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〜第一章〜

 太陽が力強く輝いている八月の半ば。

容赦のない陽の光は雄大な緑樹へと注ぎ、アイリッシュ海から吹く生暖かい潮風は人々の不快感を煽り、気力を削いでいる。

スコットランドの首都であるエディンバラから数百キロ程離れた場所に、まるで時間に置き忘れられたかのような古い石造りの屋敷があった。

ゴシック様式で建てられている屋敷は石壁や屋根にひび割れがあるものの、しっかりと広大な芝生の庭に建ちその貫禄ある体躯をそびえさせていた。

道路からは庭を切り裂くように石畳の道が玄関まで伸びており、それを伝うように何台もの大型トラックが停まっている。

荷台からは大量の荷物が運び出され、それらは細かくラッピングされた調度品であったり分厚く包装された大きな物だったり。調度品の豪奢な作りは品々の高級さを如実に醸し出していた。

荷台から荷物を降ろしていたスーツ姿の褐色をした男が、ふと溜め息を漏らす。


「はあ、何で警護に雇われた俺らがこんな引越し業者な事をしないといけねえんだ! ライセお前もそう思うだろ!」


気温と作業のせいで大量の汗をかいた顔を向け、下で荷物を受け取っていた者に話しかける。そこにいたのは褐色肌の男と比べると随分若い、青年と呼ぶのが相応しい男だった。

アジア系の顔つきと一見細身に見える身体は頼りなさを感じさせ、しかし左右で違うオッドアイの瞳は刃物のような鋭さがあり、その男の雰囲気を脆弱にはしていない。

目線だけを褐色の男に向け、面倒くさそうに荷物を離れた場所にいた他の男に渡して、ライセと呼ばれた青年は答える。


「文句言う暇があったら早く降ろせよ。警護対象に逆らうつもりか?」


不機嫌な声色ではあったがライセは休みなく動いている。

てきぱきとスムーズに荷物を降ろして他の者へと渡す。それを見て、褐色の男はまた溜め息を漏らした。


「日本人は勤勉って聞いてるが、勤勉すぎだぜお前は。こんなんじゃ俺の傭兵としてのプライドは傷つきっぱなしだっ!」


眩しく映える青空を仰いで男は叫ぶ。ライセはそれを冷めた目で見つめ……無視して作業を再開する。


「無視すんなよ俺が淋しいやつみたいじゃねえか」


「……ニック、いいから仕事してくれ」


強い日差しの空の下、二人の実のない話は荷物を運び終えるまで続いていた――







最後の荷物である革張りのソファを玄関ホールに持っていくと、そこでライセ達は誰かに呼び止められた。


「君たち、それは二階の私の書斎にお願いできるかな?」


おおらかな喋りで話しかけてきたのは立派なヒゲを生やした男、ライセ達の雇い主である。

手には我が家代々の領主の証だと語っていた杖を持ち、金色短髪の男は杖で二階の隅を指しながらウインクする。


「妻には内緒だから、静かに素早く運んでくれたまえよ?」


そう言い残すと奥の部屋へ向かっていった。雇い主の姿が見えなくなった後、ニックは引き笑いを浮かべながら震えた声を出す。


「ひゃ、百戦練磨の傭兵である俺を単なる荷物運びに雇っておきながら……謝りもしねえのか!」


「ほら、言ってないで運ぶぞ」


先ほどからうるさいニックに辟易しながらライセは歩き出す。それに引っ張られるようにニックも歩き出し、まだブツブツと文句を言いながらも二人は書斎の前に辿り着く。

本棚に圧迫されかけている部屋にソファを置いてエントランスホールへと降りてくると、なぜかそこには一緒に荷物を運んでいた他の傭兵達が集まっていた。


「何で集まってんだお前ら?」


「……もう終わりみたいだから一箇所に集まるよう奥方に言われたんだ。お前らもここにいろよ、話があるらしいからな」


無愛想ながらも答えた男の言葉を聞き二人も後ろの方へと並ぶ。

ほどなくして何人かのメイドを引き連れた女性が奥の部屋から現れた。

いかにも仕事の出来そうな切れ長の目の女性。先ほどの男と同じ金髪のロングヘアーを揺らしながら、ハイヒールを響かせ歩いてくる。


「皆さん、今日はご苦労さまでした。おかげで充実した旅行が出来ましたわ」


