ありのままで
貴族の婚姻において、年齢というものはさほど重要事項ではない。
花嫁が、跡継ぎを儲けるのに問題ない年齢であること。要求されるのはそのくらいだ。なので親子ほどに年の離れた縁組もまま見かける。
その観念からいくと、私とマリエルの九歳差というのは珍しいものではなく、特に気にすることはなかった。
だが、人生が平均八十年くらいとして、その十分の一以上にあたる時間だ。それだけの差と考えると、些細とは言えないのかもしれなかった。
マリエルと話をしていると、感性の違いを感じることが多い。私とてまだ二十代、若いつもりでいるが、十代の少女から見ればおじさんだろう。それどころか同年代の男たちとくらべても、私は若さに欠けるかもしれなかった。
マリエルと会う時以外遊ぶことはなく、世間の流行りなどにはとんと疎い。頭の中にあるのは騎士団での仕事や領地の経営、国政に外交、諸国の情勢だの要注意人物の情報だのと堅苦しく殺伐としたものばかりだ。宴に出ても、若者たちの間で交わされる話題にはろくについていけなかった。人気の女優だの歌姫だの、はたまた美貌自慢の令嬢だの恋多き未亡人だのと、さっぱりわからないし興味も持てない。そう言うと上官からは、
「お前、その年でそんなに枯れきってどうする」
と、呆れた顔を向けられてしまった。若さが足りない自覚はあるが枯れてなどいないぞ。婚約者以外の女性に関心がないだけだ。
――しかし、その婚約者との関係が問題だった。
マリエルと会っていても恋人らしい時間をすごせているか自信がない。ついつい小言や説教を口にしてしまうことが多く、楽しい会話を提供しているとは思えなかった。
こんな私を、マリエルはどう思っているのだろうか。
十八歳の彼女にとって、気づまりで退屈な相手ではないのかと心配だった。女性を楽しませ、喜ばせる方法がわからない。とりあえず贈り物をいやがる女性は少数派だろうと、花や菓子や装飾品などを買い与えているが、多分本当に必要なのはそんな行動ではないとわかっていた。
マリエルと婚約して以来、いかに自分がつまらない人間であるかを痛感するようになった。仕事はできてもそれ以外ではまるで面白みのない男だ。人としての魅力がない。周りから有能だと誉められ、それなりに役に立っていると自負していたのが恥ずかしい。私には「それ」しかなかったのだ。ろくでもない事実を知って、落ち込まずにはいられなかった。
だが、一人で悶々と悩んでいたところでどうにもならない。知らない、習得していないものは、教わって身につけるよりない。私はなにをするべきなのか、どんな行動が求められているのか、思いきってマリエル本人に聞いてみることにした。
「――そういうわけで、情けないと思われるでしょうが、教えてください。あなたは私にどんなことをしてほしいですか? どういう点が不満でしょうか。なるべく細かく、具体的に聞かせていただきたいのですが」
マリエルと向かい合い、思うところを正直に打ち明けて答えを求めると、なぜかマリエルは無言で椅子の上に突っ伏した。くせのない髪がさらりと肩を滑り落ち、彼女の顔を隠してしまう。背中を震わせ、懸命に声を抑えているようすに、私はいささかむっとした。
「みっともないことを言っているとは承知していますが、そんなに笑わずともよいでしょう。私はこれでも真面目に考えて」
「……違います。笑ってなんかいません」
震える声が私の言葉をさえぎる。たしかに笑ってはいないようだ。この響きには覚えがあった。笑われるのとはまた別の、いやな予感に襲われた。
マリエルがゆっくりと身を起こした。ふたたび見えた顔に、感じたものが間違いではなかったと知る。マリエルの瞳は輝いていた。あまたの星を閉じ込めたがごとくきらめいていた。頬は熟れた果実のように紅潮し、全身から喜びを振りまいている。
これは――
「萌えているんです!」
……案の定な叫びに、私は頭痛のようなものを感じてこめかみを押さえた。
