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王宮から直接来たというシメオンは、馬車ではなく馬を待たせていた。
クーペに乗れるのは二人まで。せっかくならシメオンと同乗したいところだが、マリアンヌに馬を使わせるわけにもいかない。今日はそれほど風もなく、午後の日差しが暖かいので、マリエルは彼とともに馬で帰ることにした。
マリアンヌが渡してくれたショールを肩に巻き、シメオンの前に乗せてもらう。手綱を取る彼の腕に囲まれて、馬の歩調に揺られるのも悪くなかった。
近衛の白い制服が王宮の外を歩いていたら目立つ。それがシメオンとなればなおさらだ。すれ違う馬車の窓から、通りすぎる屋敷の庭から、人々が目を向けてきた。注目されることが苦手なマリエルは、見られているのはシメオンだからと自分に言い聞かせる。自分への視線は「ついで」の流れ弾だと呪文のように唱え続けたが、じっさいのところはそれだけでもなかった。
常とは違い洒落た装いに身を包んだ彼女は、派手さこそないものの十分に見栄えする姿だった。エステル夫人の選んだドレスや帽子は上品で可愛らしく、若い娘が身につけておかしくないよう華やかさも加えられている。寄り添うのは恵まれた体格の軍人だ。馬上に二人乗りして道を行く光景は物語の挿絵のようで、特に若い女性が憧れのまなざしで彼らを見送っていた。
この際、マリエルが平凡な顔立ちであることは問題にならない。至近距離ではなく遠目に見てくるのだから、そこまではっきりわかるものではない。目鼻だちを省略された絵と同じで、全体の雰囲気が見る人を魅了する。凹凸の少ないほっそりした体型もよい方に作用して、今は可憐な印象を与えていた。近寄ってまじまじと観察されればまた違った感想を頂戴するだろうが、通りすがりにちらりと見る程度の人々にとっては美しい光景だったのだ。
よもや自分が憧れと称賛の目を向けられているとは思いもよらず、マリエルはあらためてシメオンの美しさに感嘆の息をついた。これほど制服やサーベルの似合う人がいるだろうか。かっちりとした詰め襟も、素肌は指先まで隠すと言わんばかりな手袋も、力強さを感じさせる軍靴も、なにもかもが萌えの塊だ。硬質で禁欲的な印象を与えるいでたちは、肌を隠せば隠すほど逆に色気を増している。そう感じるのは自分だけではないはずだ。今度制服をテーマにした特集を出版社に提案してみようか。需要は絶対にある、確信する。
本当にシメオンはかっこいい。ただ一つだけ注文をつけるとしたら、握っているのが手綱ではなく――
「ぼんやりしていると落馬しますよ」
うっとりと見上げるマリエルに、シメオンが冷めた声を降らせた。腕の中の婚約者がろくでもない妄想をしていると、気配で感じ取っていた。
「だってあんまりシメオン様が素敵すぎるから」
「どうせ鞭を持っていたらとか考えていたのでしょう」
「まあ、よくおわかりで」
「本当に考えていたのですか……」
げんなりする婚約者の胸に、笑いをこぼしながらマリエルはもたれる。頬が少し熱い。ときめく理由は萌えのせいだけではなかった。
「あんな絶妙のタイミングで登場して、知らん顔なさらないでくださいな。さきほどのシメオン様は完全無欠のヒーローでしたよ」
小さく肩をすくめた動きが伝わる。
「狙ったわけではないのですが、まあ間に合ってなによりですよ」
返る言葉におや、とマリエルは眉を上げた。この口ぶり、彼はああなるとわかっていたのだろうか。
「そういえば、どうしてお迎えに? そんな予定ではありませんでしたよね? シメオン様が急に早退されるなんて、周りの皆さんも驚かれたのでは」
「どうしてもこうしても。あなたも母上も嫌がらせの可能性しか考えていませんでしたが、私から見れば危険でしかない話でしたよ」
不用心だったと言外に責められて、マリエルは少し身を縮めた。
「……たとえシメオン様へのあてつけでも、アシル様がわたしに誘いをかけてこられるなんてありえないと思って……」
彼が派手に浮名を流していることを、もちろんマリエルは承知していた。だからこそ、マリエルのような地味な娘など、歯牙にもかけないと思っていたのだ。アシルが付き合っているのは、いずれも美しく魅力的な女性ばかりだ。洒落た服を好んで着るように、付き合う相手にも見栄えを求めている。そういう類の男がマリエルに言い寄ってくるとは思わなかったのだ。
というマリエルの弁明に、シメオンははっきりと呆れた表情を浮かべた。
「たしかに彼は見た目の華やかさを重視する男ですが、だからといって安心してよいものではありませんよ。あなたの言うように私へのあてつけもありますし、男というものは若い娘であればなんでもよいという部分を持っているのです」
「そこにシメオン様も含まれるのですか」
――答えがあるまでに、数拍間が空いた。悩むようすを見せたあと、言いにくそうにシメオンは口を開いた。
「……完全に否定はできません。私も男ですから。ただ、付き合いたいという意味ではなく――その、どう言えばよいのか……私の意志や希望とは別の部分がですね、つまり本能的なところで、もちろん理性で十分に制御できますし感情もさほど伴いませんが、それでも若い女性には気を引かれると言いますか……ってなにを書きとめているのですか!?」
