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翌日の午後、デルヴァンクール伯爵邸に貴婦人を乗せた馬車が到着した。
――じつはフロベール伯爵邸とデルヴァンクール伯爵邸はご近所で、散歩がてらに歩いていってもよい程度の距離である。しかし貴族女性たるもの、自分の足で移動するなどあってはならない。たとえちっぽけな中流子爵家の娘であってもだ。マリエルが頻繁に一人で市内へくり出して、町娘のような格好でうろついていることは秘密である。フロベール家で用意された馬車に侍女とともに乗り込み、いかにも上流の令嬢らしく、しずしずとやってきた。
馬車は曲線が美しい、二人乗りのクーペ。薔薇色の車体に金の装飾が華やかだ。扉部分には美しい花の絵が描かれており、女性が乗るために作られた馬車だと一目でわかる。フロベール家の子供は男子ばかりなので、これは女主人たるエステル夫人の専用だ。もちろんフロベール家は他に何台もの馬車を所有しており、マリエルの家のように誰かが占領していると他の家族が困る、という事態は起きなかった。
名門の女性たちからすればあたりまえの話だろうが、贅沢なことだ。ついでに言えば、夫人専用の馬車はこれだけではない。もう一台、屋根のないカブリオレもあった。今日は昼の訪問なので、暖かい季節ならばそちらを使っていた。こうした贅沢がいずれマリエルのものになるわけだが、現時点ではとても実感できない。借り物のドレスに借り物の馬車が、自分にはまったくふさわしくないと落ち着かなかった。
「いよいよね……うう、大丈夫かしら」
門を通ってからかなりの距離を進み、ようやく玄関前の馬車回しにたどり着く。馬を止めた馭者が扉を開きにやってくる。その背後に見える玄関はすでに開かれ、デルヴァンクール家の使用人たちが現れていた。
「ご心配なく、とてもおきれいですよ。奥様のお見立てに間違いはございません」
フロベール家から付き添ってきたマリアンヌが励ましてくれる。エステル夫人の侍女を務める彼女は、慣れたようすで先に馬車を降りた。彼女と馭者の手を借りて、マリエルはそろそろと外へ出る。どういうわけか、どんなに立派な馬車でも乗降用の階段は小さくて不安定なのだ。あまりしっかりしたものを取りつけると見栄えが悪くなるからだろうか。それならば踏み台でも用意してくれればよいのにと思う。
踏み外すことなく無事に降りたマリエルのドレスを、マリアンヌが手早く直す。マリエルは二人に短くお礼を言って、出迎えの待つ玄関へと進んだ。
「こんにちは。お招きを受けてまいりました」
使用人相手にはツンとすますくらいでよいと、エステル夫人からは言われたが、そういうのは苦手なマリエルだ。あまり元気よくなりすぎないようにだけ気をつけて、明るく挨拶をした。その横からマリアンヌが招待状をさし出す。確認した執事はうやうやしくマリエルを邸内へうながした。
「ようこそおいでくださいました。主ともども、お待ちいたしておりました。どうぞ、お入りくださいませ」
彼に先導されて邸の中へ進む。マリアンヌは入ってすぐのところにある、使用人用の控室で待機だ。頑張れとまなざしで激励を受けて、マリエルは一人敵地へ赴いた。
――以前夜会に招待された時より、壁がきれいになっている気がする。明るい昼間だからそう感じるだけでなく、かなり大がかりな修繕をおこなったようだ。それに合わせて飾る絵も変えたらしい。そう、たしか以前ここにかけられていたのは風景画ではなく、いかめしいご先祖の肖像画だった。そこの花瓶も東国から伝わった焼き物だったように記憶している。前の方が落ち着いていて素敵だったのに、なぜ変えてしまったのだろう。それとももしかして、掃除中にうっかり割ってしまったのだろうか。だとしたらもったいない。
などと、表面上なにも考えていないような顔をしながら、マリエルはひそかに周囲へ視線をめぐらせていた。どういう目的で来ていても、つい取材をしてしまう作家の習い性だ。普段目にしない他家のたたずまいを、しっかり脳内に描きとめながら歩いた。
