真夏の夜の夢
現在のラグランジュ宮廷において、とりわけ注目されている男性といえばシメオン様とセヴラン王太子殿下である。
趣は違えど甲乙つけがたい美男で、ご身分お血筋は言うまでもなく、お人柄やお仕事ぶりなどあらゆる面に優れたお二人は、若い女性たちから熱烈なまなざしを向けられていた。
その片割れがついに婚約してしまったとなれば、残る一人にさらに期待が集まるのは当然のこと。そもそも殿下の妻といえばいずれ王妃、国母となる立場だ。最高の地位に憧れる女性は多く、どこへ行っても殿下は注目されまくっていた。
「なのに、どうしていまだにお相手が決まらないのでしょうねえ」
「うるさいわ、ほうっておけ!」
率直な疑問をつぶやけば、たちまち殿下がいじけたお顔で噛みついてくる。これだけ好条件を備え、シメオン様と違って何度も恋を経験し、結婚願望も人並みに持ち合わせていらっしゃるのに、どうしてかいつも上手くいかない、不憫の星のもとに生まれついたお方だった。
「殿下はお好みが難しいのですよ」
そうおっしゃったのはシメオン様だ。夏の夜会に向けて警備計画を確認しながら、こちらの会話にもちゃんと耳を傾けていらっしゃる。華やかにして機能的かつ禁欲的な白の制服姿がじつにかっこいい。腰に佩いたサーベルは危険な香りを漂わせ、理知的な眼鏡が曲者っぽさをいや増していた。
たまたま顔を合わせたからとはいえ、令嬢たちの憧れの的たる王太子殿下からお茶に誘われたというのに、わたしの目は殿下よりも、わが婚約者の凛々しいお仕事ぶりにばかり引き寄せられてしまう。殿下が素敵なお方なのは万人が認める事実だけれど、わたしの最萌え鬼畜腹黒要素がないのだもの。普通に爽やかな好青年で、突出しているものといえば不憫要素。鑑賞用には最適でも、ときめくにはちょっと萌えが足りないのよね。
「恋人がほしい、結婚したいと口ではおっしゃりながら、女性から積極的に好意を向けられると逃げ腰になってしまわれる。ご自分で機会をつぶしているようなものです。それでは、はじまるものもはじまらない」
鬼の副長は部下だけでなく主君に対しても厳しかった。情け容赦ない指摘に殿下はぐっと詰まり、わたしは力強くうなずいていた。そうなのよ。殿下ったらもてるくせに、わざわざ失恋する方向にばかり向かわれるのだから。
殿下がお好きなのは、おとなしくて控えめな女性だ。誰よりも美しく華やかにと目立ちたがる人には苦手意識を持っていらっしゃる。それだけならまだしも、身分や権威に憧れる人もだめ。そんなことを言っても殿下は次期国王、そこを意識しない方が難しい。王太子妃の地位に憧れない人というと、逆に面倒な立場を忌避しているわけで、そんな人に言い寄っても色よい返事があるはずもなく。なのにそういった、世間の風潮に流されない芯の強い人がお好みという、困った王子様でいらっしゃるのだった。
「固定観念にとらわれず、もう少し柔軟に周りをご覧になるよう再三申し上げているのですがね。派手に見えても内面は落ち着いた、優しい女性もおります。地位を意識するのも悪い面ばかりではありません。いずれ王妃となる人ならば、あまり無頓着すぎるのも考えものです。自身の地位のみならず、周りに対する配慮や気構えといったものが必要になるのです。単に優越感に浸りたいだけの女性は論外ですが、意識を持つこと自体はむしろ歓迎すべきです。素養のない人物を迎えたら、一からすべてを教育せねばなりませんよ。教える方も大変ですが、当人の負担も相当なものでしょう。そういった問題についてもお考えでいらっしゃるのですか」
手元の書類にいろいろ書き込みながら、顔も上げずにシメオン様はビシバシ続ける。周りで控える騎士たちは、まるで自分たちが叱責されているような顔で首をすくめ、殿下に気の毒そうな視線を送っていた。
「く……っ、自分が初恋を成就させたものだからいい気になりおって! お前だって婚約以前は言い寄る女たちをうっとうしがっていたではないか! まともに女と付き合った経験もないくせに、わけ知り顔で説教するな!」
痛いところを突かれた殿下が握り拳で反撃する。お声だけ聞いているとお怒りのように思えるけれど、お顔を見ればちょっと涙目だった。ああん、いじめられっ子殿下可愛い。頑張って!
