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過去話・ウィル編・2


 グラムはウィルと共に自宅に帰り着くと、辺りを軽く見回す。台所にマナの姿は見えるが、ジュードの姿が見えない。先程の一件を思い出すとグラムの胸は痛んだ。

 やむを得ない状況であったとは言え、大事な息子を放り出してしまったのだから。


「……マナ、ジュードは戻っているか?」

「ジュードならお部屋にいるって言ってました」

「そうか、ありがとう」


 台所に置いてある台に乗り包丁で野菜を切っていくマナは、グラムを振り返ると朱色の双眸をまん丸にして不思議そうに小首を捻る。

 グラムはそんなマナに一言礼を向けると、一度ウィルを振り返った。


「ウィル、疲れただろう。休んでいなさい」

「……はい」


 それだけ言って、グラムは近くに荷物を置き二階へと上がって行った。やや古いのかグラムが階段を上る度に、木板が軋む音が鼓膜を揺らす。

 ウィルはマナに目を向けると、暫しその姿を見守った。まだ幼い少女だ、刃物を持たせるのは危ない。

 ぎこちなく人参をブツ切りにしていく姿はウィルを不安にさせる。そんなブツ切りで、一体何の料理を作ろうと言うのか。


「あの、手伝おうか……?」

「お料理はマナのお仕事なの」

「で、でも、危ないよ」


 ウィルはそちらに歩み寄ると、隣からマナの手元を覗き込む。小さな少女らしい大きな目が印象的だ。なんとも可愛らしい。

 やはり、放ってはおけなかった。「手伝うよ」とだけ告げると、マナは暫し不思議そうにしていたが、程なくして花が咲いたように笑った。



「ジュード、起きてるか?」


 一方、グラムは二階にある息子の部屋の前に立っていた。

 ジュードには多少なりとも不貞寝の癖がある。傷付いた時などは寝て忘れるつもりなのか、頻度はやや高めと言えた。

 グラムは軽く部屋の扉をノックしてから、ドアノブに手を掛けてゆっくりと開く。すると、想像とは裏腹にジュードは起きていた。床に座り込んで、金色の腕輪をジッと眺めていた。ちびウルフはそんな彼の傍らで腹這いになって眠っている。

 ジュードはグラムに気付くと、慌てたように腕輪を自分の後ろに隠して振り返った。


「あ、……父さん。おかえりなさい」

「ただいま、ジュード」


 後ろ手に扉を閉めると、グラムは床に座ったままのジュードの元へ歩み寄った。彼が見ていた腕輪は、ジュードが拾われた時には既に持っていたものである。

 ズタボロの身なりであった当時のジュードには不似合いなほどの、美しい装飾が成された腕輪だ。複雑な紋様が描かれた腕輪の中央には、透き通る蒼い宝珠が鎮座する。世界各地を巡り様々な鉱石などを目にしたグラムでさえ見たことのない珍しい石だった。

 その腕輪が目当てで幼いジュードを引き取ろうとする大人――自分が親だと言い張る者は多かった。

 だからこそ、グラムはそんな彼を引き取ることに決めたのだ。欲にまみれた大人に引き取られればこの幼い子供がどのような目に遭わされるか。欲しいのは子供ではなく、腕輪なのだから。

 恐らく、その腕輪はジュードの親か関係のある者が持たせてくれたものの筈だ。そんな大切なものを手放すなど言語道断である。ジュードの故郷や親を探す唯一の手掛かりなのだから。