上品な笑みを浮かべ、おもむろに片手を上げる。すると後ろに控えていたメイド達が一歩前に踏み出し持っていた封筒を男達へと差し出した。


「依頼のお話通りの金額です。お確かめになっても構いませんよ?」


受け取った何人かは遠慮することなく中身を確認する。メイド達がその行動にな顔をしているが、女性はといえば笑顔を浮かべたまま。

金額を確認した男達から抗議が上がらないのを見て確認した後、女性の言葉はなおも続いた。


「実は、今から皆さんに別の依頼を頼みたいのです。内容は同じく警護。今日から屋敷に一週間滞在するある人の警護をしてもらいたいのですが、いかがでしょう?」


いきなり出された依頼追加の話に、傭兵達は一様に渋い顔をする。

元々報酬が良かったのでこんな田舎に住む貴族、シュバレニア貴族夫婦の護衛を受けたのだ。

何人もの傭兵が雇われ、しかし護衛期間でやらされた事といえば雑用その他。とても味気のないものばかりだった。

今回の依頼で金の入った彼らからすれば、なんの面白みもなかった依頼の延長と思われるこの依頼を受けようとは到底思えなかった。


「無理を言っているのは承知していますわ。ですから金額は今回の三倍、お支払いします」


その言葉に傭兵達はどよめいた。今回の三倍の金額とは相当のもの、確かにつまらない護衛などしたくはないが、金を行動理念の一番前に置いている彼らからすれば魅力的と言わざるをえない好条件である。

しかし、それを聞いたライセは興味のない顔をし、玄関の方を振り向くとそのまま歩き出す。


「あら、あなたは依頼を受けてくれないのですか?」


「……俺は同じ人から二度、依頼を受けないようにしているんです」


女性の声に返事をしてから玄関扉を一気に開ける。

後ろからニックが呼んだが、今は前から押し寄せてきた暑い空気で頭がいっぱいである。どこかで涼みたい。

そうして、ライセは屋敷を後にした。まさか、またこの屋敷に戻ってくる事になるとは思いもしないまま――



広大な敷地内に停められた一台のトラックへ近づくとライセは荷台に置いていた自分の荷物に手をかける。

手早く私服を取り出し着替え、ふと思った。


(これはどうしようか)


返さなくていいと渡された、どこかのブランドもののスーツ一式。

だが持って帰っても荷物になるだけなので荷台の中に放っておくことにし、処分はあちらに任せる事にした。

飾り気のないジーパンとシャツ、そして古ぼけた迷彩柄の帽子を被るとライセは荷台から降りた。


「確か、エディンバラ空港までは長距離バスがあるって言ってたよな……」


エディンバラはおろか小さな町からも何十キロと離れたこの屋敷の近くには、シュバレニア貴族が買い取ったバス会社のバス停があると、護衛前の説明でメイドから聞かされていた。

地平線まで伸びた道路を歩き教えられていたバス停へと向かう。

バス停に着き空港行きの時間を確認すると、今から一時間以上も間が空いていた。

チリチリと肌を焼く日差しにうんざりしながらふと横を見ると、時刻表の隣に古ぼけた看板が立てかけてある。

何気なく読んだそれは近くにある湖の案内版であった。


(暇つぶしにはちょうどいいな)


気だるそうな足取りで書かれていた地図の方向へと向かい出したライセ。

そんな、ゆらゆらと揺れる地平線の道路を眺めながら歩くライセのはるか後方。

道路脇の茂みから覗く双眸がある事に、彼はまだ気づいていない――



湖には十数分ほどで着くことが出来た。雄々しくそびえる山々が後ろには連なり、磨かれた鏡のような水面へと映りこんでいる。

透き通るような空の青さと雲の白さ。山の鮮やかな緑が水面という自然のキャンパスに描き込まれ、暑さを忘れさせる程の美しい風景を作り出している。

ただ一点、巨大な人工物がなければの話だが。


「……これもあの夫婦のか?」


思わず口に出したライセの視線の先、巨大で豪華なクルーザーは波も立てず湖の端に泊まっていた。

ここ一帯の土地はシュバレニア貴族が所有しているらしいので湖も例外ではないのだろうが、あれに乗りながら優雅にクルージングを楽しむ夫婦の姿が目に浮かぶと、呆れ溜め息が漏れてしまう。

