第六話・旅の吟遊詩人
「え、じゃあ……あなた、旅の吟遊詩人なの?」
マナの問い掛けに、男はにこやかに頷いた。
それは、つい先程までジュードと殴り合いの喧嘩をしていた男である。ルルーナとリンファにお仕置きをされた後、すっかりルルーナにも懐いてしまったようで、結局街の宿までついて来たのである。
ジュードは相変わらず、苦しげに胸を上下させて荒い呼吸を繰り返している。当然だが、熱はすぐには下がりそうもない。いつも一晩休んで元気になるくらいだ、少なくとも夜が明けるまではこの調子だろう。
そんなジュードを見て、男は幾分申し訳なさそうに眉尻を下げながら悲しそうな表情など作ってみせた。無論、先程まで鬼の形相で殴り合いをしていた程だ、心からの罪悪感ではない。
「それよりも、申し訳ありませんでした。私としたことが、すっかり熱くなってしまって……」
「ああ、いいのいいの。先に吹っ掛けたのはジュードなんだから。それで返り討ちに遭ってりゃ世話ないわよ」
取り敢えず、今現在も高い熱を出しているジュードのことは確かに心配ではあるのだが、魔法一つで高熱を出してしまうなど普通は考えない。
男は男なりに必死だったのだとマナは解釈し、苦笑い混じりにそう返答を返す。すると男は何処かホッと安心したように表情を綻ばせ、片手を胸に当てた。
「申し遅れました。私はリュートと言います、お伝えしましたように旅の吟遊詩人です」
吟遊詩人とは、楽器や歌を以て生計を立てる者のことを指している。
今現在、魔物の狂暴化により世界各地の人々は精神的に不安定な者が非常に多い。そんな者達の為に歌や音楽で少しでも不安を和らげて人の心を癒そうと言うのが――吟遊詩人と呼ばれる者達である。
リュートと名乗った男は懐から小振りの竪琴を取り出すと、指先でそっと弦を弾いてみせる。それは小気味好い音を奏で、宿の室内に響いた。まるで小鳥の囀りの如く。
「立派なんですね」
「ありがとうございます、ええと……リンファさんでしたね。あなたもとても可愛らしい……」
「これさえなければ良いんだけどね」
どうにも、リュートは女好きであるらしい。
思わず感想を洩らしたリンファに向き直ると、ジュードと対峙していた時の様子からは考えられないほど穏やかに、そして優しそうに笑いながら薄く頬を朱に染める。ルルーナはそんなリュートにツッコミを一つ。ウィルは彼の様子を胡散臭そうに眺めていた。
「こんなに麗しいお嬢さん方と離れるのはとても心苦しいです、もし良ければ私も同行させて頂けないでしょうか」
「はあ!? 冗談じゃないって!」
更にはそんなことを言い出すものだから、頭で考えるよりも先にウィルは即座に拒否の返事を返していた。
第一、ジュードが目を覚ましたらまた喧嘩になりかねない。リュートの方は百歩譲っても、ジュードが彼を許せるかどうかが問題だ。想いを寄せるカミラに対してのあの接触――彼がリュートを受け容れられるとは思えない。
しかし、リュートはウィルに向き直ると、片手で緩く拳を作り自らの胸の前に添えた。
「私は先程の自分を反省しています、彼にもとても悪いことをしてしまいました。その……償いをさせて頂きたいのです」
「彼」とはもちろんジュードのことだ。今回ばかりはジュードの自業自得としか言えないのだが。
リュートの言葉が本心から来るものなのかどうか、ウィルにはどうにも判断し難い。困ったようにメンフィスに視線を向けてみれば、彼は真剣な表情でジュードの様子を見つめていた。
メンフィスがジュードの今の様子を見るのは、今回が初めてだ。魔法で体調を崩すと聞いてはいたが、実際に目の当たりにしてみると心配になるのだろう。
「……メンフィスさん、こんなこと言ってるんだけど……」
「……うん?」
そこで、ようやくメンフィスは意識を引き戻した。ジュードの額に片手を添え、手の平から伝わる熱で大体の体温を確認してからウィルの方へと視線を向ける。