ずいぶん奥まで進む、と思ったら一旦外へ出て、屋敷の裏手に広がる庭園を歩かされた。花の庭に囲まれて、小さな離れがある。小さくとも造りは豪華だ。小宮殿的な意匠の建物でお茶会は開かれていた。
予想したより参加者は少ない。庭からサロンのようすを眺めて、マリエルは意外に思う。デルヴァンクール伯爵夫人サビーヌと、末の娘マルグリット、それに彼女と同年代の令嬢たちが四人ほど。そこへ長男のアシルが黒一点でまじるという状態だった。
マルグリットの友人たちが招待されている……と見るには、当てはまらない顔ぶれも。もしやこれは、アシルのお見合いではなかろうか。マリエルより少し年上の令嬢たちであるから、アシルの相手にはちょうどよい。年齢だけでなく家格なども釣り合っている。もちろんみんなまだお相手は決まっていない。
なるほど、それで女性ばかりのお茶会に男一人で参加しているわけか。自主的にではなく、母親から命じられたのだろう。
――といったことを、十数えるほどの間に観察し、見抜いてしまうマリエルだった。交友関係にない、口をきいたこともほとんどない人ばかりでも、全員の名前と素性は把握していて紹介の必要もない。趣味の延長でやっているだけだが、この観察眼と情報収集力がマリエルの非凡なる才能の一つだった。王太子が冗談半分に部下にしたいと言うほどで、じっさい諜報部員にもひけを取らない能力である。まがりなりにも子爵令嬢なので勧誘はされないが、本人の知らないところで一部の面々からは高い評価を受けていた。
さて、そんなお見合いのためのお茶会に、なぜマリエルが招待されたのか?
状況を理解すると同時に謎が深まった。普通に考えて、ここにマリエルがまじるのはお邪魔以外のなにものでもなかろうに。アシルのお相手にはなりえないし、場を盛り上げる要員に頼られるはずもない。むしろ気まずい空気を生み出してしまうのでは、という予想は、離れに入り主催者と挨拶を交わしたところで的中した。
「ようこそ、マリエルさん。わざわざお越しいただいて、ありがとう」
きちんとした家の奥方らしく、サビーヌ夫人は愛想よくマリエルを迎え入れた。しかし歓迎されていないことは雰囲気でわかる。どうしてこの娘を、という疑問を彼女と、そして背後に控える娘たちが抱いていることはあきらかだった。
皆でマリエルをいびってやろうと、手ぐすね引いて待っていたわけではないようだ。してみると、マリエルを招待したのはアシルの一存か。もしかすると夫人たちには、直前になって知らされたのかもしれない。用意された席や茶器などの数を素早く、こっそりたしかめたマリエルは、自分が招かれざる客であることを知った。
……さて、これはどう受け取ったものか。
この状況をしかけたのがアシルではなくマルグリットであったならば、まだ納得ができなくもない。そういった陰湿ないじめをする女性は、残念ながら珍しくない。しかし立派な男性が――というのは偏見かもしれないが、シメオンと張り合うほどの男性がマリエルのような小娘相手にしかけてくるというのが、どうにも納得できなかった。
ちらりとアシルへ目をやれば、洒落者の若君は機嫌よさそうにマリエルを見ている。長めの前髪から見える榛色の瞳には、マリエルに対する悪意めいたものは存在しないように思えた。
内心首をかしげながらも、マリエルは顔には出さず優雅におじぎした。スカートの中で静かに膝を折り、軽く身体を沈める。両手は腰の前で軽く合わせ、あまり上体を揺らさないように、しかし少しだけ前へ倒して相手への敬意を示す。上流の娘ならば当然にできねばならないカーテシー――これがじつは苦手なマリエルだった。ついついピョコンと跳ねるように元気よくやってしまって、いつも教師に叱られていた。昨夜もエステル夫人からみっちりしごかれた。この本番で失敗しては意味がないので、懸命に優雅なおじぎを披露する。それは及第点に達していたようで、周りの女性たちから嘲る反応は出なかった。
