第十九話・決意
イヴリースが撤退して、小一時間。
ウィルはシヴァと共に休憩所の寝台にジュードを運び、一つ安堵を洩らした。
ジュードは意識を手放したと言うよりは、ただひたすらに眠っている。いっそ爆睡と称すに相応しい。見たところ切り傷などはない。擦り傷は多いが、目立った外傷は見当たらなかった。あとは本人が目を覚ました際、打撲や骨に異常がないかどうかを確認するだけである。
寝台に仰向けに寝転がり寝息を立てるジュードを、メンフィスは細めた双眸で見下ろす。その表情には僅かにも申し訳なさのようなものが滲み出ていた。
「……ジュードが倒れるといつも苦しそうだったから……こうやって普通に眠ってるだけだと、ちょっと安心するね」
そこに、カミラが一つ呟く。確かに彼女の言うようにこれまでジュードが倒れた時、いつも本人は苦しそうであった。高熱を出していたり、もしくは大怪我をしていたり。
こんな風にただ眠っているだけ、と言うのは今までになかったことである。それを思い返してマナは思わず小さく吹き出した。
「ふふっ、そうね、確かにそうだわ。いっつも倒れて苦しんでたもんね」
「今は……少し幸せそうに見えます」
「何か楽しい夢でも見てるんじゃないの」
カミラの言葉を皮切りに、仲間達にも自然と笑みが浮かんだ。
取り敢えず、今回は大怪我をした訳でも高熱を出した訳でもない。ただ精神力を使い果たして爆睡しているだけだ。
リンファの呟きに便乗して、ルルーナが幾分呆れたような表情を滲ませながら呟く。ウィルはメンフィスの傍らに立ち、規則正しい寝息を立てて眠る弟分を苦笑い混じりに見下ろす。そしてジュードの枕元に鼻先を寄せて、か細く鳴くちびの頭を撫で付けた。
「大丈夫だよ、ちび。明日になれば元気に起き上がるさ」
そこへ、クリフが駆け込んできた。ジュードは暫く目を覚ましそうにないが、念の為に配慮してか一度敬礼してから幾分落とした声量で言葉を連ねる。彼自身、出血の所為で本調子とは言えない。剣を杖代わりにして身を支えているような状態だ。
「メンフィス様、負傷者の収容が終わりました。……お嬢ちゃん、疲れてると思うけど……頼めるかな?」
「はっ、はい。大丈夫です」
「カミラ、本当に大丈夫なの?」
そうか、と相槌を返すメンフィスを確認してからクリフはカミラに目を向ける。
水の国から送られてきた兵士は既に数も随分減ってしまったと彼が言っていた。治療の手が足りていないのだろう、カミラは迷うことなく頷く。しかし、そんな彼女を傍らに立っていたマナは心配そうに見遣る。
だが、カミラは寝台で眠るジュードを一瞥すると、しっかりと頷いた。
「うん、大丈夫。ジュードがあんなに頑張ったんだもん、そのジュードが必死に守った人達をちゃんと助けなきゃ」
「……あんまり無理したらダメよ」
「ありがとう、行ってくるね」
「どれ、ワシも行こうか。元気付けてやらねばな」
マナに改めて返事を返すカミラを見て、メンフィスは薄く笑う。彼女が治療をするのは自国の兵士達と言うこともあってか、それまで黙していたメンフィスだったが、そこでようやく口を開いた。
お願いします、と告げるクリフに一つ首肯を返すと、眠るジュードの頭を一つ撫で付けてからカミラと共にクリフに促されて休憩所を後にする。
暫しウィルは黙り込んだが、彼らの足音が遠ざかっていくのを聞いて顔を上げる。その視線は迷うことなく沈黙を守るシヴァとイスキアに向けられた。
「……さっきの続きを聞かせてくれ。ジュードは何なんだ、一体何の血を持ってるんだよ」
「ジュード様がなぜ魔族に狙われるのか、それも気になります。その血が関係しているのですか?」
ウィル達には疑問ばかりが残る。彼らがどう言った経緯でジュードと出逢ったのかは理解したが、それ以外は全くの謎だ。