シメオン様がようやく書類から顔を上げる。主君の怒りにも顔色ひとつ変えず、さらりと無視して書類を部下に返却した。
「指摘箇所を見直して、再提出を」
「はっ」
きりりと軍人らしい返事をして受け取った騎士は、返却された計画書に目を落とし、うへえという顔になった。うん、ものすごくたくさん指摘が入ったものね。頑張って組み直してくださいな。
肩を落として部下がさがると、シメオン様は一口お茶を飲み、ようやく殿下に目を戻された。
眼鏡越しに冷たく見据えてくる水色に、たちまち殿下はうっとたじろがれる。
「おっしゃるとおり、私に女性と付き合った経験はほとんどありませんが、別に目を背けていたつもりはありません。単にその気になる相手がいなかっただけで、誰がどのような人物かは見てきました。殿下よりもよほど詳しいと自信を持って断言できますよ」
「それらしい言い方をしているが、男として女を見ていたのではなく、近衛騎士として宮廷に出入りする人間を観察していただけだろう! 情緒未発達なお前に馬鹿にされる筋合いはない!」
「馬鹿になどしておりません。目的も関係ないでしょう。どこの誰がどういった人物であるか、その背景はどんなものか、把握することは警備にも恋愛にも共通して必要でしょう」
「いや、なんかちょっと違うぞ。多分かなり違うぞ」
熱心にお二人は意見を闘わせる。シメオン様はともかく、殿下はわたしの存在をすっかり忘れていらっしゃるわね。ならばお邪魔をしないよう、空気になりましょう。
わたしは身動きも控え、目の前の舌戦をじっと見守った。ここで存在感を出してはいけない。静かに、気配を殺して、風景の一つになるのだ。そう、舞台の書き割りのように、ただそこに存在するだけの景色となる。
自分の身体が透き通っていくような気持ちになれば、殿下はもとよりシメオン様もわたしを意識しないようすで反論した。
「現実に私はそうやって人々を観察した結果、マリエルという運命の相手を見つけ出したのです。見た目に惑わされず先入観にとらわれず、本人のありようをそのまま見て結婚すべき人だと知りました。その判断は間違っていなかった。これ以上ない最高の婚約者を得られて、私は世界一幸せな男の気分ですよ」
ひややかにすら見えるお顔で、シメオン様は淡々とおっしゃる。声の聞こえない場所から見ていれば、職務に関する議論かと思われるだろう。いたって真面目に堂々とのろける臣下に、殿下は怒る気力も失ったのかテーブルに突っ伏した。
「こんなズレた天然が上手くいっているのに、なぜ私には運命が訪れないのだ……いや、コレをうらやましいと思いたくはないが。こんな娘を最高だと思うのはお前だけだとつっこみたいが、しかし本人は幸せなのだ……割れ鍋に綴じぶたでも当人たちが満足しているなら幸せなのだ……くっ、やはりちょっとうらやましい……」
ずいぶんと失礼なおっしゃりようだけれど、独り身を嘆くゆえの愚痴と聞き流してさしあげるわ。それに今わたしは、殿下のことなどどうでもいい。シメオン様のお言葉に萌えてときめいてたまらなかった。
ああ! ここがわが家なら遠慮なく悶え転がっていたのに! ええ、いとしい人。わたしにとってもあなたが世界でいちばんの、最高の婚約者です。ご自分がのろけを口にしたことにも気付いていない、くそ真面目ド天然なところも可愛くて大好きです!
そして相変わらず、見た目は冷徹にして容赦ない鬼仕様なところにハァハァします。
いじける殿下になぐさめの言葉もかけず、シメオン様はひややかなお顔のまま一枚の書類を差し出した。
「運命とはみずからつかみ取るものです。幻ばかり追いかけて現実を見ようとなさらないあなたのために、お好みに合いそうな女性を調べましたから、目を通していただきたい」
そこにずらりと書きつらねられたのは女性の名前だ。ラグランジュ人だけでなく、国内に滞在している外国人もまじっている。今度の夜会に参加される、お年頃の令嬢たちだった。
情報を提供したのはわたしです。頑張ったのよ。殿下のお好みに近く、上手くいきそうな人を選ぶのは難しかったのだから。
各自の名前の下には略歴や外見の特徴、さらに趣味や特技なども書かれている。
「全部、覚えてください。夜会までに」
教師のごとき口調で宣言されて、殿下はがばりとお顔を上げられた。
「はぁっ!?」
「夜会では全員と踊っていただきます。もちろん会話もするのですよ。先入観で見ず、真摯に相手の人となりをたしかめるように。この中の誰を選んでも問題はありませんから、あとはあなたの好みと直感に従われるとよろしいでしょう」
「いや待て、ちょっと待て!」
課題を言い渡してくる臣下に、殿下は懸命に言い返した。
「勝手に決めるな! なんだこれは、母上の指図か!? 候補を選んでくれなどと頼んだ覚えはないぞ!」
