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マリエル・クララックの婚約  作者: 桃 春花
マリエル・クララックの小話集
7/27

君の知らない物語




 常に風景にまぎれて周囲から人々を眺めるばかりだったマリエルには、あまり友人がいない。貴族社会を離れれば、出版社の人間やトゥラントゥールの妓女など親しい相手もいるようだが、同じ立場の令嬢とはろくに交流していないのが現状だった。

 私と結婚し、いずれ伯爵夫人となる以上、それではまずい。広く交流し人脈を作る必要がある。マリエルもわかっていて、今後は社交も頑張ると言っているが、やはり気心の知れた相手と話している方が楽しそうだ。親戚であり親友でもあるジュリエンヌ嬢といる時は、私にも割り込めないほど楽しそうだった。

 庭園の片隅で、それぞれ本を膝に置いて熱心に語り合い、時に笑い声を上げている。読書感想で盛り上がっているのだろうか。私も少年時代、殿下とあのように語り合ったものだ。楽しそうな少女たちの邪魔をするのは申し訳なく、私は声をかけずに少し離れたところから眺めていた。

「行かないのか」

 殿下が気付いてこちらへ歩いてこられる。私は口元に指を立て、声を抑えていただくようお願いした。

「楽しそうですから」

 殿下はすぐにうなずいてくださり、私と同じように木陰の少女たちへ目を向けた。

「珍しい光景だな。いつでもどこでも楽しそうな娘だが、令嬢同士であのように盛り上がっている姿ははじめて見る気がする」

 小声でおっしゃるのに、私もうなずく。

「ええ。ジュリエンヌ嬢とは幼い頃から親しくしていて、姉妹のように遠慮のない関係だそうですから」

「ああしていると、普通の令嬢に見えるんだがなあ」

 呆れたような殿下のお言葉に、私は少し笑ってしまった。普段は存在にすら気付かれないほどだが、今のようにはしゃいでいると、たしかにそこにいると気付かせる。まさしく「普通の」少女の姿があった。

 ……見た目だけは。

 見た目だけはどこにでもある、そう、画家がちょっと練習に描いたような光景だ。花咲く庭園の木陰で寄り添う少女たち。美しくも平凡な構図である。おしゃべりの中身はさしずめお菓子のことや、おしゃれについて、あるいはまだ訪れぬ恋への憧れか……と、これまた平凡なものを思い浮かべる。

 まったく見た目だけはよくできている。彼女たちに気付いたところで興味を持つ者はほとんどいないだろう。現に近くの小道を通りがかる人々も殿下と私にばかり注目して、マリエルたちを見ることはなかった。

 誰もが深い関心を持たない少女たちの会話の中身を、おそらく私だけが正確に予想できている。

「ちょっと行ってみないか? ご婦人同士の会話に割り込むことになるが、私もジュリエンヌ嬢と話してみたい」

 楽しそうな少女たちの姿は可愛らしく、殿下とて若い男だ、気を引かれるのは当然だった。しかしおすすめする気にはなれなかった。

「おやめなさい。後悔しますよ」

「なぜだ。ちょっと挨拶する程度だぞ」

 止める私にかまわず、殿下はさっさと足を踏み出してしまう。私はしかたなくあとを追った。にぎやかな声が近付いてくる。話に夢中になっているようで、マリエルたちはまだこちらに気付いていなかった。

「刺さったわぁ……! ここ最近でいちばんの萌え……神、まさに神!」

「マリエルはどうせ敵方の宰相萌えでしょ。わかりやすい腹黒よね」

 会話の内容が聞き取れるようになり、ふと殿下の足どりが鈍った。

「だって! あの慇懃無礼な口調が! 見た目は優しげなのに口を開くと氷のように冷たいとかたまりません! そのくせ王子への忠誠心は篤くも熱く、ちゃんと人間味を感じさせるところがいい!」

