第十三話・対決、赤黒い竜!
ちびと共に赤黒い竜へ突撃したジュードは、竜の深紅の瞳を睨み付ける。すると竜も負けじとジュードを睨み返してきた。
だが、ジュードはその程度で怯むことはない。左手に構える短刀の柄を握り締め、真横をすり抜ける間際に脇腹へと刃を突き立てた。
「ギャオオオオォッ!!」
「効いてる、やっぱり水には弱いんだ……」
ジュードを乗せたまま竜の真横をすり抜けたちびは、即座に大地に足を張って立ち止まり、そして身体ごと向き直る。
竜は斬られた脇腹を片手で押さえながら、そんなジュードとちびを肩越しに振り返った。心なしか、その瞳は先程よりも赤く染まっているように見える。まるで血の色の如く。
――逆鱗に触れた。そう解釈して良いだろう。
竜はゆっくり身を反転させると大きな口を更に大きく開き、腹の底から雄叫びの如く吼えた。すると、その声は突風のようにジュードとちびを襲う。大地の土や岩が抉れて剥がれ、天へと舞い上がっていく。まるで世界が悲鳴を上げているようだと、ジュードは妙に冷静な頭の片隅でそう思った。
争いばかりが繰り返されて世界が泣いているような、そんな錯覚さえ感じる。
「――くっ、ちび! 怯むな、行くぞ!」
「ガウッ!」
そこは、やはり通常のウルフとは異なるらしい。それともジュードが言うからなのか、ちびは竜の咆哮に怯むことなく即座にジュードの声に応えてみせた。
再び彼を乗せたまま、ちびは竜へ向けて突進する。今度は竜も黙って攻撃を受ける気はないらしい、突進してくるちびを真正面から喰らおうと言うのか、軽く身を屈ませて大口を開けた。
だが、即座にちびとジュードは判断を下す。そこはやはり昔からの付き合いである、以心伝心はお手の物だ。
ちびは強く大地を蹴り跳び上がると、竜の頭上を跳び越える。そしてその背後に着地する間際、ジュードが先程のように竜へと刃を突き立てる。今度は背中にある翼へと。
「グギャアアアアァッ!!」
その苦しげな声が上がる度、ジュードは軽く表情を顰める。幾ら多くの人間を焼き殺してきた魔物とは言え、やはり苦しむ声を聞くと彼の心はいつものように痛むのだ。
それでも、長引かせる訳にはいかない。この親玉を早く叩けば叩くだけ、今も多くの魔物と交戦する仲間や兵は一人でも多く生き残れるのだから。
今はとにかく、魔物の群れを撤退に追い込まなければならない。
しかし、一筋縄でいく相手であれば、これまで多くの者が殺されたりする筈はないのだ。
竜は悲鳴こそ上げはしたが、即座に長い尾を動かして勢い良くちびの身を打ち付けた。予想だにしていない攻撃にちびはもちろんのこと、その背に乗るジュードも叩き飛ばされて地面へ転がる。満足に受身を取ることも叶わず、派手に背中を打ち付けてジュードは思わず痛みに表情を顰めた。一撃の威力がとてつもなく重い。
魔物とは言え動物に似ているのか、ちびは即座にバランスを立て直して弾かれたように起き上がり、そしてまた身構える。
「ぐ……っ、いったたた……」
ジュードは、まだ右肩の傷も完治はしていない。傷口こそもう開かなくはなったが、本調子とはいかないのだ。だからこそ短刀も左手で使っている。それだけ重い傷であった。
地面に片手をついてなんとか身を起こすと、そこへちびが駆け寄ろうとする。だが、ジュードはすぐにそれを制した。
「ちび、ダメだ動くな! 隙を見せたらやられる!」
「きゅううう……」
ちびはジュードの言葉に心配そうにか細く鳴くが、それでも言われた通り、その場を動こうとはしなかった。
ジュードの言うことは間違ってはいない、この竜はそこらの普通の魔物とは全く異なる。気を抜けば一気にこちらが不利な状況になりかねないのだ。
そうこうしている間に、今度は竜が先に動いた。大きな背中の翼を羽ばたかせ、天空へと飛び上がったのである。逃げたのではない、上空から攻撃を仕掛けるつもりだ。
ジュードは慌てて起き上がると、打ち付けたことで痛む身にも構うことなく飛び上がる竜を見上げた。
「くそっ! 空に行かれちゃ、こっちからは手出しが……」
当然、竜はそこまで考えての行動だろう。まるで勝ち誇ったように大口を開けた。
ジュードは悔しそうに竜を見上げるが、次いだ瞬間に目を見張る。なぜなら、開かれた竜の口には炎が迸っていたからだ。
――炎のブレスを吐いてくる。ジュードは咄嗟にそう判断すると慌ててちびの元へと駆け寄る。こうなれば話は別だ、寧ろ動くしかない。