「マリエルと仲良くするたびに恨みまじりの愚痴を聞かされて、いいかげんうんざりしているのですよ。原因はご自分のえり好みだというのに、八つ当たりもたいがいにしていただきたい」
シメオン様は氷のまなざしでぴしゃりとはねつける。殿下はたちまち勢いを落とした。
「うっ……わ、悪かった、以後気をつけるから」
素直に謝ってこられるけれど、シメオン様は容赦しない。
「おっしゃるとおり、王后陛下からもなんとかできないかと再三お話を受けております。逃げ回るばかりでなくさがす努力もしているのだと、きちんと示されるべきです。中途半端な姿勢だから、王后陛下も心配なさるのですよ。よいですね? かならずこれを全て覚え、当日は全員と交流されますように。ご相談と苦情は、そのあとで受け付けます」
最後だけにっこりと、花のようにうるわしく優しい笑顔をふりまいて、シメオン様は席を立った。殿下の反応にかまわず背を向けて、そっけなく立ち去っていく――かと思ったら、少し行ったところでぴたりと止まり、急ぎ足で戻ってきた。
「マリエル、もう帰りなさい。馬車まで送ります」
――今、完全にわたしの存在を忘れていらしたわね。なんでもない顔をとりつくろっていらっしゃるけれど、わずかな焦りの気配を感じる。あやうくわたしを置き忘れていくところでしたね。
うふふ、薄情だなんて文句は言いませんよ。近衛騎士団の微笑む刃、鬼の副長すら欺いてしまう、わたしの風景同化能力がすごいのよね!
わたしはさし出される手を取り、立ち上がった。シメオン様とにこにこ微笑み合う。……あとでなにかおねだりしちゃおうかな。きっと今なら聞いていただけるわね。
「お、おい、待て――ちょ、待ってくれ!」
殿下におじぎをすると、わたしはシメオン様とともにお茶の席をあとにした。呼び止める声もなにも聞こえません。恋人たちはお互い以外目に入らないものなのよ。世界は二人のためにあるの。殿下にもきっといつか、そんなお相手が見つかりますから。頑張ってくださいね。
「今度こそ、上手くいきますかしら」
シメオン様と連れ立って歩きながら、きたる夜会へと思いを馳せる。わたしにも世継ぎの君のご成婚を望む気持ちはもちろんあった。殿下に素敵な花嫁が見つかればいいと期待する。ところが、
「無理でしょうね」
返ってきた言葉は意外なもので。わたしはかたわらの婚約者を見上げた。
「無理ですか?」
シメオン様は小さく肩をすくめ、苦笑した。
「他人から無理やり押しつけられて、その気になれるものではありませんよ。殿下は恋愛に夢を見ておられますから見合いでは――それも強制されたものでは、嫌気ばかりが先に立ってまともに向き合う気にはなれないでしょう」
冷たく厳しい態度を見せていたさきほどと違って、シメオン様のお顔は優しかった。幼い頃からの親友として、殿下に対する深い理解を見せていらした。
そのようすにわたしは首をかしげてしまう。シメオン様は殿下にお見合いをすすめるつもりはなかったというのだろうか。
「そう思っていらっしゃるなら、なぜあのような?」
「王后陛下への建前というか、言い訳のようなものですよ。本来ならば殿下は見合いも受け入れて、とうにお相手を決めているべきお立場です。恋愛結婚を望まれるのを両陛下も寛大に許しておられますが、それにも限度があります。あまりにいつまでもずるずると引き延ばすばかりでは、いいかげん許しておけぬとしびれを切らされます」
「……ですね」
殿下はもう二十七歳。これまでは寛大だった両陛下も、そろそろ待てなくなっていらっしゃるだろう。
「相手を見つける努力をしているのだとお見せすれば、多少は安心していただけるでしょう。つまりは、もうしばらく猶予を得るための方便です。その間になんとか運命の相手が見つかるとよいのですが……」
言いながらシメオン様は難しそうに首を振る。これまで上手くいかなかったものが、これからすぐに解決するものではないだろう。殿下のお相手さがしはまだまだ難儀しそうだ。
でも、運命なんて意気込むから難しいのよ。恋は意外に身近で待ち構えているもの。あまり考えすぎず、シメオン様の言うとおり先入観も捨てて、もっと周りに目を向けてくださればいい。派手なようでも意外に可愛らしい内面を持つ方はいらっしゃるのだから。
わたしはそっとうしろを振り返った。一人取り残された殿下は、候補者一覧を前に頭を抱えていらした。
「方便だと教えてさしあげなかったのは?」
わたしの問いにふっとシメオン様は微笑む。やわらかに美しい、けれどとても意地悪そうな……わたしの愛してやまない鬼畜腹黒参謀の姿がそこにあった。
ああ! それ、そのお顔! 黒い微笑みが最高です! くそ真面目でド天然なくせに、時々やっぱり腹黒で。そんなあなたが大好きです!
