番外編・お花の想い出
ちっさい頃のジュードとグラムの、ほのぼの系のお話。
ラストに挿絵ぶち込んであります。
その日、グラムは朝から苛立っていた。
ここ数日、自分の思うような武器が造れないのである。所謂スランプと言うものだ。
どれだけ腕の立つ者であろうと、時として壁にはぶつかるもの。グラムは今がその時であった。
何度剣を叩いても、どれほどの本数を造ろうと、決して満足しない。もっともっと、と次々に剣を叩いても生み出されるのは気に入らないものばかり。既に市場に並んでいる――彼にとってはありふれた剣にしかならない、そんな気がしていた。
既に世界中に名の知れているグラムが打った剣、と言うだけでも剣士や騎士からすれば喉から手が出るほどに欲しい剣であるのだが。それでもグラムは満足などしない。これでもかと言うほど、剣には魂を――命さえも懸けている。
「――違うッ! こんなものでは駄目だ!」
グラムの怒声が、作業場に響き渡る。
まだ昼前であるにも拘らず、既に本日何度目になるか分からない。
剣と言うものはすぐに出来上がるものではない。それなのにこうも早い時間から何度も怒声が上がるのは、グラムが製作過程の時には既に納得していないと言うことである。
剣に関することだけは、決して妥協の出来ない男だ。少しでも気に入らない箇所があると、やり直さねば気が済まないのだろう。
そんなグラムの元へ、そっとジュードが顔を出した。
背中にはいつものように子ウルフ――ちびが張り付いている。
「……」
ジュードは作業場の中には入らずに、出入り口付近で壁に両手を添えてジッと室内の父を見つめる。その表情は何処か不安げだ。いつも優しい父が怒声を張り上げている様子に、多少なりとも怯えているのだろう。
声を掛けて良いものかどうかも分からず、程なくしてジュードは顔を引っ込める。
「……最近のパパ、こわいね」
「わううぅ」
「僕、なにか悪いことしちゃったのかなあ……」
未だ七歳ほどの幼いジュードには、父が仕事でスランプを迎えているなどと理解出来る筈もない。
父が怒っている、機嫌が良くない。それは自分の所為なのではないか、そう言った考えに行き着いたのだ。
グラムは、いつもジュードには優しい。ジュード相手に怒声を張り上げたことなどない、叱られることさえ珍しいくらいだ。
それだけグラムはジュードを大切にしているし、子供相手は不慣れながら、時間がある時は一緒に遊ぼうと積極的にスキンシップを図ることもある。これまでの凛とした――そして子供嫌いのグラムからは考えられない行動だ。
実際、グラムはジュードに対して怒っているなどと言う訳ではない。ただのスランプだ。しかし、彼にとっては死活問題となり得るもの。それ故に、精神的な余裕など欠片もなかった。
「きゅうぅん」
「……うん、そうだね。パパのためにがんばるよ、ありがとう、ちび」
「わふっ、うぎゃぎゃ」
その場にしゃがみ込んでしょんぼりと頭を垂れるジュードに対し、相棒であるちびは背中から降りると彼の周りをグルグルと駆け回り始める。
相変わらず、その頭には魔物の――ちびの声が言葉として響いている。ジュードにはちびが何を言っているのか、訴えているのかが即座に理解出来た。
だからこそ、ちびに励まされる形でしゃがみ込んでいたそこから立ち上がると、ジュードはしっかりと両手を握り締める。
そうして一度、改めて出入り口から作業場を覗き込むと、そこで剣を叩く父をしっかりと見つめる。
だが、やはり声を掛けることはせずに、ジュードは早々に踵を返した。その足先は自宅の方へと向き、ちびと共にその中へと消えていく。
当然、グラムがその気配に気付くことはなかった。
* * *
「……もう、こんな時間か」
その日の夕方。
グラムの意識を引き戻したのは、薄暗くなりつつある室内だった。太陽は命を燃やすかの如く、空を橙の色へと染め上げている。そう時間も経たずに、辺りは夜の闇に支配されることだろう。
グラムは手にしていた作業道具を壁に立て掛けると、頬を伝う汗を逆手で拭った。仕事から日常の生活へ意識が移行すると共に、身体には一気に疲労が出始める。仕事中はどれだけ身体を酷使しようとも苦や疲れの類は一切感じないと言うのに、不思議なものだといつも思う。
疲労が身体に滲み始めるのに加え、待ってましたと言わんばかりに腹部が空腹を訴えてくるから更に困る。
「はいはい、すぐ飯に……」
結局は自分の身体なのだが、それでもグラムは苦笑い混じりに――誰に言うでもなく言葉を連ねた。
しかし、そこでグラムは思い出す。昼食さえも食べていないことに。
朝食を済ませ、早々に作業場に篭もってしまった為に昼食など既に頭になかったのだ。
グラム自身は別に昼食を食べずとも気にはしないが、ジュードはそうもいかない。まだ子供、それも食べ盛りで育ち盛り。子供の身では腹も減るだろう。
グラムはやや蒼褪めながら慌てて作業場を後にすると、周囲を見回す。
作業場から自宅まではほんの数メートル程度。作業場と言っても離れのようなものだ。
「……ジュード?」
いつもなら、その自宅と作業場の近く――中間辺りでちびと戯れて遊んでいる。
しかし、今日はどうしてか姿が見えない。