恋人にはあまり聞かせたくない男の本音を、言わなくてもいいところまで真面目に答えていたのに、当の恋人は熱心に覚え書きをはじめる始末だ。きげんを損ねられるのとネタ扱いされるのと、どちらがましだろうかと切なくなる副団長だった。
「うう、揺れて書きにくい……シメオン様でもそのような衝動を抱かれるのですね」
「衝動とまではいきません! 少しばかり好ましく感じる程度です!」
「大丈夫、殿方の自然な反応だとわかっています。それすらないのではもはや枯れきった世捨て人ですもの。健全な青年男性でいらっしゃるとわかって安心しました。なのでもう少し詳しいお話を」
「拒否します!」
そばを進むクーペの中で聞いていたマリアンヌは、心の中で若様に頑張れと声援を送った。見た目も肩書も釣り合わない二人だが、なんだかんだお似合いではないかと思う。生真面目で石頭な若様は、見た目のきらきらしさに反して堅苦しい。勉学と武術に邁進してきたせいか、流行りにも疎ければ女心も解さない。朴念仁を絵に描いたような人物だ。彼に憧れる女性は多いが、いざ付き合ってみれば思っていたのと違うと落胆されるだろう。どんな顔を見せてもいちいち喜び、すべてを好もしく受け入れてくれるマリエルは、なかなか貴重な存在であった。
いささか貴族らしくないところのある、おかしなお嬢様だが、彼女の前向きな明るさは周りの人間も明るい気分にさせる。見た目の美しさなどより、もっと価値のある長所だろう。おそらく若様が惹かれたきっかけもそういう部分のはずだ。生真面目で堅苦しいからこそ表面的なものには左右されず、本質の部分をきちんと見る。多くの人が見逃すマリエルのよさを、最初からわかっている。
互いに相手の内面を見て、好意を抱いている。それは理想的な関係と言えるはずだ。
見た目はちぐはぐな取り合わせ。けれどこのうえなく相性のよい、あつらえたような二人だ。どうかこのままよい関係を続け、次代のフロベール家にも繁栄と幸福をもたらしてほしい。
「ですから! 好みから外れていたとしても、まったくその気にならないとは言いきれないのです。特に日頃から女遊びをしている男は、気まぐれでも簡単に手を出そうとする。もちろん遊びですから責任など考えていませんし、相手の気持ちを尊重することもない。そういう可能性を忘れずもっと用心深く身を守るべきという話で」
窓の外では若様が頑張っている。ずれかけた話を懸命に元に戻し、お説教しようとするのだが、聞き手が聞き手なので今一つしまらない。
「どうしてそれを昨日お話なさいませんでしたの? わたしとエステル様が盛り上がっているのをそばでごらんになっていたのに」
「盛り上がっていたからですよ。あの状況に口を挟めると思いますか? 言ったところで二人ともまともに聞かなかったでしょうよ」
「そんなことは……」
「ない、と言いきれますか?」
「……シメオン様が早退なさるなんて、団長様や殿下はなんとおっしゃってました?」
「話をそらすにしても、飛びすぎですね」
「もしかして、就任以来はじめてとか。近衛騎士団の皆様にとって、青天の霹靂だったのでは」
「そこまでは……まあ、珍しがられたのは事実ですが」
「では今頃話題の的ですね」
「……考えさせないでください」
フロベール邸の門が近付いてくる。しかし二人は話に夢中で気付いていないようだ。
「昨日無理やりにでも止めて、お茶会に行かせないこともできましたのに。そうすれば早退なさる必要もなかったでしょう?」
「そうしてほしかったのですか? ……あなただって、たまには着飾って出かけたいでしょう。母上と二人で楽しそうにやる気を出しているのに、邪魔をするほど不粋ではないつもりですよ」
「…………」
「出先でいじめられようがどうしようが、落ち込むあなたではありませんからね。逆に取材になって喜ぶでしょう。そういう方向の心配は一切必要ないので、危ないところだけ助けに入ればよいと思ったのです」
「……ふふ」
「なんです?」
「やっぱりシメオン様は、完全無欠のヒーローです」
「……その発想がよくわからないのですが」
お説教はいつの間にかうやむやになり、結局最後はいちゃついている。そのまま二人を乗せた馬は門の前を通過し、振り返ることなくポクポクと進んでいく。クーペを停車させた馭者が、笑いまじりに尋ねてきた。
「どうしましょうかね。呼び止めます?」
マリアンヌも笑いながら首を振った。
「放っときましょ。まだお日様は高いもの、お二人でゆっくりお散歩を楽しんでこられればいいわ」
せっかく早退してきたのだから、恋人らしい時間をすごせばいい。輝かしい近衛の副団長も、地味が売りの変人お嬢様も、ああしているとごく普通の恋する若者たちだ。花の都サン=テールを彩る、よくある光景の一つでしかない。人生の春を謳歌する若者らしく、なにげなくも幸せな一日を堪能してくるといい。
お先に門をくぐったマリアンヌは、屋敷の中で待つ女主人にどう説明しようかと考えた。予想外な顛末でも、息子が意外な男ぶりを発揮したと聞けば喜ぶことだろう。
結局マリエルとシメオンが屋敷に戻ったのは、とうに日が暮れてからだった。どのあたりで気付いたのかと問われても、二人は顔を赤くして黙るばかりだった。
三人称だとどうも調子が出ず、やはりこの話は一人称が合ってるなと再確認しました。
でも周りの人の考えとかも書けて楽しかったです。