第二十二話・森の中の一族
「それで、あんたが言うマスターってのは何のことなの?」
ルルーナの問い掛けに、モチ男――ライオットは短い両手を身体の前で合わせて軽く俯く。もじもじとしながらチラリとジュードの様子を窺い、程なくして口を開いた。
「……マスターはマスターだに」
「だから、なんでジュードがあんたのマスターなのよ。そのマスターってのはなんなの?」
「ええと……」
ジュード達が知りたいのは、なぜライオットが彼を『マスター』と呼ぶのか、だ。もちろん他にも聞きたいことは山ほどあるが、取り敢えずの疑問はそれである。
だが、ライオットにとっては当たり前のことであり説明が難しいのか、困ったような様子だ。頻りに首――否、身体を傾けている。
カミラは暫しそんな姿を見つめていたが、昨日イスキアが口にしていた言葉を頭の中に思い返していく。
「イスキアさんが、ジュードは他の人にはない血を持ってるって言ってたの。それが何か関係してるの?」
「そうだに!」
そうして問い掛けたカミラに対し、ライオットはやはり短い手を掲げて元気良く返答を向けた。
そこでジュード達の疑問が募るのは当然だ。ジュード自身は、イスキアがそんなことを話していたと言うことさえ戦闘中だった為に聞いていない。
一体どういうことなのかと、自分の肩に乗るライオットに視線を向ける。
「他の人にはない、血……?」
当然、それだけで何かが分かる筈はない。
余計に深まった疑問にジュードは疑問符を滲ませながら、ライオットが口を開くのを待った。
「うに! マスターは精霊族の血を引いているに!」
「せいれい、ぞく……」
聞いたこともないような言葉に、ジュードは一度辿々しく復唱すると静かに自分自身を片手の指先で指し示す。
「……オレ、人間なんだよね?」
「そうだに!」
「そんな一族がいるなんて、聞いたことないぞ」
ウィルは片手を顎の辺りに添えて思案顔で軽く眉を寄せる。
色々な知識を有している彼ですら、そんな一族が存在すると言う話は聞いたことがなかった。
しかし、ライオットが嘘を言っているようにも見えない。何処までも自信満々である。
ジュードはライオットから即座に返る肯定に小さく安堵を洩らすと、そのまま自分の手の平に視線を落とした。
「精霊族は精霊の森と呼ばれる場所の奥深くに住む一族だに、身体に流れる血で精霊達と言葉や心を交わしたりすることが出来るんだに!」
「けど、ジュードは魔物の声が聞こえるのよ?」
「それだけ強い力を持ってるんだに。前のマスターは精霊だけじゃなく、魔物や動物の声が聞こえたに!」
返る言葉はやはり何処までも真っ直ぐで、迷うような様子もない。
嘘を連ねているのだとしたら言葉が迷ったりすることもあるだろうが、そういった様子が全く感じられなかった。
ウィルやメンフィスは頭の中で一つ一つ情報を整理していく。俄かには信じ難いことではあるが、嘘だと決め付けるにも難しい。
「なぜ、ジュード様があなたのマスターなのですか?」
それまで成り行きを見守っていたリンファが、ウィルと同じように思案するかの如く一度視線を足元に落とした後、仲間達の間にあった疑問を改めてライオットへと投げ掛ける。
「マスターはマスターだに……精霊と心を通わせて使役する、特に強い力を持っている者のことをマスターって呼ぶに」
「精霊を使役……ってことは、つまり――召喚の才能を持ってるってことか?」
「そうだに! 精霊の使役は精霊族なら誰でも出来ることだに。けど、マスターはその中で特に強い力を持ってるによ」
「どうでもいいけど、やっぱりこの語尾が煩わしいわね」
取り敢えず真面目な話ではあるのだが、その度に繰り返されるライオットの語尾に一つ突っ込んだのは当然ルルーナである。
ライオットは「ひどいに!」と涙目で、小さな手を忙しなく振った。
ルルーナの言うことは尤もなのだが、これでは話が進まない。クリフは苦笑いを滲ませながら、そんなルルーナを「まあまあ」と控え目に宥めた。
真偽こそ定かではないが、とにかく情報は得られる。ウィルは改めてライオットに視線を向け次の言葉を待とうとはしたのだが、ふと制止を向けた――向けなければならなかったのだ。
「あ。待て、モチ男」
「ライオットだに!」
「分かった、分かったから待て。お前のマスターの頭が壊れそうだ」
「に?」
そう。ウィルの視界に映ったのは、ライオットを肩に乗せたまま顔面を片手で押さえて俯くジュードの姿であった。
明らかになった自分の正体――とは言い切れないが、予想だにしない情報にショックを受けているのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
微かに窺える俯いたその表情は今にも事切れてしまいそうな――否、鬼気迫るものがあった。ショックを受けているのなら、しょんぼりと頭を垂れていてもおかしくない。
今のジュードには、理解したくても理解し切れない。そんな雰囲気が漂っていた。
忘れてはいけない。彼はウィルに揶揄されるほど、頭の出来が残念なのだと言うことを。
「おーい、ジュード。大丈夫か?」
「ダメっぽい……」
「なあ、シヴァさんって……お前がそうなるの分かってたから、説明が嫌で逃げたんじゃないのか?」
「そうかも……」
返るか細い返答にウィルは小さく溜息を洩らすと、傍らに立つマナに無言で視線を向けた。
