第三十八話・戦闘開始
振り上げられた巨大な拳が地面を強く叩く。
それは地震のような大きな揺れを呼び、ウィルとリンファは思わずバランスを崩した。鉱山の中と言うこともあり、高く掘られた天井からは崩落を予感させる大小様々な岩、石が落ちてくる。
あまり長引かせるとマズい、考えなくても理解出来ることであった。
「長引かせて生き埋めなんて冗談じゃないからな……」
「はい、同感です」
あまり戦闘が長引けば、明らかにこちらが不利だ。
敵は巨大、拳や腕を叩き付ける攻撃一つで致命傷――もしくは即死に至りかねない。その攻撃を必死に避け続ける必要がある。体力的に不利であることは明白だ。
ウィルが呟いた言葉に、リンファは同意を示して小さく頷く。
身が大きい為か、敵――アイスゴーレムの動きはとても遅い。スピードで撹乱すればいけるだろうか。そう思い、躊躇う。
ゴーレムの身は、何処も分厚い氷で覆われている。否、覆われているのではなく、氷そのもので出来ているのだ。格闘術でも短剣でも、果たしてダメージを与えられるかどうか。もしも効果が見られなければ自殺行為としか言いようがない。
だが、このまま防戦一方と言う訳にもいかないのは確かであった。
「あいつの注意が外れてくれれば良いんだがな……」
「ええ、そうすればウィル様の魔法で……」
リンファも考えることはウィルと同じだ。
見るからに「氷です」と言うような姿をしたゴーレムだ。火属性に弱いことは容易に理解出来る。
しかし、魔法の詠唱中は隙だらけになってしまう。そんなところをゴーレムの、あの巨大な拳で殴り飛ばされれば命が危ない。
動きこそゆっくりではあるが巨大だからこそ視点は高く、恐らくは視野も広い。それは危険なことであった。
そんな中で、ウィルに最奥出入り口付近まで押し込まれたジュードが顔を出して提案を向ける。
「オレ、囮になろうか?」
「お前は引っ込んでろ!」
「なんでだよ!」
その提案が向けられることは理解していたのか、ウィルはゴーレムに視線を合わせたまま間髪入れずに即答した。多少は悩む時間もあると思っていたジュードは当然不満に声を上げる、まさにツッコミの如く。
リンファはチラリと視線のみを横流しにウィルへ向けて、小さく呟いた。
「しかし、ジュード様は魔族を倒された方なのでは……」
「……」
リンファの中で、ジュードは強い男だとの認識があるらしい。
それは間違いではない。確かにジュードは強い。しかし、今は武器も持っておらず、更に言うなら怪我人だ。利き腕が使えない。
リンファの言いたいことはウィルには分かっている。ジュードを囮にして、彼に撹乱してもらったところにウィルが火魔法を放つ。そしてダメージを与えていく戦法だ。
当然、ウィルとてそれは考えている。だが、それでも首を縦には振れなかった。
「……また、あの現象が起きるとも限らないからな……」
「え?」
「いや、なんでもない」
ジュードが吸血鬼を倒せたのは、今でも謎が解けない不可解な現象が起きたからである。
殺される、と思った間際にジュードの身に起きたあの現象。
彼の双眸がいつもの穏やかな翡翠色ではなく、輝くような黄金色に染まった瞬間から始まった大逆転劇。今でもあの現象が何だったのかは不明のままだ。肝心のジュードが何も覚えていないからこそ、得られる情報が何もないのである。
結局何の打開策も見出せぬまま、ゴーレムは再び大きく腕を振り上げた。
「――リンファ、跳べ!」
次の瞬間に勢い良く振り下ろされた先は、ウィルとリンファの立つ場所。
ウィルが左、リンファが右に跳ぶことで何とか回避すると、すぐに体勢を立て直す。多少なりともウィルにはゴーレムの動きが読めてきた。