そして、暫し無言でリュートを見つめた後に静かに口を開いた。
「魔族と戦うことになる可能性があるが、それでも構わぬと言うのなら良いのではないか?」
「え、メンフィスさん……本気?」
「吟遊詩人と言えば立派な職業だ。是非、王都ガルディオンでも皆の心を癒してやってほしいと思う」
メンフィスの言うことは尤もである。
火の国の王都ガルディオンは、特に狂暴な魔物達と隣り合わせの毎日を送っている。危険と言うよりは、死と隣り合わせと言っても過言ではない。
そんな場所に吟遊詩人が足を運べば、賛否両論ではあるだろうが癒される者も多い筈だ。
「ただし、ジュードと仲良く出来るならな」
「――え、ええ! それはもちろん!」
「一瞬ものすごく嫌そうな顔しなかったか?」
つい先程まで猛烈な殴り合いの喧嘩をしていた相手と、そう簡単に仲良く出来るとウィルは思っていない。それはマナ達でさえそうだ、だからこそ不安は残る。それにジュードがリュートを受け入れられるかと言うのも問題だ。
だが、リュートは何事もなかったかのようにすぐに満面の笑みで取り繕ってみせた。
取り敢えず、今はまず火の国の王都ガルディオンへ行くことが最優先である。ジュードがこんな状態ではすぐに発つのは難しいだろうか、そう考えてウィルはメンフィスに視線を向けた。
「……メンフィスさん、どうします? 今日はここで一泊しますか?」
「うむ……出来ることならすぐにでも発ちたいのだが、どうだろうな」
馬車の中には水の国から調達してきた鉱石が積んである。
その鉱石をガルディオンまで持ち帰り、少しでも早く前線基地で戦っている者達の為に武具を造らねばならない。休んでいる暇や寄り道をしていられるような余裕はないのである。
リュートと言葉を交わす女性陣を一瞥してから、ウィルは己の傍らにいるカミラに目を向けた。
「……なあ、カミラ。ジュードなら、なんて言うかな?」
「ジュードなら、このまま出発すると思うの」
「うん、俺もそう思う」
そう互いに確認し合うと、ウィルとカミラはメンフィスへと目を向けた。
鍛冶仕事にプライドを持つジュードが、このまま休んでいることを選択する筈がない。ただでさえ吸血鬼との戦闘後のロスをとても気にしていた男である。
今のジュードを動かすのは、正直罪悪感ばかりが募る。だが、とにかく一刻も早く王都ガルディオンに帰り着かなければならないのだ。
* * *
街の外に停めてある馬車に向かうと、不意に中から黒い影が飛び出してきた。なんてことはない、正体はちびだ。
野生の本能か、ジュードの体調の変化を敏感に感じ取ったものと思われる。ちびは真っ先にジュードを背負うウィルと傍らを歩くカミラに駆け寄ると、これまた昔と変わらず犬のような鳴き声を洩らした。きゅーんきゅーんと、非常に寂しそうである。
「大丈夫だって、一晩休めば元気になるさ。お前からもなんとかジュードに言ってやってくれよ、あんま無茶するな、って」
「わうっ!」
ちびがウィルの言葉を理解しているかどうかは定かではない。しかし、返事とも思われる声を洩らすところを見れば、ある程度は人の言葉が分かるのかもしれない。
ウィルはジュードの身を馬車の中に寝かせると、そこで疲れたように一息洩らす。いつものことではあるが、彼はことある毎にジュードに振り回されっぱなしだ。それでも元々の世話焼きな性格の所為か、負担とは思わないのだが。
片手をジュードの赤茶色の髪に触れさせ、ゆるりと優しくその頭をひと撫でした。
「……あんま無茶すんなよ、バーカ」
ウィルにとってジュードは自分を振り回す一番の原因ではあるが、それと同時に可愛い弟分なのである。
だからこそ馬車に乗り込もうと言うのか、こちらに歩み寄ってきたリュートに気付いて表情を顰めた。
「なあ、お前……本当に俺達と一緒に来るのか? 魔族と戦うことだってあるんだぞ」
