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番外編・チョコレートの日

時間軸としては『来訪者』の手前くらいっぽいです。

遅ればせながらバレンタイン……。


「マナ、何してるの?」

「あ、カミラ。チョコレート作るのよ」


 朝食後に厨房を覗き込んだカミラは、台所で紙袋を漁るマナを見つけて目を丸くさせた。

 テーブルには様々な調理道具が所狭しと並び、中には何に使うのかカミラには全く分からないものまである。

 不思議そうにそちらに駆け寄ったカミラが声を掛けると、マナは笑みを浮かべながら振り返った。

 そして返った返答に、カミラの双眸は嬉々に輝く。


「チョコレート……!」

「うん、カミラはどうするの?」

「え?」

「バレンタインのチョコ」


 至極当然のように向けられた問いに、カミラは瑠璃色の双眸を丸くさせると、数度瞬いてからゆっくりと首を傾かせた。

 こて、と横に傾くその頭に思わずマナは同じように目をまん丸にさせる。


「ば、れん、たいん……」

「(ヴェリア大陸には、バレンタインもないの!?)」


 この反応は、ジュードでなくとも分かる。知らない反応だ。

 何故って、その発音がまず怪しい。明らかに知っている単語の発音ではない。

 しかし、ヴェリア大陸に住む者達は自給自足の生活をしていると聞いたことがある。

 カミラはジュード達と知り合った際、チョコレートさえ知らなかった身だ。無理もないのだろうか、そう思う。


「え、ええとね、バレンタインって言うのは……単純に言うと、女の子が好きな男の子にチョコレートを贈って、愛の告白をする日なのよ」

「!?」


 どう説明すれば良いか。

 マナは僅かばかりの思案の間を要した後、世間一般に広く知られている内容を大雑把に説明として伝えてみた。

 すると、不思議そうに目を瞬かせていたカミラの顔は、一瞬の内に真っ赤に染まってしまったのである。一体何を考えているのか。


「あ、あ、愛の……こっ、こく、はくっ……!」

「だ、だけど、他にも義理チョコだとか友チョコだとかもあるのよ。好きな人に渡すのは本命チョコって言うの」

「みんなに愛の告白するの?」

「まさか、それじゃただの尻軽よ。義理チョコや友チョコは、いつもお世話になってる人にとか……日頃の感謝の気持ちで渡すのが多いわね」


 マナの説明に、カミラは目を瞬かせながら何度も頷く。自分の知らない情報、知識は何かと興味があるようだ。熱心に聞き入っている。

 そこへ、ルルーナとリンファが顔を出した。厨房で話し込むマナとカミラに不思議そうに首を捻っている。


「あら、どうしたの?」

「あ、ルルーナさんとリンファさん。あのね、チョコレートのお話を……」

「ああ、やっぱりバレンタインやるのね。何か作るの?」


 カミラの返答に、ルルーナは小さく声を洩らして納得したように頷いた。緩慢な足取りで二人の元に歩み寄り、台所に乗る紙袋に視線を投じる。

 リンファはその後に続くと、水の国で過ごしていた頃のことを思い出しているのか、僅かな間を要してから同じように小さく頷いた。


「ああ、チョコレートケーキでも作ろうかと思って」

「バレンタイン……男性にお菓子を贈る行事ですね、水の国でも毎年オリヴィア様が……」

「でしょうね、あの女なら毎年この日は忙しそうだわ。けど、チョコレートケーキか、それならみんなで食べれそうね」

「そ、おやつの時間にちょうど良いかなと思ってさ」


 最初こそマナの手料理にあれだこれだと文句ばかり言っていたルルーナではあったが、今となってはすっかり彼女の作る料理が気に入ったようだ。――と言うより、元々口で言うほど気にはしていなかったものと思われる。単純に、何か言わずにはいられなかったのだろう。

 口には出さないが、マナは当時と今を比べて本当に変わったものだと思っている。彼女がやってきたばかりの頃は、確実に仲良くなどなれるものではないと思っていたが、今では口論と言う名の戯れをしながら毎日を過ごすのが楽しみにさえなっていた。

