第八話・協力
ジュードは、夢と現のどちらとも言えないような状態の中、ふと声を聞いた。
薄く双眸を開くと、そこには何人かの影が見える。
何処、とも言えない奇妙な――しかし、安心感さえある不可思議な空間の中だった。焦点が定まらないながら、そこに見える幾つかの影に目線を合わせる。
『――封印の解放と共に、四神柱は覚醒を果たした』
(……四神柱?)
ジュードは夢なのか現実なのか分からない中で、聞き慣れない単語を頭に記憶させる。
しかし、幾ら彼とて四神柱を知らない筈はない。この世界の秩序を護る存在、それが四神柱だ。
火、水、地、風。それら四属性を司る神柱達は世界の四方に散り、それぞれの場所で世界の均衡を護っているのである。
火がなければ、生き物は凍え死んでしまう。
水がなければ、生き物は生きていけない。
風がなければ、生き物は酸素を供給出来ずに死んでしまう。
大地がなければ、生き物は海の藻屑となるだろう。
世界の四方に祀られる神柱達は、それぞれの属性を保ち護ることで、この世界に生きる全ての者へ恩恵を授けているのだ。幾らジュードでも、そのくらいのことは知っている。
だが、四神柱が覚醒を果たしたと言うことは、それまで神柱達は眠っていたと言うことなのか。そこまで考えて、ジュードは意識をそちらに引き戻した。
『我らは子のために』
『我らは世界のために』
『我らは竜の神のために』
何処か安心感さえ覚えるような、そんな優しい声色で紡がれていく言葉をジュードはぼんやりとした頭で聞いていた。
懐かしいと、そう思うほどである。
『我らは――運命の子を守護するために』
その言葉を最後に、ジュードは意識を飛ばした。
* * *
火の国の王都ガルディオンに帰り着いた馬車は、広い王都内で余計な寄り道もせずに屋敷へと直行していく。
その馬車の中は、酷く重苦しい空気に支配されていた。
理由は一つだ。正確には、休息に寄った街を発つ際には既にこの居心地が悪く重い空気は醸し出されていた。
「……ウィル、なんであいつが一緒なんだ」
「いや、お前が寝てる間に色々あったと言うか……」
ジュードが静かに口を開くと、傍らに座していたウィルが普段よりも遥かに控え目に返答を一つ。
彼らの視線は、そう広くもない馬車の中で女性陣に囲まれるリュートに向いていた。大好きな女性に囲まれてリュートは至極幸せそうだ。その視線は時折ジュードとウィルに向き、小馬鹿にしたように笑うのだが。
その度にジュードは殴り飛ばしに行きたい衝動に駆られはするが、理性で何とか押さえ込む。
そしてカミラだけは、ジュードの傍らに居座ったままであった。どうにも、カミラにとってリュートは好ましくない相手であるらしい。マナ達とて特に好感を持っている訳ではないのだが。
「ま、まあまあ、取り敢えず……カミラは嫌ってるみたいだし、良かったじゃないか」
ウィルはジュードの背中を軽く叩き、当の本人であるカミラには聞こえないようにやや潜めた声色でそう耳打ちした。
するとジュードは一度傍らに座るカミラを横目に見遣り、僅かばかりの沈黙を経てから小さく頷く。分かり易い奴、とウィルが内心で苦笑したことは当然ジュードには伝わっていない。
そして、窓越しに見える王都の街並みに緩く双眸を細めた。
「さあて、ジュード。今日から忙しくなるぞ」
「ああ、……でさ、ウィル、マナも。オレちょっと思ったんだけど」
「ん?」
取り敢えずジュードの意識がリュートから外れたことにウィルはそっと安堵を洩らすが、続いた言葉に緩く瞬きを打つ。それまでリュートから向けられる言葉に適当に相槌を打っていたマナも、どうしたのかと軽く小首を捻ってみせた。
「あのさ、ガルディオンの鍛冶屋と協力した方が良いんじゃないかな、って」
それは二人にとっては予想だにしない提案だったらしく、ウィルもマナも暫くジュードを見つめたまま固まっていた。
ジュードの考えとしては、こうだ。
彼らは確かに他では出来ない特殊な作業が出来る。
