第十六話・氷の嵐
「小僧、俺は――何をすれば良い?」
シヴァの言葉に、ジュードはポカンと口を半開きにして彼の整った風貌を見つめた。
なぜ彼がここにいるのか、何をしているのか、どんな答えを求めているのか。ジュードの頭の中には様々な疑問が浮かぶ。
だが、いつまで経っても答えが返らないことに対し、シヴァは眉を寄せて眉間に皺を刻むと切れ長の双眸を細めてジュードを睨み下ろした。
「小僧、聞こえているか」
「え、あ。は、はあ」
「何をすれば良いかと訊いている」
苛立ちさえ感じられるシヴァとは対照的に、ジュードの頭にはやはり疑問符ばかりが浮かんだ。
それは仲間も同じであったらしく、慌てたように駆け寄ってきた。
「ジュ、ジュード、大丈夫なの?」
「オレは大丈夫だけど、クリフさんが……」
「わ、わかった、すぐに治すわ」
メンフィスの身を支えながら、逸早く駆け寄ってきたカミラに視線を向けると取り敢えずとジュードは意識を引き戻す。
ジュード自身に打撲以外の怪我はないが、クリフはそうもいかない。だが、幸いにも意識はしっかりとしている。今は痛みも忘れたように突然現れた黒衣の男――シヴァを見上げていた。
次いで駆け寄ってきたウィル達は、やはり怪訝そうにシヴァを見つめる。当然だ、ウィル達は彼との面識はないのだから。
だが、今は呑気に話をしている場合ではないのも事実だ。
ジュードはクリフをカミラに任せると屈んでいたそこから立ち上がり、シヴァと正面から向かい合った。
「シヴァさん……前線基地を、ここの人達を助ける為に空の竜達を倒さないといけないんです」
「承知した」
「は?」
「上空の敵を殲滅すれば良いのだろう、三分で終わる」
取り敢えず、彼にとって状況説明は必要なものではないらしい。本当にただの指示待ちであったのだと思われる。
改めて呆気にとられたように口を半開きにするジュードに構うことなく、シヴァは外套を翻すとこちらを睨むように見下ろしてくる竜達を見上げる。ジュード達を巻き込まない為の配慮なのか、それとも戦い易い場所の確保の為か。それ以上の無駄口を叩くことはせずに、竜達の元へと足を向けた。
「シヴァさん! あの……!」
「シヴァなら大丈夫よ、ジュードちゃん」
大丈夫なのかと咄嗟にジュードは彼の背中に声を掛けはするのだが、それは後方から聞こえてきた声によって阻まれた。
その声を聞いて、ふとジュードは全身に寒気を感じる。嫌な予感と称すに相応しい感覚だ。恐る恐る振り返ってみると、鮮やかな緑色が視界を覆った。次いで抱き付かれるような感覚を覚える。
「ああっ! 逢いたかったわあぁ、ジュードちゃん!」
「ひいいぃッ!」
甘えるような声を洩らしながらジュードに抱き付いたのは――否、ジュードを抱き潰す勢いで抱き締めたのは、シヴァの相棒のイスキアだ。本人はハグのつもりなのだろうが、力が強過ぎる。
そんな光景を目の当たりにしたマナやルルーナは不意に表情を凍り付かせた。クリフの治療に当たっていたカミラまでもが、睨むような視線をそちらに投げ掛ける。「お嬢ちゃん、こわい」と言うクリフの呟く声は今のカミラの耳には届いていない。
マナとルルーナは揃ってジュードの襟首を掴むと、鬼の形相で口を開いた。
「ジュード?」
「この美しいお姉さんはどなた?」
「い、いや、こう見えてもイスキアさんは男……」
そうなのである。
イスキアは見た目だけで言うのなら、普通の女性にしか見えない。それもとびきりの美人だ。
ジュードとて初見の際はその風貌に見惚れたものだが、すぐに目が覚めてしまったのである。なぜなら、その性別に気付いたからだ。
だが、ジュードの返答に対しマナとルルーナは薄く笑い――暴れ始めた。
「嘘をおっしゃい!」
「こんな綺麗なお姉さん捕まえて、何が男よ! このタラシ!」
「いだだだっ、痛いって!」
当然、そんなことを言われて信じられる筈もない。
マナはジュードの髪を引っ張り、ルルーナはその頬を爪で引っ掻く始末。カミラは治療の手を止めぬまま、おどろおどろしく「ジュードのバカ」と何度も繰り返し呟いていた。クリフはそんなカミラの様子に思わず身震いを一つ。