「年齢や見た目的に将軍の方がお似合いだけどなあ。智と勇の双璧って鉄板じゃない。で、そんな二人を従える王子というのが、完璧な図よ」

「完璧っていうか、ほぼまんまじゃない。まあ? もう少し王子が嗜虐的で、可愛い顔して宰相と将軍を踏んづけているとかだと最高ですが」

「十二歳の美少年になにを求めるの。でもわかります同感です超見たい」

 熱中する二人はいまだ我々に気付かない。あれは声をかけるまで気付かないだろうな。完全に自分たちの世界に入りきっている。普段は体裁を気にして隠しているくせに、いちど話が盛り上がると周りを忘れてしまう。彼女たちの悪いくせだ。公共の場で声高にしゃべってよい内容ではなかろうに。

 なんの話をしているのか、殿下にはよく理解できていないだろう。だが伝わってくる熱気の異様さに、たじろいだ顔になって完全に足を止めてしまった。

 マリエルたちのおしゃべりはなおも続く。

「三十代の宰相と十二歳の王子じゃねー……そういう組み合わせって、いまいちなのよね。好きな人にはたまらないだろうけど」

「ジュリエンヌって意外と定番が好きよね。まあわたしもお子様はちょっと守備範囲外だけど。王子への想いはあくまでも忠誠心であって、恋愛の相手は女騎士ジャンヌがいいな」

「ジャンヌよりマドレーヌ王女の方が接点多いけど?」

「王女様嫌いじゃないけど、ありがちすぎていまいち萌えないのよねー」

 殿下が私を振り返る。説明を求めるまなざしに、私は肩をすくめて返した。

 女騎士ジャンヌと王女マドレーヌ、敵方には王子と宰相と将軍か。つまりあそこにある本は「暁の薔薇」だな。読んではいないが、主要な登場人物の名前は知っている。マリエルからさんざん聞かされた。そして主人公が女騎士でも王女でもないことも知っていた。

 あの物語の中で恋愛関係になる主役の二人は、傭兵(男)と若き国王(もちろん男)だ。

 ――つまり、そういう趣味の女性向け恋愛小説である。

 が、マリエルいわく、男女恋愛が好きな層にも楽しめる内容になっているそうだ。脇の登場人物たちにもしっかり個性があり、それぞれの関係が掘り込まれていて読みごたえがあるのだとか。日頃の言動から誤解されがちだが、マリエル自身は男同士の恋物語を好んでいるわけではない。彼女は男女の恋を描いた普通の物語が専門だ。ただジュリエンヌ嬢の話を聞き、すすめられた小説を読むうちに、一定の知識と理解を身につけたそうだ。私の目にはマリエルも十分に楽しんでいるようにしか見えないが、どっぷりはまっている読者とはなにかが違うらしい。

 そんなマリエルと、どっぷり派なジュリエンヌ嬢、どちらにも支持されている小説が「暁の薔薇」だった。女性の登場人物も多く、脇での恋愛にも萌えがあるのだとか。(マリエル談)

 ――と、いった予備知識のない殿下には、二人の会話がほとんど理解できなかっただろう。しかしあやしげな気配は感じ取れたようで、これ以上近付いてよいものか迷うお顔になった。

「……あれは、芝居かなにかの話か?」

「小説ですよ。彼女たちのお気に入り小説に登場する人物について、勝手に恋愛関係を妄想しているのです」

「物語の中にそういう関係が書かれているわけではなく?」

「くわしくは存じませんが、少なくとも王子とどうこうといった話ではないはずです」

 よくわからないという顔で殿下はふたたびマリエルたちを見る。これ以上聞かない方がよいのだが、と私は息をついた。

 小説は小説でも、かなり特殊な分野だ。男が不用意に近付くべきではない。精神に多大なる打撃を受けたくなければ、遠くから眺めるだけにするべきだ。

 ――ああ、そうとも。実体験に基づいた教訓だ。私はしっかり打撃を被ったとも! はじめてあの二人の会話を聞いた時、冗談ではなくめまいがしたものだ。まだまだ見識が足りなかったと思い知らされた。

 否定はしない。好きなら好きでよい。彼女たちを止める気はない。しかし殿下はきっと私と同じ反応をされるだろうから近付かない方がよいと忠告したのに、好奇心が勝ったか足を進められた。