 悪戯が見つかった子供のように両手を後ろに回し、軽く俯くジュードを見下ろして、グラムは小さく笑う。

 子供の複雑な心理だ。普段ジュードは親のことなど感じさせない。明るく無邪気で、元気な少年だ。背負う悲しい過去など全く晒さないほど。

 だが、内心では気にしている。親に捨てられたと言う事実を。だからこそ、ウィルに言われた言葉に傷付き、こうして腕輪を見て親に想いを馳せていたのだろう。

 しかし、それをグラムに見られるのは恥ずかしい――もしくはバツが悪かったのだと思われる。

 グラムは両手を伸ばしてジュードの身を抱き上げると、不思議そうに目を丸くさせる彼に笑い掛けた。

 そして寝台に歩み寄り、そこに腰を落ち着かせてから膝の上にジュードを下ろす。赤茶色のその頭を撫で付けながら、グラムは静かに口を開いた。


「ジュード、あの子はウィルと言ってな」

「う? うん」

「魔物にな、家族を殺されたばかりなんだ」


 グラムの言葉に、ジュードは大きな翡翠色の双眸を丸くさせて何度も瞬く。そしてすぐに泣き出しそうに表情を顰めた。

 ジュードは魔物が好きだが、だからと言って人の事情を考えられないような性格はしていない。


「……僕、ひどいこと言ったんだね」

「そう思うか?」

「うん。だって、僕にとって父さんやマナが殺されちゃったようなものでしょ」

「ふふ……そうだな、ワシはジュードのパパだからな」


 グラムがそう言うと、ジュードはそこでようやく笑った。照れたような――それでいて、とても幸せそうな様子で。


「僕、謝ってくる」

「うむ、ジュードは良い子だな」


 グラムはそっと目を細めると両手でその頭を包み込み、犬の頬を撫で戯れるようにやや乱雑に掻き撫でた。

 そんな戯れにジュードは「きゃきゃ」と子供らしい笑い声を上げて、擽ったそうに身を捩る。

 一頻り触れ合いを済ませると、ジュードはグラムの膝の上から降りて机の方に駆け寄った。持っていた腕輪を机の上に置き、そこでグラムを振り返る。


「行っておいで、ジュード」

「うん!」


 グラムがそう声を掛けると、ジュードは笑って大きく頷いた。



 * * *



 だが、二人の仲直りは上手くはいかなかった。

 ジュードはあの後、すぐにウィルに謝りに行ったのだが、ウィルの方がジュードを相手にしなかったのだ。

 一言で言うのなら、無視である。ジュードが何を言おうとウィルは一切耳を貸さなかった。

 グラムは何とか仲を取り持とうとはしたが、ジュードは決してめげない。自分の発言が原因なのだからと、怒り出す訳でも泣き喚く訳でもなくウィルに言葉を掛け続けたのだ。

 だが、半月ほど経った時にそれは起きた。


 いつものようにウィルに構っていたジュードに対し、ふとウィルは振り返ると眉を顰めながら口を開く。


「お前、そんなに俺と仲良くしたいのか?」

「え? う、うん」


 表情こそ嫌そうではあるが、ようやく口を利いてくれたウィルに対し、ジュードの表情は自然と弛む。それはそれは嬉しそうに。

 そんな様子を見て、ウィルの胸中は複雑な感情に支配されていく。その胸にあるものは、純粋な和解の気持ちではなかったからだ。

 だが、ウィルはそんな自分の心情から目を背けて口を開く。


「そんなに仲良くしたいなら、おつかい行ってきてくれよ。ちゃんと出来たら仲良くしてやる」

「……おつかい?」

「フェンベルに俺が欲しい本が売ってるんだ。買ってきてくれよ」


 ウィルがそう言うと、ジュードは双眸を丸くさせる。だが、すぐにぎこちなくとも頷いてみせた。

 風の国の王都フェンベルは、この家からだとかなりの距離がある。大人の足でも歩けば半日近くは掛かるだろう。それを子供の足で行くには一日は掛かる。ましてや、ジュードはまだこの辺りの地理には詳しくないし、一人で家を離れたことがない。フェンベルの正確な場所さえ、恐らくは分かっていないだろう。


