第五話・拳で語れ!
ジュードが嫉妬に狂うところが見てみたいと言われたので、狂わせてみました。
今更気付いたけど、仲間内の関係が結構大変。みんな嫉妬しすぎ。
暫し、男が吹き飛んでいった方を見ていたジュードとウィルは、程なくしてから我に返った。
カミラは殴り飛ばしてしまった男の安否を確認する為に慌ててそちらに駆け出し、マナ達も一拍遅れて彼女の後に続く。間近で見ていた彼女達は、ジュードやウィルよりも遥かに驚いたものと思われる。
しかし、男は後頭部を摩りながら身を起こすと傍らに屈むカミラに向き直り、それでも朗らかな笑みを湛えたまま口を開いた。
「いやあ、お強いんですね!」
「ご、ごめんなさい、わたし……男の人ってどうも苦手で……」
「で、でもカミラ、ジュードやウィルのことは大丈夫よね……?」
取り敢えず男が怒り出さないことに対し、マナとルルーナは小さく安堵を洩らす。
そしてマナはカミラの隣に立ち、両手を膝に添えて軽く上体を屈めることで彼女の顔を横から覗き込んだ。マナの知る限り、ジュードやウィルを同じように殴り飛ばしたことは今までにはない。
すると、カミラは両手を自らの頬に添えて何度か小さく頭を縦に振った。
「う、うん。ウィルは優しい良い人だし……ジュードも……そ、そういうことしない人って、分かってるから……」
「(ウィルはともかく、ジュードは下心ありそうだけど)」
マナの目から見ても、ルルーナの目から見てもそうだ。
ウィルはカミラに対し善からぬ感情は抱いていないが、ジュードは違う。
周りから見れば一目瞭然と言えるほどに、カミラに対し恋情を抱いている。当人である彼女は全く気付いていないようだが。
まだ比較的付き合いが浅いルルーナでさえ分かるほどだ、マナが気付かない筈がない。だが、それを口に出せる筈もなかった。
そして、その間に男が動いた。
「なんと可愛らしい人でしょう、こうまで惹かれる女性は初めてです……!」
「ひっ……!」
男はほんのりと頬を朱に染めたかと思いや、何やら目を輝かせてカミラを見つめる。そして両手で彼女の手を包み込んだ。
そんな行動にカミラは対照的に引き攣った声を洩らし、半ば条件反射で身を引いた。だが、男は目を輝かせたまま彼女の手を離そうとしない。
見るからに困っているような、怯えているようなカミラを見て、マナはやめるように声を掛けようとした。
――の、だが。
不意に、足音が近付いてくるのを聞いた。
それは歩くようなものではなく、駆けるような音。
「ふごッ!?」
次いだ瞬間、男がくぐもったような声を洩らした。
それもその筈である。
真横から、勢いをつけた跳び蹴りを喰らったのだから。しかも、見事にピンポイントで男にだけ命中した。
犯人は、わざわざマナが確認するまでもない。ジュードだ。
休憩所から全速力で駆けてきたものだと思われる。マナが振り返ると、ウィルとメンフィスが慌ててこちらに駆けてくる最中であった。
ジュードの見事な跳び蹴りを喰らった男は改めて吹き飛び、そこで反射的にカミラの手を離した。ジュードの企みは大成功だ。
「ジュード様、見事なドロップキックです」
「リンファ、そういうのは評価しないでいいのよ」
相変わらず無表情ながら、リンファは胸の前で軽く手を叩くと冷静に評価を下す。マナはそんな彼女にツッコミの如く一声掛けてからジュードに視線を向けた。
ジュードはと言えば、普段の様子とは打って変わり――顔を真っ赤に染めて怒りを前面に押し出している。金色とまではいかないが、瞳の色は薄らと黄緑に変色しているようにも見えた。
固く拳を握り締めてカミラを守るように彼女の斜め前に立ち、こちらを睨み付ける男を真っ直ぐ射抜くように見返す。
「お前……っ、カミラさんは男が苦手なんだ、ベタベタ触るなよ!」
「ほおおぉ……やってくれるじゃないか、このガキ……! 言っとくけど、野郎に用はないんだよねえぇ……!」
男は男で先程までの優しげな印象とは異なり、ジュードを睨み付ける表情は鬼の形相のようなものである。その言葉通り、本当に男性はどうでもいいのだろう。
しかし、カミラにベタベタと触られたことで嫉妬の炎を爆発させているジュードがその程度で怯むことはない。
そんな両者。衝突するのに時間など必要ではなかった。
