第三十九話・兄妹
ゴーレムが放ったのは、氷属性の中級攻撃魔法『アイストルネード』である。広範囲を巻き込むことの出来る複数攻撃型の魔法の一つだ。
火魔法を得意とするマナが駆け付けてくれたことで前線での戦闘に向かったウィルは、ゴーレムの足元にいた。そこへ、ゴーレムがアイストルネードを放ったのである。
突如として氷の嵐が巻き起こり、ウィルやルルーナ、リンファを巻き込む。広範囲に吹き荒れる氷の嵐は前衛、中衛とを幅広く巻き込んだ。
氷の嵐の中に含まれる鋭い氷刃は彼らの身を容赦なく切り裂き、幾つもの大小様々な傷を刻んでいく。足元から巻き起こる冷たい風に身が浮き、その身は枯れ木の如くいとも簡単に吹き飛ばされた。
特に魔法の中心にいたウィルに深いダメージを与えたようである。だが、ジュードに頼れない今、ウィルはそこで怯んだりはしない。
攻撃を避ける為に右や左に跳び回り、更には吹き飛ばされたことで髪のセットなど既にグチャグチャだ。普段は上げて後ろに流した左側の前髪さえも、前に垂れてきている。
煩わしそうに表情を顰めてウィルは小さく頭を振ると、身に感じる痛みに意識を向けず再び駆け出す。
ダウンしている暇はない。なぜなら、ゴーレムはリンファに狙いを定めていたのだ。
吹き飛ばされた際に彼女は岩壁に背中を強く打ち付けたらしい、未だ起き上がれずにいる。そんなリンファをゴーレムは確実に狙っていた。
「――リンファさん!」
「ジュード! 待って!」
そして、そのゴーレムの狙いは状況を静観していたジュードにも理解出来た。
ジュードはカミラの声を背に受けながらも咄嗟に駆け出すと、ゴーレムの元へと一目散に向かっていく。何か注意を引けるものはないか――そう考えながら素早く周囲に目を向けたジュードの視界に、地面に転がった短刀が映り込む。
それは先程までリンファが振るっていたものだった、吹き飛ばされた際に手から離れてしまったらしい。
考えるだけの間もなくジュードは短刀を拾い上げ、持ち前の素早さを活かしてゴーレムの元へと駆ける。魔法を撃たれないことだけを願いながら。
ゴーレムは再び腕を振り上げた。照準は無論、リンファだ。
「く……っ! こんな痛み……!」
リンファは自身を叱咤しながら何とか起き上がろうとするのだが、ダメージから完全に回復しきれていない。打ち付けた背中はまだ痛む。電気でも走ったような鋭い痛みに軽い眩暈さえ覚えた。
カミラが治癒魔法の詠唱をしているが、それはどうも間に合いそうにない。ゴーレムは既に攻撃範囲にリンファを捉えているのだから。
振り上げられた腕にリンファは口唇を噛み締める。だが、それが振り下ろされることはなかった。
続いて、ゴンッ! と何かがぶつかる重い音が耳に届く。
その音の出所は、ゴーレムの足に当たるやや大きめの石だった。
「……ジュード様!」
ジュードが、ゴーレムの注意を引き付けようと近くにあった石を蹴飛ばして衝突させたのである。大きさがあると言うことは、当然ながら重量もある。
思いの外痛かったのだろう、ジュードは右足の爪先を押さえて小さく苦悶を洩らしていた。
怒りに触れたか、ゴーレムは次にジュードに照準を合わせると、振り上げたままの腕を彼目掛けて思い切り叩き下ろす。
「ジュード! あのバカッ!」
足元まで駆け付けたウィルも、ようやく状況を理解したらしい。思わず立ち止まり武器を持ち直す。轟音を立ててゴーレムの腕が地面に叩き付けられたが、そこにジュードの姿はなかった。
足を押さえ蹲る体勢から思い切り大地を蹴り、腕が振り下ろされる直前に高く跳躍したのである。ゴーレムの腕が当たる左側すれすれを跳び、ジュードは亀裂の走る腕部分に照準を合わせた。
左手に短刀を持ち、落下の力を上乗せして思い切りゴーレムの腕に切っ先を突き刺す。