「(直接攻撃は威力がある分、隙がデカい。狙うなら攻撃直後だな、問題はどこを狙うか……)」
どれだけ高い威力のある攻撃であっても、それが直撃しないのなら怖いことはない。
ゴーレムが出現した時から、これまで何度か繰り出してきた攻撃を簡単に――しかし素早く頭の中で思い返す。ジュードの武器がそのスピードと動体視力であるなら、ウィルの武器は優れた知性と情報分析能力、そして判断力だ。
ゴーレムの攻撃パターンは大きく分けて二つ。一つは大きく振りかぶり拳を叩き付ける攻撃だ。これは今のように横や後ろに跳んで避ければ怖いことはない。
もう一つは両腕を下ろして勢い良く回転する攻撃である。これは当たれば薙ぎ払われる恐れがあった。注意すべきはこちらの攻撃だろう。
ゴーレムがゆっくりとリンファに向き直ったのを見て、ウィルは舌を打った。どうせ狙うなら自分を狙え、とは口に出さない。出しても意味がないからだ。
「ウィル様、私が引き付けます。その間に魔法での援護を!」
「やっぱりそれしかないか……分かった、気をつけろよ!」
リンファは妹ではない。だが、それでも彼女に危険な役割を任せるのは出来るだけ避けたいと思っていた。
しかし、やはりそれしか方法はないのである。打撃を与えられるかさえ分からない巨大な敵を相手に、一か八かの賭けには極力出たくはない。ウィルの持つ槍には火属性が付与されているが、果たしてどれだけの効果があるかは定かではなかった。
何しろ、ウィル自身の魔力はそう高くないのだから。
ゴーレムは再び咆哮を上げてリンファを睨み下ろす。すると、これまでと同じように太く巨大な腕を振り上げた。
知能は高くないらしい――そもそも、そんなものがこの氷で出来ている人形にあるかどうかは疑問である。
振り下ろされた腕を、リンファは横に跳ぶことで回避する。そして即座に再度地を蹴り、ゴーレムの腕へと乗った。
それを見てゴーレムは逆手を鈍い動作で動かし始めるが、当然リンファに待つような気はない。敵が体勢を整える前に腰から短刀を引き抜くと太い腕を駆け上がっていく。
そんな彼女を捕まえようと、ゴーレムは逆手を思い切り彼女のいる箇所へと叩き付ける。しかし、間一髪でリンファは肩部分へと跳び上がることで回避に成功した。ジュードに匹敵するほどの素早さを持つ彼女を、そう簡単に捕まえられる筈がないのである。
更に、やはり知能はないらしい。思い切り腕を叩き付けたことで、自らの片腕にダメージを与えたようだ。それまで攻撃の度に振ってきた片腕は二の腕辺りにヒビが入り、微かにだが亀裂が走っている。
「――はあああぁッ!!」
それでもリンファは気を抜かず、肩部分から思い切り跳躍すると手にした短刀の刃を、渾身の力を込めてゴーレムの右目へと突き刺した。身体部分が頑強であるなら、比較的強度の低い箇所を狙う。それが彼女の戦い方で――女性でも出来る戦法である。
案の定、ゴーレムは痛みに地鳴りのような声を上げて暴れ回った。身体は堅くとも目の部分はそうでもないらしい。
のた打ち回るように暴れるゴーレムに、リンファは振り落とされた。身体が氷で出来ている為、掴まる場所がないのだ。高さ七メートルはある上空から落ちれば、普通の人間はただでは済まない。
だが、リンファは焦ることなく片手を地面へ向けると自身の身体に流れる気を即座に操作した。直後、地へ向けて勢い良くその気を放つ。
すると、ほんの一瞬だけ彼女の身が上空で停止し、落下の衝撃が遥かに和らいだのである。戦い慣れている、そうとしか言えない動きだった。すごい、と彼女の戦い方を見てジュードの口からは思わず感嘆が洩れる。
そして、リンファがゴーレムから離れたのを見計らいウィルは利き手を突き出す。その瞬間、呼応するように赤い光が彼の手へ集束していった。