武器や防具に属性を付与させるなど、これまでどの鍛冶屋も出来なかったことだ。
しかし、ジュード達にはそれが出来る。
だが、鍛冶屋の腕としてはまだまだ半人前。当然である、彼らは子供なのだから大人顔負けの武具を造れと言う方が無理なのだ。そのような仕事が出来るようになるまでは、まだまだ年月が必要だろう。
だからこそ、ジュードは考えた。
属性を付与した武具を造ったとしても、肝心の土台となる武具の性能が低ければ使い物にならないのではないかと。
例えば木の棒に水属性を付与させたからと言って、火属性を持つドラゴンを倒せる筈がない。無謀な挑戦だ。
属性による攻撃や防御が全てではない、彼らが付与させる特殊効果はあくまでも追加効果であり、言うなればオプション。一番肝心となるのは武具そのものの性能や精度だ。
ならば腕の良い鍛冶屋に武具を造ってもらい、自分達がそこに属性を付与させるようにすれば良いのではないかと。
「ガルディオンは激戦区だ、武具の質も良いものが多いだろ。鍛冶屋の腕だってオレ達より遥かに上の筈だし」
「で、でも……それで、あたし達の技術を盗まれたりしないかしら……」
「そうだぜ、俺達の持ち味がなくなっちまう」
今現在、武具に属性を付与する技術を持っているのは彼らだけだ。
寧ろ、それがジュード達の強みとも言える。他に出来る者がいないからこそ、こうして女王に大事な仕事を任されたのだ。
しかし、ジュードは軽く眉を寄せると緩やかに頭を左右に揺らした。
「それはそうだけどさ、でも今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ? オレ達のプライドと大勢の人の命、どっちが大事なんだよ」
今現在も前線基地では多くの兵や傭兵が命懸けで戦い、そして毎日のように命を落としている。
ジュードの言葉でその現実を思い出したらしく、ウィルとマナは一度黙り込む。そして、程なくしてしっかりと頷いた。
* * *
「ジュード達、今日から本当に忙しくなりそうねぇ」
馬車を降りたカミラとルルーナにリンファ、そしてリュートは彼らの邪魔にならぬようにと賑わう街中へと出て来ていた。特に用事はない、あくまでもただの暇潰しだ。
ジュードはもちろんのこと、マナやウィル、それにちびは街中にある鍛冶屋に駆け込んで協力を申し出ていることだろう。メンフィスは女王に報告すべく、王城へと向かってしまった。
単純に、今のカミラ達は暇人なのだ。ルルーナの言葉にカミラが小さく頷く。
「うん、みんな身体を壊さないと良いんだけど……」
「そうですね、私達でもお手伝い出来ることがあれば良いのですが」
カミラが呟くと、その傍らを歩くリンファが頷きながら応えた。しかし、その視線はすぐに先を歩くルルーナの背に向けられる。
彼女はノーリアン家――つまり、ルルーナの家に最愛の兄を殺された身だ。例え間接的にと言えど、その怨みは計り知れない。しかし、その事情を知っているのはウィルだけである。
そしてリンファ自身、ジュード達がルルーナに対し仲間として接する以上は余計な波風を立てる気にもなれなかった。
「(それに、兄さんを殺したのはその母親……)」
ルルーナ本人がそれを知っているかどうかさえ定かではないのだ。だが、頭ではそう思っていても、頭と心は一体ではない。どうにも割り切れない部分の方が強かった。
そんなリンファの心情も露知らず、ルルーナはカミラ達を振り返ると胸の前で手を合わせて、提案を一つ。
「そうだわ、服を買いに行きましょうよ!」
「え?」
「火の国って暑いんだもの、ちょっとは涼しい服も必要でしょ?」
ルルーナの提案にカミラとリンファは双眸を丸くさせるが、その後ろを歩いていたリュートだけはいち早く賛成の声を上げた。
「いいですねえぇ! ルルーナさんが今以上に薄着になると、個人的には非常に嬉しいです! カミラさんやリンファさんも、ちょっと大胆な服とか着てみましょうよ!」
「アンタいたの?」
「ルルーナさあぁん……」
