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マリエル・クララックの婚約  作者: 桃 春花
マリエル・クララックの出陣
12/27




 急な誘いですまなかったと、アシルは謝った。


「君とは前々から話をしてみたかったんだ。いつも彼がそばに張り付いてあの怖い目でにらみつけてくるものだから、なかなか近寄れなくてね。今日のお茶会だって、もっと早くにしらせていたら絶対に邪魔されたよ。妻や婚約者を所有物扱いして交友関係にも制限を設ける男がいるが、どうやら彼もその口らしい。気づまりな堅苦しい男だとは思っていたが、年寄り並みに偏屈だったとはね。若い女の子なんだから、もっと自由に楽しみたいだろうに、さぞ窮屈な思いをしているんじゃないかい?」


 甘い顔立ちの青年が、微笑みながら明るく言う。シメオンに対する呆れをほんの少しにじませながらも、きつく非難したり嘲る調子はない。言っている内容はけっこう辛辣なのに、陰口を叩いているとは思わせず、聞く側に不快感を与えない話し方だ。親しい友人をネタにして軽口を叩いているといった雰囲気で、なかなか上手いとマリエルは感心していた。こういう手腕に関しては、シメオンよりもアシルの方に軍配が上がりそうだ。

 シメオンは基本的に他人の悪口を言わないが、気に入らない相手のことは遠慮なくこき下ろす。陰も日向もなく堂々と言うので、反感を買いやすい性格ではあった。自分を悪者にしないよう気をつけながら、相手の印象だけを悪くするといった真似は多分苦手だろう。そうした公明正大なところをマリエルは愛しているが、貴族としては不器用と言わざるをえない。


「そのようなことはございません。シメオン様はとても寛大で、優しいお方ですよ。わたしの友人に文句をつけたりなさいません」


 世間話のように明るく軽い調子を意識しつつ、マリエルは反論した。アシルは軽く眉を上げただけですませ、不愉快そうな顔は見せなかった。


「へえ、そうかい? 僕の知っている彼とはずいぶん違うが、まあ女性から見た印象は変わるものだよね」


 惚れた欲目と言いたいのか。さらに反論したくなるのをぐっとこらえて、マリエルは笑顔で受け流した。ここはお茶会の席だ。むきになって言い返すのはよろしくない。

 二人のやりとりを、周囲の女性陣がおもしろくなさそうに見ている。このままアシルとだけ話していたのでは反感を買うばかりだ。会話を女性側に戻すべく、マリエルは驚いたふりで口をつけたカップを見下ろした。


「まあ、このお茶……近頃ガンディアから入ってくるようになったばかりのものですね。まだ扱いが少なくて、滅多に口にできない貴重な茶葉のはず。おまけに独特のくせがあるので淹れ方が難しいと聞きますが、とても美味しく淹れてありますね。お茶会でこのようなおもてなしをいただけるとは、さすがデルヴァンクール伯爵家と言うよりございません」


 サビーヌ夫人へ目をやれば、夫人は満足と意外の念がまじった、いささか複雑な顔でうなずいた。まさかマリエルが気付くとは思っていなかったのだろう。


「ええ、付き合いのある貿易商から優先的に卸してもらっているの」

「まあ、うらやましい。やはり普段からのお付き合いがものを言うのですね」


 お嬢様たちが顔色を変えている。どうやら気付いたのはマリエルだけだったようだ。まだ珍しい茶葉だと言ったのは事実で、せっかくサビーヌ夫人が張った見栄に、あやうく気付いてもらえず終わるところだったのだ。

 マリエルの指摘のおかげで、ようやくお茶の価値が全員に伝わった。それはサビーヌ夫人を上機嫌にさせた。マリエルをどう扱おうかと決めかねていたのが、一気に好意的な方向へ傾く。彼女はにこにこと話に乗ってきた。


「あなたも、よく気付いたわね。フロベール家でも仕入れているのかしら」

「いえ、このお茶に関しては他の場所でたまたまいただいたことがありまして」


 ここは張り合わない方がよい。マリエルは軽く否定した。フロベール家でも飲めるが、それはだまっておく。今は譲るべきだろう。


「貴族の方ではないのですが、珍しいものが好きで、いろんな方面につながりを持ってらっしゃる方でして。たまたまお茶を入手した時にわたしと会ったものですから、飲ませてくださったのです。これほど上手には淹れられませんでしたが」