なぜ彼らがジュードのことを知っているのか、そして彼のことを何処まで知っているのか。何も分からない。更に言うなら、シヴァとイスキア――彼らは一体何者なのか。
イスキアは暫しウィル達を無言で眺めていたが、程なくしてリンファからの問い掛けに言葉もなく小さく頷いた。
「なんで、どうしてジュードが……一体何をしたって言うのよ……!」
「何も……していないわ、ただ生まれてきてしまっただけよ」
「――っ! ジュードが生まれなければ良かったって言うの!?」
これまで、魔物にも魔族にも関わりなく風の国で平和に生きてきただけだ。
決して普通に育ってきたと言う訳でもないが、血の繋がりなどなくても平和に幸せに、そして楽しく生活してきたのだ。
それなのに、なぜいきなり魔族になど狙われなければならないのか。マナは片手で額の辺りを押さえて軽く項垂れる。それでも、その刹那に呟かれたイスキアの言葉には弾かれたように顔を上げて声を荒げた。
「そうなのかもしれないわね」
「あんた……っ!」
何処までも冷静に呟くイスキアに対し、マナは怒りをありありと前面に押し出した。今にも魔法の一つや二つ放ってしまいそうな彼女の肩を、ルルーナが静かに掴んで制す。
余計な言葉こそ口にはしないが、ルルーナの表情にも静かな怒りが滲んでいた。そしてそれは彼女達だけではない。ウィルやリンファとてそうだ。
「うふふ、安心してちょうだい。あくまでも客観的な意見だから。アタシ達にとっては……大切な愛し子だもの」
「……どういうこと?」
「ジュードちゃんが目を覚ましてから、お話ししましょ。きっと一番気になっているのは本人だと思うから」
イスキアは場に不釣合いなほどにふんわり柔らかく笑うと、足先を出入り口へと向ける。シヴァは寝台で眠るジュードを一瞥した後に、そんな相棒の後に続いた。
マナは引き止めようとはしたのだが、イスキアの言うことは尤もだ。恐らく一番気になっているのはジュード本人なのである。なぜ自分が魔族に狙われるのか、先程のあの力は一体なんなのか。
ウィルは休憩所を出て行くシヴァとイスキアの背を見送ってから、一度深く吐息を洩らす。しかし、すぐに気を取り直して口を開いた。
「よし、決めた。俺も明日からメンフィスさんに稽古付けてもらう」
「え、ウィル?」
「どうなさったんですか?」
「無理はやめた方が良いわよ」
唐突なウィルの言葉にマナやリンファ、そしてルルーナは各々疑問と言葉を彼に投げ付ける。彼女達の言葉を聞いて、ウィルは思わず苦笑いを滲ませた。
「……なんでそこで波状攻撃が来るんだよ」
マナやリンファはともかく、ルルーナに至っては疑問ですらない。まるで無駄とでも言っているような言葉だ。
しかし、ウィルはジュードを見下ろすと軽く眉尻を下げる。その胸に去来するのは様々に入り組んだ想いだ。心配、そして不安、焦り。自分に対する憤りさえ滲んでいた。
「詳しい事情は分からないけどさ、コイツ……きっとこれからも魔族に関わっていかなきゃならないんだ。俺は兄貴分なんだから、しっかり強くなって守ってやらないと」
しっかりとした口調でそう告げるウィルの表情は複雑なものではあるが、なんとも優しげだ。
マナは思う。本当に、最初の頃に比べれば雲泥の差であると。
昔は喧嘩など日常茶飯事だった。ウィルがジュードを小馬鹿にして、ジュードが怒って喧嘩になる。それが常であったのだ。
しかし、ジュードが自分の頭の出来の悪さに気付いた――と言うか、自分の頭の出来を諦めてからは、徐々に関係も安定していったように思える。その結果が今の関係だ。
そんな今となっては微笑ましい光景を思い返してマナは笑った。
「じゃあ、あたしは新しい魔法でも覚えようかな」
「……マナ?」
「ジュード一人に背負わせやしない、ってね。あたし達は三人で一つの鍛冶屋なんだからさ」