人工物の登場に興ざめしたライセは木陰に腰を降ろすと静かに目を閉じた。

帽子を目深に被り木に寄りかかった姿勢になると、風が全身を撫で眠気はすぐにやってくる。

甲高く鳴く虫の声も雄大な自然のざわめきにしか聞こえず、耳障りというよりもむしろ心地よい音に聞こえてしまう。

バスがくるまで少しの間だけ眠ろうと瞼を閉じる――と、肌を刺すような気配が後ろから近づいてくるのにライセは気が付いた。

まだ距離は百メートルはあるだろうか。後ろの生い茂る森から近づいてきているその気配はこちらに対し、明らかな殺意を放っている。

警護に一緒に雇われた庸兵達の誰でもない、それは知らない気配と殺気。

姿の見えない突然の来訪者に、しかしライセは慌てることなく荷物のリュックを探った。

取り出したのは大振りのナイフと小振りのナイフ数本。それらは柄の部分が使い込まれたように色あせ、よく見ると刃も細かく欠けている。吸い付くように馴染むナイフを確認すると、ライセは次に自分の気配を消しにかかる。

そして、木に寄りかかった姿勢のまま手を胸の高さに固定する。

ゆっくりと息を吐き、全神経で相手の動向を探った。


(あと五十……四十五……四十…………三十)


いつもここまで近づかれれば、靴の擦れる音や踏み潰された草の匂いが感じられるはず。

なのに今回はそれが感じられない。かなりの熟練者でないとそんな動きは出来ないと思うが、それにしては気配が漏れすぎであった。

まるで、見つけてくれと言っているようなほどに。


(……まさか、俺を試しているのか)


いまだ近づく相手の真意を推測しライセの頭には疑念が浮かぶ。


(何のためにそんな事する?)


帽子のつばから覗く目に狂気を孕ませながら、相手の考えを解こうとする。

だが答えなど分かるはずもなく、ともかく今は相手に集中する事に決める。


(あと……十メートル――――今だっ!)