自らの腕で叩いた際にヒビが入り、亀裂が走っていたその部分は深い裂傷となり千切れた。とは言え、血が出る訳ではない。
氷で出来たゴーレムの太い腕は砕けて千切れた部分が地面へと落ち、地鳴りのような音を立てる。地震かと思うほどに大地が揺れた。
上空でなんとかバランスを保ち、ジュードは難なくゴーレムの右側に着地を果たすと休む間もなくマナへ一声掛ける。胸は痛むが、情けを掛ければこちらがやられる。
「――マナ、今だ!」
「了解よ、みんな離れてて!」
ウィルはマナの声を聞くと再び駆ける、ゴーレムの近くにいれば彼女の魔法に巻き込まれてしまうからだ。
行き先は当然リンファの元である。ジュードを叱り付けるよりも、まずは彼女の安否確認が先だった。
だが、幸いにもそこでカミラの治癒魔法が発動し、柔らかな白い光がウィルだけでなく、リンファやルルーナの身を優しく包んでいく。そして程なくして、魔法により刻まれた傷も痛みも身体から消失した。
そして次の瞬間、ゴーレムの足元から赤い魔法円が出現し、巨大なゴーレムの身さえも大きなドームへと閉じ込める。マナが放った火属性攻撃魔法『ファイアストーム』だ。瞬く間にドーム内部は紅蓮の炎に包まれ、氷で出来たゴーレムの身を溶かしていった。
そこはやはり弱点属性に加え、マナの高い魔力である。
直接的な攻撃では柔らかそうな部分以外は刃さえ通しそうにない身だが、魔法ではいとも簡単にその身を溶かしてしまった。ウィルの魔力では、こうはいかない。
ドームが消えた時、先程までの巨大なゴーレムは跡形もなく消滅していた。
「はああ……勝ったああぁ……」
それを見てウィルは深い安堵を洩らす。その傍らで座り込んでいたリンファも、言葉には出ないが安心したように胸を撫で下ろしていた。
ルルーナはマナに歩み寄り言葉を掛ける。話の内容まではウィルやジュードの耳に届かないが、即座に憤慨するマナを見るとまた何か常の揶揄らしき会話でもしているのだろう。
カミラはジュードの元へ駆け寄り、両腕を振り上げて怒っていた。彼女が腕を振り上げる度に、柔らかそうな瑠璃色の髪がふわふわと動く。まるで意思でも持っているかのような動きを見せる髪は、後ろから見るとなんとなく可愛い。
ジュードはと言えば、オリヴィアがくっついていた時は決して寄り付かなかったカミラが、例え怒りに来たのだとしても「傍にいる」と言う現実が嬉しいらしく、平謝りをしていても表情は何処か嬉しそうであった。叱り付けようと思っていたウィルだったが、それを見てそんな気持ちも飛んでいく。
実際ジュードが割って入ってくれなければ、リンファを助けられなかったかもしれないのだ。恐らく、助けに入るのにウィルでは間に合わなかった。
オリヴィアは、そんな彼らの様子をぼんやりと見つめる。王族として、姫として。蝶よ花よと大切にされてきた彼女にとって、放置されると言う現実は理解が出来なかった。
誰もが自分を最優先にすることが当たり前の中で生きてきたのだから、当然だ。
こちらを気遣わしげに見つめるリンファの視線に気付いたが、オリヴィアは彼女を鋭い視線で睨み付けて即座に顔を背ける。リンファはそんなオリヴィアを見て、人知れず俯いた。
しかし、その場が安堵に包まれたのも束の間のことであった。
不意に天井の一部が崩れ落ちてきたのである。
「……ウィル! リンファさん!」
ジュードの声を聞いてリンファが意識を引き戻すと、それと同時に彼女の身に衝撃が走った。突き飛ばされるような、そんな強い衝撃だ。次いで彼女の背には突き倒されたような鈍痛が走る。
何事かと慌てて顔を上げて見てみれば、ウィルがリンファの身を抱えて倒れ込んでいた。
「……ウィル様!」
リンファが続いて視線を向けたのは、つい今し方まで自分達が立っていた場所だ。