 もう先に私が声をかけてしまおうか。それであの二人も特殊なおしゃべりをやめるだろう。

 近衛騎士として、精神面においても殿下をお守りすべく、私は口を開きかけた。けれど一歩早くマリエルが新たな本を取り上げた。

「あとこれ! ものすごい掘り出し物よ! 全然話題になってなくて本屋さんの隅っこに埋もれていたのを偶然見つけたのだけど、開いてみてびっくりしたわ! ここまでわたしのど真ん中を突いてくるなんて、もしや作者は生き別れの双子じゃないのかしら!」

 頬を紅潮させて本を掲げる。腹黒宰相以上にツボに入るものがあったのか。主人公が鞭使いだったとでもいうのか?

「なによ………………ふうん?」

 ジュリエンヌ嬢が本を受け取って目を通す。パラパラと手早くたしかめ、きっと顔を上げた。

「悪くないと思うわ――でも、攻守が逆よ。設定に問題ありよ」

「なにを言うの!? これで大正解じゃない!」

「攻守?」

 殿下が首をひねる。私は頭痛のようなものを感じ、こめかみを押さえた。

「殿下、もうあれは放っておきましょう。関わらない方がよいかと存じます」

「いや、しかし……」

 本の中身を知らずとも、二人がなにを言い争っているのかはわかる。正直、どっちが攻めでも受け付けられない。男にとってはついていけない話題だ。

「あの本はどういう話なんだ? 妙に気になるぞ」

「どうせ恋愛小説でしょう。それ以外考えられません」

「恋愛小説になぜ攻守とかいう話が出るのだ。戦でもしているのか?」

「ある意味戦でしょうね。我々には生涯理解できない戦です。さあもう行きましょう」

 これ以上殿下にお聞かせしたくない。政治においては汚い話も醜い争いもよくご存じだが、こと女性に対しては夢見がちで純情なお方なのだ。汚れなき殿下のお耳に、よこしまな妄想話を入れたくなかった。

 私は渋る殿下の腕を引いて、強引にその場から連れ出そうとした。意見を闘わせる少女たちに背を向けて、早く声の聞こえないところまで離れようと急ぐ。殿下も未練を見せつつ歩きかけた。

 しかし、

「剣と鞭ならどう考えても剣が攻めでしょう!? 攻撃力の違いは明らかじゃない!」

「攻撃力より萌えよ! 鞭といえば鬼畜腹黒参謀の象徴! 攻め以外ありえない!」

「どういう話なのですか!?」

 思わず振り返ってつっこんでしまった。恋愛小説ではなかったのか!? いや間違いなく恋愛の話だろうが、なぜそこに剣と鞭が出てくるのだ!?

「……あら、シメオン様?」

「きゃっ、殿下!?」

 ようやくマリエルたちがこちらに気付く。殿下の姿にジュリエンヌ嬢が飛び上がり、マリエルの陰に小さくなって隠れた。

「まあいやだ、いつからそこに? ずっと聞き耳を立てていらしたの?」

「隠れてもおらんし、聞き耳を立てずとも普通に聞こえたわ」

 マリエルの苦情に殿下が言い返した。

「我々が近付いてくるのに気付かず、話に夢中になっていたのはそちらだろう。ずいぶんと楽しそうになんの話をしていたのだ?」

「本の感想を語り合っていただけですわ」

 私にも殿下にも本性を知られているマリエルは、今さら隠す気もないようで堂々と答えた。さきほどから議論の的になっている本をこちらへ見せてくる。

「素敵な作品を見つけたのですが、ジュリエンヌと解釈の違いで意見が分かれまして」

「そんなに難しい物語なのか? そなたが読むならば恋愛小説かと思ったが」

「ええ、恋愛小説です」

 黒い表紙に銀色の文字で題名が記されているだけの、素っ気ない装丁だ。どういう内容なかみなのか、表紙から窺うことはできなかった。

「剣だの鞭だの言っていましたが、主役たちの持つ武器ですか?」

 聞かない方がよい。わかっていても、気になって尋ねずにはいられなかった。さきほどの言葉があまりに理解不能で、追及せずにこの場を立ち去れなかった。

 そんな私にマリエルはにっこり笑って答える。

「いいえ、主役です」

「はい?」

「剣と鞭が主役なのです」

「……?」

 意味がわからず、私と殿下は顔を見合わせた。

「どういう意味ですか? 剣と鞭――とあだ名される人物が?」

「いいえ、剣と鞭そのものです」

「……?」

 ますますわからない。無意識に眉が寄る。剣と鞭そのものが主役……なにかいわれのある品をめぐる物語だろうか。呪いの剣とか、そんな話か?