「もうもうもう、人を萌え殺すおつもりですか! どうしてそう可愛いんですか! 見た目はいかにも腹黒そうな美形で、笑顔の下に策略をめぐらせていそうな曲者っぽさなのに! じっさい策略もお得意で有能きわまりなくて、強くてかっこいいのに、わたしの前では純粋でまっすぐで不器用だなんて……まさに萌えの極致! この落差がたまらない! 鬼畜腹黒参謀の隠れた純な一面! 最高に美味しいわごちそうさま!!」
「…………」
私は目を閉じてため息をこらえた。ここでなにか言っても無駄だ。今のマリエルには聞こえていない。ひとしきり叫ばせて興奮が落ち着くのを待つしかない。
やはり、若い娘の考えることはよくわからない。いや、これは年齢の問題ではなくマリエル個人の問題だろうか。しかし彼女の趣味で書かれた物語が多くの読者に支持されているのだから、共感する者は多いのだろう。私が共感できないのは若さがないからか……そうであるような、断じて違うような、なんとも言えない複雑な気分だった。
「……それで、答えを聞かせていただけますか。あなたは私に、どんなことを望んでいます? 私はなにをすればよいのでしょうか」
どうにか少し落ち着いた頃合いを見計らってもう一度尋ねれば、マリエルは満面の笑みで言った。
「鞭を装備してください!」
「そういうことを聞いているのではなく!」
「望みをとおっしゃったではありませんか! シメオン様はきれいでかっこよくて腹黒っぽくて、なにもなさらなくてもそのままで萌えの塊ですけど、欲を言えばもっと鬼畜要素がほしいです! 鞭を操って殿下や団長様を脅しているところを見たいです!」
「なぜその二人ですか!? できるわけがないでしょう!」
馬鹿なことを言うなと、思わず怒鳴りつけてしまった。部下ならまだしも、上官や主君を脅してどうするのだ。そんなことをしたら、お叱りを受けるとかいう話では済まないぞ。
「えー、だって陰の実力者とか素敵ではありませんか。さすがに国王陛下はまずいかと遠慮したのですけど」
「まずいどころではありませんから。そこまでいったら完全に反逆罪ですから。遠慮どころか思いきり一線踏み越えていますから」
結局いつものように説教になり、マリエルを叱りつけて終わってしまった。もっと恋人らしい会話をして彼女を喜ばせてやりたいと思っているのに、どうにもうまくいかない。私だけが悪いのではないはずだ。責任の大半はマリエルにあると主張したい。女性に不慣れな私でも、あれが一般的な反応でないことくらいはわかるぞ。
彼女の希望をかなえれば、たしかに喜ぶだろうし楽しませてやれるだろう。しかし聞ける要求と聞けない要求がある。百歩譲って鞭を持ってみせることまではよくても、それで他人を――主君を脅すなど、できるわけがないではないか。
……私はもっと、普通の恋人同士らしいことをしたいだけなのに。
しかしなにをすれば「普通」なのか、わからない私にもやはり問題があるのだろうな……。
「普通の恋人同士だと? それを私に聞くとは嫌味か。のろけか。ただの幸せ自慢か」
悩んだ挙げ句、主君にして二十年来の親友に相談すると、冷たい反応をくらってしまった。
「そのようなことは考えておりません。私は真面目に悩んでいるのです」
「ならばせめて恋愛を謳歌している者に聞くがよい。独り者にそんな相談を持ちかけて成果を得られると思っているのか」
「恋愛経験ならいくつもおありではありませんか。ほとんど失恋の経歴ですが」
「やはり嫌味だな!? これだから初恋を成就させたやつは!」
憤然と言いながら殿下は手元の書類に荒々しく署名した。投げるように返されたものにざっと目を通し、私はあらためて殿下にお見せする。
「きちんと目を通してくださいませんでしたね? この部分、ご指摘が入るものと思っておりましたが。この金額のまま通してしまってよいのですね?」
「……不備がわかっているなら最初から修正してこい!」
取り戻そうとする殿下の手をかわし、私は書類を遠ざけた。
「こちらとしては、余裕がある方がありがたいので。通していただけるならこのまま財務局へ提出してきます」
「待て。それでは私が苦情を受ける」
「確認と許可は殿下のご責任ですから、問題があるならば苦情を受けるのも当然かと」
「お前、私の気をそらすためにわざとのろけ話をしただろう!」
「とんでもない」
敬愛する主君に、私は笑顔をふるまってお答えした。