その刹那、竜はジュードとちび目掛けて思い切り炎を吐き出した。赤く猛る炎が容赦なく頭上から降り注いでくる。全てを燃やし尽くさんばかりの勢いで。
ジュードはちびの傍らに屈み、片腕でその大きな身を抱き締める。そして短刀を持つ手を高く掲げた。
すると、ジュードの意思に応えるように短刀下部の鉱石が一際強く輝き、ジュードとちびを守る水の結界が出現した。それには流石の竜の炎も中へ侵入することは困難である。火は水には打ち消されてしまうのだから。
「(どうする……防戦一方じゃ勝ち目がない、早く叩かないとみんなが……!)」
一旦炎が止むと、ジュードは体勢を整える。屈んでいたそこから立ち上がり、上空で羽ばたく竜を忌々しそうに見上げた。
敵が空にいては、地上からは手出しが出来ない。魔法ならばとも思うが、ジュードはその魔法と言うものを使えないのだ。マナが得意とするのは火魔法であるし、同じく火を吐く竜相手では満足な効果は期待出来ない、ウィルは様々な魔法を扱うが彼は聊か魔力が心許なかった。更に言うなら彼らは今現在、後方で凶悪な魔物達と死闘を繰り広げている。
やはり、ジュードは思う。自分が何とかしなければ、と。
そうこうしている内に竜は再び大きく息を吸い込むと、開いた口から炎を覗かせた。
「また防ぐしかないか……って、……あれ?」
改めて炎を防いで様子を見るしかないかとジュードは自分の手にある短刀に目を向けるが、ふと刃を包む光が弱まっていることに気付いた。あれ、とやや焦りながら下部に填めた鉱石を見てみると、透き通る水色のアクアマリンには微かに亀裂が走っていたのである。「げ」と、思わずジュードは双眸を見開いた。
アクアマリンはその名の通り、水の力を特に強く秘めた鉱石である。武器の性能と鉱石の持つ力、それらのバランスが噛み合わない時、このように武器か鉱石のどちらかが破損してしまうことが多い。
今回は鉱石の力が強過ぎたのだろう。王都ガルディオンの腕の良い鍛冶屋が造った武器であるならばともかく、半端な武器ではアクアマリンの持つ強い水の力を受け止め切れなかったのだ。
「ヤバい、これじゃ次は受け止めきれない……!」
先程のように竜の炎を防げば、途中で鉱石が砕けてしまう可能性が高い。そうなればジュードもちびも焼かれてしまう。
そんな恐ろしい想像を頭から振り払うようにジュードは慌てて頭を左右に揺らすと、早々にちびに向き直った。
「――くそッ! ちび、こうなりゃ最後の手段だ!」
「ガウッ!」
竜が再び炎を吐く前にちびに一声掛けると、ジュードはその背に跨る。ちびは上空で羽ばたく竜を睨み上げ、そして勢い良く駆け出した。
「……怪我するなよ、ちび。終わったら綺麗にブラッシングしてやるからな」
「わうっ!」
そんな些細な約束さえ、無事に生き残るのだという糧になる。
ちびは吐き出された炎を見据え、ジュードを背に乗せたまま素早く真横に跳んで回避すると、持ち前の反射神経を活かして再び駆け出した。回避したとは言え、炎の熱が全身を襲う。その温度は半端なものではない。だが、構うことなくちびは竜の真下近くへ駆け寄るなり、強く大地を蹴り思い切り跳躍したのである。
だが、流石に竜と同じ高さまで跳べる筈もない。竜はそれを見て勝ち誇ったように吼えるが、すぐにそんな余裕は崩れ去る。
なぜなら、ジュードがちびの背に片手を添えると、その背を台にするようにそこから更に高く跳躍したからだ。それによって竜とほぼ互角の高さまで上がることに成功した。
「――届けえええぇ!!」
ジュードは何かしらの攻撃が来る前に、手にしていた短刀の切っ先を竜の頭部へと突き立てる。水の魔力に守られた刃が竜の頭蓋骨を貫通して砕く嫌な感触が伝わり、思わず表情を歪ませるが怯む訳にはいかなかった。
ちびは上空でひと回転すると、前脚から地面へと着地を果たす。そしてすぐに、上空で竜に引っ付いたままのジュードを見上げ、心配するように高く吼えた。
竜は頭部に突き刺さる刃に、苦しそうな悲鳴を上げて上空でのた打ち回る。当然だ、刃が皮膚を裂き、頭を貫通したのだから。ジュードはジュードで、突き刺した短刀の柄から手を離せずにいた。離せば地上に真っ逆様だ。ちびのように上手く着地するのは人の身では難しい、更に言うなら高さもある。着地出来たとしても足が悲鳴を上げる、最悪の場合は骨が砕けるだろう。
――痛い、痛い、痛い! 苦しい!
