第一話・再会と躍動
水の国アクアリーを後にしたジュード達は、風の国ミストラルの王都フェンベルへと戻ってきた。
王都フェンベルはやはりいつもと変わらず、何処までも陽気な雰囲気が漂っている。今日も何らかの祭りが開かれるのか、辺りの住民達は皆楽しそうに広場の方へと駆け出していく。それぞれ、何か音の出る簡素な楽器を持って。
そんないつもと変わらない光景を、マナは額に片手を翳して見守る。
「相変わらずねぇ、フェンベルは」
「まあ、そうそう変わりゃしないさ」
そんな呆れたような声を洩らすマナに対し、傍らにいたウィルが一つ相槌を打つ。王都フェンベルはウィルにとっては生まれ故郷でもある。その陽気さは重々承知していた。
ウィルの斜め後ろにいたリンファは初めて見る風の王都に興味を示しているようで、あちこちに視線を巡らせている。
時刻は、もうすぐ陽が暮れ始める頃。祭りの時間は近い。
しかし、ジュード達には大切な使命がある。遊んでばかりもいられないのが現状だ。
「またお祭りがあるんだね」
「そうだね、でも今回は参加してるだけの時間はなさそうだなあ」
「ええ、早くエンプレスに戻らないとならないものね」
辺りを見回して表情を綻ばせるカミラの傍らにジュードが並び、軽く眉尻を下げる。祭りに参加したいのは山々だが、そんな二人を眺めるルルーナの言うように早く火の国エンプレスまで戻り、今も前線基地で戦う者達の為の武具を造らなければならない。ただでさえ、鉱石を手に入れるまでに結構なロスがあったのだから。
とにかく、今は祭りに気を取られている場合ではない。そう思いジュードが踵を返そうとしたところで、不意に聞き慣れた声が一行の耳に届いた。
「ジュード、マナ、ウィル!」
よく通る、女性の声だ。
半ば反射的にそちらに視線を向ければ、見慣れた少女がこちらに駆けて来るのが見えた。それを見て思わずマナは一歩足を踏み出す。
王都フェンベルの宿屋兼軽食屋で働く看板娘、プリムだ。彼女はマナの親友と言える。
ワンピースの裾が邪魔なのか、両手でスカートの両脇を掴んで慌てて駆け寄ってきた。その表情には嬉々と共に安堵が色濃く滲んでいる。
「よかったあぁ、無事に帰ってきたのね。魔族が現れたとか聞いたから心配してたのよ」
普段何かと勝気な少女ではあるが、人を心配出来ないような性格ではない。プリムは心底安心したように表情を綻ばせながら、それぞれの無事を確認して胸を撫で下ろした。
どうやら、魔族が現れたと言う噂は風の王都フェンベルにも届いてしまっているらしい。水の国との国境に一番近い場所だから当然かもしれないが。
マナは久方振りになる親友との再会に同じように表情を和らげながら、軽く彼女の肩を撫で叩く。そんな戯れを見て、ジュードとウィルは互いに顔を見合わせ、そして笑った。
水の国で様々な戦いを行ってきたからこそ、この平和な時間が何よりも大切で――幸福なものだと感じられる。生きていると実感出来るのだ。
そして、そこへ更に声が掛かる。
「――ジュード、ジュードではないか!」
「……メンフィスさん!」
マナとプリムが戯れる様を微笑ましそうに見守っていたジュードだったが、不意に野太い声が聞こえるとやはり反射的にそちらを見遣る。
すると、その視線の先には師と仰ぐようになったメンフィスが立っていた。厳つい風貌を喜びに破顔させて、先のプリムのように喜色満面と言った様子で駆けてくる。
ジュードは早く逢いたいと願っていた師匠との再会に表情を綻ばせると、彼の元へと駆け出していく。水の国にいた間も彼が――メンフィスがいてくれればどれほど心強かっただろうか。
死と隣り合わせの戦いを乗り越えてきたからこそ、その再会は何よりも嬉しい。
両腕を広げて待つメンフィスに、ジュードは真正面から飛び付くと文字通りその再会を喜んだ。自分に飛び付く彼の身を、メンフィスはしっかりと受け止め両腕で抱き締める。
「おお、おお……よく帰ってきたのう、ジュード。さあ、もっとちゃんと顔を見せておくれ」
大切な息子を戦いで失ったメンフィスにとって、自分を師と仰いでくれるジュードはやはり特別な存在である。微かに目に涙を溜めながら大きな手で彼の赤茶色の髪を撫で付けた。
養父であるグラムとも似通う、何処までも大切そうなその扱いにジュードは幾分照れたような表情を浮かばせながら、その要求通りにそっと身を離す。
――が、ふと大きく目を見開くとやや蒼褪めながらメンフィスから慌てて顔を背けた。
「ジュ、ジュード? どうしたんじゃ?」
「い、いえ……た、ただいま戻りました」
突然変わったジュードの態度に、困惑したのは当然メンフィスである。