「ごきげんよう。お招きありがとうございます。親しくお付き合いさせていただいたこともございませんのに、ずうずうしくお邪魔してよいのかしらと迷ったのですが、せっかくのお誘いですのでおもいきってまいりました」
にこやかに微笑みながら、明るい声で挨拶をする。ここでも元気よくなりすぎないよう気をつけた。とにかくマリエルは元気がよすぎるとダメ出しされてばかりだったので、その反対を心がける。彼女をよく知らない人間には、おとなしげではあるが陰気なところのない、ものおじしない娘に見えた。鈴が鳴るような、とはいかないが、ほどよい高さの声は耳になじみ心地よい。誰が見ても申し分のない、よく躾けられた良家の娘という姿だった。
これが日々萌えを語り、婚約者を振り回す奇天烈娘だなどと、誰にわかるだろうか。その気になれば完璧に猫をかぶれるマリエルだった。そして、控えめを装いながらも言うことは言う。そちらから招待されたので来たのだとしっかり強調し、さらに言葉を続けた。
「こちらの離れへ通していただいたのは、はじめてですね。まるで小さな宮殿のように、素敵な建物ですこと。お庭もさすがの美しさで、これを見られただけで足を運んだ甲斐がございました。さすがデルヴァンクール伯爵家と申しましょうか。もうここまでまいっただけで、十分に満足させていただきました」
なにか手違いがあって予定外の参加だったならば、今すぐ帰ってもかまいませんよ。お邪魔ならそうおっしゃってくださいな。
言外に込めた意図は、相手にも伝わっただろう。そこはお互い貴族として、察せられねばならないところだ。マリエルが場の空気を読み取ったのも、誉め言葉に包んでやんわり指摘したのも、貴族ならばできて当然とされる対処だった。まったく面倒くさくも気を遣う話だが、そのあたりはさほど苦にならないマリエルである。頭の回転が速く、意外に胆力があるという点は、まごうことなき彼女の長所だった。しばしばそれが明後日の方向へ突っ走ってしまうので、追いかけて保護せねばならないシメオンにとっては素直に誉められないところだが。
「まあ、お気に召していただけたなら、なによりだわ」
話を合わせながらサビーヌ夫人は忙しく頭を働かせた。たしかにマリエルはお邪魔虫だが、そう言って追い返してはあまりに無礼だ。息子が勝手にしたこととはいえ、正式な招待状を送ったのはこちらである。相手がうんと格下の小娘といえど、主催者の品格を疑われるふるまいには違いなかった。
しかもマリエルはあのフロベール伯爵家に嫁入りが決まっている。おろそかにできる相手ではない。
夫人は控えていた女中に、目線で指図した。招き入れておいて座る場所がないなどと、主催者側の赤っ恥である。使用人たちが大急ぎで席を用意している間、時間かせぎに娘を呼び寄せた。
「マルグリット、あなたもこちらへ来てご挨拶なさい。これまであまりお話することもなかったのでしょう? せっかくの機会なのだから、しっかり顔を覚えていただいて、仲良くしていただかないと」
いえ、お顔も声も、ついでに趣味や好みの男性のタイプなども知っていますけど。どちらかというと、人に覚えてもらえないのはわたしの方で。かぎりなく存在感の薄い、風景の一部ですからね。
控えめな微笑みの下に隠して、マリエルは内心つぶやく。まだ若いマルグリットは母親ほど体裁を気にしないようで、一瞬不満そうに口をとがらせた。なぜこんな格下の女にわざわざ席を立って挨拶してやらなければならないのだと、彼女の表情が語っていた。
母親からにらまれて、しぶしぶ席を立つ。気付かないふりで待つマリエルの前までやってきて、見せつけるように優雅におじぎした。先ほどのマリエルのおじぎが上手くできていただけに、かえって反感を買ったようだ。
「ごきげんよう、マリエルさん。今日いらっしゃるとは知りませんでしたので、驚きましたわ」
マリエルより三つ年上の彼女は、母親によく似た大柄な美人だった。顔の造りも全体的に大振りだが、下品な印象は与えず濃密な色香を漂わせている。そう、体型もじつに素晴らしい。縦にも横にも存在感があり、むっちりはちきれそうな胸元につい視線が吸い寄せられる。豊満な肉体美に恵まれているところもそっくりな母娘であった。