すると彼女は苦笑い混じりに一度肩を疎ませ、そんなジュードの肩を軽く撫で叩く。マナとてウィルのような頭脳は持っていないが、多少の説明でパンクしてしまうような乏しいものでもない。
「つまり、ジュードは精霊族の中でも特に強い力を持ってるのよ。だからモチ……ライオットはジュードのことをマスターって呼ぶみたい」
今の説明で理解出来たのは、このくらいだ。まだまだ謎は残る。
そうなるとジュードの頭は大丈夫だろうかとウィルもマナも思ったが、取り敢えず今は彼の頭の出来の悪さを気にするよりは、自分達だけでも理解しておいた方がいい。
程なくして、誰もがそんな考えに行き着いた。ジュードには後で分かり易く纏めて伝えてもいいだろう。寧ろ、ジュードを気遣っていたら話が終わらない。
「ええと、じゃあリンクとかアクセスってのは?」
「接続は精霊とマスターを繋ぐものだに! マスターが精霊を受け入れることで互いを繋ぐことが出来るに!」
「――え、ちょっと待って! じゃあ、あのシヴァさんって人……」
ウィルの問いに即座に返る返答。
それを聞いて一度こそ頷こうとしたマナではあったが、ここは流す訳にはいかない。決して流せない重要な事実がある。
マナの制止と彼女の洩らした言葉に、やはりライオットは当たり前のように答えた。
「シヴァは氷を司る精霊だによ」
その返答は、仲間達を固まらせるには充分過ぎるものであった。人間と思っていた旅人がまさか精霊などとは誰も思わなかったのだ。
精霊と言う存在は魔族同様に架空に近い認識があり、実在するとも思っていなかった。
そんな存在と実は普通に遭遇していたのだと理解して、ウィルやメンフィスの頭もやや混乱する。
それまで頭を押さえて項垂れていたジュードも、シヴァの思わぬ正体を理解して怪訝そうな面持ちで改めてライオットに視線を向けた。
「シヴァさんが、精霊……?」
「そうだに、だからマスターと接続出来たに!」
「接続がマスターと精霊を繋ぐこと……なら、アクセスは?」
シヴァが精霊であるなどとやはり信じられるような話ではないが、ジュードが氷の力を使ってイヴリースと戦ったのは事実だ。
あの時ばかりは、氷の力に触れてもジュードの身体は拒絶反応を起こさなかったのである。
まだジュードの頭では詳しくは理解出来ないが、それでも逸る気持ちそのままに改めてライオットに問いを投げ掛けた。
「交信は、接続した精霊と一体化することだに! 精霊と一体化することで、その精霊の加護を受けることが出来るによ!」
「じゃあ、イヴリースと戦った時のジュードはシヴァさんの……氷の加護を受けていたってことなんだね」
「そうだに。けど、この南の地方は火の力が強いに。シヴァは力の半分も出し切れてなかったによ」
「あれで、力の半分も……」
ジュードは、確かにその力を身を以て経験した。
シヴァと繋がった瞬間、内側から溢れ出るような力を確かに感じたのだ。あれで力の半分も出せていなかったとなると、彼の元々の力は一体どのくらいのものなのか。
想像してみて、すぐにやめた。想像出来るようなレベルではなかったからだ。
精霊と言う存在がどんなものなのかさえジュードには分からない。――否、恐らくこの場にいる誰もが完全には理解出来ていないと思われる。
「ジュードが魔法を受け付けないのも、何か関係してるの?」
「マスターは色々な属性を持つ精霊を受け入れる存在だに、だから属性への耐性が極めて低いによ。精霊達と接続していくことで、耐性も付くに!」
取り敢えず、接続はマスターと精霊を繋ぎ、交信は接続した精霊とマスターが一体となるもの。そして交信することでマスターは精霊の加護を受け、その力を使うことが出来る――と言うことは理解出来た。
そして、ジュードはその力を持っているのだと言うことも。
そこまで考えて、ジュードは改めて額の辺りを押さえると小さく吐息を洩らす。
「もうオレの頭では何がなんだか……」
「……魔族がジュードを狙うのも……その力の所為なの?」
何がなんだか分からなくなっていたのは、ジュードだけではない。
ウィルやメンフィスでさえ混乱しつつあった。無理もない、彼らの予想を大きく上回るほどの内容であったのだから。なんとも現実離れした内容である。
そんな中で静かに口を開いたのはカミラだ、彼女は魔族に対して特に過敏である。
「……そうだに、魔族は――サタンはマスターのその力が欲しいんだに。サタンがマスターを喰らえば……その力を奪われることになるに」
「……冗談じゃないぜ」
前線基地の敷地内、その半分近くの大地を一瞬で凍らせてしまったシヴァの力はウィル達も目の当たりにした。
それだけでも凄いと言えるのに、ライオットはシヴァは力の半分も出せていなかったのだと言う。つまり、彼は更に強い力を有していると言うことだ。
サタンが精霊を使役する力を持ち、そのような精霊達を思いのままに操るようになれば――世界は今以上の混乱に陥り人間達など瞬く間に殺され、滅んでしまう。
ウィルの脳裏には、数々の精霊に殺されていく人間達の姿が浮かんだ。
「絶対に負けられなくなったわね……」
「そうでなくても、ジュードを魔族になんて絶対に渡さない……!」
ルルーナが溜息混じりに呟くと、カミラは胸の前で拳をしっかりと握り締めて応える。嘗て魔族に大切な者を奪われたカミラにとって、今度こそ譲れないものなのだ。
ライオットは一人、そんな彼らに目を向けて幾分申し訳なさそうに軽く頭を垂れていた。