第五話・女の闘い
「……マナ、様子はどうだ?」
「ダメ、まだ起きないわ。この調子だと、明日の朝まで寝たままでしょうね……」
あのあと、ジス神父から事情を聞いたウィルとマナは遅れてジュードの後を追い林へと向かっていた。そしてその先で、見覚えのない少女に支えられている彼を発見したのだ。
ウィルは高熱により意識を飛ばしたジュードを背負い、マナはそんなジュードを心配そうに見つめながら三人はグラムの待つ自宅へと帰り着いたのだった。
ちなみに、共にいた少女は麓の村の住人ではなく、どこか別の場所からやってきたようだ。助けてくれたジュードが心配だからと、ウィルとマナは彼女の同行を許可したのである。
自宅に帰り着いたウィルとマナはグラムに事情を話し、ジュードを自室で休ませることにした。依然として彼の呼吸は荒く、頬には赤みが差している。寝台に仰向けに寝かせたその額に、マナは心配そうに表情を曇らせたまま水気を絞ったタオルをそっと乗せた。
ウィルは部屋の出入り口でマナの背中を見つめて軽く眉尻を下げる。
「……あの子は?」
「今はグラムさんと話してるよ」
「あたしたちもいこっか、オーガに襲われたって言ってたでしょ。きっと怖い想いをしたはずだわ」
「……ああ」
マナのその言葉に、ウィルは薄く苦笑しながら小さく頷く。
彼女はジュードに想いを寄せている、本来ならば彼の容体が気がかりなはずだ。だが、それでも他人の心情を気遣えるのは彼女の優しさが成せることである。
言葉には出さないがウィルはそんな彼女に、心配と共に表には出さない情愛を抱きつつ踵を返した。
* * *
「なんと。では、きみはあのノーリアン家のご令嬢か」
「ええ、グラムおじさまには大変お世話になったとお母様から聞きました。こうしてミストラルに来たのも、お母様からグラムおじさまの身の周りのお世話をするようにと言われて……」
「なんだ、じゃあ元々グラムさんに用があったのか」
「そうなるわね。ありがとう、ここまで連れてきてくれて」
居間に設置された食堂テーブルの席に着き、グラムは目の前の席に座り向かい合う少女を眺めた。
マナは四人分のコーヒーを淹れると、それぞれの前に置いてから不思議そうに緩く小首を捻る。
「……あの、ノーリアン家って?」
「ああ、地の国グランヴェルの最高貴族だよ。昔はどこの国にもあったそうだけど、貴族制度が残ってるのは今は……地の国グランヴェルと、お隣の水の国アクアリーだけだな。ノーリアン家ってのは、グランヴェルの貴族の中でも特に階級が高いのさ」
「へえぇ……あれ? グランヴェルからきたの? でも、あの国は今は……」
「うむ、今のグランヴェルは魔物の侵攻を防ぐため完全鎖国の状態にある。入国はもちろん、出国も認められていなかったはずだが……」
ウィルの説明にマナはようやく納得したように何度か小さく頷きながら、感心したような声を洩らす。だが、そこでマナが改めて疑問の声を上げると、彼女の疑問に応えるようにグラムがその先の言葉を紡いだ。
「ええ、そうです。でもグラムおじさまが魔物に襲われておケガをされたと聞いて、お母様はとても心配されていて……なんとか、外に出れるように手配してくれたんです」
「はっはっは、そう心配せんでもワシはこの通りピンピンしておるよ。この子たちもいてくれるしな」
「うんうん、でも……今の話を聞く限り、この人――えっと」
「ルルーナよ、ルルーナ・ヘラ・ノーリアン」
「そうそう、ルルーナって国に戻れないんじゃ……出る時も大変だったんでしょ、国に戻るのなんてもっと難しいじゃない」
彼女が――ルルーナがこれからどうするのかが心配。マナが言いたいのはそれだろう。
グラムの言葉通り、彼はケガをしているといっても既に日常生活に支障はないほどに回復している。だが、彼が大丈夫だと言ってしまえば話はそこで終わるのだ。