「うわああぁ! や、やめろジュード!」
「無理でしょ。聞きゃあしないわよ、あれ」
「いいぞジュード! やれやれ、やってしまえ!」
「ちょ、メンフィスさん止めてよ!」
追い付いたウィルが慌てて声を掛けるが、ルルーナが即座に返答を返す。その矢先にメンフィスは応援するような声を上げ、更にウィルの神経を磨耗させた。
今度は男がジュードに飛び掛かり、ジュードはそんな男の挑戦を真っ向から受けたのである。
互いに胸倉を掴むと利き腕で相手の頬を殴り、更に頭突きを浴びせたりと文字通り殴り合いの喧嘩を繰り広げ始めた。ウィルが止めるのも当然だ、ジュードはまだ本調子ではないのだから。肩の傷も折角良くなってきたと言うのに悪化したらどうするつもりなのか。
しかし、今のジュードが聞く筈もなかった。男の色素の薄い緑の前髪を鷲掴みにするや否や、勢いを付けて思い切り男の額に頭突きを喰らわせた。自らの頭が痛むことなど、今現在のジュードには気になるものではない。
男はその攻撃に一度こそ怯むようによろけはするのだが、すぐに口元に薄く笑みを刻んで不敵に笑うと、片手をジュードの首に添えて仕返しとばかりにこちらも思い切り頭突きで反撃を加えた。
それが合図だったか、数拍の間を要してから互いに薄く笑い――そして暴れる。
男は意表を突くべく短く詠唱すると初級の風魔法を放ち、ジュードは持ち前のずば抜けた身体能力を活かして咄嗟に身を反らしてそれを避ける。そのついでに両手を地面につくと、反動を活用し思い切り男の顎を蹴り上げた。
カミラはあわあわと青褪めながら、困惑したようにジュードや男を交互に見つめる。
最早、彼女が止めても今のジュードが落ち着くかどうかは定かではなかった。それほどまでにキレている。
「ジュ、ジュード……!」
「あーあー、ほっときなさいカミラ。巻き添え喰うわよ」
慌てるカミラに対し、マナは至って冷静だ。男と殴り合いの喧嘩を繰り広げるジュードを、何処か据わった目で見つめている。
普段は彼女とてジュードのことは心配するし、気遣う。必要以上に。
しかし、今のマナにはそれだけの優しさはなかった。
なぜって、単純に面白くないからである。
薄々気付いてはいたことだが、ジュードの心はやはりカミラに向いているらしい。そうでなければ、我を忘れて見知らぬ男と殴り合いの喧嘩にまで発展する訳がないのだ。ジュードは基本的に優しい、こんな彼の姿を見るのは初めてと言っても過言ではなかった。
長年、彼に想いを寄せてきたマナにしてみれば非常に面白くないこと。自分が男に絡まれたとしても、ジュードはここまで怒り出さないだろう。
そう考えると、マナの心は重く沈んでいく。これもまた嫉妬である。
チラとルルーナを見てみれば、彼女は何処か呆れたような表情を滲ませて喧嘩の様子を眺めていた。彼女はマナと異なり、特別嫉妬はしていないように見える。
男は肉弾戦よりも魔法を得意とするのか、矢継ぎ早に拳による攻撃を繰り出してくるジュードにやや押され気味である。気が付けば周囲は囃し立てる野次馬で溢れていて、メンフィスのように「やれやれ! そこだ!」と騒ぎ立てる住民が目立った。
陽気な者が多いとされる風の国ミストラルは、何でも楽しいことに変換するのが得意なのだ。喧嘩とて彼らにとっては楽しいことの一つになるらしい。
互いに相手の頬や顔面を拳で殴り、文字通りの喧嘩状態。このままジュードの優勢で勝利を治められるか――そんな時だった。
殴られて足元も覚束ないほどフラフラになった男は、手の甲で口元を拭う。そこに確かに鮮血を認めて不愉快そうに顔を歪ませた。
そして、表情はそのままに改めて口を開く。
「ははーん、そうかお前……」
「なんだよ」
今のジュードは、普段からは考えられないほどにガラまで悪くなっている。目で人を殺せるのではないか、そう思うくらいに眼光鋭く男を睨みつけた。
だが、男は怯まない。次いで右手の人差し指でジュードを指し、そして更に言葉を紡いだ。
「お前、彼女に惚れているんだろう! だから怒るんだな!?」
「な……ッ!」
それは、予想だにしない攻撃であった。身体的なものではなく精神的な。
ジュードはその言葉に思わず双眸を見開き、怒りとはまた異なる意味合いでその頬を真っ赤に染め上げる。