つい今し方までは再会を喜んでいた筈なのに、唐突に顔を背けやや他人行儀に帰還の挨拶など向けてきた。メンフィスは疑問符を浮かべながら、頻りにジュードの様子を窺う。
そんな様子を見て、プリムと戯れていたマナは眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。彼女には心当たりがあったからだ。
「……ねえジュード。あたしがオジコンって言ったの、もしかしてかなり気にしてる?」
「う……」
「別にオジコンだっていいじゃない、構ってあげないとメンフィスさん枯れちゃいそうよ」
「え?」
鉱石を採りに行く際、マナが何とはなしに洩らした言葉。
それは今でもジュードの心に残り、複雑な葛藤を与えてしまっているらしい。
捨て子であったジュードを拾ったのはグラムである。幼い頃からそんなグラムを父とし、ずっと守られてきたからこそ、ジュードがやや年上の男性に懐くのは本能のようなものだ。仕方のないことと言える。
だが、ジュードは年頃でもある。やはり気になるのだろう。
しかし、マナの言葉にジュードがメンフィスを見てみれば、彼はしょんぼりと項垂れていた。見るからに寂しそうだ。まるで大木が水分不足で枯れそうになっているような――そんな印象。
マナの中で既にオジコン認定されているのは気になるが、やはりジュードはメンフィスを放っておけなかった。
* * *
メンフィスは久方振りになる馬車に乗り愛馬の手綱を握る。
ウィル達は馬車の中に乗り込み、ジュードは外でメンフィスの隣に座っていた。久々の会話だ。
水の国で起こったことを大雑把ながら聞いたメンフィスは暫し黙り込んでいたが、視線は真っ直ぐに向けたまま、ややあってから静かに口を開く。
「……カミラがヴェリアからの来訪者だったとはな」
「メンフィスさん、カミラさんも悪気があって黙っていた訳じゃ……それにオレも知ってて黙ってて……」
「ああ、分かっておるよ。確かに、魔族がヴェリアに現れたなどと世界中に知られれば大騒ぎになっていただろうからな」
しかし、魔族は現れてしまった。
ヴェリア大陸にではなく、外の世界に。そして、人々はそれを知ってしまったのだ。
今後、これまで以上の混乱が世界規模で起こることは容易に想像が出来てしまう。地の国は更に警戒を強めるかもしれない。最早、自国のことだけを考えてはいられないと改めてくれれば良いが、そんな賢明な判断を地の国がするとはどうにも思えなかった。自分達さえ安全ならば良い、そういう国だ。
だが、現実的に考えてそうなのだ。最早、国一つ一つが拘りを持っていられるような状況ではない。世界規模で協力していかなければならない、そんな状況にあると言える。
そこまで考えて、メンフィスは小さく溜息を吐く。どうにも問題が多くなりそうだ。
「……メンフィスさん、すみません」
「うん?」
「オレ、メンフィスさんに貰った剣……折っちゃって」
小さく呟かれる言葉に、メンフィスは思わず目を丸くさせる。一体何を気にしているのか。
ジュードは真剣なようではあるが、メンフィスは声を立てて笑った。
「はっはっは、何をしょぼくれておる、ジュード」
「いや、だって」
「魔族を倒したのだろう? なら、剣も本望じゃよ。ワシはお前さんが無事に帰ってきてくれただけで充分だ」
その言葉に、もちろん嘘はない。
水の国にジュード達を送り出す時の不安は半端なものではなかった。更にその後に魔族が現れたなどと言う噂が出てきたのだから、メンフィスが抱いた不安は言葉では言い表せない。何度、関所を力業で押し通って行こうと思ったことか。
メンフィスが片手を伸ばして改めてジュードの頭を撫で付けると、彼は擽ったそうに――だが、何処か照れたように笑った。
「(魔族がこの子を狙っているかもしれん、か……グラムの奴と相談した方が良いかもしれんな)」
大雑把にではあるが、ジュードやウィル達からの報告を聞いた中で特に気に掛かったのはそこだ。
魔族がジュードの身を狙っているかもしれない。その現実は決して楽観出来るものではない。
なぜ、ジュードが魔族に狙われなければならないのか。
当然ながら、メンフィスにもその理由など分かる筈がない。
「……あれ? メンフィスさん、エンプレスに戻るんじゃ……?」
そんな中、ふとジュードは気付いた。
辺りは既に夕闇に支配されつつあるが、その景色は見慣れたものだった。ジュードがいつも見ていたような景色。
自宅を降りていった先にある、あの麓の村に程近い場所だ。
当然真っ直ぐエンプレスに戻るものだと思っていたジュードは、不思議そうに目を丸くさせてメンフィスを見遣る。
そんなジュードに対し、メンフィスはそっと表情を和らげると笑いながら口を開いた。