瞬時に横に飛び、予め予測していた相手の位置めがけてナイフを放る。

疾風のごとき速度の凶器は直線の軌道を飛び、見知らぬ来訪者へと飛んでいった。

だが――しかし。


「!?」


それは相手に刺さらずに、持っていたのであろう黒光りする何かでナイフを難なく防いでいた。


「……フライ、パン?」


黒光りする何かを見てライセは呟いた。どう見ても相手の手にあるのはフライパン。しかも、手入れされ使い込まれた感のある代物だ。

予想の範囲を越えた物の登場に驚くライセであったが、相手の姿を確認して更に表情に驚きが走る。


「老人、だと?」


数メートル前に立っていたのは、屋敷の執事が着ていた服と同じものを身に着けた老人であった。

白髪の髪が風に揺れて、吹けば折れてしまいそうな身体は決してあの尋常でない殺気を放つ人間には見えない。

だが、殺気は消えず老人の方向から放たれている事に間違いはない。自分の感覚と視覚情報のギャップに困惑していると、老人はおもむろにライセの投げたナイフを拾った。

それを無表情で眺めると突然フライパンを宙に放り投げる。

ライセの目が一瞬だけフライパンにいった瞬間、老人の姿は目の前からのように掻き消える。


「っつ!?」


いや、正確にはライセの後ろへと回りこんで首筋にナイフを突き立てていた。

ライセは振り返りの動作と連動するように持っていたナイフを滑らし、ガードはしたが気を抜けば切られる程に刃は肉薄している。


「あんた……何者だ」


暑さのせいではない汗を流し眼前の相手に質問する。しかし相手は無表情でナイフを突き立てるのみで答えようとはしない。


「後で、ゆっくり聞かせてもらうぞ」


言った瞬間蹴り上げた足を老人の急所にぶつける。容赦のない一撃を食らい相手の動きが鈍くなった隙をついて、素早く身体の位置を入れ替えた。

拘束するためナイフを持つ手を首に回そうとした瞬間、光る白刃が眼前を斜めに走った。


「ちっ!」


まさかすぐには復活しないだろうと思った自分の甘さに舌打ちし、すぐに防御に回るが間に合わなかったようで手首に痛みが走った。

老人を睨みながらバックステップで距離を取ったライセは、先ほどよりも濃い疑念を浮かべる。


「本当に何者だ?」


「…………」


 やはり反応はない。ちらりと手首を見ると少量とはいえない血が流れており、もうこちらの手は動かさない方がよさそうだった。


「反応速度は上々。ただ、読みが甘い。それでは、お嬢様をお任せできませんぞ?」


「は?」


あまりに突然老人が喋り出したが、言った内容の意味が分からなかったのでライセは聞き返してしまった。それに老人は無表情のまま目線だけを合わせ、しわがれた声を発する。


「今の私に勝つのは無理かもしれませんが、でも一太刀は浴びせてくれなければ……」


老人の白い手袋をつけた手が、再び向けられる。


「殺しますぞ?」


ここからが本番とばかりに、今までとはまったく異質で比べ物にならない殺気が辺りに放たれる。

相手の異常なほどの殺気にライセの表情は固まる。


「な……」


だが、それは恐怖のせいなどではなかった。

それは数年前、忌まわしい記憶の中で感じた事のある殺気そのものだったのだ。


「あの頃からどれだけ成長したか見たかったのですが、期待外れのようでしたな」


無表情であった老人の顔に憂いの感情が浮かぶ。だがライセは反応せず、油断なく老人を見続ける。

その目は依然、驚きに形作られたままであったが。


「何で、あなたがここに……」


「そろそろ再開いたしましょうか」


被せられたその声を聞く暇も無く老人は走り出した。

跳躍するように一気に懐まで潜り込んできた老人は、ライセの首めがけてナイフを繰り出す。ライセは身体を半回転させそれを避け、その動きの延長で右足を上方へと叩き込む。

顔にはもう困惑の色は無く、今はプロの傭兵として対処する事に決めた様子。

老人は蹴りを片腕で難なく防いだが、見越していたようにライセはもう屈んだ体勢になっており瞬時に円を描くように足払いを放つ。

が、それも老人は軽やかに避ける。着地をするや否やナイフを胸の前に突き出してライセに突進する。