「本気の気迫がないと王后陛下を納得させることはできませんからね。はじめから芝居のつもりでだらけていたのでは、すぐに見抜かれます。相手の令嬢がたにも失礼でしょう。殿下には真剣に頑張っていただきます」
ああん、親友にして主君と仰ぐお方に対しても容赦のない鬼畜っぷり。とっても萌えます素敵です。八つ当たりへの意趣返しも込めた、愛の鞭というわけですね。ぜひ実物の鞭も振るっていただきたい!
「当日、シメオン様は警備のお仕事がありますよね? わたし、お兄様にエスコートしていただきますからおかまいなく。どうぞお仕事に専念なさってくださいませ。陰ながらそっと見守っておりますわ」
シメオン様の腕に寄り添ってうきうき言うと、呆れたまなざしが降り注いだ。
「殿下の観察がしたいなら、別に風景にまぎれずとも。普通におそばへ行けばよいでしょう。私は招待客として出席しますよ。もちろん警備も兼ねますが、あなたのエスコートくらいできます。一緒に……」
「それだと目立ってしまうからだめなんです。シメオン様が隣にいらっしゃると、どうしても注目を集めてしまいますもの。ひっそりこっそり、誰にも存在を意識されず壁際から見守りたいのです。ついでに情報収集しながら」
「婚約者を放り出して情報収集する気ですか。私に一人で出席しろと?」
「ですから、シメオン様はお仕事をなさっていればよろしいではありませんか」
「結婚もしないうちから邪険にされるとは……これが『亭主元気で留守がよい』というものか……拒否します! 夜会へは、私とともに出席してもらいます!」
むきになったようすでシメオン様は宣言し、逃がすまいとばかりにわたしの腕をつかまえた。邪険にしているわけではないのにぃ。不憫殿下も腹黒シメオン様も、しっかり見届けたくて言っているだけなのに。そばにいるより少し離れた場所から、観客に徹する方が見えるものは多いのよ。
今回ばかりはシメオン様も味方でないと、崖っぷちに追い詰められた殿下に、優しさを隠して冷徹な監視員を演じるシメオン様。今度の夜会はいつにもまして目が離せない。萌えとときめきの予感がたっぷりよ。ジュリエンヌにも教えちゃおう。見ようによってはあの子の好きな腹心×主君よね!
わたしは声には出さず、殿下に精一杯の応援を送った。逃げないで頑張ってくださいね。当日を楽しみにしていますからね。
候補に挙げた令嬢の数はざっと二十人ほど。うん、できるできる、頑張れば覚えられる。時間内に全員と交流するのは大変そうだけど、頑張ればなんとか!
もしかしたらその中から、運命が見つかっちゃうかもしれないしね。
夏の夜会まであと七日。どんなドレスを着ていくか、誰と踊るか、令嬢たちは頭を悩ませながらときめいている。さあ、いくつ恋の花が咲くかしら。あっちもこっちも見逃せなくて忙しくなりそうだ。
「聞いていますか、マリエル。あなたのドレスに色を合わせますから、予定を教えていただきたいのですが」
「シメオン様はどうぞ制服で。白なら何色にでも合わせられますでしょう」
「なにがなんでも私を仕事へ追いやりたいのですか!」
「違いますよ。それがいちばんシメオン様に似合って、かっこよくて、どこか禁断の匂いと色気が漂って萌えるからですよ。あ、でも一つお願いするなら、ぜひ鞭を携帯していただきたく」
「そんなものを持っていたら別な意味注目されますよ! 適当なことを言って逃げるつもりでしょう」
「逃げる気になれないくらい、わたしの目を釘付けにしてはくださいませんの?」
「……そんな言葉でごまかされませんよ」
「鞭を持ってくださったら、ひとときたりともシメオン様のおそばから離れられませんのに。他の誰も目に入らず、シメオン様だけを見つめていますのに」
「…………い、いや、仮装舞踏会ではないのだから……」
真夏の夜には恋が咲く。夢と消えるか、実を結ぶか、それはご縁とあなた次第。
「さっき、わたしを置き忘れそうになりましたよね?」
「……………………」
願わくば、すべての人にときめきが訪れますように。殿下の運命が見つかりますように。
そしてわたしに最高のネタが提供されますように!
* * * * * 終 * * * * *
9/1(土)に第4巻が出ます。また、9/28よりコミカライズ連載も開始します。
詳しくは8/25付の活動報告にて。