 しかし、料理を彼女に手伝わせる訳にはいかない。ルルーナの料理の腕は、壊滅的と言うのも不適切な程の酷いレベルなのだから。


「……けど、ルルーナは特に何もしないでいいわよ」

「なんでよ、人が折角手伝ってあげようって言うのに」

「あんた、病み上がりのジュードに何食わせたか忘れたってんじゃないでしょうね!」

「アンタだってひっどいもの食わせたじゃないのよ!」


 いつものように口論を始めたマナとルルーナを後目に、リンファはカミラに視線を向ける。

 すると、カミラは紙袋の中から一冊の薄い本を取り出して、熱心に目を通していた。


「カミラ様、どうされましたか?」

「う、うん、わたしでも作れそうなのはどれかな、って……」

「ジュード様に差し上げるのですね」


 隣に並んだリンファが彼女の横からその中身を覗き込むと、そこには様々なチョコレート菓子が載っていた。どうやらチョコレート専用の料理本らしい。

 トリュフ、ケーキ、ザッハトルテにフォンダンショコラなど、様々なチョコレートのお菓子が可愛らしいイラスト付きで掲載されていた。

 至極当然のことのように告げたリンファの言葉に、カミラは大きく肩――と言うよりは身を跳ねさせると、弾かれたように傍らに並ぶリンファを凝視する。


「えっ!? なっ、なん、で……っ!」

「……? 違いましたか?」

「う、あの、えっと」


 相変わらずの無表情のままリンファが小首を捻ると、カミラのその白い頬は真っ赤に染まっていた。茹蛸状態だ。

 恐らくは図星なのだと思われる。しかし、自分がチョコレートをあげるのはジュードなのだと、それが知られているのが恥ずかしいのだろう。カミラはつい今し方、マナにバレンタインがなんなのかを聞いたばかりなのだから。

 なんとか言い訳をしようとしているカミラを放置しながら、リンファは隣のページに記載されていた菓子に目を留めた。


「カミラ様、これなどいかがでしょうか? これなら、湯煎と冷却だけで出来るかと思います」

「……え?」


 真っ赤になっていたカミラがリンファの言葉に目を瞬かせると、直ぐにそのページに視線を落とす。そこには、生チョコレートが記載されていた。

 固形のチョコレートを湯煎で溶かし、生クリームと混ぜ合わせて凍らせるだけの至ってシンプルなチョコレート菓子だ。その手軽さからか、完成品の美味しさからか、非常に人気が高いものの一つと言える。

 口論の最中に聞こえてきたそんな会話に、マナはカミラとリンファを振り返ると、表情には楽しそうな笑みを滲ませながらその傍らへと歩み寄った。


「なになに、生チョコ作るの?」

「はい、これなら簡単に出来るかと……」

「そうね、でも味とかどうする? イチゴとかバナナとか抹茶とか、色々あるけど」


 そう言いながら、マナは紙袋の中から色々な材料を取り出していく。袋の中には固形のチョコレートだけではなく、言葉通り果物の苺やバナナが次々に出てきた。

 果物、小麦粉、バターにココアパウダーなど色々だ。ルルーナはそんな様子を見守りながらカミラの隣に並ぶと、リンファと同じように彼女が広げる料理本に視線を落とす。


「ふぅん、生チョコねぇ……これなら私にも作れそうな気がするわ」

「どうかしら、料理下手は普通に作ってもおかしくなるってのはお約束よ」

「大丈夫よ、マナに味見させてあげるから」


 そんなマナとルルーナの軽口を交えながら、女性陣によるお菓子作りが始まったのである。リンファは「立ち入り禁止」と書かれた札を厨房の出入り口の扉に貼り付けると、早々に台所の中へと戻っていった。



 * * *



「うわ~、チョコレートケーキかあ。今日は随分と豪華だなあ」


 昼食を終えて、数時間。

 時計の針が三時を指し示す頃、既に日課となりつつあるおやつの時間に食堂へと集まったメンバーの前には、綺麗にデコレーションされたホール型のケーキが姿を現した。それは当然、マナ達が午前中の内に作り上げたものだ。

 ウィルは今日と言う日を当然分かっているが、ジュードは日々の仕事ですっかり頭から抜け落ちているのか、呑気な言葉を洩らしている。

 慣れた動作で切り分けていきながら、マナはそんなジュードに苦笑いを滲ませた。


「もう、ジュードって毎年忘れるわよね。今日はバレンタインよ」

「……え? ……ああ、そっか。もうそんな日なんだ」

「呆れた……嬉しいとか何かないの? 照れてみせたりとか」

「だって、マナがお菓子作ってくれるのは毎年だし……あ、いや、もちろん嬉しいし、感謝してるよ」


 横から賺さず入るルルーナのツッコミに、ジュードは彼女に視線を向けながら不思議そうに瞬く。もちろん、ルルーナが言っているのはそんなことではない。バレンタインにチョコレート菓子を作ってもらって、感謝よりももっと年相応らしい反応は出来ないのかと言うことだ。

 はあ、と呆れたように溜息を洩らすとルルーナは片手で己の目元を覆った。


「なんて作り甲斐のない男なの……」

「いつものことよ、ジュードは」

「……?」


 そもそもこの反応。ジュード自身もバレンタインの詳細を理解しているのかどうか怪しいとルルーナは思う。まさか、ただチョコレートが食べれる日、だとでも思っているのではないかと。

 だが、この反応一つで完全に疲れ果てたルルーナは、今更彼に詳細を話す気にはどうしてもなれない。別に彼女は心からジュードに恋愛感情を抱いている訳ではないのだから。

 しかし、ジュードは別にバレンタインを知らない訳ではない。マナがバレンタインにお菓子を作ってくれる、と言うのは既に彼の中で毎年恒例になっている為に、そこに込められている意味などほとんど気にしていないだけである。


「ほらほら、早速食おうぜ。今年のも美味そうだぞ」

「今年はみんなで作ったからね! リンファって和風の料理が得意なのかと思ってたけど、洋風の料理もイケるのよ、あたしビックリしちゃった」

「い、いえ。オリヴィア様の護衛として覚えたというだけであって……」


 疲れ果てたようなルルーナの様子に首を捻りつつも、マナやウィル達の会話に耳を傾けながらジュードは幾分微笑ましそうに表情を和らげる。しかし、彼のその視線は程なくしてカミラに向いた。

