻を微かに火薬と血の匂いが撫で始める。


「……爺さん大丈夫かな」


ふとニックの脳裏にはセバスチャンの顔が浮かぶ。

ちょっとの強い風でも倒れそうな年寄りが、もしこの銃撃戦に巻き込まれていたら間違いなく命は無いだろうと思う。


「仕方ねえ……」


携帯を取り出し登録しておいた番号へダイヤルする。

繋らなかった場合はアウトと考えていいだろうが、もし出た場合は助けにぐらいは行ってやろうと思ったのだ。

このまま隠れて見捨てるなんて、男が廃るというもの。


「頼むから生きててくれよ~」


そうでなければ寝覚めが悪い。

祈る気分で携帯の電子音を聞く。一回、二回――四回目がなった時、音は止み通話状態に切り替わった。


「っ爺さんか! あんた今どこにいる!」


電話口にいるであろう相手に呼びかけるが返事はない。

怪訝に思いもう一度叫ぼうとしたら、向こう側から声が返ってきた。

だがそれは、聞いた事のない男の声。


「……誰だ? 雇われた黒服の生き残りか?」


平坦な、感情の起伏の感じられない声。

人間がここまで感情を無くせるものなのかと背筋に悪寒が走るくらい、その声は無機質に耳に入り込んだ。

しかしニックのそんな思いなどお構いなしに男は続けてくる。


「セバスチャンへ電話は通じん……くくく、貴様は運がいいぞ! 今なら敷地内の裏口には誰もいない。この場から惨めに逃げ、貴様は俺達の存在を世に伝え聞かせるのだ! 俺達は全てを染め上げる集団――『深紅』!」


そう言って一方的に通話は切られ、もはや聞こえるのは電子音と時折の銃声だけ。

ゆっくりと携帯をしまうとニックは裏口のある方を見た。

確かに電話の男の言った通り、あちら側からは何の音もしない。しばらく考え込むようにニックは目をつぶり、そして何かを決めたように瞼を開けた。


「待ってろよ爺さん!」


ニックは中腰の姿勢に起き上がると、見据えた方向は裏口でなく屋敷の方角。

腰に携えていた銃を握り、知り合って間もない老人のため危険渦巻く場所へと乗り込もうと意気込んだ。


「…………へ?」


進み始めていた足が思わず止まる。

目をしばたかせ、見間違いではないかと何度も凝視する。

しかしそれは遠く小指ほどにしか見えないが、紛れもない人間。

――その人間は、突然現れたのだ。



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