第十話・次なる目的
休憩用の小さな部屋の一室。
カミラはその中に設置されているこじんまりとした丸テーブルにトレイを置き、紅茶を淹れたカップを置いていく。
ガラス製のティーカップは透き通っており、中に注がれた琥珀色の液体が大層美しく見える。
続いて小さめの籠に入れられたマフィンやクッキーをテーブル中央に並べていくと、カミラの機嫌は上昇を始める。
彼女はとにかく、色々なものを食べるのが好きだ。それが特に雰囲気の出るようなもので飾られていれば、何より嬉しい。
年頃の少女にとって丸テーブルで紅茶を飲み、のんびりとお菓子を食べる時間など――非常に幸せなひと時なのである。
セッティングを終えたカミラは満足そうに胸を張り、早々に奥の作業場へと足を向けた。
その先では、ジュードが数人の鍛冶屋と作業をしている。ガルディオンで鍛冶屋を営む大人達は、ジュード達の申し出を快く引き受けてくれ、こうして屋敷に足を運んでは共に作業をしているのだ。
王都ガルディオンに帰り着いて、約二週間。懸念されていた武具の性能はガルディオンの鍛冶屋達のお陰で気にならないものになっていた。
武具の一つ一つにジュード達が特殊な細工を施して、そこでようやく完成となる。そして完成した武具はすぐに王城へと運び込まれていくのだ。前線基地に纏めて送り届ける為に。
しかし、その為にジュード達は毎日働き詰めだ。
だからこそ、カミラは少しでもゆっくり休んでほしいと思っている。その為のちょっと洒落た休憩の演出であった。
カミラは作業場の扉をノックしてから、そっとその扉を押し開けた。
「ジュード、お疲れさま。少し休憩にし――」
そう言いながら室内のジュードに声を掛けるカミラであったが、ふと口を噤む。
次いで瑠璃色の双眸を丸くさせ、奥で完成した剣の確認をするジュードの姿を見つめて――、
「きゃわ――――――っ!!」
「カ、カミラさん!?」
ふと聞こえてきた声にジュードは剣を片手に部屋の出入り口を振り返ったのだが、その矢先に聞いたこともないような悲鳴をカミラが上げたのである。
それに対し当然疑問を滲ませるのは、ジュード本人だ。カミラはと言えば、見る見る内に白い顔に朱を募らせていく。
彼女の目は確かにジュードを捉えていて、両手を口元の辺りまで引き上げ小さく身を震わせていた。
そんなカミラの様子に当のジュードは疑問が募るばかり。何かおかしいところがあるだろうかと、剣を片手に持ったまま彼女と自分の身なりとを何度も交互に眺め遣る。
だが、何処もおかしいような部分はない。一体どうしたのかと、ジュードは首を捻りながらカミラへ恐る恐る問い掛けた。
「カ、カミラさん……どうしたの? オレ、どっか変……かな」
「だ、だって……ジュード、普段はそんなに肌の露出とか……してない、から……」
「え?」
今現在のジュードはと言えば、黒のタンクトップに下は普通のズボンスタイルだ。
確かに普段はあまり露出が高い方ではない。しかし、今現在とて別に半裸だとか、そういう訳でもないのだ。
しかし、カミラにとっては「露出が多い」レベルなのだろう。ぷるぷると震えながら、顔を真っ赤に染めてジュードを見つめている。
「く、首とか、肩とか……い、色々……ひいぃ……」
「あ、ああ、うん。作業中は暑くて……今、何か着るよ」
いつものようにか細い声を洩らすカミラに、ジュードは軽く眉尻を下げて何処か微笑ましそうに笑うと、近くの椅子に掛けたままだった上着を片手に取って彼女の元へと足を向けた。
その間も、カミラの視線は一向にジュードからは離れない。悲鳴は上げるのに、態度とは裏腹に寧ろガン見だ。真っ赤な顔をしたまま、その瑠璃色の双眸は真っ直ぐにジュードを見つめている。
「(く、首とか、腕とか、肩とか……胸元とか……な、何を考えてるの、わたし……は、はしたないわ、男の人の肌をこんなに……見てる、なんて……)」
頭の中でそう思いはしても、やはり彼女の視線はジュードに向いたまま外れない。普段は晒されない肌に釘付け状態である。