「(どうせ、泣いて帰ってくるだろ)」


 ウィルは家を飛び出していくジュードの背中を見つめて、そう(あざけ)った。

 彼自身ジュードに関心は持ってはいるのだが、如何せん出逢いが出逢いだ。仲良くするにはウィルのプライドが許してくれない。


 しかし、勢い良く飛び出して行ったジュードは夕刻になっても戻ってこなかった。

 出て行ったのは、午前中――まだ昼に差し掛かる随分前である。

 外はもうじき暗くなる。流石にウィルは焦り始めた。


「……ちょっと見てくる」

「うん、わかった。おじさまには言っておくね」


 夕飯を作るマナを手伝っていたウィルは、掛けてあった上着を手に取ると慌てて外へと駆け出す。もちろん、ジュードを探す為だ。

 山道を駆け下りていき麓の村まで行き着くと、近くにいた村人を捕まえて問い掛ける。


「ジュード――いや、僕より小さい子供を見ませんでしたか?」

「え? ああ、グラムさんのところのかい?」

「は、はい」

「おつかいに行くんだって昼過ぎに出てったみたいだけど……そういや、戻ってきてないな」


 ジュードのことは、村でも認知されているらしい。

 それを理解して一度こそウィルは安堵を洩らしたが、続く言葉に即座にその安堵もぶち壊される。

 ジュードは確かにこの村を発ったようだ。だが、今もまだ帰ってきていない。

 ウィルは改めて、慌てたように駆け出す。村の出口を潜り、街道に沿って西方へ向かった。王都フェンベルへ向かう為に。


「(バカ、バカ、あのバカ野郎! なんだってこんな俺の言うことなんか律儀に聞くんだよ!)」


 そう内心で毒突きながら、ウィルは無我夢中で走った。心臓が破裂してしまうのではないかと、そう思うほどに走って走って、止まらなかった。否、止まれなかった。

 意識せずとも溢れ出してくる涙を拭うこともせずに、ただひたすらジュードの姿を探して走る。辺りは既に夕闇が支配を始めていた。

 魔物と仲良くするジュードがウィルは嫌いだ、許せない。だけど、いなくなってほしい訳じゃない。死んでほしい訳でもない。

 魔物が危険なんだってことを――自分の経験した痛みを、少しでも良いから理解してほしかった。

 だから、ジュードが謝ってきた時は素直に嬉しかったのだ。だが、それをありのまま受け入れて笑いかけることが出来なかった。ウィル自身、未だ気持ちの整理は出来ていない――出来る筈がない。目の前で大切な家族を惨殺されたのだから当然だ。

 その結果、ジュードがどれだけ本気なのかを試した。それがこの現状を生んでしまった。


「あいつ、どこまで……っ! くそッ!」


 夜は、魔物の行動が活発になる時間帯だ。風の国ミストラルの魔物は比較的穏やかだとは言っても、襲ってこない訳ではない。子供が一人で外をウロウロしていれば、食べてくださいと言っているようなものだ。

 子供の肉は魔物や肉食動物から見ればご馳走である。柔らかくて栄養満点な、ご馳走の一つ。それを魔物が逃す筈がない。

 そこまで考えて、ウィルの脳裏には未だ記憶に真新しい――家族が殺された光景、妹が喰われた光景が浮かんだ。

 ジュードも、家族のように魔物に喰われたのだろうか。

 そう思うと、ウィルは嘔吐感が込み上げてくるのを感じる。冗談じゃない、そう言いたげに乱雑に頭を振り、走り続けた。

 しかし、そんな時。

 近くに見えた森から魔物の――オーガの雄叫びが聞こえてきたのである。

 ウィルにとってオーガは忌まわしき敵だ。彼の脳裏には今も鮮明に、妹の身を喰らうオーガの姿が焼き付いている。恐怖よりも怒りや憎悪の方が遥かに強かった。

 ウィルは考える間もなく、そちらに駆け出していく。途中、道端に落ちていたやや太めの木の枝を拾い上げ、やや前につんのめりながらひたすらに駆けていく。声と、気配のする方へ。

 そして、何かと真正面から激突した。


「うわッ!?」

「――うぎゃっ!」


 ウィルは目の前に星が散るような錯覚を覚える。それほどの衝撃であった。ぶつけたであろう額が痛い。

 しかし、何か声が洩れた気がする。尻餅を付いた臀部(でんぶ)も痛むが、額を摩り涙目になりながらウィルは顔を上げた。すると、目の前には同じように額を両手で押さえて俯く――ジュードの姿が見えたのだ。唸るような声を洩らしている、余程痛いのだろう。

 ウィルは彼の姿を目の当たりにすると、額の痛みも忘れたように即座に立ち上がった。


「お前――っ、このバカ! こんな時間まで何やってるんだ!」

「あ、あれ? だ、だって、まだおつかい終わってないから……」

「バカッ! そんなもんもういい! なんだってお前、こんな……俺なんかの、言うこと、聞いて……」


 言いながら、ウィルは改めて涙が溢れ出してくるのを感じた。声が震えて、言葉が途切れ途切れになる。堪え切れずに片手で涙を拭うと、ジュードは困ったような表情を浮かべて小首を傾かせた。