 おやつの時間はいつも活き活きとしている彼女が、何処か元気がない――と言うよりは、落ち着きがないように見えた。そわそわと視線を辺りに巡らせている。頬はほんのりと朱に染まってさえいた。

 具合でも悪いのだろうか。ジュードはカミラに声を掛けようとしたのだが、それは肩に乗っていたライオットや、待ちきれないとばかりに膝の上に顎を乗せてくるちびに阻まれる。


「おいしそうだにー! マスター早く食べるにー!」

「わうううぅ!」

「わ、分かった分かった、じゃあ食べようか」


 ライオットはテーブルの上に飛び降りると、自分用にやや小さめに切られたケーキへ近寄っていく。ジュード達の目から見れば小さめに見えるそれも、ライオットのサイズ的には結構な大きさだ。瞳孔が開いているように見える双眸を嬉しそうに輝かせ、涎を垂らしていた。

 真逆に、大きめに切られたケーキを乗せた皿を手に取ったジュードはそれをちびの前の床へと下ろす。するとちびは嬉しそうに舌を出して甘えるような声を出しながら尾を揺らした。こちらも非常に嬉しそうだ。

 そんな様子を見てからジュードは改めて仲間達に向き直ると、それぞれ胸の前で両手を合わせた。


 楽しくて甘くて美味しい。

 そんなおやつの時間を終えて、ジュードは作業場へと足を向けていた。

 マナ達が作ったチョコレートケーキは非常に美味しく、甘過ぎない味。普段甘いものを特に好んで食べる訳でもないジュードにもちょうど良い加減であった。

 来月のお返しを何にするかと考えながら歩くジュードの背中に、ふと一つ声が掛かる。


「ジュ、ジュード、待って待って」

「……ん?」


 なんだろう、と振り返ってみればカミラが食堂を出て此方に駆けて来るところだった。慌てたように走ってくる様子は、ジュードの目から見れば小動物か何かのようでとても可愛らしい。

 おやつの時間の最中も彼女は何処か落ち着かないままであったが、ケーキを一口食べればその瑠璃色の双眸はいつものように――否、いつもよりも遥かに嬉しそうに輝いていた。どうやら調子が悪いと言う訳ではないらしい。通常運転であった。

 駆けて来たカミラはジュードの目の前で立ち止まると、先程よりも顔を赤く染めて視線を下げる。両手を後ろに回してもじもじと軽く身を揺らす様は、やはりジュードの目には可愛らしく映った。なんとも微笑ましい。


「カミラさん、どうしたの?」

「あの、あのね、あの」


 ジュードが声を掛けると、カミラの顔には更に朱が募る。いっそ可哀想なほどだ。茹蛸と称すに相応しい。

 あの、あの。と何度も同じ言葉を繰り返すカミラに、ジュードは不思議そうに首を捻る。だが、やがてカミラが腰の後ろに持っていた包みを差し出すと、双眸を瞬かせた。淡い桜色の紙袋の入り口を、赤いリボンで留めるというラッピングが為された可愛らしい包みだ。

 一度こそジュードは不思議そうにその包みを見つめたが、先程マナに言われた――今日と言う日を思い返し、程なくして一つの結論に行き着く。

 これは、カミラが自分の為に用意してくれた贈り物なのだと。

 それを理解するや否や、ジュードは顔面に熱が集まっていくのを感じた。


「え……えっ、あの……」

「う、ううう受け取ってもらえたら、嬉しいな、って……」

「い、いいの?」


 それはジュードには予想外の展開であった。

 カミラは、今でもヴェリア王国の第二王子を好きでいるのだと思っている為だ。男慣れしていない彼女が、例え義理の類であってもチョコレートを贈る、とは思えなかったからである。それも、まさか自分に。

 ジュードが幾分控え目に問い掛けると、カミラは何度も頷いてやや早口に、それでいて必死に言葉を並べた。


「う、うん。ジュードには本当にいつもお世話になってるし、いっぱいいっぱい感謝してるし、えっと」

「……ありがとう、カミラさん」


 差し出されたままの包みを受け取ると、ジュードは逆手の指先でリボンを優しく撫でる。それと共に胸中には、なんとも表現し難い感覚が広がっていく。擽ったいようなむず痒いような、複雑な感覚。それが照れであり、嬉々でもあるとジュードは当然理解しているのだが。

 カミラはそんな彼の所作を、真っ赤になったまま見つめた。受け取ってもらえた安心感と純粋な喜び、それを感じながら。


「来月、楽しみにしててね」

「う? うん」


 その最中に返ったジュードの言葉に、カミラは緩く双眸を丸くさせて何度か瞬くが、バレンタインさえ知らなかった彼女がホワイトデーを理解している筈もない。当然ながら、彼の言葉の意味は分からなかった。

 だが、それでもカミラは何度か頷く。それを見て、ジュードは自然と表情を和らげた。



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