 最後だけ小さな嘘をまぜて言う。トゥラントゥールの妓女は茶の淹れ方にも一流の技を持つが、このお茶が上手に淹れられているのも事実だ。


「あらそうなの。ええ、たしかにこれはちょっと難しいお茶ですものね。ほんの少し蒸らし時間を間違えると一気にくせが強くなってしまって。上手く淹れられたら、こうして深い味わいを楽しめるのですけどね」

「ええ本当! とっても美味しいお茶ですこと」

「この風味、もしやと思っていましたら、やはり新しいお茶でしたのね」

「いやだ、お恥ずかしいわ。いちいち驚いては時代遅れと笑われるのでは思って黙っておりましたの。素直に珍しいと言ってよかったのですね」

「わたくしも、珍しいと思っているのは自分だけだと勘違いしていましたわ。てっきり皆様当たり前になじんでいらっしゃるのだとばかり」


 遅れてはならじと、お嬢様たちも口々にさえずる。わたしだって本当は気付いていたわよと、懸命に虚勢を張っていた。彼女たちにとってはただのお茶会ではない、嫁入りがかかった競争なのだ。サビーヌ夫人の機嫌を損ねれば花嫁候補からはじき出されてしまう。なんとか失点を取り戻さねばならなかった。

 そんなようすを見て、マリエルはこのあとの出方を決定した。今、どうふるまえばフロベール家の面目を保ちつつ、デルヴァンクール家とよい関係を築けるか。ついでにお嬢様たちの敵意をそらすことができるか。控えめな笑顔の下で素早く計算し、ふたたび口を開いた。


「パメラ様のお父様は、異国の文化に造詣が深いお方でいらっしゃいますものね。食文化においても日頃からさまざまなものに親しんでいらっしゃるのでしょうね」

「えっ? え、ええ、そうね」


 いきなり話を振られてぎこちなくうなずく令嬢から、その隣へ視線を移す。


「コリンヌ様のお家も、国内外を問わず人脈が豊富で幅広いお付き合いをされていますから、常に新しい情報が入ってくるのでしょうね」

「そっ、そうね、ええもちろん」


 さらに隣の令嬢へ。


「テレーズ様の下のお兄様は、それこそガンディアへ赴任なさっている軍人ですもの。お土産にあちらの珍しい品をたくさんいただけるのでしょうね」

「あ、ええ、まあ」


 そして最後の令嬢へも。


「フランセット様は今日も最新流行の装いでいらっしゃいますこと。常に流行の最先端を取り入れていらして、ドレスだけでなく流行りの演劇や文学など、旬の話題でご存じないものはないほどですからね、当然このお茶のこともご存じでいらっしゃいましたよね」

「も、もちろんよ。わたくしが知らないはずないでしょう。ほほほほほ」


 それぞれの情報をばっちり把握しているマリエルだ。気付いていたことにしたい彼女たちを擁護するなど、おやすいご用であった。

 室内の空気がほっとゆるんだ。どうにか面目を保てた令嬢たちは、マリエルが敵ではないと悟ったし、サビーヌ夫人も場の雰囲気を壊したいわけではない。とりなしたマリエルに向ける目がさらに好意的になり、感心の念すらうかがわせた。

 マルグリットだけは白けた顔をしていたが、ここでケチをつけてはいけないことくらいわきまえている。おとなしくお菓子をつついて黙っていた。


「……ふうん」


 隣から小さなつぶやきがマリエルの耳に届く。視線だけ向ければ、アシルが面白そうにマリエルを見ていた。自分の見合い相手であるお嬢様たちの奮闘ぶりにも、頑張って盛り上げようとする母親にも、あまり興味はなさそうだ。優しそうな表情の中に皮肉めいたものがあるのをマリエルは感じ取った。

 どうやら彼は、今日のお相手が気に入らないらしい。いや、派手に浮名を流してきた人物だから、美しい令嬢たちを嫌ってはいないだろう。だが結婚相手として押しつけられることには不満を抱いているようだった。

 まだ一人に決めず遊んでいたいのか、もしくは存外ロマンチストなところがあって、運命の相手を求めているとか?