国を出てきたルルーナに行くアテがあるのか――その先の言葉を出さなくとも、マナは心配そうに彼女を見つめる。
だが、そこでルルーナは暫し黙り込んだ後に静かに口を開いた。
「あの……あの子は、ジュードは大丈夫なんですか?」
「ああ……ビックリしただろ、ジュードは昔からああなんだよ。原因はわからないけど、魔法を受けるとああやって高熱を出して倒れちまうんだ」
「そう、そうだったの……」
「気にすることはない、朝になれば目を覚ますだろう」
魔法を受けて倒れる者がいるなど、普通は思わない。ルルーナはあの時、あくまでも助けてもらった礼として治癒魔法をかけたのだ。ゆえに彼女に全く非はない。
グラムもそれを理解しているからこそ、気に病まぬようにとそう告げたのだ。そして暫し何事か考えるような間を要してから改めて口を開いた。
「……どうかな、ルルーナさん。国に戻れる目処がつくまでウチにいるというのは」
「よろしいの?」
「この子たちには仕事があってな、それでワシの世話までさせるのは申し訳なく思っていたところだ。……といっても、日常生活くらいなら普通に送れるようにはなっておる、そう負担をかけるようなことはせんよ」
「ええ、わかりました。ではお言葉に甘えさせてください。このまま帰ったらお母様に叱られますわ」
そのやり取りに一番嬉しそうに目を輝かせたのはマナだ。彼女はこれまで男三人に囲まれて暮らしてきたため、特にルルーナの存在が嬉しかったのである。
無論マナの中にジュードやウィル、グラムに対する不満などないが、時には女同士で話したいこともあるというもの。例え期限つきであっても、自宅に女性が増えることが純粋に嬉しかったのだ。
取り敢えず話が纏まったのを確認すると、ウィルは一度大きく身を伸ばしてから軽く肩を回して踵を返した。
「さて、そんじゃ俺はメシの時間まで作業場にこもってるよ。材料の確認と明日の分の下準備しとかなきゃな」
「どれ、ワシはジュードの様子を見てこよう。マナ、ルルーナさんに家の中を案内してあげなさい、女同士の方がなにかと話しやすいだろう」
「はーい!」
彼女の心情を知ってか知らずか、グラムの言葉にマナは嬉しそうにほんのりと頬を朱に染めて元気良く返事を返した。抑え切れぬ嬉々が滲み出ている様は傍から見ればひどく愛らしい。
マナはグラムとウィルを見送ってから座したままのルルーナに身体ごと向き直ると、両手の指同士を身体の前で合わせ、締まりのない顔で口を開いた。
「あ、あたしマナ・ルイスっていうの、改めてヨロシクね。オーガに襲われたって言ってたけど、怖かったでしょ、大丈夫だった?」
「……」
「あとあたし料理担当してるの、好きなものとか嫌いなものがあったらいつでも教えてね。おじさまはロールキャベツ、ジュードはオムライス、ウィルはクリームシチューが好物で……」
楽しげに話すマナをルルーナは薄く微笑んだまま暫し見つめてはいたのだが、やがて言葉もなく静かに立ち上がる。
そしてにこりと優しく微笑みながら――その表情とは裏腹の言葉を吐き捨てた。
「――少し黙ってくれる? アンタみたいなタイプが一番嫌いなのよね」
「え……」
「うるさいのよ、まな板のちんちくりんのクセに」
一瞬なにを言われたのか、マナには理解ができなかった。
だがルルーナはそんな彼女に構うことなく、次に視線をマナの胸元に下ろすなり、まるで憐れむように眉尻を下げてそう呟く。
そしてそれ以上はなにも話すことはないとばかりに、彼女の脇をすり抜けて居間を出て行った。
ルルーナがその場を立ち去って数十秒後――ようやく彼女の言葉を理解したか、呆然としていた風貌を確かな怒りに歪めてマナは一人声を上げた。
「~~~~っ! まな板は関係ないでしょ!!」
まな板、つまりは貧乳だということ。それは彼女が特に気にしているコンプレックスであった。