「だって、読みたい本なんでしょ? 父さんは僕が食べたいって言ったもの、いつもすぐに買ってきてくれるんだ」

「……は?」

「だから僕も父さんみたいに、ウィルが読みたいって言った本を頑張って買ってこようと思って。そうすれば喜んでくれるし、仲良くしてくれるんでしょ?」


 その言葉に、ウィルは思わず絶句した。

 それと同時に自分自身を恥じたのである。

 ジュードは何処までも純粋なのだ。ウィルが試したなど毛ほども思っていない。子供だから仕方ないのかもしれないが。

 仲良くしたいから、喜んでほしいから。

 その一心で、こんな時間までフェンベルを目指していたのだ。尤も、街道をすっかり逸れて森の中にいるのはおかしい、恐らくは道に迷ったのだと思われる。

 森の中は、太陽の光も月の光も射さない暗い場所である。十にも満たない幼い子供には恐怖だっただろう、たった一人で。

 見つけたら散々怒ってやろうと思っていたが、ウィルの口からは言葉が出てこなかった。言葉の代わりに、涙ばかりが紫紺色の双眸を濡らして次から次へと溢れ出してくる。

 ジュードはそんな彼を見て不思議そうに双眸を丸くさせ、その傍らへと寄り添う。そして、ウィルの頭を小さな手でそっと撫で付けた。

 嬉しかった。ただ純粋に、ジュードのその気持ちが、優しさが。

 家族を失った自分に、哀れみや同情ではなく――純粋に仲良くしたい、喜んでほしいと思ってくれる気持ちが。


「……お前、擦りむいてるじゃないか。見せてみろよ、治してやるから」

「え? あ、ほんとだ。ありがとう」


 そこはやはり、年上としてのプライドらしい。

 少しの間、ウィルはジュードに身を委ねてはいたのだが、程なくして強がるように視線を余所に向けて呟いた。

 ジュードはと言えば、そんなウィルの様子を気にすることもなく嬉しそうに笑って、片手を差し出す。怪我と言うほどのものでもない。ヤンチャな子供であればよくある擦り傷だ。森を駆けている間に木の枝にでも引っ掛けたのだろう。

 ウィルは差し出された片手に利き手を翳し、短く呪文を唱える。

 すると、淡い緑色の光がジュードの腕に刻まれた擦り傷を包み込み始めた。治療系の魔法は比較的難しいものが多い。だが、ウィルは普段から勉強家である。家族の為を思って覚えた初歩的な治癒魔法だった。

 嬉しいと言う気持ちが、少しでもジュードに伝われば良い。そう思ってのことだ。

 しかし、その光は弾かれるように散った。

 え? とウィルが思う間もなく、続いて目の前のジュードの身が大きく跳ねたのである。大きな翡翠色の双眸を見開き、呼吸が詰まる。そして次の瞬間には胸を押さえて苦しそうに唸り始めた。


「お、おい! なんだよ、どうしたんだ!?」


 ウィルは慌ててジュードの身体を支えるが、衣服越しにも伝わる――彼の小さな身が異常なほどに早く高熱を持ち始めていることが。

 ジュードは苦しそうに荒い呼吸を上げ、胸を押さえて苦悶を洩らす。暗がりでも分かるほどに彼の顔には赤みが差し、苦しそうに胸を上下させた。

 ウィルは突然の異変に混乱し、止まった筈の涙が再び溢れてくるのを感じる。

 ジュードは一体どうしてしまったのか、自分が何かしてしまったのか。天罰か何かなのか。色々なことを考えた。

 だが、忘れてはいけない。

 なぜウィルが、ジュードと真正面から激突したのか。そもそも、なぜジュードが正面からやってきたのか。


「――――!!」


 先程ウィルが聞いたオーガの雄叫び。

 それは、ジュードを襲おうとしていたオーガだった。彼が走ってきたと思われる方向から、緑色の身を持つオーガが姿を現したのである。

 ウィルは、身が竦むのを感じた。

 ジュードがこんな状態で、一体どうすれば良いのか。木の枝一つでオーガに勝てる筈もない。第一、ジュードを守りながらでは戦えないのだ。


「く、来るな……来るなよ……!」


 だが、魔物が人の言葉を理解する筈もなければ、目の前のご馳走を逃す筈もないのである。

 オーガは大きな口の端から涎を滴らせ、ゆっくりゆっくりとウィルの元へと歩み寄ってきた。洩れる鼻息がウィルの緊張を煽っていく。ご馳走を前に興奮しているのは一目瞭然だ。逃がしてくれる筈がない。

 片手に持っていた木の枝を投げつけてみても効果はない、寧ろ多少でも怒りを刺激してしまったようにも見える。オーガは一度強く唸り、そしてまたゆっくりと歩み寄り始めた。

 程なくして眼前まで迫ると、ウィルはジュードの身をキツく両腕で抱き締める。なんとか彼だけでも助けてやりたい、そう思ってのことだ。

 恐怖を感じながら、それでもウィルはオーガを睨み上げる。


「――ジュード! ウィル!」


 その時、後方からグラムの声が聞こえた。

 だが、オーガは無情にも片腕を振り上げる。グラムの救助は――間に合いそうもなかった。



「グワアアァッ!?」


 振り上げられた爪がウィルやジュードに振り下ろされようとした時。

 不意にオーガが悲鳴を上げたのである。

 正確に言うのであれば、ウィルの真横にある茂みから黒い何かが飛び出してきたのだ。それがオーガの足に咬み付き、怯ませた。

 その隙をグラムは見逃さない。大きく大地を蹴り高く跳び上がると、上空から大剣を構え、落下の勢いをプラスさせて真上からオーガを一刀両断。一撃の下に倒したのである。

 ウィルは一瞬の出来事に思わず呆然としていた。何が起きたのか、頭が追いつかなかったのだ。


「ぎゃうん、うぎゃぎゃ」


 聞き覚えのある唸りが、呆然とするウィルの鼓膜を揺らす。そっと視線を向けてみると、そこには小さなウルフがいた。ジュードに寄り添い、頻りに頬を舐めている。まるで親の様子を窺う子供のように。