ライセは被っていた帽子を持つと、腕を『二回』振るった。老人は目の前に飛んできた帽子を勢いを殺さぬまま手で払いのけたが、突然にその顔には驚きが走った。

胸の前にかざしていたナイフを顔まで持ち上げた瞬間、甲高い金属音が辺りに響き渡った。

そうして止まってしまった老人の足元に転がったのは、ライセが持っていた小振りのナイフが一本。


「ふっ!」


ライセは老人が止まったその間に駆け、思い切りに腕を伸ばした。手には研ぎすまされた凶器を握りながら。

そして、息を忘れる二人の攻防は幕を閉じた。引き分け、という形で――


「ふむ。キャップに紛れての。更に斬撃向きのロングナイフでの強襲ですか。攻め方としては及第点ですが実行速度が素晴らしい。さすがは元『紅』のメンバーですな」


首筋にナイフを這わされながらゆったりと喋る老人。だがそれを聞くライセの首にも、ナイフの白刃は光っている。


「……伝説の傭兵に褒めてもらえて光栄です」


お互い少しでも動けば刃に襲われる中、ライセが一息つくように息を吐くと老人に言った。


「とりあえず、襲った理由を聞いていいですか?」


敬語で話すようになったのは老人に対する畏怖か恐怖か。老人は無表情から一転、温和な顔をするとナイフを下げる。


「…………」


まだ警戒は解いていないがライセもナイフを下げることにした。


「そうですな、理由をお教えしても宜しいでしょう」


持っていたナイフをライセに投げ渡し、片手を身体に添え慇懃に頭を下げる。その行動からはもう殺気は感じられない。


「いきなりのご無礼、誠に申し訳ありませんでした。もしや昔会ったあの子ではないかと思い、確認の意味も兼ね仕方なく襲わせていただきました」


執事特有の柔らかい物腰で、なかなかに物騒な事を言う老人。そんな理由で襲ったのかと呆れていると老人が顔を上げ更に一言。


「それともう一つ、実力を見て頼みたいことがあったのです」


急に真顔で言ってきたのでライセに緊張が走る。傭兵の間では伝説とまで言われた人物、それが目の前にいる老人であった。

昔まだライセが幼かった頃、会った時のそのままの殺気を先ほどは感じ取って老人の正体に気付くことが出来た。

あれから何年も経ちかなりの高齢になっているはずなのであるが、彼の残した伝説やあの殺気を考えると腕は鈍ってないようだ。

そんな彼が頼みたい事とは何なのか、ライセには見当のつかないことである。こちらも表情を引き締めたものにすると、なぜか老人はライセを置いて茂みの方まで歩いていく。

目で追うとその手は茂みを探り、次いで何かを掴みあげる。

持っているのは片手用の拡声器。それを持ちもう片方の手を腰に当てると、息を大きく吸い込んだ。

今からどんな行動をするのか分かるが、なぜその行動をやるのか分からないライセを置いてけぼりにして老人は喉を目いっぱい振るわせ、叫んだ。


「合っ格でーーーーーーーーーーす!!」


老体にあるまじき大声は拡声器を通したので声割れが酷く、大迷惑な騒音は木の枝で休んでいた鳥たちも逃げ出すほどのもの。すぐに耳を塞ごうとしたライセであったが、ふと近くで何かが茂みを飛び出す音が聞こえ、それと同時に叫び声が耳には届いた。


「そそそんなに大声で言わなくても聞こえるよっ!?」


叫び声の方を見てみると、視界に飛び込んできたのは幼い少女であった。

金色の髪と碧い色の瞳。真っ白なワンピースから覗く肢体は純白のシルクのように美しく、暑さでほのかに染まった頬は幼い外見相応に可愛らしい。

ライセはフランス人形みたいだなと、ふと思う。今はイギリスのスコットランドにいるのだが、表現力の乏しい頭ではそんな事しか浮かばない。


「ここで見てたんだから叫ぶ必要ないでしょっ!」

「いえ、私はてっきり船に戻っているのかと思いまして」

「わ、私とさっき目線合ってたくせに~!」


問答しあう二人の話を聞いていると、とある言葉に引っかかった。


(ずっと、いた?)


ライセはこの湖に来てから老人の気配しか感じていない。少女の気配は見つけようと思えば出来たかもしれないが、しかしそんな余裕はまったく無かった。探す隙を与えてもらえなかった。


(だから気配を断たなかったのか。俺があの子に気づかないようにするために……)