「久し振りだろう? グラムの奴にも元気な姿を見せてやりなさい、またすぐに離れなければならんのだからな」
予想だにしていなかった言葉に、ジュードは翡翠色の双眸を丸くさせ――程なくして嬉しそうに笑った。
* * *
薄暗い城に、蠢く影がある。
そこは謁見の間ではなく、城の地下に位置する暗所だ。
アルシエルはそこに留まるサタンの元へと歩み寄り、幾つもの生き物が融合したようなその姿を見上げた。そんな彼の表情は何処か恍惚としている。
人の目から見れば不気味な存在であれど、魔族の目からみれば大層美しく映っているのである。
「……サタン様」
アルシエルの呼び掛けにサタンは低く唸ると、大きなその身の腹部と思われる部分を開く。誘われるようにアルシエルは、開かれたサタンの内部へと足を進めた。
嘗て勇者に倒されて以来、サタンの身は不安定な状態が続いている。魔族の王として君臨していた頃の姿へ戻ることが出来なくなっているのだ。
それは、勇者が振るっていた剣の力によるものである。聖剣がサタンに与えた傷は深く、神聖な力を秘めた刃はサタンが再び元の姿に戻れぬよう今も蝕み続けていた。サタンの身に宿る闇の力を、聖剣の刃を通して植え付けられた光の力が封じ込めているのだ。
勇者の血を引くヴェリア王を喰らった程度では、聖剣が与えた光の力を支配することは出来なかった。
それ故にサタンは今も尚、自らの身を元のものへ再生することが出来ずにいる。
アルシエルは定期的にそんなサタンの体内に入り込み、異常がないかどうかを確認しているのだ。今のところ、特に異変や異常を見つけたことはないが。
サタンの体内に入り込んだアルシエルは、辺りに視線を向ける。
内部は生暖かく、粘膜で覆われていた。見た目は不気味な生き物であれ、内部は普通の生き物とそう変わらない。
淡い桃色に近い色をしており、呼吸の度にゆっくりと蠢く。
だが、決定的に普通の生き物とは違うものが――その奥には存在していた。
それは、無数の生き物が内部にいると言うことだ。
――無論、ただ『いる』だけではない。
細長い無数の触手により拘束されているのである。
狼や蛇などの動物、オーガやドラゴンなどの魔物。その数や種類は優に百を越える。いずれもサタンにより喰われ、取り込まれた生き物達だ。それぞれサタンの粘膜の中に埋め込まれ、辛うじて生きているような状態であった。
サタンは自らの身に取り込んだ者の力を、全て自分のものにすることが出来る特殊な能力を持つ。この生き物達は、生きながらにサタンに力を奪われ続けているのであった。
アルシエルは辛うじて生きている生き物達へ一瞥を向け、小さく鼻で笑う。気に留めるような存在ですらない、そう言うようにすぐに意識と視線を外し、最奥へと足を向けた。
特に異常はなさそうだ。
いつものように、ただ内部に取り込まれた生き物が苦しんでいると言うだけ。それはアルシエルが気に掛けるようなものではない。
そして、彼が行き着いた最深部。
「……ふ、やはり目覚めた様子はないか」
薄く笑うアルシエルが目を向けた先には一人の子供の――少年の姿があった。歳はまだ六歳か七歳程度である。
他の生き物達と同じように、その身は無数の触手により拘束されている。腕、手首、胴、足などあらゆる場所に大小様々な触手が絡み付き、粘膜の中に取り込んでいた。
その目は伏せられていて、起きているような様子はない。
アルシエルは口端を引き上げてふわりと浮かび上がり、その真正面へと移動した。アルシエルが近付いても、やはり少年は目を覚まさない。生きているのか死んでいるのかさえ、定かではなかった。
そして、その少年の身は淡く白い光で包まれている。
「今、どのような気分だ? 嬉しいか、それとも悲しいか?」
声を掛けても、やはり少年は目覚めない。それどころか、反応一つ返してくることはなかった。
それでも、アルシエルは構わず上機嫌そうに言葉を続ける。
「お前の兄では我々と戦うことは出来まい。いずれお前自身も――我々のものになる、それまでここで眺めていろ」
それだけを告げると、アルシエルは浮かばせた自らの身を静かに下ろした。粘膜に包まれた内部は滑る、慎重に足をつき、そして再び少年を見上げる。
「その暁には、共に世界を創ろうではないか。このような薄汚れた世界ではなく、美しい世界を。なあ王子――ヴェリアの忘れ形見よ」
血のように赤い真紅の双眸を細めアルシエルは少年へそう告げると、静かに踵を返す。
アグレアスとヴィネアの行動は失敗に終わったが、魔族の目的は決して変わらない。必要なものは揃いつつある――アルシエルはそう感じながら、その場を後にした。