 だからといって無関係な人間を巻き込まないでほしい。マリエルはカップに隠してこっそり口をとがらせた。ようするにこのお見合いをぶち壊すために、彼はマリエルを招待したわけだ。マリエルなら見合い相手そっちのけで口説いてみせても、ならばとそのまま縁談へ進むことはない。怒らせてもかまわない相手だし、マリエルがうらまれることになってもどうでもいい。ついでにシメオンへのいやがらせにもなる。悪意を込めたいたずらに、ちょうど都合のいい材料として目をつけられたのだった。


 なんという迷惑な。お見合いがいやなら、自力で母親を説得してほしいものだ。こんな真似をされては相手の令嬢たちも気の毒だ。

 こんなことならば頑張っておしゃれしてこなければよかった。いつもどおりの地味な姿で来た方がよかったかもしれない。マルグリットの嫌味を跳ね返すには役立ったが、アシルにとっては思うつぼである。まったくとんだ読み違い、失敗だった。いくら人間模様を観察するのが生き甲斐とはいっても、こんな状況は楽しくない。萌えなど少しも感じられない。


 ――お義母様、こういう場合はどうしたらいいのでしょう。


 マリエルは内心でエステル夫人に救いを求めた。隣からの視線を無視して女同士のおしゃべりを続けたが、一度はとりなした空気がまた徐々に悪くなっていくのを止められなかった。集めた情報を駆使してお嬢様たちを誉め、どんな美点を持っているのかを本人よりも熱心にアピールし、皆それぞれデルヴァンクール家にふさわしい花嫁候補だと持ち上げる。しかしそんなマリエルの努力を嘲笑うように、アシルは彼女たちには目もくれず、マリエルだけを見つめていた。時折口を開いて会話に加わっても、話しかける相手はマリエルだけ。せっかくあれこれ言っても、よく知っているものだとマリエルだけを誉める始末だ。これでは上手くいくはずがない。もうなにを言ってもだめだと、マリエルはとりなす方向でいくのを諦めた。

 かくなるうえは、逃げの一手だ。

 とにかくこの場から逃げ出そう。ここにマリエルがいるかぎり、状況は悪化こそすれ好転することはない。アシルから離れて、お見合いの席を元の状態に戻さねば。


「それにしても、本当に見事なお庭ですね。この季節にこれほど花が咲いているなんて」


 タイミングを見計らって、マリエルは外の景色へ目を向けた。ラグランジュ式に美しく成形された庭園が掃き出し窓の向こうに広がっている。苦し紛れの口実であっても見事な眺めなのは事実で、さすがの裕福さと趣味のよさを窺わせた。


「少し歩かせていただいてもよろしいでしょうか。マルグリット様、案内をお願いできません?」


 アシルが名乗り出ないよう、素早くマルグリットに声をかける。当人が答えるより早く、サビーヌ夫人が同意した。


「そうね、行ってらっしゃい。なにかとお付き合いの深いフロベール家に入る方ですもの、この機会に交流してくるといいわ」


 気が進まないようすの娘のお尻を、迫力の一にらみで叩いて立ち上がらせる。マリエルは「では少々失礼を」とその場の人々に挨拶して、マルグリットと共に外へ出た。

 離れから距離を取ってほっと息をつく。そんなマリエルに、フンと鼻息が浴びせられた。


「お兄様ったら、頭がどうかなさったのではないかしら。こんな華も艶もない道端の雑草みたいな人に声をかけるなんて。どうせならもっとましな相手を選べばよかったのに」


 母親の目がなくなったものだから、マルグリットが遠慮なく蔑みのまなざしを向けている。マリエルも肩の力を抜いて、大きくうなずいた。


「ええ、本当に。この秋の庭は風情があって素敵ですが、お茶の席は春の盛りのような、とても美しく愛嬌にあふれた方ばかりでしたのにね」

「そうよ、よりどりみどりだというのに、なんでこんな人を」

「わたしはまさしく道端のタンポポ。以前オレリア様からもそのように言っていただきました」

「タンポポぉ? それだって十分うぬぼれ……ああ、頭がフワフワと軽くて一息で吹き飛ぶということね。なるほど」

「まあっ、その発想はありませんでした! いいですね、それ! オレリア様的には、どこにでも生えるたくましくも適当な雑草という意味合いでしたが、そちらの意味も面白いです!」