そこまでして隠したかったこの少女は誰なのだろうか。

まだ情報が少なすぎて話に付いていけないライセを、いつの間にか少女の両目が捉えていた。


「……合格って叫んだって事は、この人で決定なのね?」


無遠慮に視線を向けてくる少女。

一瞬、その高圧そうな雰囲気に違和を感じる。ただそれが何なのかは分からず、また興味も無かったためライセは無言でいた。


「セバスチャンといい勝負してたし、顔はまあ無難かな」


失礼なことを言われたようだが、それよりライセは少女の言葉で気になった部分があった。


「……セバスチャン?」


「え、二人とも知り合いなんでしょ? もしかして、名前知らないの?」


というより、その名前は完全に偽名であろう。そんな視線を老人へと送ると……


「セバスチャンです」


肯定されてしまった。そもそも名前などあってないような傭兵家業、偽名など珍しくはないのだが少女が何の疑いも無く呼んでいる事には疑問を持つ。

何というか、この少女は無遠慮なくせにどこか抜けているようだ。


「あの、そろそろどういう事なのか分かるように説明してもらいたいんですけど」


セバスチャンという名前らしい老人を見て言ったのだが、その返事を掠め取るかのように少女が、鈴を転がしたような声で答えてくれた。


「理由は簡単よ。私のボディガードを探していたらあなたがいたの。で、セバスチャンがテストをして合格だった。だから今日から一週間、私のボディガードをする事決定ね!」


「…………は?」


襲撃の理由を聞き、しかし微塵も意味が理解できなかったのでとりあえず疑問系で返してみたライセであった――








シュバレニア貴族の屋敷を取り囲むように生い茂る広大な緑の一角に、小さな森を切り取って造られた飛行場があった。

バス会社を買い取り専用のバス停を設置したはいいが、夫婦の移動手段は殆どがこの私有の飛行場で行われ、そのための小型飛行機が何機か停められている。

と、細長い灰色の滑走路に一機のプロペラ機が着陸を始めた。三枚羽根のプロペラを激しく回転させ大きな音を発しながら徐々に速度を落としプロペラ機は停まる。

その扉が開くと、中からは二人の男が姿を覗かせた。

そうこうしている内に一人がプロペラ機から長いレッドカーペットを伸ばし、もう一人は開いた扉の横に並ぶ。

二人の手にはメタリックシルバーの光沢を放つ拳銃が握られていた。


「………………」


開けられた扉から悠然と出てきたのは、白いタキシードを着た男だった。赤みがかった茶髪はジェルで固められたように後ろ手に整え、ルビーのように赤い瞳は不機嫌に細められている。