「――喰らえこの野郎! フレアスプレッド!」
ウィルが声を上げると、赤い光は一際強く輝き炎を呼ぶ。
弓矢の如く炎は勢い良くゴーレムの背中へと飛び、直撃した。初めて吸血鬼と対峙した際にも使った、単体攻撃に特に効果を発揮する火属性の中級攻撃魔法である。
あまり魔力が高くないウィルが使っても、身体全体が氷で出来ているゴーレムには高い効果を発揮出来たらしい。右目を突き刺された痛みにのた打ち回るゴーレムは、背中に勢い良く直撃した炎に更に悲痛な、悲鳴と思わしき雄叫びを上げる。
「ウィル様、いけます!」
「ああ、だけど最後まで気を抜くな!」
ウィルとリンファの戦いを静観していたジュードは、耳を塞いでも聞こえてくるゴーレムの雄叫びに表情を顰めていた。
やはり魔物とは言えど、苦しそうな声を聞くとジュードは心臓を鷲掴みにされているような苦しさを感じる。
――苦しい、苦しい。やめて。助けて。死にたくない。
そんな声が頭の中に木霊するのだ。
魔物も生きている、誰だって死にたくはない。苦しい想いだってしたくはない。そう思うとジュードは泣きたくなった。
ウィル達は平気で魔物と戦っている。だからこそ、ジュードはそんな風に思う自分自身を嫌悪する。何処まで甘いのかと。やらなければ自分がやられるだけだと言うのに。
ジュードは片手で自らの片腕を掴む、竦む身を叱咤するかのように。そして苦しみ暴れるゴーレムを見つめた。
そんな時、そこへマナ達が駆け付けた。ゴーレムの上げる雄叫びを聞き付け慌ててやって来たのだ。
「あ、いた! ジュード、大丈夫!?」
聞き慣れた声に、ジュードは半ば反射的にそちらを振り返る。
マナ、カミラ、そしてルルーナにオリヴィア。残っていた女性陣全員で駆け付けてくれたらしい。
マナはジュードの肩越し、最奥フロアに見える巨大な――あまりにも巨大なゴーレムの姿に思わず目を見張る。だが、すぐに杖を構えるとカミラに一声掛けてからそちらへと駆け出した。
「カミラ、ジュードをお願い! ――ウィル、加勢するわ!」
「う、うん。気を付けてね」
性格なのか何なのか、巨大な敵を前にしても怯むことなく即座に駆けていくマナと、なんだかんだ不仲ではあるもののそんな彼女の詠唱時間を確保する為に同行するルルーナの背中を見送り、カミラは一言声を掛ける。
そしてジュードに視線を向けた。心なしか顔色があまり良くないように見えて、カミラは心配そうに眉尻を下げる。
「ジュード、大丈夫? 肩、痛いの?」
「え、あ……いや、大丈夫、大丈夫だよ。リンファさんのお陰で痛みは……大丈夫」
本当に大丈夫だろうか。カミラはそう思い彼の顔色を窺いはするのだが、そこでやはり口を挟むのはオリヴィアだった。
オリヴィアは先の騒動を引き摺っているらしく、不機嫌そうな表情を滲ませたまま静かに口を開く。
「……どうして、どうしてですの? ジュード様、なぜリンファなんですの?」
「え?」
「ジュード様もウィル様も、みなさんリンファのことばかり……」
そう呟くオリヴィアはジュードの目にもカミラの目にも、愛情が欲しくて餓えている子供のように見えた。
別にジュードもカミラも、オリヴィアを無視していると言う訳ではない。彼女のことも、そしてリンファのことも。どちらも差別や贔屓はしていないのだ。
だが、オリヴィアの目にはそうは映らないらしい。
ジュードは何か言おうとはしたのだが、それは最奥フロアから聞こえてきたマナの悲鳴により阻まれた。
「――ウィル! リンファ!」
叫ぶような声であった。
ジュードもカミラも反射的にそちらへと視線を投じる。
すると彼らが投げ掛けた視線の先では、ゴーレムが高々と両腕を上げて氷の嵐を巻き起こしていた。