「悩んでいることは事実です。仕事は仕事と、別に考えているだけです。付け加えれば、どうも殿下は私の持ってくる書類は確認せずとも大丈夫と思い込んでおられるごようすなのが気になっておりましたので。ご信頼いただけるのはありがたいことですが、けっして正しいご判断ではありません。それは怠慢と呼ばれるものであり、不正をはびこらせる原因ともなります。次期国王として、ご自分の責務をお忘れなさらぬよう、臣としてお願い申し上げます」
言い終えてから私は書類を破り捨て、もう一枚、正しく記載されたものを殿下へ差し出した。
渋いお顔で受け取られた殿下は、今度はきちんとすべてに目を通し、ゆっくり署名した。
「……今のやりとりをマリエル嬢に見せてやったら、さぞかし喜んだことだろうな。心配せずとも、お前たちは十分お似合いだ」
ふてくされた負け惜しみに、私は肩をすくめた。本当にそうであるならよいのだが。こんな面白みのない説教ばかりの男でも、マリエルは喜んでくれるのだろうか。
「真面目に聞きます。あなたも萌えではなく、真面目に答えてください。私に不満はありませんか? もっとこういうことがしたいとか、してほしいとか、希望があるのではありませんか」
機会をあらためて同じ質問をぶつける私に、今度は興奮することもなくマリエルは答えた。
「本当に真面目ですねえ」
「面白みがないことは自覚しています。だからこそ、あなたの本音を聞きたくて」
「そういう意味で言ったのではありませんわ」
くすりと笑いをもらして、彼女は席を立つ。こちらへ移動してきて、私の隣に身を滑りこませた。
「シメオン様は面白いですよ。かっこよくて可愛くて、時たまちょっとずれていて。全然退屈しません。なにを心配してらっしゃるのか不思議なほどですわ」
「しかし……」
ふれ合う部分にぬくもりを感じる。そっともたれてくる身体がたまらなくいとおしくて、その柔らかさに胸の鼓動が速くなる。どう反応すればよいのかわからなくて、ますます顔がこわばってしまった。さぞかし気難しげな、威圧感を与える表情になっていることだろう。そう思うのに、自分でもどうにもできなかった。
ああ、これだから私はだめなのだ。
「シメオン様が考えていらっしゃるのは、女性の相手に慣れていて遊び上手な男性のことでしょう? たしかに、そういう人は相手を退屈させないすべを心得ていますわね。でも信頼できるかとなると疑問です。あまりに遊び慣れている人は、かえって不安ですわ。結婚相手としては、むしろ避けるべきでしょうね」
「……まあ、そういう男もおりますが」
「それにそんな男性はまず私を選ぶことはありません。はっきりきっぱり、ご縁のない相手ですわ」
「…………」
本当にきっぱり言いきるマリエルに、私はなんと答えればよいのか迷った。正直否定できない。男たちの間で交わされる話といえば、どこの令嬢が美しいだの色っぽいだのといったものばかりだ。マリエルのように地味な外見の娘は、鼻で笑われるのがお決まりだった。
そうだ。青春を謳歌している連中にかぎって、女性の内面よりも外見ばかりに惹かれている。結婚して生涯寄り添う相手ならば、もっと内面を重視するべきだろうに。家格の釣り合いや財産なども重要かもしれないが、なによりもまず当人の資質こそがいちばん大切ではないのか。
マリエルは疑いようもなく変人だが、優しい心根の持ち主でもある。話をしてみれば意外と茶目っ気や愛嬌があり、無個性で凡庸なのは表面的なものにすぎないとわかる。ほんの少し付き合ってみれば気付けることなのに、外見だけで判断して無視する輩のなんと多いことか。それ以前に、彼女の存在にすら気付かない。いくら埋没しやすい外見だからといって、風景に擬態するのがうまいからといって、わざと存在感を消しているからといって――……まあ、ある程度はしかたがないか。マリエルの能力は諜報員として通用するレベルだからな……。
そうやって世の中を観察しているマリエルだ。誰よりも人を見る目には長けているのかもしれない。表面的なものしか見えていない男など、縁がなくてもかまわないと思っているようだった。
……ん? そうすると、彼女に好かれている私は、婚約者として合格ということか?