マリエルを見下ろすマルグリットの目が勝ち誇っていた。あまり細すぎるよりも、少しふくよかな方がラグランジュでは好もしく評される。腕も腰も細く胸元はさっぱりしたマリエルなど、彼女とくらべれば枯れ枝みたいなものだ。エステル夫人が選んだドレスも、胸を重点的に詰めねばならなかった。
「そのドレス、とても素敵ね。清楚な小花模様があなたによく似合っているわ」
地味な女には派手な柄なんて似合わないものねという、聞こえないはずの声が聞こえてくる。ええそうですねと、マリエルも声に出さず同意した。それはエステル夫人にじっさいに言われたことでもある。似合う色も柄も人それぞれ、マリエルは清楚上品で攻めるのがよいと、衣装部屋を埋めつくすドレスから選び出したのがこの一着だった。
「色も季節に合っているし、お茶会にはぴったりの装いね。……でもねえ? 不思議なのだけど、わたしそのドレスに、とっても見覚えがあるの」
おお、とマリエルは内心で小さく歓声を上げた。きたきた、これを待っていた。にこやかに話すふりをして、ねっとり嫌味に切り換える。サビーヌ夫人の愛想よさにいささか拍子抜けしていた分、マルグリットからの攻撃が萌え心をくすぐってくれた。
「飾りを増やして可愛らしくしてあるけれど……それ、もっと年長の方が着るドレスではなくて? たしか昨年、どなたかがお召しになっていたような」
これ、と小声でサビーヌ夫人が叱る。それを逆に利用して、さらにマルグリットは攻撃を続けた。
「ああ、ごめんなさい? わたしの勘違いかしらね。まさか、フロベール家に嫁ごうという方が、他人から借りなければならないほどドレスに不自由してらっしゃるはずはありませんものねえ?」
――ああ、素晴らしい。
萌えと震えが身体の奥底からわき上がってくる。表面に出さないよう、マリエルは懸命にこらえねばならなかった。お色気美女にふさわしい、このねっとり感! 花に例えるならば、梔子のような。白のようで真白ではない、あのなんとも言えないまったりとした色合いに、甘く強い香り。マルグリットは自分にふさわしくない地味な花といやがるだろうか? けれどぴったりに思うのだ。
マリエルが信奉するカヴェニャック侯爵家のオレリア嬢も、花を思わせる美女だ。マルグリットが梔子ならば、彼女は金の薔薇。うかつにふれると刺されるとげに、なによりも存在を主張する大輪の花。しかしその花弁は繊細にやわらかく、幾重にも重なる奥にときめきを隠している。
それぞれ趣の異なる美女に、マリエルの胸は高鳴るばかりだった。嫌味? それがなにか。ますます萌える燃料にしかならない。ねっとり美女のねっとり嫌味なんて最高ではないか!
――とはいえ、黙って喜ぶばかりではいられない。マリエルはにこにことうなずいた。
「さすがマルグリット様。社交界を代表する花形のお一人、よくお気付きで。ええ、このドレスはエステル様からいただいたのです。わたしがこの指輪に合うドレスを持っていないとこぼしていたものですから」
と、ここで胸の前に組んだ手を見下ろす。左手の薬指には、シメオンから贈られた婚約指輪が光っている。もちろんとうに気付いていただろうが、誇示されてマルグリットの口元がひそかにゆがんだ。
「シメオン様はとてもお優しく、誠実に気遣ってくださるのですが、正直なところ少しばかり……女の事情に疎いお方でして。婚約指輪ならば立派なものでなければならないと思われたのでしょうね。似合うとかそういったことはあまり気にされず、これを贈ってくださったのです」
ギリ、と彼女が奥歯をかみしめたのもわかった。殺されそうな視線が怖いけれどたまらない。美人は怒っても美しく、迫力がいや増すばかり。