辺りを見回し自分達以外に誰もいない事を確認すると軽く舌打ちし、大声で男達に話しかける。


「ゲイル! なぜ迎えがいない!」


「それはシュバレニア家が古くから続く貴族であり、歴史の浅い貴族であるエンドバーン家を対等に見ていないためです、ハニス様」


扉を開けた男が抑揚なく答える。


「時代遅れの古臭い貴族めが……いつ没落してもいいような田舎貴族になぜ僕が会いに来たか分かるか、言ってみろジップ!」


「婚約者であるシエル・シュバレニア嬢に会うためです、ハニス様」


レッドカーペットを広げた男が、こちらも抑揚なく答える。


「その通りだ! この僕が認めた外見だけのあのガキに会いに来たのだ! だからこんな田舎臭い所までやってきた。なのに迎えもいないだとっ……」

ハニスからは怒りが滲み出しているが、ゲイル、ジップと呼ばれた男二人はまるで反応をしない。

与えられた仕事内容以上、護衛対象と関わらない。彼ら二人は冷徹なプロ精神に徹していた。


「ゲイル、『あの話』だが今夜に変更だ。ジップはシュバレニア夫妻をこの屋敷から追い出しシエルだけが残るように何か策を考えておけ!」


胸元から葉巻を取り出しジップに火をつけさせる。

ゲイルから象牙で出来た装飾眩しい杖を受け取り、そうしてハニスはある物が置いてあるはずの倉庫へと歩き出す。

その顔には下卑た笑いを浮かべている。


「大貴族エンドバーンの次男であるハニス様が来てやったのだ。この日をずっと待っていた。すぐにお前の身体、余すところなく堪能してやるぞ!」


舌なめずりをするその顔からは、好色と喜色の色が滲み出ていた――








太陽が全てを熱するがごとく照りつける中、ライセは水平線まで続く道路を再び歩いていた。

目指すのはバス停、乗り込むのは自分。時間的にもあと十分ほどでバスは来て、それに乗りエディンバラ空港に行けるはず。


「ちょっと待ってってば~!」


そう、思い通りに物事は進んでくれないのが世の常である。


「はあ、はあ……やっと追いついた。私達の話を無視して歩き出すからビックリしたよ!」


荒い息遣いのまま文句を言ってくるシエルを、しかし無視してライセは歩き続ける。


「私のボディガードできるなんて滅多にない事なんだよ? 断るなんてあり得ないんだから――って話を聞いてよ!」


バス停に戻ったライセは設置されているベンチに腰かけリュックからペットボトルを取り出す。

一口飲むと身体に染み込むように水分が行き渡り暑さが和らいだ気がした。


「な、何で無視するの! 困ってる人を助けるのがあなたの仕事でしょう!?」


炎天下の下で涙目になりながら喋る少女。大きく荒く息を吐きながら鋭い目つきでライセを睨んでくる。


「俺はもう両親の方から依頼を受けて完遂してる。同じ人間から二度依頼を受けないのが俺の信条で、悪いがその依頼は他に頼んでくれ」


このまま喋られ続けるのも面倒なので拒否の言葉を投げつけてみた。しかし案の定、少女は不機嫌に鼻を鳴らすとそっぽを向いた。


「同じ人じゃないよ。私とお母様達は違うもん」


「同じだろう。シュバレニア家の一人娘シエル・シュバレニアお嬢様」


名前を言われると少女は頬を膨らませて憤慨する。


「お、同じじゃないよ! とにかくお願いだから依頼を受けてっ! じゃないと、私……」


「まあまあ二人とも落ち着いて。特製のアップルティーでもいかがですか?」


「っ!?」


あまりに突然聞こえたので驚き、ライセはベンチからずり落ちそうになった。それを後ろから細い手に支えられ、振り返れば先ほどの声の主のセバスチャンが立っていた。


「大丈夫ですかな? 怪我をされると私共も困りますので気をつけて下さいよ」


「あ、ありがとうございます……」


一応お礼を言ってみるが、いつの間にそこに立っていたのかと驚嘆する。セバスチャンはそんな事など露知らず、どこから出したのか水筒を取り出すと二人にコップを配った。

ライセはペットボトルを持っていたのだが断りにくく受け取る事にする。


「さてライセ君。先ほど湖で話した依頼の件は受けてくれる気になってくれましたかな?」


「いや、俺は」


「お嬢様を助けて下さらないのですか?」


「お願い! 私の護衛をして!!」


「…………」


このままではバスに乗せてもらえないばかりか、炎天下のなか説得が続きそうだと思いライセは一度溜め息を吐くと、湖で聞かされた『依頼』を思い出す。


「確かさっき教えてもらった依頼内容は、今日から一週間この子が狙われるからそれの護衛でしたね。屋敷に仕えるセバスチャンさんや他の誰も逆らうことの出来ない危険な人物だから、依頼という契約を交わした部外者が必要だと。そして護衛に選ばれたのが俺、と」


「その通りです。補足としましてはお嬢様を狙う輩はさっき飛行場に到着し、そろそろこの道路を車で通過するはずですぞ?」


セバスチャンがそう言った直後轟音が響いて、地平線の向こうから何かがこちらに近づいてきた。

迫ってくるそれは徐々に車の形となり、いかにも高級車という銀色の車体を太陽光に反射させている。ブランドメーカーの高級車はぐんぐん近づいて、けたたましいブレーキ音を響かせながらライセ達のいるバス停の前に止まった。

黒く反射加工された窓がゆっくりと開くとそこから顔を覗かせたのはハニスだった。

ハニスは飛行場の時とは違い優しい笑顔を浮かべており、ライセの傍らに座り俯いてしまったシエルへと声をかける。


「久しぶりシエル、元気にしてたかい? 僕は君に会えなくて辛かったよ」


白く並びのいい歯を見せ優しい眼差しを送る。

まるでテレビに出てきそうな容姿と優しく柔らかな言葉使いは、飛行場の時と同一人物とは思えないほど好感あるものであった。

だが、ライセは眼前のハニスを睨んでいた。初対面であるはずなのに負の感情を視線に乗せ真っ直ぐ睨み続けている。

そんなライセの視線に今頃気づいたようにハニスは目を合わせ、それでも微笑みのまま話しかける。


「……君は誰かな? 何だかシエルと仲が良さそうだけど、新しい使用人か何かかい?」


ハニスが視線で指した先、シエルがライセのシャツをずっと握っている。

ライセはそれを視界の端に捉えると僅かに溜め息を吐き、不機嫌を微塵も隠さない声色で喋った。


「さっきシエルに雇われた護衛だよ。この子を色んな害虫から護るための、な」


シエルの肩を掴みこちら側へと引き寄せる。衝撃でコップの中身が零れてしまったが、構わずに言葉を続ける。


「今日から一週間、護衛させてもらうことになってる」


――その瞬間、ハニスの瞳にどす黒い感情が映ったのをライセは見逃さなかった。それはすぐに消え去り、ライセには爽やかな笑顔が再び向けられる。


「へぇ、じゃあ君はシエルを護ってくれるんだね。一週間なら僕の滞在期間と同じだ……こちらこそ宜しく」


最後にシエルに向けウインクすると窓は閉められた。爆音を出し発進した車は屋敷の方へと走っていき、やがて見えなくなった。


「……セバスチャンさん、あいつがその危険人物ですね」


車が見えなくなった後セバスチャンの方を見ずに問う。セバスチャンは頷き、目を細めると車の走り去った方向を見つめる。


「ハニス・エンドバーン。お嬢様の婚約者であり、大貴族と称されるエンドバーン家の次男でございます」


(……あの男の笑顔、ゴムのように薄っぺらかった。あの薄い仮面の下にどす黒い本性を渦巻かせ、そのくせ善人のふりをしていた)