「喜ばないでよ! 誉めたのではないわよ! ってなに書きつけてるのよ!?」


 マリエルはすかさず広げた手帳に今の言葉を書きとめる。馬鹿にされたことを理解していないわけではないが、悪態もなにもかも、すべてをネタとして美味しくありがたく受け止めているのだった。


「今のはとてもよかったので、忘れないように覚え書きを」

「なにがいいのよ!? 覚え書きってなによ、うらみの記録でもつけてるの?」

「うらみ? とんでもない。こんなに楽しい発想をいただいて、感謝しかございません」

「なにが楽しいのよ!? 本当に吹き飛ぶ頭の軽さね!」


 まだマリエルという人物をよく知らないマルグリットには、このノリについていくことができない。オレリア嬢あたりは最近大分慣れてきて、つっこみながらも会話できるようになっているが、そうすぐにはなじめないものだ。

 こんな女といつまでも付き合っていられるかと、マルグリットはマリエルに背を向けた。彼女を放置して一人で戻ろうと踏み出しかけたのだが、近付いてくる人の姿に動きを止めた。

 マリエルも気付いてペンを止める。あろうことか、アシルがこちらへ歩いてくるではないか。お嬢様たちと一緒ではない、一人でやってくる。その視線はまっすぐマリエルへ向けられていて、目が合った瞬間マリエルは顔が引きつるのを抑えられなかった。


「お兄様」

「わが家の庭はいかがかな、マリエル嬢。よければ僕が案内させていただこうと思ってね」


 当たり前の顔をしてアシルは声をかけてくる。置き去りにされたお茶会の席は、今頃たいへんなことになっているだろうに、まったく気にするそぶりもない。サビーヌ夫人の怒りを思い、ますます顔がこわばるマリエルだった。

 二人を見比べていたマルグリットが、フンと鼻で笑う。彼女とてアシルの狙いにはとうに気付いている。なぜマリエルが庭へ出たがったのかもだ。母親と違ってお見合いが成功しようと失敗しようとどうでもいいので、この状況はマリエルへの意地悪にもってこいだと考え、兄の好きにさせることにした。


「あらそう、じゃあおまかせしてわたしは戻りますわ」


 ものわかりのよいふりでさっさと立ち去ろうとするマルグリットに、あわててマリエルは追いすがる。思わず礼儀も忘れて彼女の腕に抱きついた。


「いえっ、わたしマルグリット様とご一緒したいです!」

「ちょっと、なれなれしくさわらないでちょうだい。お兄様があなたとお話したいのですって」

「それは光栄ですが、わたしとしてはアシル様よりマルグリット様の方が好みなので。この素晴らしい肉体美とお色気がたまらないのです」

「気持ち悪いこと言わないで! わたしにその手の趣味はないわよ!」

「あと敵意バリバリの鋭い視線が素敵です! オレリア様とは趣の異なる悪役令嬢、大好きです!」

「誰が悪役よっ、わたしはあなたなんか大嫌いよ!」


 焦るあまり本音が出まくりなマリエルに、一瞬アシルは目を丸くしたが、肩を震わせて笑いだした。


「……なんだ、本当に見た目と違って面白い子だな。わりと本気で興味がわいてきたよ」

「なにも面白くございません、とりえもないつまらない女です。どうぞあちらの美しいお嬢様たちとお付き合いなさってくださいませ」

「わかってるんだろう? あんな押しつけられた人形に興味はないよ。いやだって言ってるのに母ときたら無理やり引き合わせてさ。ならぶっ壊してやれと思って君に来てもらったんだが……われながらいい判断だったかもね? 今までにない新しいタイプだよ。本気で君のこと、もっと知りたいな」