「お気持ちはうれしいのですが、困ってしまって。ご承知のように、わたしの家はさして財産もない慎ましい暮らしです。フロベール家の格に合わせた用意となりますと、なかなかの負担で。あまり父に無理をさせたくなくて、正直にエステル様に相談しましたの。いずれ義母となる方ですから、変にとりつくろわず頼らせていただこうと思いましてね。エステル様はいろいろ親身になってくださって、マダム・ペラジーに新しいドレスを注文したり、ご自分の宝石や衣装を譲ったりしてくださったのです。このドレスも、流行に左右されないデザインだからとおっしゃって、わざわざわたしに合わせて仕立て直してくださったのです」
――と、言うように指導したのはエステル夫人である。が、マリエル自身も効果的な戦法であろうとは承知していた。
どうとりつくろったところで、マリエルがものの数にも入らない、中流の娘であることはわかりきっているのだ。頑張って装っても指輪は似合わない。それを攻撃材料にされる前に、堂々と認めてしまえというわけだ。そのうえで、エステル夫人から可愛がられていると印象づける。お下がりのドレスは寵愛の証となれば、馬鹿にすることはできない。
まさに女の戦い。たじろぐ内心を隠しつつ、ワクワクもしているマリエルだった。嫌味と当てこすりの応酬は、小説の中でもおなじみだ。うむ、いじめられるだけの薄幸のヒロインもよいが、時には丁々発止とやり合う強いヒロインもよいだろう。
マルグリットがシメオンを狙っていたことも、この作戦が決定された理由の一つだった。年齢も家格も容姿も完璧に釣り合った、申し分のない相手だ。マリエルと婚約する前は、マルグリットが最有力候補とみなされていた。彼女がマリエルを嫌い攻撃してくるのは当然の話で、だからこそ先ほどの返しが威力を放つのだった。
われながらいやらしい戦法だと、内心マリエルは苦笑する。ごめんなさいと笑顔の下で謝って、しかしシメオンは譲れないとも思っていた。婚約したばかりの頃ならいざ知らず、今となっては彼と結婚する以外の未来は考えられない。
「あらまあ、今からそんなに仲良しとはよいわね。ええ、あの人は男の子ばかりで華やぎに欠けると嘆いていらしたから、一緒におしゃれを楽しめる義娘ができてうれしいのでしょうね」
マルグリットが黙った隙に、急いでサビーヌ夫人が言った。彼女とて内心はいろいろ思うところがあるだろうが、今はお茶会の主催者として場の空気を守らなければならない。なにしろ名家のお嬢様たちがこれを見ている。
そこへ、ようやく真打ちが腰を上げてやってきた。マリエルをこの場へ引きずり込んだ張本人、アシルが妹を押し退けて進み出た。
「ようこそ、マリエル嬢。突然の招待にも関わらず来てくれてうれしいよ。さあ、いつまでも立っていないで座っていただこう。おしゃべりは、お茶を楽しみながら落ち着いてしようか」
マリエルが答えるより先に手を取って席へとエスコートする。思わず従ってしまう、手慣れたしぐさだった。見上げる先にあるのは華やかな美貌だ。凛と硬質なシメオンとは対照的な、甘い雰囲気の人物だった。
デルヴァンクール家の有能な使用人たちが大急ぎで設えた席に、マリエルは連れていかれる。他のお嬢様たちにも軽く挨拶をしながら、アシルが引いてくれた椅子に腰を下ろし、居住まいを正したところで気がついた。
――どうしてこの席なのだろう?
マリエルのために用意された席は、アシルのすぐ隣だった。
お見合い相手の令嬢たちを差し置いて、同じテーブルの隣の席。
周囲も驚いている。そして困惑が怒りに取って変わられるのはすぐだった。あちこちから突き刺す視線を浴びせられ、さしものマリエルも冷汗を流す。いったいなにを考えているのかとアシルを窺えば、じっとこちらを見つめている榛色の瞳にぶつかった。
やはり、そこに悪意は感じられない。この配置がどういう結果を招くか、わかってやったのだろうに、だからといってマリエルを陥れてやろうという意地悪な思惑は窺わせなかった。
楽しそうに笑いながらマリエルを見返す瞳には、好奇心といたずら心だけが浮かんでいる。他の令嬢たちには目もくれず、マリエルだけを見つめている。これからマリエルを口説こうとしていると感じたのは、おそらくうぬぼれではないだろう。
――はい?
予想していたのとはまったく異なる事態に直面し、思わずお愛想笑顔を忘れてしまったマリエルだった。