「それならば余計に一緒に行かねば、麗しいお嬢さん達を魔族から守るのは紳士の務め……」
「ああ、はいはい」
穏やかな口調とは裏腹に、ウィルを見るリュートの目は何処か冷めている。ジュードと対峙した時に口にしていたように本当に男はどうでも良いのだと思われる。
だが、ウィルは必要以上に他人に深入りするような性格はしていない。それが気に入らない相手であれば、尚更。
魔族に狙われているのは女性ではなく、ジュードだ。守るべき対象は可愛い弟分である。言葉中途に聞き流すように相槌を打ち、軽く眉を寄せてウィルは改めて口を開いた。
「……ジュードにもキツく言っておくけど、喧嘩するなよ。あと仲間内でナンパも控えるように」
「気に入らないな、なぜお前に命令されなければならないんだ」
「それが出来ないなら出てってくれ」
あくまでも女性陣に聞こえないような声量で言葉を連ねるリュートが憎たらしい、ウィルは純粋にそう思った。
ふふん、と不敵に笑いながらリュートは胸の前でゆったりと両腕を組み、ウィルを見返す。
だが、そこへちびの後ろからカミラが複雑な表情をして顔を覗かせた。
「…………ジュードをいじめたら、怒りますからね」
「――や、やあカミラさん。やだなあ、いじめられるのは私の方ですよ」
「……」
まさか声が聞こえる範囲にカミラがいるとは思っていなかったらしい。リュートは慌てたように表情に笑みを浮かべて取り繕った。
が、カミラの中では既に要注意人物として認識されているのか、彼女の表情は元には戻らなかった。何処か不貞腐れたような――怒ったような、そんな表情のまま馬車へと乗り込みジュードの傍らに寄り添う。ちびも当然のこととしてその後に続いた。男が苦手だと言うのに遠慮するどころか、それでも接触してきたのだから当然かもしれないが。
それを見て、今度はウィルが勝ち誇る番であった。ふと薄く口元に笑みを滲ませながら、緩やかに双肩を疎めてみせる。
「……残念だったな、本命にフラレて。カミラはジュードが良いとさ」
「ふっ……俺のストライクゾーンは広いんだ。ルルーナさんのように麗しい美女や、リンファさんのように大人しい少女、いずれも大変好みだよ。それに――」
リュートは人によって一人称がコロコロと変わるらしい。ジュードやウィルの前では「俺」と言い、女性の前では「私」と変える。典型的な二重人格だ、それも意図的な。それがまた男性からしてみれば面白くない。
そして言葉途中に途切れた彼の声に、ウィルは怪訝そうに小首を捻る。リュートはそんなウィルに構うことなく、ふと視線を後方へと向けた。
そこには――
「じゃあ、メンフィスさん。今日は行けるところまで行くのね」
「うむ、ジュードのことは心配だが……今は一刻も早くガルディオンに戻らなくてはな」
「ジュードは大丈夫ですよ、いつもあのくらいの熱は出るし……」
メンフィスと会話しながらこちらにやって来るマナがいた、その後ろにはルルーナやリンファの姿も見える。
まさか、とウィルは直感で悟り、そして同時に嫌な予感を覚えた。
「マナさん……勝気なところがなんとも可愛らしい。美しい足をお持ちだし、何より顔立ちも美少女と言える……!」
「――おい」
それだけは許さないとばかりに、ウィルは幾分トーンを下げてリュートの背中に声を掛ける。なぜって、ウィルは随分昔からマナに対して密かに想いを寄せているからだ。
そんなマナに悪い虫がつく。許せることではない。
だが、リュートは全く気にもしていないように彼女をひたすらに見つめ続けていた。
「(……ヤバい、今ならジュードの気持ちがよく分かる)」
先程、我を忘れて全速力で飛び出していったジュードの気持ちが、今のウィルには痛いくらいに理解出来る。
だからと言ってジュードのように問答無用で殴り掛かったりはしないが、常に眼を光らせておこうとウィルは固く心に誓った。