「でしたら、シメオン様と結婚したあとでお願いいたします」


 自分はすでに婚約済みであることを思い出してくれと、マリエルは言う。しかしそんなことは先刻承知で、アシルは意にも介さなかった。


「君だって、いろんな男を知るべきだよ。婚約するまで男と付き合ったこともないんだろう? あんな堅苦しい石頭が本当にいいのか、判断できるだけの経験をするべきだよ」

「交際経験はたしかにございませんが、人はたくさん見てまいりました。シメオン様は心から尊敬し信頼できる素晴らしいお方です。なに一つ問題はございません」

「そう言うあたりが世間知らずだって言うんだよ」


 どんどん迫ってくるアシルに押されて、気付けば庭木を背に追い詰められている。頼りのマルグリットもマリエルを振り払い、ひややかに傍観している。顔の横に手をつかれ、榛色の瞳がさらに距離を詰めてくる。まさか、このまま不埒な真似におよぶつもりなのか。マリエルの額に汗が浮かんだ。


「……悪い冗談はおやめくださいませ。あいにくわたしは、このようなおふざけにお付き合いできるほど気の利いた女ではございません」

「冗談かどうか、試してみればいいさ。大丈夫、そのままじっとしていればいい」


 褐色の髪が日に透けて、明るい輝きをまとう。間近に迫る顔はたしかに美しく、蠱惑的なまなざしに色香も感じ取れる。こうして強引に迫られるのを喜ぶ女性は少なくないだろう。だがマリエルにはまったく逆効果だった。自分でも驚くくらい、この状況に少しもときめかない。恐怖心すら感じている。もうなりふりかまわず悲鳴を上げて逃げ出したかった。


「そっ、それ以上近付かないでくださいませ。いいかげんになさいませんと……」

「しないと?」


 余裕で笑うアシルに、マリエルはきっと顔を上げて言い放つ。


「モルヴァン男爵夫人との秘密のお付き合いについて、サビーヌ様にお話ししてしまいますよ!」

「――!?」


 予想外の反撃に、アシルの動きが止まる。驚きに顔色を変えて、彼は腕の中の眼鏡娘を凝視した。

 その隙を突いて、さらにマリエルは言い募る。


「なんでしたらご主人の男爵にも! あと仲が悪いことで有名なスルト侯爵令嬢とドーミエ伯爵令嬢の両方とお付き合いされていることも、暴露しちゃいましょうか!」

「なっ……」


 なんでそれを、という言葉をあやうくアシルは呑み込む。いずれも人に知られないよう上手く立ち回っていたはずの関係で、ここで持ち出されるとは思いもよらなかった。


「さらにエマール子爵夫人と……」

「わあああぁっ!」


 止まらないマリエルの口をあわてて手でふさぐ。マルグリットが驚きと呆れに口を開けていた。


「んももんががうっ!」

「ちょっ、黙って! なんなんだよ君は!? どこからそんな話を……」

「んんうーっ!」


 もがくマリエルと、黙らせようと焦るアシル。とんだ修羅場な光景に、一迅の風が斬り込んだ。


「女性を力で押さえ込むとは、紳士のふるまいではありませんね。私の婚約者から離れていただきたい」


 その場の三人が同時に声の主を振り向く。いつ来たのか、白い近衛の制服をまとう青年が立っていた。

 眼鏡の奥から水色の瞳が焔となってアシルを鋭く見据えている。腰のサーベルに軽く手を添え、いつでも抜けると示す体勢だ。もしも本気で抜いたならばアシルの首は一瞬で胴から離れるだろう。もちろんそんな真似をするはずもないが、してもおかしくないと思わせるほどの迫力を漂わせていた。

 シメオンの姿にマリエルの目が輝き、ついで安堵にうるむ。アシルの手から力が抜けた。


「お前……なんだってここに」


 シメオンを案内してきたらしい執事が、彼の背後で困った顔をしていた。若様のおいた(・・・)を目線でたしなめてくる。アシルはあわててマリエルから離れ、胸を張ってシメオンと対峙した。