「……っ!」
ジュードの頭の中には、依然としてそんな声が響いてくる。半ば強引にその声を振り払ってしまいながら、刃の突き刺さった箇所から溢れ出す鮮血に双眸を細める。
その直後、竜は最後の力を振り絞って大きく身を翻した。突然のことに反応が遅れたジュードの手は、思わず短剣の柄から離れてしまったのである。彼の身は当然吹き飛ばされ、地面へと落ちていく。
ちびは大きく吼え、即座にそちらへ駆け出した。そしてジュードが落ちてくる大体の落下地点を察知し、再び跳躍したのだ。ちびの大きく成長した身とふわふわの毛はジュードの身を空中で受け止め、バランスこそ崩しながらもなんとか生還を果たすことに成功した。
だが、安心してもいられない。竜は再び口から炎を迸らせ、吐き出そうとしていたのである。許さない、どうせ死ぬなら道連れだ。とでも言うように。
「――グワアアアアアッ!!」
しかし、それはジュード達に向かって吐かれることはなかった。
竜の真後ろから飛んできた水の剣――アクアブランドが、その腹部を貫いたからだ。
え、とジュードがその先に目を向けてみれば、そこは高台になっていた。竜の高さには届かないが、それでも武器を投げつければ充分に届く距離である。
そして、そこには険しい顔をして立つメンフィスがいた。剣を投げつけたのは彼で間違いはない。
「メンフィス、さん……」
それはジュード達には決して向けられることのない、憎悪と怒りに満ち溢れた瞳であった。完全に、戦う男の顔だ。吼え立てている訳でもなく、更には距離もあると言うのに彼の怒りが伝わってくるようでジュードは思わず息を呑む。
程なくして力尽きた竜は動きを止め、真っ逆様に地上へと落ちていった。背中の翼は既に羽ばたくことをしない。
大地に激突した衝撃がトドメとなり、竜はそこで完全に絶命したと思われる。後方の魔物達も一拍の間を置いてから、慌てたように逃走を始めた。大将であった竜がやられたことで戦意を喪失したのだ。
ジュードはそれを確認すると、自分を受け止めて落下から助けてくれたちびを振り返り、その頬を優しく撫で付けた。
「ちび……ありがとう、逞しくなったな……」
「ぎゃうぎゃう、うぎゃぎゃ」
すると、ちびは嬉しそうに目を細めて――いつものように甘えた声を洩らしながらジュードの肩に鼻先を擦り付ける。
そしてジュードは静かに立ち上がると、竜の元へと静かに歩み寄った。辺りには血の海が広がっている、竜の頭部から流れ出たものだ。それを見て、ジュードは鼻の奥がツンとするような軽い痛みを覚えた。
――あ、泣きそう。
何処か他人事のようにそう思いながら、込み上げてくる涙をなんとか堪える。ちびはそんな彼の傍らに寄り添い、慰めるべく自らの頭部をジュードの腕辺りに擦り付けた。
後方では、兵士や傭兵達が勝利に沸いている。勝利を喜ぶ者達の中で、魔物の死に対し涙を流す訳にはいかない。そう思ったのだ。
ジュードは、頭から血を流して息絶える竜を静かに見つめる。
「(……勝っても、全く嬉しくない。寧ろ悲しいだなんて……)」
そう思いながら片手でちびの頭を撫で付け、口唇を噛み締める。
仲間の安否を確認しなければならないのに、暫くその場を動けなかった。