そんな彼の様子を目の当たりにして男はやはり一度不愉快そうな表情を滲ませるが、すぐに愉快そうに笑い、ジュードへにじり寄る。
そして、男の言葉に動揺しているのは何もジュードだけではない。カミラとて同じだ。瑠璃色の双眸を丸くさせ、両手を口元に添えながら男とジュードとを交互に見遣る。その顔はほんのりと赤い。
「違うのか? なら、俺が彼女を口説いていたって別に良いだろう?」
「ダ、ダメに決まってるだろ!」
「なんでだよ、やっぱり惚れてるんだな?」
「そ、れは……」
矢継ぎ早に重ねられる男からの問い掛けに、ジュードは耳や首までを朱に染めて思わず気恥ずかしそうに視線を背けた。その隙を、男が見逃す筈もない。
「――バカめ、隙あり!!」
男は勝利を確信して口角を引き上げて笑うと、片手を勢い良く突き出す。
そして手の平から凝縮した風の塊をレーザー砲のように放った。風の力を操作して扱う魔法である。
幾らジュードの身体能力が高くとも、至近距離で突然放たれた攻撃を避けるのは難しい。風の塊は見事にジュードの鳩尾に叩き込まれ、その身はいとも簡単に吹き飛んだ。
それには流石に仲間内も黙っていられる筈がない。なぜなら、ジュードは魔法を受け付けない身だからである。
「ジュード!!」
カミラとウィルはほぼ同時に彼の名を呼び、そちらに駆け出した。
勝った、と言うように腰に手を当てて高らかに笑う男へ野次馬達は歓声を浴びせる。野次馬にとっては、別にどちらが勝とうと然したる問題ではない。楽しければそれでいいのだ。
だが、そんな男は背後にふと気配を感じた。それと同時に何やら冷たい――背筋が凍るような感覚も。
何事かと振り返ってみると、そこには鞭を片手に持ち妖艶に笑うルルーナと、無表情ながら威圧に似た雰囲気を醸し出すリンファが立っていた。
「じゃあ、第二ラウンドといきましょうか?」
「え、え? お、お嬢さんたち……?」
「ジュード様の仇、しっかりと取らせていただきます」
次いだ瞬間、再び野次馬達からは囃し立てる声が上がる。そして、男の悲痛な声も。
それを聞きながら、カミラは仰向けに倒れたままのジュードの傍らに屈み込んだ。
「ジュード、しっかりして!」
仲間達が思ったように、やはりジュードは魔法の力を受けて発熱していた。怒りでも羞恥でもなく、今度は熱によって顔に朱が上っている。双眸は固く閉ざされ、苦痛の度合いを表すように眉は寄っていた。苦しげに胸を上下させて荒い呼吸を繰り返す様は、カミラとウィルに不安を与える。
先程まであんなに元気に暴れ回っていたと言うのに、相変わらず魔法一つで倒れてしまうのは変わらない。
ウィルはカミラとは反対側に屈むと、ジュードの片腕を取り自分の肩に掛ける。取り敢えず休める場所に運ぶ為である。
「ったく、ぶっ飛ばしに行ったのに自分がぶっ飛ばされてどうするんだよ……カミラ、取り敢えず休める場所に連れて行こう」
「う、うん……」
そんな会話を聞きながら、マナは一度そちらに視線を向けた。気にならない訳ではない、寧ろ気にしているのだ。
しかし、どうにも彼女自身、気持ちの整理がつかないでいる。
自己嫌悪に陥り、マナは額の辺りを押さえると腹の底から深い溜息を吐き出して俯いた。
メンフィスはそんな彼女の傍らに歩み寄ると、静かに声を掛ける。
「マナ、混ざるか? それともウィル達と一緒に行くか?」
「……ジュードの方、行ってきます。ルルーナとリンファをお願いします、程好いとこで止めてあげてください」
見れば、ルルーナは絶好調だ。至極上機嫌そうに高笑いを上げながら愛用の鞭を振るって男の身を何度も打っている。おほほほ、と高い笑い声を上げる彼女に野次馬たちは口笛を吹き純粋な応援を向けていた。
別に彼女とて戦いが好きな訳ではない。マナ達もそうだが、まさか男が魔法を使って勝負を決めるとは思わなかったのだ。ただの殴り合いの喧嘩程度にしか思っていなかったからこそ、完全に油断していた。
男が魔法さえ使わなければ、ルルーナやリンファとて第二ラウンドなどと言って騒動に加わったりはしない。
――ルルーナは、純粋に楽しんでいるようにも見えるのだが。
マナの言葉にメンフィスは一度小さく頷くと、ウィル達の後に続く彼女の背を見送った。