ふっとライセの頭によぎったのは、昔の忘れられぬ忌むべき記憶。今までの人生の殆どを過ごした場所で出会った、最低最悪の人間達のこと。


「ん?」


そういえば先ほどから身体に何かが密着している。ふとそちらを見てみると、なぜか顔を完熟トマトのようにしたシエルが黙ってくっついていた。


「悪い。勢いで引き寄せてた」


肩を掴んでいた手を離して謝るが、シエルは固まったまま動かず返事をしない。怪訝に思い顔を覗くがそれにもまったくの無反応。

一体どうしたのだろうかと首を傾げていると、セバスチャンが耳打ちをしてくる。


「お嬢様は婚約者はいますが、異性との恋、ましてや身体を密着させた事すらないのです。ですから先ほどのライセ君の行動に驚いてしまったのでしょう」


「――ははっ」


外見的にはまだ十代になって間もないような少女。親の取り決めで婚約者がいてもやはり年相応ということなのだろうか。

生意気な割に可愛らしい部分もあるのだなと思っていると、シエルが緩慢な動きでこちらを向く。油の切れたロボットのようなぎこちなさで首を回し、口をぱくぱくさせて言葉を紡ぐ。


「さささっきのは、ももしかして」


その問いにライセは自分の言葉を思い出し、仕方がないと再び息を吐いた。


「勢いで言ったが……依頼料は通常より多めに貰うからな?」


「あ、ありがとう!」


心からの笑顔で感謝を述べたシエル。その笑顔は花が咲くように可愛らしかった。


「セバスチャン! ちゃんとお金の事とか話し合っておいてね」


「良かったですな、お嬢様」


何だか事態に上手く乗せられた感が無くもないが、あんな事を言った矢先断るのも後味が悪い。

――それに、と思う。


(昔のアイツに、この子の姿が重なった)


シャツを握る手が、引き寄せた肩が震えていたのを感じた時、この子の涙が見たくないと無性に思えたのは、きっとアイツに重なって見えたから。

弱くて、小さくて、初めて大切に思えた人さえ護れなかった昔の記憶の中にいる、アイツに重なったから――







「くっそ! 何なのだあの男は!」


バス停から車を発進させた直後ハニスは怒声を上げていた。噛み閉めた口は形が歪み、整った顔は恐ろしい形相になっている。


「ゲイル! 手配は終わったか!」


「今晩十二時には呼び寄せられる予定です」


ゲイルのその言葉を聞いて、いやらしい笑みを浮かべたハニスは目を爛々と輝かせ、これからの事に胸躍らせる。


「ふん、あんな障害すぐに潰してやる。僕に逆らう事がどんなに恐ろしいか分からせてやるぞ……」


不敵な笑いを浮かべるハニスの欲望を乗せ、車はの敷地内へと辿り着く。


「レシア伯爵! エルダ夫人!」


玄関の大きな扉が開くと共に、ハニスの声は屋敷内に響いた。


「おおハニス。いやいや、よく来てくれたね」


丁度ホールに降りてきていた男性が嬉しそうに返事をするとハニスへと近づく。それに気付くとハニスは柔らかい笑みを浮かべそちらに歩き出す。


「伯爵、お久しぶりです。一週間宜しくお願いします」


笑顔で抱擁しあう二人。レシアと呼ばれた男性は立派なヒゲを触りながら、ハニスの杖を見て目を細める。


「とうとうお父上から杖を貰えたのだね」


「はい、これでエンドバーンの家名を名乗ることが出来ます。シエルにも正式に結婚の申し出が出来ます」


頭を掻いて恥ずかしそうに言うハニスに微笑を向けるレシア。


「昔の慣わし通り家名を名乗っての求婚。それを律儀に守る君になら、シエルを安心して任せられるよ」


「必ず、悲しい思いはさせません」


目を見て宣言するハニスの質実剛健な仮面は、剥がれる事無く外見を取り繕っていた。その下にどのような感情が、悪意が渦巻いているか。レシアが気付くことはない。



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