ルルーナの意識外であったのか、誰よりも先に賛成に身を乗り出したリュートに対し彼女は紅の双眸を細めて一言。それを聞いて、リュートはがっくりと頭を垂れた。
そして、カミラにリンファと言えば――
「興味ありません」
「大胆な服……ジュード、どう思うかな……」
リンファはリュートの提案を早々に言葉で斬り捨て、カミラは片手を口元に添えながら視線を下げて呟いた。その頬はほんのりとだが赤い。
そんな彼女を背中側から見ていたリュートは、やはり面白くなさそうに一瞬のみ表情を歪ませる。そして、すぐに後ろから片手を伸ばしてカミラの肩に置いた。
「カミラさん! あんな男のどこがいいんですか、僕の方が断然――」
「キャ――――――ッ!!」
リュートは失念していた。
初めてナンパした時も、不用意に触れた為にカミラに殴り飛ばされたことを。
ジュードやウィルのような、カミラにとって既に気心知れつつある者ならばまだしも、リュートの場合は初対面の印象が悪過ぎたのだ。彼女の中には払拭しきれない警戒心が残っている。
だからこそ、肩に手を置かれたことでカミラは反射的に――勢い良く後方を振り返ると右手で拳を握り、またしてもリュートを殴り飛ばした。
左頬を打たれて見事に吹っ飛んだリュートは近くに積まれていた木箱に突っ込み、辺りの住民達はなんだなんだと視線を向ける。ルルーナは額に片手を翳してそちらを見遣り、リンファはやはり無表情に見つめていた。
そして、数拍後にカミラは我に返るとあわあわと慌てて、青褪める。
「……あ、あ! ご、ごめんなさい!」
「いいのよカミラちゃん、放っておきなさい」
「で、でも……」
「女の子の身体にいきなり触る奴が悪いのよ、ちっとも紳士じゃないんだから」
流石に放っておけないとばかりにルルーナを振り返るカミラは、泣き出しそうだ。そんな彼女に対しルルーナはにっこり笑うと、その手を取り早々に歩き出す。「行くわよ」とリンファにも声を掛けるのを忘れずに。
リュートに構うこともせず、ルルーナは目的とした店を目指して歩きながら複雑な表情を浮かべていた。
「(なんっか、引っ掛かるのよねぇ……あの男。どこかで見たような気がするんだけど、気の所為かしら……)」
そう思案しながら肩越しに振り返ると、心配そうなカミラと視線がかち合う。すぐにルルーナは表情に笑みを戻し、なんでもないとでも言うように軽く頭を左右に揺らした。
「さあさあ、買い物しましょ。リンファだってこれからは普通の女の子として生きていいんだから、オシャレは必要よ」
「……え?」
思わぬ言葉に、リンファは双眸を丸くさせる。
憎いと思っていた存在から掛かるには、どうにも複雑な言葉。やはりルルーナは母の所業を知らない可能性の方が高い。知っていてこう言ってくるのであれば、かなり性根が腐っているが。
誰の所為で、と一度こそリンファは思ったが、それでも彼女が何も知らない場合を考えると、そんな反発も自然と引いていく。
「わたし、リンファさんは髪を下ろした方が可愛いと思うの」
「じゃあ、カミラちゃん。この子に似合いそうな服、一緒にコーディネートしましょうか」
「うん!」
本人の許可もなく、ルルーナとカミラの話はどんどんと進んでいく。
だが、リンファはそんな彼女達の会話を聞いて暫しぼんやりとした後、胸の辺りに暖かいものが広がっていくのを感じた。
ルルーナのことはまだ純粋に受け入れられそうにないのだが、それでも。
「……よろしく、お願いします」
自然と、リンファの表情には僅かながらも微笑が浮かんだ。
そんな彼女を見てカミラとルルーナは一度互いに顔を見合わせると同じように笑い、そして店へと向かっていく。
リュートはそんな彼女達を眺め、小さく溜息を吐いた。普段女性の前で浮かべる朗らかな笑みは、既に表情からは消え失せている。
「ほわほわしてるから一番チョロいかと思ったけど、全然だな……狙い目はマナ辺りか……」
その呟きは、仲間の誰にも届くことはない。
不敵に表情を歪めながら、リュートは薄く笑った。