「約束もなしに押しかけるとは、そちらこそ礼を欠いたふるまいじゃないのかい? こちらは客人を招いて茶会の最中なんだ。無遠慮に踏み込んでこられちゃ困るね」


 まともにぶつけられる殺気に虚勢を張って言い返せるのはたいしたものだ。腰が引けていることは誰の目にも明らかだったが、意地でシメオンをにらみ返した。


「そう、茶会と聞いていましたね。まさかこのような場面に出くわすとは思いませんでしたよ」


 当然ながらびくともせず、シメオンは冷たく切り返す。


「これがデルヴァンクール家流のもてなしというわけですか。未婚の女性が招待を受ける際には心構えが必要なのですね。知人に注意をうながしておきましょう」

「な……」

「いっ、いえ、滅相もないことにございます!」

「違いますわ! 今のは、その、単なる冗談で! 遊んでいただけです!」


 執事とマルグリットがあわてて口を挟み、とりなそうと懸命になる。マリエルへの反感だけで傍観していたマルグリットは、ここでようやく事態のまずさに気付いた。そう、マリエルの後ろにはフロベール家が存在しているのだ。なにをされても泣き寝入りするしかない、力ない家の娘と馬鹿にしていてはいけなかった。

 マルグリットはシメオンに歩み寄り、媚を含んだ瞳で見上げた。


「彼女がとても可愛らしいものですから、お兄様がすっかり気に入ってしまって。二人でじゃれ合ううちに、つい調子に乗ってしまったのですわ。でもそうですよね、いくら気が合ったからって、慎みあるふるまいではありませんでしたわね」


 弁明するふりをして、ちゃっかり嘘をつく。マリエルもアシルに好意を見せていたと思わせて、シメオンとの関係にひびを入れようというのか。この状況ですかさずそんな計算ができる彼女に、見ていたマリエルは感心してしまった。


「もう離れに戻りましょう。お母様が待っていますわ。シメオン様もぜひお茶会に参加してくださいな。歓迎いたします」


 シメオンの腕にそっと手を添えてうながしつつ、さりげなく豊かな胸元を見せつける。常に男たちの視線を釘付けにしていた肉体美に、彼女は絶対の自信を抱いていたが、中には揺らがない男もいるのだということを思い出す結果になっただけだった。

 身を寄せるマルグリットを乱暴にならない程度に押し戻して、シメオンは断った。


「申し訳ありませんが、私は婚約者を迎えに来たのです。マリエル、いらっしゃい」


 少し声をやわらげて、マリエルへ手をさし伸べる。どうしてシメオンが迎えに来るのか、そんな約束でもなかったのにと疑問はあるが、それ以上に大きな安堵がマリエルの身を包み込んだ。

 自分に向けられた大きな手と、優しい声。しっかり見ていてくれるまなざし。それがどれほど心強いか、あらためて知る。駆け寄って彼の胸に飛び込みたいのをこらえ、マリエルは淑女らしく優雅に歩いてアシルの横を通りすぎた。

 シメオンの手にみずからの手を重ね、見上げれば、うなずきが返ってくる。手を包み込むぬくもりがたまらなくうれしい。人前でなければこんなとりすましたふれ合いでなく、もっと大胆に抱きついているのに。こみ上げる想いを抑えるため、マリエルはそっと視線を下げた。


「あの、そんな、いらしたばかりで。さきほどの失礼のお詫びもしていませんし、どうかお茶の一杯くらいは召し上がっていってくださいな」

「せっかくですが、時間が惜しい。殿下と団長が許してくださった貴重な半日休暇で、婚約者と二人ですごしたいと急いで戻ってきたのです。彼女も中途退席となり申し訳ありませんが、恋人同士はこんなものだからしかたないと、笑って見送っていただけますか」


 頑張って食い下がろうとするマルグリットに、シメオンは驚くほどぬけぬけと言い放つ。あらまあと、マリエルは目を丸くした。ふたたび見上げた白い顔は、いつもどおりに平然としている。察するにアシルへのあてつけなのだろうが、生真面目なばかりと思わせて、その気になればこういうことも口にできる人なのだった。

 マリエルをにらみ殺さんばかりのマルグリットと、いまいましげな顔をするアシル。二人の横で執事が冷汗を流しながら、無言で懸命に抑えている。そんな人々にそっけなく会釈してシメオンはマリエルをうながす。

 一つ息をついたマリエルは、短く辞去の挨拶をして彼とともに歩きだした。


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