「擬人化という分野ですわ。剣と鞭を人に見立て、さらに恋愛に発展させたものです」

「わかりません!」

「剣と鞭でどうやって恋愛する!?」

 私と殿下は同時につっこんだ。なんだそれは!? どういう分野なんだ!?

「生き物ではないだろう! 無機物だろうが!」

「ですから、剣が人のように意志と人格を持っていたらという想像と、鞭がそうだったらという想像により生まれた物語です」

「……想像できるか? シメオン」

 殿下の問いに私は首を振るしかなかった。

「動物が人になるという話なら童話にありますが、無機物がというのは……理解の外です」

「だよな。そうだよな。剣がしゃべり出したら怖いよな」

「もう、お二人とも夢がないんですから!」

 マリエルは不満そうに口をとがらせる。夢の問題なのか? 剣が人になって鞭と恋愛って、どういう夢なんだ。

「ふれれば斬ると強がる剣に、鞭がしなやかに強靱に迫る。そこに萌えが生まれるのです!」

 いやわからない。全然わからない。

「強がっているのは鞭の方でしょう。その気になればいつでも斬り捨てられる剣が、そうせずに寄り添うところに萌えが生まれるんじゃない」

 殿下を気にしつつも反論せずにいられなかったジュリエンヌ嬢が言う。そっちもわからない。わかりたくもなかった。

「……よくわからんが、とにかく恋愛の話なのだな。で、どちらが男で、女なのだ?」

 私同様頭が痛そうな顔をしつつも、殿下が真面目に話についていこうと努力なさる。しかしそんな努力は必要なかった。それは絶対に聞いてはならないことだ。

「やだ、そんなの決まっているじゃありませんか」

 マリエルが笑う。言うな、その先を殿下にお聞かせするな!

「マリエル!」

「どっちでもありません」

 どっちも男だ――という予想を裏切り、マリエルはあっさりと答えた。

「……はい?」

「どちらでもない……?」

 少女たちは顔を見合せ、分かり合ったようすで笑う。

「だって剣と鞭ですもの。男も女もないでしょう?」

「そこは、各自が好きなように想像すればよいのですわ」

 攻守の順序ではもめても、そこの見解は一致しているのか。マリエルとジュリエンヌ嬢は当然の顔で言った。

 ……ああ、そうだな。まったくもってそのとおりだ。剣や鞭に性別などない。あったら困る。腰に提げたサーベルがもしも女だったらどうすればよいのだ。想像させないでくれ。

 そこは常識的に答えるくせに、ならばそもそも剣と鞭に恋愛させることに疑問を抱かないのか? 性別以前に生物ですらないのだが!

「……シメオン、お前には理解できるか?」

 ついていけない私たちを放り出して、また二人は議論をはじめる。そのようすを呆然と眺めながら、殿下が聞いてきた。

「理解できるとお思いですか?」

「いや、お前ならマリエル嬢についていけるのかと」

「彼女と婚約して、一つ悟ったことがあります」

 私は一度空を見上げ、そして深く息を吐き出した。

「互いの趣味嗜好を、無理にすべて理解せずともよい――理解しようもないことが、この世にはあるのだと」

 女性向けの恋愛小説を読んだりして、できるだけ理解につとめてきたつもりだ。だが、知ろうとすればするほど理解が追いつかなくなる。まだまだ私の知らない世界が広がっていた。

 多分、知らない方がよい。そんなこともある。

「……奥深いものだな」

「そうですね……」

 私たちの存在を忘れて、二人はまたおしゃべりに夢中になっている。放置された男同士、私と殿下は静かにその場を立ち去った。

 ……ああ、空が青い。

 今日も平和だな。


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