そして、彼女の視線はややあってから真正面まで近付いたジュードの顔へと向けられた。当の本人はカミラの態度に不思議そうに小首を傾げている。
「(ジュードが、わたしの淹れたお茶を飲むんだわ……わたしが触れたカップに、口を……付け、て――)」
そこまで考えて、カミラは頭の中が爆発するような錯覚を覚えた。
今現在、彼女の頭は妄想によって支配されている。本物よりも聊か美化されたジュードが陽光の射し込むテラスに座り、優雅にティーカップを傾けて穏やかな時間を過ごす姿が浮かんでいた。
実際ジュードに、そんな優雅な仕種が出来る筈もないのだが。
「はわ……きゃわわ……」
カミラの顔は、可哀想になるくらいに真っ赤である。瑠璃色の双眸は泣き出してしまいそうなほどに潤んでいるし、身体など小刻みに震えている。見るからに気恥ずかしそうだ。
そんな彼女の姿にジュード自身が煽られていくと言うのを、恐らくカミラ本人は全く気付いていない。
「(……こういう、全く男慣れしてないとこが本当に可愛いんだよなあ……)」
初めてあの森で逢った時から変わらない、カミラの男慣れしていない部分はいつだってジュードを夢中にさせる。カミラ自身がジュードに対し恋心を抱いていることが一番の理由ではあるのだが、当然ながら彼女の気持ちが自分に向いているなどジュード本人が気付いている筈もない。
それ故に、カミラのその態度が『男慣れしていない為である』と彼の中では解釈されているのだ。
白い顔を真っ赤に染めて見つめてくるカミラを、当の本人は微笑ましそうに見つめ返すが――忘れてはいけない。この場は、決して二人きりではないのだと言うことを。
「おいおい、見せ付けるなよジュード君よ」
「お前、カミラちゃんに何かしたんじゃないのか?」
ここは屋敷にある作業場だ。つい今の今までジュードはガルディオンの鍛冶屋と共に作業をしていたのである。当然、鍛冶屋がいる。
左右両脇から伸びてきた手に髪を乱雑に撫で回され、反対側からは肩を組まれたりと鍛冶屋二人にもみくちゃにされながら、掛かる揶揄に対しジュードは思わず苦笑いを滲ませた。
「そ、そんな、何もしてないよ」
「どうだかなあぁ?」
火の国エンプレスの者達は確かに血の気が多いのだが、別にコミュニケーションが取り難い訳ではない。メンフィスのように気さくで、砕けた性格の者も非常に多いのだ。
陽気さこそ風の国ミストラルの住民達には敵わないが、充分に話し易い者が多いとジュードは思った。
素直さと純粋さ、それでも何処か抜けている部分が好かれたらしく、そんなエンプレスの者達にジュードはすぐに打ち解けた。元々年上には可愛がられ易いと言うのもあるが、この作業場はいつも賑わっている。
慌てたようなジュードの返答に、鍛冶屋の男達は愉快そうに声を立てて笑った。
だが、そこへふとリンファが顔を覗かせる。賑わう室内を見つめて幾分控え目にジュードに声を掛けた。
ちなみに今のリンファの服装と言えば、一言で言うのならチャイナドレスのミニタイプだ。色はピンク、縁は赤で飾られている。裾の部分には花びらが赤で刺繍として施されており、ピンクの布地によく映えた。
太股までの黒いニーハイソックスを着用し、足元は服と同色のチャイナシューズだ。同じく縁は赤い。
これまでお団子の形で纏められていた黒髪は、後ろ部分の低い位置で三つ編みとして結われていた。
――これらはいずれも、カミラとルルーナがコーディネイトしたものである。
「あの、ジュード様……」
「あ、リンファさん。どうしたの?」
「少々問題が浮上したとのことで、女王様がお呼びだそうです」
その言葉に、思わずジュードは目を見張る。
問題とは何なのか、わざわざ女王自らが呼び付けるのだから余程のことだろう。鍛冶屋二人にもそれは伝わったのか、先程までの呑気な様子とは打って変わり神妙な面持ちでジュードを解放した。
「問題? 分かった、行こう」
「はい。お供します、ジュード様。……カミラ様も」