その言葉に、ウィルは思わず小さく笑う。なんとも彼女らしい言葉だ。
今度の敵はこれまでとは異なる。魔物よりも遥かに厄介と言われる魔族だ。乗るか降りるか、誰にも強制は出来ない。ウィルとマナは、続いてリンファやルルーナに視線を向けた。
「私も、お手伝い致します。みなさんと一緒に行くことで、きっと私にも出来ることがある筈ですから」
「私はジュードが行くならどこでも付いていくわ」
リンファの返答とは真逆に、取り立てて戦うような理由もなさそうなルルーナの返答にマナは眉を寄せて双眸を細める。
「あんたの戦う理由って何よ」
「ジュードがいるから」
「あんたねぇ! もっと何かないの!?」
「ああもう、大声出さないでよ。ジュードが起きちゃったらどうするの?」
噛み付かんばかりの勢いで言葉を向けるマナと、そんな彼女の鬼の形相を何処吹く風かといった様子で受け流すルルーナ。なんともいつもの光景である。こちらも当初はウィルの胃痛の原因となっていたやり取りではあるが、今となっては日常茶飯事。見れば落ち着く光景になってしまっていた。
ウィルは思わず笑いを洩らすと、彼女達に改めて言葉を向ける。
「じゃあ、これからもみんな一緒だな」
その言葉にマナやリンファ、そしてルルーナは自然と表情に笑みを滲ませてしっかりと頷いた。
* * *
「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
負傷者の治療を終えたカミラは、収容所の外に出て新鮮な空気を吸っていた。そこへ水を持ったクリフがやって来る。彼女の頑張りを労わってのことだ。
差し出された水を受け取ると、カミラは表情を綻ばせてボトルに口を付けた。傾けると、冷えた水が渇いた喉を潤していく。
「礼を言うのはこっちの方だ、ありがとな。お嬢ちゃんのお陰であいつらも――俺も助かった」
クリフは、確かに途中で瀕死の重傷を負った。ジュードが彼を置いて逃げられなかったところをシヴァに助けられ、そしてカミラの治癒魔法で元気を取り戻したのである。出血が酷かったことから、治癒魔法がなければ命を落としていた可能性が非常に高い。
カミラは照れたように、はにかんで笑う。自分が役に立てることが何よりも嬉しかった。
クリフは一度そんな彼女から視線を外して中空を眺めると、片手で自らの銀の髪を軽く掻き乱す。言い難そうに、あーだの、うーだの唸るように間延びした声を洩らしてから改めて口を開いた。
「なあ、お嬢ちゃん。坊主にさ、言ってくれねぇかな」
「え? 何をですか?」
「前線基地が落ち着いたら、俺も一緒に戦いたい、って」
それは、カミラにとって予想だにしない言葉であった。クリフは火の国エンプレスの騎士である。言わば女王の兵だ。
そんな彼が、果たして自由に動けるのかどうか。
「あいつ、多分これからもデカい何かに巻き込まれていくような気がするんだ。魔族なんかが現れてるなら、もうエンプレスだけの問題じゃない、世界的な問題だ」
「……」
「だからさ、世界の為に魔族と戦うんだよ。ああ、女王陛下には俺の方から頼むし、そっちでは面倒掛けないからさ」
クリフはそこでカミラに視線を戻すと、両手を顔の前で合わせて片目を伏せ「な?」と軽く小首を傾けてみせる。そんな、何処か幼くも――お調子者にも見える様子にカミラの表情には自然と笑みが浮かんだ。
彼女には断るような理由もない。カミラから見てクリフは信用出来る男であり、立派な騎士である。
「ジュードなら、きっと二つ返事で受け入れてくれると思いますよ」
カミラがそう言葉を返すと、クリフは安堵したように表情を綻ばせて笑う。
すぐには難しいかもしれないが、また賑やかになりそうだと。そう考えてカミラは瑠璃色の双眸を細めて笑った。