そこには、天井から落ちてきた巨大な岩が幾つも鎮座していた。オリヴィアの態度に落ち込んでいたリンファは、天井から岩が落ちてくるのにも気付けなかったのだ。
そんな彼女を傍らにいたウィルが抱き込み、勢い良く倒れ込むことで助けたのである。
天井の崩落はまだ続いている、次々に聞こえてくる轟音が嫌でも教えてくれた。あの巨大なゴーレムとの戦闘により、鉱山内部は随分と不安定になってしまったようだ。とは言え、最奥のみである可能性は高い。
幸いウィルやリンファの方はそれ以上崩れてくることはなかったが、ジュード達の方はどうなったのか。ウィルは慌てて起き上がりリンファから離れると、巨大な岩へと駆け寄る。
崩落してきた岩により仲間達と分断されてしまっていた。彼らの安否を確認したくとも、完全に道が塞がれている。破壊しようにも規模が規模だ、難しい。同じ理由で動かすことも出来そうになかった。
ウィルは巨大な岩に両手をつくと、必死に声を上げる。一番近くにいたのは確かジュードだった筈である。
「ジュード、ジュード! 大丈夫か!?」
必死に呼び掛けるウィルを見て、リンファも慌てて起き上がるとそちらへ駆け寄った。最奥のフロアには、オリヴィアを除く全員がいたのだ。
通路に立っていたオリヴィアはともかく、残りの四人がどうなったのかリンファ自身も気掛かりだった。
だが、ウィルとリンファの予想に反して反応はすぐに返ってきた。
「ウィル、大丈夫なのか? こっちは問題ない、みんな無事だ。そっちは、リンファさんは?」
特にいつもと変わらないジュードの声が返ると、ウィルは深く安堵を洩らす。
ゴーレムとの戦闘に入る前にあのような会話をしたにも拘わらず自分のことまで心配してくれるのかと、そう思えばリンファの胸は軽く痛む。
「私も問題ありません。皆さまは、お怪我は?」
「ああ良かった、みんな大丈夫だよ。オリヴィアさんも」
取り敢えず巨大な岩の所為で分断されてしまってはいるが、仲間全体に被害はないらしい。不幸中の幸いである。
そして岩越しに、改めてジュードの声が聞こえてきた。
「待ってろ、すぐ出してやるからな」
「ちょっと待てジュード! お前、どうする気だ?」
「え? マナの火魔法でドッカーンと……」
「おバカ! そんなことしたら余計に崩れてくるだろ!」
兎にも角にも、これ以上最奥フロアの岩壁、天井などに刺激を与えないことが重要だ。崩れてきた岩をマナの魔法で爆破しようものなら更なる崩落が予想出来る。
即座に返る怒声にジュードは目を丸くさせると、数度瞬いてから辺りを見回す。そして彼の視線は放置されたままの作業道具を捉えた。
「えっと……じゃあ、つるはしとスコップで掘ろうか」
「いつまで掛かるんだよ、デカさを考えてみろ」
「……ええと」
何事も力業で解決するのがジュードである。ウィルは軽い頭痛を覚え、片手で額の辺りを押さえて項垂れた。
多少の崩落であったのなら、掘ると言う選択肢もある。
だが、今現在ウィルの目の前にある岩の大きさを考えれば、それは得策ではない。道を塞ぐ全てを合わせると、つい今し方まで戦っていたゴーレムの胴ほどはありそうであった。掘っている間にまた崩れてくる可能性もある。
更に言うなら、元気に飛び回ってはいたがジュードは怪我人であり、他は全て女性なのだ。
ウィルは深い溜息を吐くと、軽く辺りを見回す。幸いにも完全に密閉された空間と言う訳でもないらしい。道と呼んで良いのか定かではないが、細い通路が奥に見えた。
ジュードが次の手を考え付く前にと、ウィルは早々に思考を切り替えて岩壁の向こうにいる仲間達に言葉を向ける。
「とにかく、お前達は鉱石を採って早く外に出ろ。俺達はこっち側から出口を探すから」
「ウィル、大丈夫なの?」