自宅に帰っているのか、昼食を忘れた自分を怒って不貞寝でもしているのか。様々なことを考えながら、グラムは早足に自宅へと戻る。
「ジュード、いるのか?」
だが、自宅の中にも気配は感じられなかった。ちびの出迎えすらない。
ジュードが寝ていたとしても、ちびはいつもグラムを出迎えに来てくれる。そのちびが来ないと言うことは――自宅にも戻っていないと言うこと。
途端に、グラムの顔面からは血の気が引いていった。一体何処へ行ってしまったのか、そう思い慌てて踵を返す。
辺りはもうすぐ夜の闇に支配される。こんな中で迷子になってしまったら――そう考えると、居ても立ってもいられなかった。頭で考えるよりも先に、グラムは自宅を飛び出していく。
「――ジュード……ジュード! どこだ!」
自宅周辺にはあまり魔物は出没しないが、全く出ないと言う訳ではない。ちびと言う魔物が傍にいたとしても、ちび自体がまだ子供だ。少しでも狂暴な魔物と遭遇すれば、考えたくもない結果が容易に想像出来る。
――ジュードは手の掛からない子供だ。
グラムが子供を嫌う原因である癇癪も起こさず、駄々を捏ねて泣き喚くこともなく、毎日ちびと遊んでいる。グラムの邪魔をしないように。
だが、本当は寂しかったのかもしれない。そう言えば、最近は食事中も仕事のことばかり考えていて、ジュードの話もやや上の空で聞いていた気がする。今朝どんな話をしたか、ジュードがどんな表情をしていたかさえ思い出せない。
そんなことを考えながら、グラムは自己嫌悪に陥った。これでは、父親の代わりなど全く出来ていない。拗ねて何処かへ行ってしまったのではないか、そう思うとグラムは必要以上に焦燥した。
怒っていても良い。怒っているなら何度でも謝るから、どうか無事でいてくれるように。今のグラムの願いはそれだけだ。
しかし、麓の村まで駆け下りて行こうかと思った矢先、グラムの予想に反して明るい声が彼の鼓膜を揺らした。
「あ、パパー!」
「……!? ジュード!」
声のした方を弾かれたように見てみれば、そこにはやはりジュードがいた。近くの林の中から出てきたものと思われる。髪には幾つかの葉っぱが付着していた。その傍らにはいつものようにちびの姿も。
グラムは慌てて駆け寄ろうとしたのだが、それよりも先にジュードが嬉しそうに駆け寄ってくる。怪我はないか、それを確認しようとして――瞬く。
なぜなら、ジュードが両手で一枚の紙を差し出してきたからだ。
「……ジュード?」
「パパにあげる」
はい、と。懸命に背伸びをしながら差し出してくる紙を受け取ると、グラムはその表面へと視線を落とす。
そこには、一つの花の絵が描かれていた。
子供が描いたものだ、決して上手とは言えない。しかし、逆に考えれば子供が描いたにしては結構上手には見える。
「これは……花か?」
「うん。本当はお花を摘んでこようと思ったんだけど、摘んじゃうとお花さんがかわいそうだから絵を描いたの。パパ、最近こわいお顔してるから、お花さんを見たら喜んでくれるかも、って」
「……!」
その言葉に、グラムは思わず双眸を見開いた。
拗ねていたのではなく――単純に怯えさせていたらしい。それを理解して、グラムは困ったように眉尻を下げた。
「……」
「……パパ、お花さん嫌い?」
「いや、そんなことはないよ。……ありがとう、ジュード。とても嬉しい」
そう告げると、ジュードはそれはそれは嬉しそうに笑った。何処か照れているようにも見える。えへへ、と空いた両手を自分の腰の裏辺りに回して、小さな身をゆったりと右左に揺らす。
「(……根を詰めすぎていた部分もあるのかもしれんな)」
何か仕事のアイデア――どころか、スランプ脱出の手掛かりが掴めた訳ではない。
しかし、今現在のグラムの心は晴れ晴れとしていた。これまでの苛立ちは何処へやら、すっかり胸の痞えが取れたような感覚を得ている。
何か特別な情報を得た訳でもない。手に入れたと言えば、この――一般的に見れば決して上手とは言えない一枚の絵だけだ。
だが、グラムの心は確かにその絵によって癒されていた。
否、絵ではなく――恐らくはジュードの気遣いによるものだ。こんなにも幼い子供が自分の為に。その事実は非常に嬉しいことであった。
グラムはジュードに手を伸ばすと、いつもしているようにその身を両腕に抱き上げた。
「……ありがとう、ジュード。だが、あまり家の傍を離れないようにしてくれ、心配になってしまう」
「は~い」
「うむ……ジュードは良い子だな」
花ひとつ摘むことすら可哀想だと言う子だ。
確かに植物も生きているのだから、好き勝手に毟るのは可哀想だと思う。綺麗だからと毟られては、花にとっては堪ったものではない。しかし、普段誰も気にしないようなことであるのも、また事実。
子供故の純粋さなのか、グラムはそんな彼の優しさにそっと笑みを浮かべた。
「さあ、帰ろう。すまんな、腹減っただろう」
「うん、おなかペコペコ」
「ふふ。では、今日は少し豪華にしような」
グラムがそう告げると、ジュードは嬉しそうに笑ってしっかりとしがみついた。
パパ、と呼びながら頭をぐりぐりと胸の辺りに押し付けてくる様子に、自然と表情が弛んでいく。
橙色に染まる景色の中、グラムはジュードとちびを連れて自宅までの帰路を辿る。その足取りは非常に軽い、何処までも幸せそうであった。