いつもの無表情ながら、リンファにも何やら重大なことであるとは分かっているらしい。間髪入れずに返答すると、傍らのカミラにも忘れずに声を掛けた。
「は、はひっ」
「カミラさん、本当に大丈夫?」
「う、うん。だいじょうぶ」
ぎこちない返事を返したカミラに、ジュードは心配そうな表情を浮かべて問い掛ける。しかし、カミラは無理矢理に笑みを作ると何度も頷いて早々に踵を返していく。
そんな彼女の様子にジュードのみならず、リンファまでもが不思議そうに小首を捻っていた。
* * *
「陛下、それでは……」
「うむ、完成した武具はそれぞれ確認させてもらった。一刻も早く前線基地へ届けてやりたいと思う、だが……運べる者がいないのだ」
――そう、問題はこれだ。
完成した武具は今でも王城に厳重に保管されている。
ある程度の纏まった数が出来てから送り届ける予定になっていたのだが、重大な問題が浮上した。それが『完成した武具を前線基地に送り届ける者がいない』と言うことだ。
ただ前線基地へ向かうのならば、普通の兵士でも問題はないものと思われる。
しかし、数多くある武具を守りながら向かうのは難しい。火の国エンプレスの魔物は他の国の魔物と比べて非常に好戦的な上に狂暴である。走る馬車へ問答無用に襲い掛かってくる可能性も高い。その際にもし馬車がやられてしまえば、積まれた多くの武具を送り届けることが非常に困難になってしまう。
前線基地の戦況が思わしくないことで腕の立つ者は応援に行ってしまっており、今現在のガルディオンには武具の護衛をしながら運搬出来る者がほとんど残っていないのである。
メンフィスとて一人では何かと難しい。魔物が複数で襲撃してきた場合、幾ら彼であっても荷を守れるかどうかは分からないのだ。
女王はそのことで頭を悩ませていた。だが、ジュード達にとって選択肢は他にない。
「なら、女王様。オレ……いや、自分達が行きます」
「……なに? 何を言っている、危険なのだぞ。そのような場所にそなた達を行かせる訳には……」
思わぬ申し出に、女王は一度怪訝そうに表情を曇らせる。彼女としてはジュード達のことはあくまでも鍛冶屋として呼び付けたのであって、彼らを危険に巻き込む気はないのである。
だが、ジュードは引き下がらない。それどころか、彼がまた何か口を開くよりも先にその後ろに控えていたウィルが、彼の肩を叩きながら口を開いた。
「大丈夫ですよ、陛下。ジュードはアクアリーで魔族を二度も圧倒した男ですから」
「……ふふ、そうだったな。……本当に頼んでも良いのか?」
水の国アクアリーに魔族が現れたと言う報せは、当然火の国にも届いている。報告に戻ったメンフィスからその仔細を聞いてはいたが、女王はそこで改めてジュードを真っ直ぐに見つめる。
見れば、まだ若い子供だ。魔族と戦い圧倒したなど到底信じられるような話ではない。だが、信じる信じないは別にしても、背に腹は代えられないのも事実なのである。
「完成品を目的地まで無事に送り届けるのも鍛冶屋の仕事です。それに……あの武具には、ガルディオンの人達の想いが込められてますから、必ず届けなきゃいけないんです」
ジュードから返るその言葉に、女王は切れ長の双眸を細めて優しく微笑む。そして一度その目を伏せ、再度口を開いた。
「……すまない……すまないな、感謝するよ。メンフィス、彼らを頼むぞ」
「御意」
女王からの命令に、脇に控えていたメンフィスは自らの腹の前辺りに片手を添え静かに頭を下げる。その後に表情を和らげて、ジュード達の目の前まで歩み寄った。
「ふふ、今度は共に行けそうだな、ジュード。アクアリーでどれだけ成長したか見せてもらうぞ」
「え……成長はしてない、かな……」
実際、ジュードが魔族を退けたのは彼の意識がない時である。意識がある時のほとんどは右肩の負傷で戦闘には参加していなかった。故に、成長があったかどうかは定かではない。
だが、メンフィスは笑うばかりで特に口喧しくは言わなかった。