リンファはなんとかマナとルルーナを宥めようと試み、ウィル自身も流石に手に負えないとばかりに力なく頭を左右に振っていた。メンフィスに至ってはその騒ぎに入ってもいない、彼の視線はシヴァに向いている。ちびは心配そうにか細く鳴きながら、ジュードを見上げていた。
そして、その矢先だ。後方から竜達の悲鳴が響いたのは。
振り返って見てみると上空を埋め尽くしていた竜達の身に、大小様々な無数の氷の刃が突き刺さっていたのである。
鋭利な氷柱に翼や身を貫かれ、竜達は苦しげな悲鳴を上げて次々に大地へ落ちていく。だが、それで終わりではなかった。
大地を覆い尽くした氷からも無数の氷柱が突き出てきたのだ。重力に倣い上空から落ちてきた竜達は、大地に突き出た無数の氷柱に深く突き刺さる。まるで、モズの早贄の如く。
その光景に、ジュードは思わず表情を顰めて顔を背けた。
ウィル達は、その圧倒的な光景と強さに感嘆さえ洩らす。絶望的だった筈の戦況は、あっという間にひっくり返ってしまったのだ。
痛い、苦しい……。
死にたくない、痛い、怖い……。
一方でジュードの頭には、いつものように魔物の声が響いてきていた。
昨日は一匹だけであったが、今回は数が数だ。半端なものではない。それに伴い感情さえも流れ込んでくるような錯覚に、ジュードは思わず胸の辺りを押さえて蹲った。
そんな彼に、カミラは咄嗟に声を掛ける。
「ジュード、どうしたの!?」
「な……なんでも、ない。大丈夫……」
「ちっとも大丈夫って顔じゃないぜ、どうした……?」
クリフはすっかり傷も癒えて元気を取り戻したらしい。肩に刻まれた深い傷も、すっかり血が止まっていた。
イスキアは蒼い顔をして蹲るジュードを見下ろし、緩く双眸を細める。そっと傍らに屈むと、やんわりとした動作でその背を撫で付けた。
「……やっぱり、聞こえるのね。あなたには」
「え……?」
「聞こえるんでしょう? 魔物の苦しむ声が」
その言葉に驚いたのは当然ジュードであったが、彼だけでなく周囲の仲間も同じように驚いていた。
ウィルは双眸を見開き暫し無言でジュードとイスキアを眺めていたが、徐々に心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚え始める。その顔色は何処か蒼い。
「魔物の声……って、どういうことだ? ジュード、お前……」
「――ち、違うっ! オレは、そんな……」
「隠さなくていいのよ、ジュードちゃん。あなたは……おかしい訳じゃないんだから」
慌てたようにウィルを振り返るジュードに対し、イスキアはそんな彼の頭をそっと撫で付けた。
これまでジュードは魔物の声を聴きながらも耳を塞ぎ、無理矢理に意識を離すことでその現実から目を背けてきた。その理由は『みんなと違うから』である。ただでさえ魔法を受け付けない特異体質を持っているのだ、それに加えて魔物の声が聞こえるなどと言えば、本格的に気味悪がられるかもしれない。そんな不安や心配から。
更に、ウィルやマナは幼い頃に魔物により家族を奪われた身。魔物の声が聞こえるなどと知れれば快くは思われないのではないか、最悪嫌われてしまうのではないか。そんな想いがあった。
「イスキアさんは、なんで……そんなこと……」
そこで気になったのは、なぜイスキアがそれを知っていたのかと言うことだ。ジュードは誰にも言わなかった筈である。イスキアやシヴァに拾われた時も、そんな込み入った話をした覚えはない。
しかし、イスキアはにっこりと笑うだけで、その問いには答えなかった。
「うふふ、今はまずお客様を何とかしないとね」
お客様。そう言うイスキアの視線は、地上から基地に攻め入ってきた魔物達へと向けられていた。先程の竜達の奇襲で、戦える兵はほとんど残っていない。このままでは押し切られてしまう可能性がある。