「大丈夫だって、リンファもいるんだから問題ない。これ以上崩れてきたらお前達だって危ないんだぞ――て言うか、ジュードがまたアホなこと考え付く前に早く連れてってくれ」
「アホなことってなんだよ!」
ウィルとて分かっている。ジュードに悪意がある訳ではない、ただ一生懸命なだけだ。考えなしとも言えてしまうのが悲しいのだが。
マナの言葉にウィルは間髪入れずに答えると、そのすぐ後にルルーナの声が聞こえてくる。
「分かったわ、じゃあ私達は先に外に出てるわね。馬車で待ってるから」
「ああ、そうしてくれ。なるべく早く行くよ」
岩越しに仲間達の声を聞きながら、そこでウィルはリンファに向き直る。すると、リンファは小さく頷いて奥に見える細い道へと足を向けた。
外に繋がっているかどうかは定かではないが、とにかく他に道らしい道はない。ゴツゴツした堅そうな岩壁だらけである。
道は細く、人が一人通るのがやっとと言えるほど。多少ふくよかな人間であれば恐らくは通れないだろう。それほど細い道だ、足場もあまり良くはない。そして当然のように明かりは灯っていなかった。
だがそれも最初だけで、程なくして多少開けた空間へと出ることが出来た。下っているのか上がっているのかは分からない。とにかく進むしかないのだ。
しかし、そこでウィルは気付いた。
リンファが険しい顔をしていることに。
これまで彼女をそれとなく観察してきたウィルには、彼女のその表情には覚えがある。いつもルルーナを睨み付けていた時の表情にそっくりだったからだ。
聞いて良いことかどうかは分からないが、ウィルはそっと彼女に一声掛けた。
「……ルルーナと、何かあったのか?」
その言葉に、リンファは軽くだが肩を跳ねさせる。
そして歩みを止めて、視線のみでウィルを見遣った。
「……なぜ、ですか?」
「いや、ルルーナを睨んでる時が結構あったな、と思って」
「……見ていらしたのですか」
小さく返る呟きに、思わずウィルは言葉に詰まった。年頃の少女にとって男に盗み見られると言うのは何かと嫌悪感があるかもしれない、そう思ったからである。
どうしよう、とウィルが二の句を継げずにいると、リンファは身体ごとウィルに向き直り複雑そうに眉を顰めた。
「ウィル様は、なぜそこまで私に構うのですか」
「え、いや……」
それもそうである、リンファからすれば疑問だろう。ウィルは何かと彼女に構うのだから。
理由を告げても良いのかどうか。ウィルはリンファから視線を外して暫し頭の中で悩んだが、誤魔化す必要性を感じず、やがて静かに口を開いた。
「……妹がいたんだ、俺が九歳くらいの頃に死んじまったんだけど。生きてれば君くらいの年頃だったなあ、と思ってさ」
「妹さんですか……」
「あ、ああ。魔物の狂暴化に巻き込まれてね」
ウィルとて、それはあまり語りたい過去ではない。
グラムに拾われ、ジュードやマナと家族のように過ごしてきたことで心の傷は随分と癒えたが、完全に乗り越えた訳でもない。思い出せば自分の無力さを呪いたくなるし、優しかった両親を思い出して泣きたくもなる。可愛い妹に、逢いたくなる。
そんな心情を理解してか、リンファは一度だけ申し訳なさそうに目を伏せたが、程なくしてそっと薄く笑った。
「奇遇ですね」
「え?」
「私にも兄がいました。とても強く、優しい兄が」
「あ……そ、そう、なのか」
これまでほぼ無表情であったリンファにようやく薄くだが笑みが浮かんだのを見て、ウィルは安堵が胸中に広がっていくのを感じた。
無表情を貫く彼女が笑うと言うことは、それだけ兄との関係は良かったのだろう。
だが、続く言葉にウィルは固まることになる。呼吸さえも忘れたように。
「――その兄を、ノーリアン家に殺されたんです」
それは、衝撃的な告白であった。