 それは、ジュードが「ちび」と呼んでいた子ウルフだった。

 甘えるような声を洩らしてジュードの頬を必死に舐め上げ、覚醒を促している。

 だが、苦しそうなジュードの様子を確認すると「きゅーん……」と、それはそれは悲しそうな、寂しそうな声を洩らした。それに倣い、ふさふさの尾も元気をなくして地面に垂れる。

 子ウルフが、ちびが。間一髪ジュードとウィルをオーガから助けてくれたのだ。茂みから飛び出し、オーガの足に咬み付いてくれたからこそ助かったのである。


「ジュード、ウィル! 大丈夫か!」

「お、おじさん……ジュードが……」

「また発作を起こしたのか……大丈夫、一晩休めば元気になるさ」


 グラムは剣を背中に背負い直し、ジュードとウィルを振り返る。

 苦しげに荒い呼吸を繰り返すジュードを見て、一度こそグラムは表情を顰めるが、すぐにウィルに笑い掛けてそう返答した。


「おじ、さん……ご、ごめんなさい、僕がジュードを……試すようなことをして、それで――」

「ウィル、……ジュードは怒っていなかったのだろう? なら、ワシは何も言わんよ。……無事でよかった」

「……」


 帰ろう、と優しく笑うグラムに、ウィルはまた涙腺が緩むのを感じたが、俯くことでそれを隠した。

 グラムはジュードの身を抱き上げると、そんなウィルの様子を見遣りながら静かに歩き出す。先に歩みを進める彼のその後に、ウィルも続く。心配そうにジュードを見上げながらついてくるちびを見ても、追い払おうとは思わなかった。

 流石に、触ったり抱き上げたりは出来なかったが。


『――魔物だって、みんながみんな悪いわけじゃない!』


 そう言ったジュードの言葉に、全面同意こそ出来はしないが――それでも、少しは歩み寄ってみようか、見方を変えてみようか。

 小さな四肢を必死に動かして歩きながらジュードを見上げるちびを眺めながら、純粋にそう思えたのであった。



 * * *



「それで、ウィルは過保護になったのね」

「え? 俺……過保護か?」


 ルルーナの納得したような言葉に、ウィルは思わず目を丸くさせた。

 すると、マナ達は呆れたような表情を浮かべてそれぞれに頷いてみせる。


「過保護よ」

「過保護だよ」

「過保護です」


 マナ、カミラ、リンファの順に間髪入れずに言葉を返した。

 最早、波状攻撃だ。ウィルはがっくりと頭を垂れる。そんな彼の様子を見て、マナはふと小さく笑った。


「まあ、いいじゃない。ちゃんと謝ったんでしょ?」

「え?」


 気遣うように肩を軽く叩いてくれるマナに、ウィルは思わず顔を上げる。共に向けられた問い掛けには、一つ間の抜けた声が洩れた。マナは暫し彼の様子を見守っていたが、そこでふと女の勘が働いたのである。

 まさか、と眉を顰めながらマナは静かに問い掛けた。


「……ウィル、あんた……謝ったのよ、ね?」

「え、あ……い、いや。ジュードのヤツ、倒れちゃったから結局タイミングを逃しちまって…………ま、まだ……」


 その問いにウィルは片手で後頭部を掻き、そして徐々に視線を下げていく。なぜなら、マナの表情が見る見る内に鬼の形相に変わっていったからである。

 更には泣きそうな顔をしながら「ジュード、かわいそう……」などとカミラが呟くものだから、ウィルの良心はこれでもかと言うほどにダメージを受けた。

 何か場を取り繕うようなことを言おうとはしたのだが、それよりも先にマナの怒号が轟く。


「――――さっさと謝ってきなさい!!」

「はっ、はいいぃっ!」


 不意に馬車の中から聞こえてきたマナの怒声に、外で馬の手綱を握っていたジュードは肩を跳ねさせてそちらを振り返る。

 そして、頻りに首を捻っていた。



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