そこでウィル達はようやく今現在の状況を再認識した。取り敢えず、今は魔物達を倒すことが先決だ。シヴァのお陰で戦況はこちらが有利な方へとひっくり返っている、これならば充分戦える。
「取り敢えず、話は後だな」
「そうね、まずは魔物を何とかしましょ。カミラは怪我人をお願い」
「クリフ、お前さんは休んでいろ。幾ら治癒魔法とは言え、流れ出た血までは戻らんからな」
ウィルは槍を片手にリンファと共に駆け出す。マナはカミラに一声掛けてから、ルルーナと共にその後に続いた。
メンフィスは座り込んだままのクリフを見下ろすと、念の為に彼にも指示を出してから先に駆け出していく面子の後を追い掛けた。
ジュードは慌ててその場から立ち上がり、傍らに控えるちびに視線を向ける。行くぞ、と声を掛けようとはしたのだが、それは背中に掛かる声により止められた。
「待て、小僧。お前はこっちだ」
「え?」
それは、赤黒い竜の群れを一瞬の内に倒したシヴァの声だ。ふとジュードを呼び止めた相棒に、イスキアまでもが不思議そうな表情を滲ませた。
しかし、シヴァは空を見上げたまま余計な口を開くことはしない。だが、程なくして不愉快そうに眉を顰めると静かにジュードの傍らへと歩み寄った。
「……少々、厄介な奴が来たようだ」
シヴァが見上げる空には、再び赤黒い竜の群れが見えた。それだけでもジュード達から見れば絶望に近い光景なのだが、中央部分に見える一際大きな竜の上。
そこに、一人の人間らしき姿があった。やや明るめの臙脂色の髪を持つ女性だ。
「――ほう、シヴァか。相手にとって不足はないが、ゆっくり遊んでいられないのが残念だな」
女はジュードやシヴァを見下ろせる位置で竜を止めると、腰に片手を添えて地上に視線を落とす。こちらを見上げる、まるで刃物のような鋭さを持つシヴァの視線に愉悦さえ感じて口元に笑みを刻んだ。
続いて竜の上から飛び降りると、難なく地上への着地を果たす。開かれた胸元から覗く豊満な胸にジュードは思わず「う」と一歩後退した。
「小僧、あれは魔族だ。遠慮は必要ない」
「ま、魔族?」
女性に暴力を振るうことを善しとしないジュードにとっては、戦い難い相手だ。それが例え魔族であっても、やはり姿は女性なのだから。
傍らで低く唸り喉を鳴らすちびの様子から危険な存在であることは理解出来るのだが、やはりジュードにとっては非常に戦い難い相手である。
「ふふ、私は火のイヴリース。アルシエル様の為に――贄、貴様を貰い受ける」
その言葉に、カミラは思わず腰元の剣に片手を添える。彼女にとって、魔族は何よりも憎むべき敵だ。
その憎むべき敵がジュードを狙っている。決して許せることではない。
取り敢えずシヴァとイスキアはジュードに危害を加える気はなさそうだ。それどころか自分達を助けてくれたところを見ると、敵ではなく仲間として考えて良いものと思われる。
そこまで考えて、カミラはクリフの一歩前に出た。今は彼のことも守らなければならない。
そこで、シヴァはイヴリースに視線を向けたまま、一言ジュードへ言葉を投げ掛ける。
「小僧――俺とリンクしろ」
「え? ……は?」
不意に掛かった言葉にジュードは二度、疑問の声を洩らした。それだけ、彼の言葉が理解不能だったのである。
それには思わずカミラやクリフも不思議そうに目を丸くさせていた、何のことかと。しかし、イスキアだけはそれを咎めるように声を上げた。
「シヴァ! 何を考えているの!?」
「ここを守るんだろう? 出来るだけ被害を出さずに」
ジュードは一度イスキアを振り返るが、すぐに己の目の前にあるシヴァの背中に向き直る。正直、彼の言っている言葉は全く理解出来ないが、それでも気持ち的にはシヴァの言う通りだ。出来るだけ被害を出さずに、この前線基地を守る。
それが今の目的であり、目標でもある。
「……よく分かんないけど、それをやれば前線基地を守れるの?」
「お前次第だ」
迷っているだけの時間はない。目の前には魔族がいて、上空には再びあの赤黒い竜が群れを成しているのだから。
「――分かった、やるよ」
ジュードはしっかりと彼の背中を眺めて、了承の返事を向けた。