……いや、好かれているのは「萌え」の効果だろう。私のどこが腹黒なのかまったく不可解で不本意だが、彼女の好みにぴったりらしいからな。
しかしそれなら、不満があるかもと心配しなくてよいわけで……?
「シメオン様」
思考にふける私を、マリエルの声が呼び戻した。話をしていたことを思い出し、あわてて見下ろす私に、彼女はにっこりと微笑んだ。
「抱きしめてください」
「……はい?」
「抱きしめてくださいませ」
言いながら、彼女の方が私の身体に腕を回して抱きついてくる。どうにも脈絡がないように思えて、私は困惑した。
「どうしたのですか」
問えば、抱きついたままで見上げてくる。にこにこしながらも照れくさそうに染まった頬が、また私の理性を揺さぶった。
――可愛い。可愛いだろうこれは! 地味もなにもあるか、最高に可愛いと断言する!
内心はもう大揺れだったが、それでもなんとか理性を保とうとしていた私を、可愛い婚約者は容赦なく攻めたてた。
「してほしいこととおっしゃったでしょう。だから抱きしめてくださいませ。恋人に求めるものなんて、ほかにありません」
「…………」
――ああ、これ以上の至福があるだろうか。
私はマリエルを腕の中に閉じ込め、さらさらした髪に頬を寄せた。いとおしい。ぬくもりが心地よい。風景の中からマリエルの存在を見つけ出したことを、その面白さと可愛らしさを知って愛したことを、自分で誉めてやりたかった。よくぞ彼女を見いだした。面白みはなくとも、価値あるものを見つける目は持っていたのだ。
もう悩むなど馬鹿馬鹿しいと思えた。殿下がおっしゃったように、きっと私たちは似合いの一対だろう。こうして寄り添う運命が定められていたのだ。
……そう、ただ幸せで。
こうしているだけで満足で。
……そのはずだが。
「……マリエル、なにをしているのです」
妙な感触を覚えて、私は尋ねずにはいられなかった。精一杯に伸ばして私の背に回したマリエルの腕が、落ち着きなく動いている。小さな手が背や腰をさまよっているのは、どこに置けばよいのかとうろたえているのではなく、明らかに意図をもっての動きだ。さわさわと、私の体格をなぞるようになでていた。
「うーん、しっかり鍛えられていることはわかっていましたけど、こうして腕を回してみると予想以上に大きいですね。全然手が届きません。意外と胸が厚くて、腰の辺りもがっしりと……」
「だからなにをしているのですか!?」
痴女かと言いたくなる行動に、思わず彼女から身を離した。しかしマリエルは私を逃すまいとへばりついてきた。
「ちょっとじっとしていてくださいな。抱き合った時の感触とか、腕がどんな角度になってどの程度まで届くのかとか、たしかめたいんです」
「取材ですか!? 抱きしめてほしいと言ったのはそういう理由ですか!?」
「だってこんなこと、他の殿方にはお願いできないじゃありませんか。お兄様はモヤシですから、鍛えた男性の手応えを知りたかったんです。あ、でも取材だけではありませんよ。もちろん恋人としてのお願いでもあります。ええ、本当に」
これほど空々しく聞こえる言葉もないと、私は内心涙した。明らかに付け足しだろう! いちばんの理由はただの取材だろう!
「ずっと抱きついているとけっこう疲れますね。ときめきより筋肉痛が気になるわ……そういう描写があっても面白いかしら」
面白くない。全然まったく面白くない。
私はため息を禁じ得なかった。つくづく、真面目に悩んでいたのが馬鹿らしい。
腕の中の婚約者は、地味で存在感がないと思わせて、他にはない個性を隠している。とびきりの変わり者で、いつでもどこでも楽しそうだ。
私がどれだけつまらない男でも、彼女は勝手に楽しみを見いだして喜んでいる。悩むよりも、そのことに感謝しておけばよいのだろうな。多分きっと、それでよいのだ。ありのままで、私たちはお似合いなのだろう。
* * * * * 終 * * * * *